22話 トロルの森
日中……3人はそれぞれいつものように背中に荷物を背負い移動していた。
トロルの森に入る直前。グリムは腰の袋から王家の指輪を出し、アンミストに渡した。
「グリムちゃん、これ……」
アンミストが不思議そうな顔をして指輪を受け取る。
「王家の指輪だ。アンミスト、君には私の代役を務めてもらうんだ。それがあったほうが格好つくだろう?」
「でもボク、こんな高そうな指輪を付けて森になんて入れないよ……傷つけちゃったら……」
アンミストは受け取った指輪を返そうとするが……
「大丈夫だ。トロル族に代々受け継がれてきた王家の指輪は世界一硬くて柔軟なんだ。戦闘中ですら私はその指輪を外しはしなかった。むしろ当たった物体のほうが砕けるほどだ。安心して付けてくれ。もし傷がついたら、君じゃなくて耐えれなかった不甲斐ない指輪が悪い」
グリムが饒舌に語る。
――ああ、王様はこういう自慢が本当に好きだよな。
あの時は突如、自傷行為に走って大変だった。
しかし今はあの時と違って、突然暴れ出す気配は微塵も感じられない。
「そっか……グリムちゃんは、ボクと会う前から指輪とずっと一緒に戦ってきたんだね。なんか、そういうの……ちょっと……」
アンミストは森の奥を見つめ、感慨深そうにため息をつく。
さぞ指輪に肯定的な台詞を期待していただろうグリムは、アンミストの次の意外な一言に少し傷ついた。
「……ムカつく」
かつて緑豊かな生命力に満ち溢れていた森は、まるで戦場跡のようだった。
焼け焦げた木々は黒焦げの指を天に向かって伸ばし、無言の悲鳴を上げているようにも見えた。
地面には灰が降り積もり、焦げ臭い煙が立ち込めていた。
足元には無数の木片が散らばり、歩くたびにカサカサと音を立てた。その音はまるで無数の生命が息絶えた証のように響き、彼らの心を重くする。
グリムは険しい表情で周囲を見渡し、握りしめた拳を何度も開閉させた。
彼の瞳には言いしれぬ深い闇が映っていた。
エリックとアンミストは、そんなグリムの姿を案じながら黙って彼の後を追う。
ようやく集落が見えてきた。
子供、大人、老人……様々な年齢のトロルたちは、それぞれが黙々と作業に励んでいる。
しかし彼らの表情は冴えなく、目は虚ろだった。
彼らの服にはすすけた跡が残り、何人かは包帯を巻いて怪我を隠そうとしている。
特に顔に火傷の痕を持つ者も多く、その傷跡は彼らの身に降りかかった悲劇を物語っていた。
グリムが口を開く。
「アンミスト……では私が喋るから、君がトロル達に伝えてほしい」
グリムはアンミストにだけ伝わるような小さな声で述べた。
それを聞いたアンミストは、指輪をはめた左手で握り拳を作る。
そして拳を振り上げ、出来うる限り低い声を出しトロル語で叫んだ。
「皆のもの!
グリム・スヴェン・フォレスが帰ってきた!
喉に傷を負ったため、聞き苦しい声ですまない!
今まで姿を見せられなかった事を謝罪したい!
だがどうしても皆の所に行けない事情があったのだ!
このような事態を招いてしまい、本当にすまなかった!
