世界はスクリーンの中に
「……お、おお、おおお?」
朝目覚めたおれは驚いた。いつものようにスマートフォンで自分の配信ページを確認したのだが、画面が真っ暗で何も映っていないのだ。
「おかしいな……」
おれは天井を見上げながら呟いてみた。理由がわからない。再びスマートフォンを覗き込むが、配信ページは相変わらず真っ黒。ノーシグナルの状態だ。
おれは仕方なく、ベッド横に置いてあったインジェンスを腕に着け、部屋を出た。後ろには、配信用の小型ドローンがついてきているから、ドローン自体は問題なさそうだが、配信ページはやはり暗いままだった。
「おはよー」リビングに入り、母親の背中に声をかける。母親は振り向いて自分のドローンを見つめた後、おれのドローンに駆け寄ってきた。
「はい、おはよう。高校生の息子がパジャマでリビングに登場です。うふふ、寝癖が付いたままです。コラボしたいと思いまぁす。はーい、息子の配信をご覧の皆さん、チュピチュピドゥーン! ママギンです。ギンギンギン!」
【母:配信ページ登録者数201人】
「ははは、母さんさ、だからママギンって名乗るのやめなよ」
「ジュニギンは最近、反抗期なんですっ。でも、それとパンツをトランクスからボクサーブリーフに変えたのも成長の証だとママギンは思っています! ギンギン!」
「やめなって……」
「ん、お兄ちゃん、なんか機嫌良さそうじゃない? いつもは死んだような顔しているのに。ま、どうでもいいけど」
【妹:配信ページ登録者数10451人】
「別にぃ? 普通だけど?」
「うっわ、今の顔、マジキモ。絶対あたしの配信に映らないでよね」
「こらこら、ギャルギンったら、お兄ちゃんにそんなこと言わないの。実はお兄ちゃん、視聴者に好評なんだから。ほら、今もママの配信ページにコメントが……あら、変ね。うまく撮れていなかったみたい。『ジュニギンが映ってないですよー』だって」
「よかったじゃん。グロすぎて見てられないもん。あとギャルギンって呼ばないでって言ったよね」
「おいおい、お前こそ、朝から鼻の穴を公開して、視聴者が引かないのか?」
「はあ? 鼻の穴なんか映ってないし。あと、メイク配信は基本だから基本! センスないんだよなあ。だからいつまで経っても登録者が増えないんだよ」
「ギャルギンも反抗期真っ只中でーす! ガルギンは嫌って言ったから変えたのにねえ。今度パパギンと相談してみようかしらあ? ギンギン!」
「父さんは?」
「さあ? もう仕事に行ったんじゃない? 配信に声が入っちゃうから息しないで」
「息はさせてくれよ」
「あと、そこに座らないで、画角に入るから」
「お前が座る向きを変えればいいだろ。ケツが重くて動かないか?」
「うっさい、死ね」
「朝から兄妹戦争の勃発ね! ギンギンギンギン!」
今のはなかなかいい言い回しだった。撮れていないのがもったいないとちょっと思ってしまった。
世はまさに配信時代。国民全員が配信者となり、専用ページを持ち、日常生活をネットでライブ配信している。小型のドローンがメインカメラとして、自動でピントやフォーカスを調整してくれるのだ。腕輪型端末のインジェンスで、配信の設定や細かい指示を出すこともできる。
……ただ、今日のおれは少し違う。どうも機器が不調で、おれを認識できていないようだ。こんなこと今まで聞いたことがない。もしかすると、これが初めてかもしれない。もっとも、不具合はすぐに解消されるだろうが、それまでは視聴者を気にせず、のびのびと過ごせると思うと、なんだかワクワクしてきた。……まあ、気にするほど登録者数が多いわけでもないが。
「と、いうわけだったんだよ」
「へぇー、ふぉうりで配信ページが真っ黒だと思っふぁ」
「歩きながらパンを食うのはやめなよ」
おれがそう言うと、ミコはへへへと笑った。彼女は正直かわいい。だが、その笑い方も、パンをくわえながら話したのも、すべて計算されたものだろう。
【ミコ:配信ページ登録者数6689人】
ミコは近所に住む幼馴染の女子だ。幼い頃はよく一緒に遊んでいたが、今ではたまに通学時に顔を合わせるくらいだ。思えば、おれが登録者数が一番多かったのはあの頃だった気がする。それに、楽しかったのも。
「妹ちゃんすごい人気だよね。登録者数一万人越えでしょ?」
