10話 2人のトロル王
魔法書を収集しているとかいう魔法使いの住む町まで冒険者エリックと猫耳少女グリムは歩いていた。
森は木漏れ日が幻想的な模様を織りなす、静寂に包まれた空間だった。
鳥たちのさえずりが音楽のように響き、小川のせせらぎは心地よいリズムを刻んでいた。
突然グリムが耳をピクピクさせ、小声で言う。
「まて、先客がいるようだ。静かに近づけ……」
とエリックを制し、音の先に向かう。
木漏れ日が差し込む水辺には、巨体のトロルがこちらに背中を向け、裸で悠々と水浴びをしていた。
その姿は、まるで古代の巨人が現代に甦ったかのようだった。
やけに高い声で放たれるトロルの鼻歌は、森全体を包み込み、どこか懐かしいメロディーのように響き渡る。
「おい、良かったな王様。アンタのお仲間だぜ。
しかも機嫌も良いらしい。
おい、挨拶に行ってこいよ。
アンタの森の住民かどうかはしらんが同じ種族だろ?
ああ、そうだったな。
あんたはトロルの言葉を忘れちまったんだったな。
でも、もしかしたらあのトロルは勉強熱心で人間の言葉が通じるトロルかもしれないぜ?」
グリムを見ると、信じられないという感情が顔面に如実に現れていた。
彼はまるで石像のように動かなくなり、ただトロルの背中を見つめていた。
「……あの背中は……あの腕の傷は……」
グリムが今にも襲いかかんばかりの憎しみの表情を浮かべ、歯ぎしりをする。
「おい、エリック。あのトロルを背中から襲い、手足を縛れるか?」
またグリムがとんでもないことを言い出した。
――……なんだと?何を言っている?せっかく会ったアンタの同族だろ?いや……
「王様……もしかしてあのトロルは、仇の類か?」
「アレは私の体だ!奴はこのあたりを根城にしていたのだ!あの"わるい魔法使い"めは、私の鋼の肉体を盗んだのだ!!」
興奮したグリムが思わず声を荒げる。
「おい声がでかいぞ王様……!聞こえるだろうが……!」
「この千載一遇の機を逃す手はない……!今すぐにでも殺してやりたい……!だが私の体を取り返すのが先だ……!できるだけ傷をつけずに奴を無力化してほしい……!!エリック、手を貸せ……!!」
グリムは袋からナイフを取り出す。
荒い呼吸が彼の動揺を物語っていた。
「頼む……!奴が杖を手放し水浴びをしてる今しか無いのだ……!
水浴びが終われば奴は杖を手にする……
もしかしたらエリック、お前が数日前に言ったように空を飛ぶかもしれない……!
そうなったらもう追いつけない……!」
「……分かった。王様、杖の場所を探そう」
エリックはこれから始まる戦いを意識し、剣の柄を力強く握りしめた。
――まさかこんなに早く……
エリック達はトロルが水浴びをしている周辺を観察したが、見つけられない。
深い緑の葉が視界を遮り邪魔をしている。仕方ない。
「王様。互いに縄を持とう。
隠れて近づきながらアンタが杖を探して、見つけたら折るか遠くに投げるんだ。
俺は奴の後ろから近づき手足を縛る。
俺が失敗して気づかれたら戦って奴の気を引く。
その間に王様、アンタがあのトロルに後ろから近づいて手を縛るんだ」
「……分かった」
――川の音や水浴びの音で俺達が移動して草むらに布が擦れる音がかき消されている。いける……
エリックがじわりじわり後ろからトロルの後ろから近づく。
しかし、予期せぬ木の枝の音が静寂を破った。
トロルはその音に驚いて振り向き、こちらを睨みつけた。
その顔は、かつて肖像画で見たトロル王グリムそのものだった。
エリックは、心臓が鼓動を早めるのを感じながら鞘から剣を引き抜き、大きな声で叫んだ。
「おいトロル!俺は奴隷商人だ!貴様を奴隷にし稼がせてもらうぜ!!」
自分はグリムとは何の関係もない第三者だ。
