20話 放棄
グリムはアンミストの温かい腕の中で、感情のダムが決壊したかのように声を上げて泣いた。
様々な感情が、彼の心を駆け巡っていた。
しばらくしてグリムはようやく泣き止み、紅くなった目をぎゅっと閉じ何度も何度も瞬きをした。
そして手の甲で涙を拭い、ようやく顔を上げた。
「アンミスト……せっかくの申し出だが……」
グリムは、まだ涙の跡がついている顔で身体交換の小瓶をアンミストに渡した。
「私はこんな物つかわない!煮るなり焼くなり好きにしろ」
グリムはニィと笑う。
「本当に好きにしていいの?」
「ああ!」
えっ、ちょっ……エリックは止めようとしたが、アンミストは腕を空に向けて振り回したかと思うと……
遠くでパリンという音がした。
エリックは生涯働いても買えないほどの希少な薬を、あっけなく失った。
まるで魂の抜け殻のようになったエリックは、二人が満足気に宿へ帰る姿を棒立ちで見ていることしか出来なかった。
グリムは宿の一室で、アンミストに言った。
一時的にトロルの森に戻り、トロル王を演じてほしい、と。
王が健在であることをアピールすればトロル排斥同盟も反撃を恐れうかつな手出しをしなくなる、とのこと。
要はナメられないように睨みをきかせる、と言う話だ。
その際付いていくエリックとグリムはトロル王が雇った従者という設定となった。
「グリムちゃんって、自分のためみたいな事を普段から言ってるけど、よく考えたら全部他の人のために動いてるよね……照れ隠しなのかな……本当に偉いと思う」
そうアンミストが述べると、グリムは何も言い返さず頬を赤らめるのだった。
その後にボソッと呟いた一言は、ギリギリエリックの耳に届いた。
「……ボクとは大違い」
その後、アンミストはグリムに提案をした。
「グリムちゃん。あなたにやってほしいことがあるの。
いえ、やめてほしい事かもしれない」
グリムはこれまでにアンミストに見せたことのない真剣な表情で聞いていた。
「グリムちゃんは朝にいっしょうけんめい体を鍛えてるよね。それは自分を守るため?トロルのひと達を守るため?
白ヒゲクソジジィを倒すため?ボクにはわからない。
だけど猫耳の、しかも女の子がそんなことをしても強くならないの」
確か前にもそんな事を話してたな、とエリックは過去を振り返っていた。
グリムは狭い額にシワを寄せ目をギュッとつむり、アンミストからの再三の否定を覚悟していた。
「でもね、グリムちゃん。
方法を変えれば今のあなたでも、きっと強くなれる」
アンミストは、グリムに今までのトレーニングを放棄して今の自分に合う方法での鍛錬を提案した。
姿や傷跡を失った今、"トロルとしての鍛錬"は自我を保つために最も重要な儀式のはずだ。
それを自ら手放すのは相当な苦痛だろう。これまでなら間違いなく拒否していただろうが、今回のグリムはアンミストの提案を受け入れ毎朝の鍛錬の方法を変えていた。
自らアイデンティティを捨てたのだ。
エリックはグリムに対して、自分を捨ててでも民や仲間を守ろうとする強い意志を感じていた。