「あいつは若さだけが売りだからな」
「私も若いんだけど」と、ミコが頬を膨らませる。
「いやいや、登録者数五千超えは普通にすごいよ。今は全国民がライバルなんだぞ」
「でも、全国民が視聴者でもあるんだよ。いえーい!」
「街のカメラにもアピールか。マメだな……」
「街のライブカメラって意外と見られてるんだって。AIの顔検知システムで、すぐに気になった子の配信ページにアクセスできるから、ファンを増やすには絶好のアピールの場なんだよ。ジュニギンも昔はよくやってたじゃない」
「ジュニギンって呼ぶな。小学生の頃の話だろ。ただの普通の男子高校生なんて需要ないって。ま、気楽でいいけどな」
「そんなことないと思うけどなあ。それに頑張って登録者を増やさないと、就活にも響くよ」
「それは……そうだけどさ……まー、いいのいいの! 今は特にさ!」
「あっ、そうだよ。カメラが不調なんでしょ? すぐにサポートセンターに連絡した方がいいよ。私がしてあげようか?」
「いいんだよ、余計なことしなくて!」
「余計ってさあ……」
「ああ、ごめん……でも、まあどうせすぐに良くなるだろうし、今は自由な気分を味わっていたいんだよ」
「え、自由? 自由って? 今でも十分自由じゃない。配信でコラボしたり、ファンからスパチャをもらったり、イベント開いたりできるんだよ? 私もいつか、ネットだけじゃなくてリアルイベントを開けるといいなあ」
「おれとは無縁の話だよ」
「またそんなこと言って……。まあ、私もスパチャはあまりもらったことがないけど、でも毎日楽しいよ。みんなとつながってる感じがして」
「とか言っているけど、さっきからおれの方を向いて話してねえじゃねえか」
「あっ、スパチャありがとー! とにかく、また変な思想にハマったりしないでよね。小学生の頃にもあったじゃない。この世界は何かおかしいとか、あっ、バス来たから、じゃあね!」
「あ、おう」
「え? ううん、彼氏じゃないよ。幼馴染。え、羨ましい? あはは、じゃあねえ、私が君たちの幼馴染になってあげようかなぁとか言ってみたり――」
ミコはおれに背を向けるとすぐ、自分の視聴者に向けて話し始めた。あれもファンを離さないようにするための営業戦略だ。
よくやるよと思うが、ミコに限った話ではなく、街中の誰もが同じようにぺらぺらと一人でカメラに向かって話している。みんな、自分のことを見てほしいんだ。
でも、おれはいつの間にか、それに疲れてしまった。四六時中、倦怠感がつきまとい、カメラを見ると吐き気がしてくる。もともと、こういうのが性格的に向いていないんだろう。でも、この世界でそれを認めるわけにはいかない。両親は失望し、妹は今以上におれを蔑むだろう。社会不適合者、と。
「おいっすー」
【友人:配信ページ登録者数52人】
「おう」
教室に到着し、席についた瞬間、ヒデが声をかけてきた。
「持ってきた?」
「ああ、でも、もうやるのか? 席についたばっかりだぞ」
「そりゃそうだろ。始業まで時間ないんだからさ。オープニングトークしたいなら、もっと早く来いよ」
「わかった、わかった」
「よーし、じゃあ始め……って、おい。どこ見てんだよ」
「いや、別に」
「ああ、また瑠璃さんか。見るのは配信だけにしとけよ。……でも、ゴホッ……コラボに誘ってきてもいいぞ」
「配信も見てないし、喉を整えなくていいよ。無理なのはわかってんだろ。彼女は格が違うよ」
【瑠璃美鈴:登録者数102379人】
「だよなぁ。うちのクラスのトップだからなあ。しかし今の時代、顔だけじゃ登録者数は伸びないって言われるけど、嘘だよな」
「いや、彼女は結構おもしれー女だよ」
「お前、結局配信見てんのかよ」
「いいから始めないのか? 時間ないぞ」
「あ、おう。おれらも面白さでは負けてないからな。よーし、ゲーム画面と顔を映るようにして……えー、あの、えー、あっ、今から友達とゲーム実況を始めたいと思います。よろしくお願いします……」
「お前、配信を意識すると急に声が小さくなるよな」
「うるせえな! いいんだよっ!」
「声、裏返っているぞ。喉を整えた甲斐はなかったのか」
こいつも配信が向いてないタイプの人間だ。でも、それを認めたら、この社会じゃおしまいだ。