もう一人いることを悟らせない。
そういう風に、相手の心理の誘導を心がけた。
エリックは焦っていた。
――丸腰とはいえ相手はあのトロルで、1つの森の中とは言えその頂点にいるだろう王の肉体だ。
しかも中身は狡猾な"わるい魔法使い"だ。
どこにあるかも分からない杖を掴み、いつイニシアチブを取ってくるかわからない。
もしかしたら川の底に隠していて、次の瞬間にも杖を手にする可能性もある。
可能性は低いと思うが王様の言ったように罠が仕掛けてある可能性もある。
この剣でどこまで戦えるか……
しかし――
「キャー!なんなんですか!」
トロルにはまるで似つかわしくない、まるで声変わり前の子どものような高い悲鳴がその体から発せられる。
更にトロルは川岸から森へと逃れようとした。
その予想外の行動に、エリックは言葉を失う。
そこに草むらから飛び出したグリムが後ろから飛びかかりトロルの首筋にナイフを当てた。
「……動くな」
グリムは今にもナイフを動かさんばかりの形相でトロルを凝視していた。
裸のトロルは手足を縛られうつ伏せに転がされており、その上にグリムが乗り首にナイフを当て続けていた。
「……で?ボクは売られるんですか?」
トロルはふてくされた様子で答えた。
グリムは目を血走らせ犬歯をむき出しにし、尻尾はこれ以上ないほど膨らんでいる。
今すぐ首を掻っ切ってやりたい衝動を抑えながら話してるようだ。
「私は貴様に地位も名誉も国も体も、そして傷跡さえも奪われ、見るも無惨な醜悪な姿にされたものだ!
忌々しいこの耳も尻尾も毎日引きちぎりたくてたまらない!
だが、今日を最後にこの汚らしい姿から解放されると思うと言葉に尽くせない喜びであふれそうだ!!
今日をもって私の第二の誕生日とし、貴様の血で祝わせてもらおう!!
さあ、私の体で好き勝手をやるその様には我慢ならない!!
今すぐその身体を返せ、この古狸が!」
トロルは、狼狽した様子でこう叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってボクそんな事してないですよ!」
「黙れ!貴様の虚言など聞きたくない!
しかも、その甲高い声はなんだ!!私の体をどれだけ弄べば気が済むのだ!!
もうたくさんだ!!さっさと返すと言え!返さないならばその時は……」
「そもそもボクは……うぶっ」
トロルの口が布の切れ端で塞がれ、縄でぐるぐる巻きにされる。
彼は必死に口を開けようとしていたが、無駄だった。
「黙れええぇ!!これ以上私を怒らせるな!!
いいか、貴様が答えるのは『返す』の一言だけだ。他の単語は許さぬ!!
その時は殺してくれる!!!」
鬼気迫る形相と口調でグリムは怒鳴り、猿轡を解く。
「ー返します……」
トロルはため息をつきながら呟いた。
「それで、杖はどこだ。さっさと杖を取り私を戻せ」
トロルの持ち物だったはずのカバンは、茂みの中に無造作に投げ捨てられていた。
古びた革製のカバンの中を確認してみると、予想に反して杖らしきものは見当たらない。
杖が入るような仕切りもなければ、杖の先端が擦れたような痕跡もなかった。
服とタオルが入ってるくらいだ。
武器といえば、カバンのすぐそばに錆びついた斧が転がっているのみだ。
「……杖なんて無いですよ……」
グリムは額の青筋を立て、歯を食いしばりナイフを握りしめ今にも襲いかからんばかりにトロルを睨みつけて、絞り出すように喋る。
「貴様……この期に及んで悪足掻きの妄言を……」
「本当ですよ!
あなた達はあの紫色の服を着た気持ち悪い魔法使いの白ヒゲクソジジイに体を変えられたんですよね!
ボクもそうですよ!
あなた達とおなじです!!
声が変わっていると言うならクソジジイがやったんでしょうね!!」