私は私の健在ぶりを周辺諸国にアピールした後に、トロル排斥同盟の悪逆非道な行為を非難し、捜査と断罪を要求するつもりだ!」
見事に演じきったアンミストは、胸を張ってエリックとグリムに向き合った。
その瞳は達成感と自信に輝き、まるで舞台の主役が喝采を浴びたような満足感に溢れていた。
トロルたちはグリムの姿を目の当たりにし、一斉に歓声を上げた。
その声は雷鳴のように轟き、まるで大地が震えるかのように周囲に響き渡る。
彼らの瞳には喜びの光が輝き、表情は満面の笑みで輝いていた。
中には涙を流していたり、地面に突っ伏して号泣しているトロルもいる。
人間と一緒であることを怪訝に思われないよう、予定通りエリックとグリムの事を雇われた従者だとアンミストに説明してもらう。
グリムはどうにもトロル族にはその容姿が毛嫌いされているようで、グリムを指差しヒソヒソと会話していたり、不穏な表情で見るものもいた。
民たちにそのような扱いをされるもグリムはその胸中を顔には出さず、できる限り冷静に振る舞っていた。
トロル達はアンミストを質問攻めにし、何も知らないアンミストはグリムにその都度対応を求め、グリムはアンミストにこっそり伝えていた。
グリムはつま先立ちになり首を長く伸ばして、まるで首長竜のようにアンミストの方へ顔を近づけた。
アンミストは膝を深く曲げグリムの顔に近づき、彼の言葉を聞き漏らさないように注意深く耳を傾けた。
エリックはそんな二人に多少の滑稽さを感じ、笑った。
――なんだ、実は良いデコボココンビじゃないかアンタら。
集まってきたトロル達の一人がグリムを指差し、何やら非難の声を上げる。
「……グリムちゃん。あなたが王家の指輪を盗んだって……」
「ぬぬ……ではこう伝えてくれ。私は王家の指輪をトロル王より託され、守っていた、と。そして時が来てトロル王に返した」
トロル王直々の説明をされ、住民たちはしぶしぶながら納得したようだ。
するとそこへ一匹の犬がやってきた。
その犬は尻尾をまるでプロペラのように高速回転させながら、アンミストへ飛びついた。
「キャー!」
犬に地面に押し倒され、思わず声が出てしまったアンミストをグリムがたしなめる。
「ちょ、ちょっとアンミスト。その、今は王なんだからキャーは遠慮してくれないか。王の威厳が……」
「ご、ごめんなさい」
尻尾をブンブン振り倒れたアンミストの顔を舐め回してる犬を、グリムは少し寂しそうに見つめていた。
突然犬はグリムの方へ顔を向け、大きな瞳をキラキラと輝かせながら近づき顔を舐め回した。
グリムの瞳が大きく見開かれ、口が開きかけた。
まるで目の前の光景を信じられないという様子だった。
「お前……私がわかるのか?アイアン・フィスト……!」
――そうか、この犬は王様が数年前に拾った野犬か。そんな話もしてたな……
「グリムちゃん。村の人が、アイアンフィストちゃんが、はじめて会った人で、しかもトロルの人以外に懐くなんてありえないって驚いてる」
「私も驚いているよ」
そこに老いたトロルがなにやら斧が装着されている鎧を持ってきた。
鎧は、無数の傷跡と修復の痕跡を残していた。
エリックの目には、その鎧が数々の戦いを生き抜いてきた証であり、トロル族の歴史そのもののように思えた。
そのトロルは、涙ぐみながら鎧をアンミストに手渡した。
「グリムちゃん、これ……」
「アンミスト。着てほしい。
私の歴史が刻まれた鎧だ。きっとこれからの戦いに役に立つはずだ」
アンミストが鎧を着る様子をグリムは感慨深そうな顔で見守っていた。
――きっと王様は、
『ああ、長かった。ようやく私が帰ってきた。
おかえり、私。』
そんなふうに考えてるんだろうな。
アンミストが斧を装着すると、なにやら集まっているトロル族が一斉に何か叫び始める。
トロルたちの野太い声が森中に響き渡り、地面が震えるようだ。
それぞれが握りしめた武器を天に向けて突き上げ、王への忠誠を誓うような力強い声だ。
エリックにはその叫びが「トロル王、バンザーイ」と言ってるように聞こえた。
アンミストは、突然の出来事に驚きを隠せずどうしていいかわからないようだ。
そんなアンミストを、グリムは微笑ましく見つめていた。
ところが……
カンカンカンカン。
けたたましい鉄の音が、静寂な夜空を切り裂いた。
まるで巨大なハンマーが鉄塊を叩きつけるような、鋭く響き渡る音だった。
トロルたちはその不吉な音に顔を青ざめ、互いに顔を見合わせた。
彼らは慌てて武器を手に取り、村の入り口へと急ぐ。
アンミストがグリムの小さな腕に手を回し、不安な声で
「グリムちゃん……トロルの人たちが……敵が来たって……多分……トロルなんとか同盟だ……って」