配信に向いていない=コミュニケーション能力がない。その上、なんのアイデアも生み出せないと見なされる。社会不適合者というのはそういうこと。企業が採用するメリットなし。友人として付き合うメリットなし。待っているのは視聴者数0人の孤独死だ。
「はい、あっ、どうもありがとうございました……あっ、コラボ相手はこちらでーす」
「いや、いいよ、おれは映さなくて……」
「ははは、相変わらず消極的だなあ。それじゃいつまで経っても登録者が増えないぜ? もっとさあ……ん? あれ?」
「どうした?」
「いや、母さんからのコメントなんだけど」
「親が見てるのかよ」
「うるせえな。それよりも、『誰とコラボしたの? コラボ相手が映ってなかったよ』ってさ」
「は?」
「おかしいなあ。確かにお前にカメラ向けたよな? AI補正でもかかったのかな」
「それって、漫画や映画とかの著作権コンテンツや死体が映らないようにする機能だろ? 映ってないのか?」
「そうそう、裸にモザイクをかけたりするやつ。ふふふ、もしかして、お前、AIに卑猥な顔だって認識されたんじゃねえの? ははは!」
「うるせえよ!」
笑いながらも、おれは一つの可能性に気づいた。
授業が終わったあと、廊下のカメラの前に行くと、やっぱりだ。学校の配信ページには他の生徒は普通に映っているのに、おれだけが映っていない。まるで透明人間になったかのようだ。
この現象は、何かのAIエラーに違いない。個人を認識しないなんて聞いたことがない。おそらく、初めてなんじゃないかと思う。おれはこの事実にゾクゾクした。叫び出したい衝動を必死に抑えながら、ゾワゾワと快感が背中から全身に広がり、脳が焼かれる感覚がした。
ドローンはおれの周りを飛び回るが、その目は盲目だ。おれは今、完全に自由だ。そうだ、自由なんだ!
母さんに「さっき、トイレ長かったけど大丈夫? おなか壊した?」とか、妹に「風呂長かったけど、変なことしてないよね。てか、あたしより先に入るなよ」だの言われる必要ない。寝たふりをして布団を被り、こっそりしなくていいんだ! いつでもどこでもしていいんだ! 街にいる可愛い女の子の足とか胸を見ていいんだ! 違法なエッチな動画も見てもいいんだ! 政府や有名人への誹謗中傷だろうが何だろうが言ってもいいんだ! ネットに晒されることを恐れて、ビクビクしなくていいんだ! ああ、おれが求めていた世界が、ここにあったんだ……。
堪えきれず、おれは叫んだ。周りの奴らが驚き、カメラを向けたが、そんなことどうでもよかった。
『いやー、さすがは政府。面白い取り組みですね』
『ええ、ランダムに選出した配信者のライブ配信をエラーっぽく止めて、実は全部記録しておき、後日特設サイトで公開するとは』
『これでその配信者にファンが大量についたりしてねえ。羨ましい限りですよ』
『ええ、主にいわゆる底辺配信者を選んでいるので、彼らには感謝しかないでしょうねえ』
『いや、それがそううまくはいってないみたいですよ』
『と、申しますと?』
『大半の配信者が犯罪行為に走っちゃって、もう大炎上ですよ』
『でも登録者は増えてるじゃないですか』
『確かに増えましたけど、それはファンじゃありませんからね。監視して攻撃するための登録です。この社会の敵みたいな扱いをされてますよ。不潔です、不潔』
『ああ、特にこの男子高校生なんて、ふふふっ、僕、笑っちゃいましたよ。同級生の悪口を言って……』
『ああ、言ってましたねえ! 「おれより登録者数が多いって言っても、たったの52人しかいないくせに。いつもマウント取りやがって」とかね』
『あと、下品な話ですけど、ふふふっ、クラスメイトの女子をね、確か瑠璃さんとか』
『ちょっと! 名前を出しちゃダメでしょ』
『あははは! でも、もう大勢が見てますからね、彼の痴態、いや配信を。ふふふ』
『る、るりさんっ! あ、ああぁ!』
『ははは、それはやめてあげましょうよ』
『不潔ですよ、まったく』
『ははは、こりゃ失礼』
『ええ、茶化さないでください。彼の配信で最も着目すべき点は現政府への反抗心です。国民全員に配信が義務付けられてから犯罪率は激減し、平和な世の中になりました。国民たちの監視の目が行き届き、自衛ができているわけなんですよ』
『しかし、彼の反抗心ってのは、ただの思春期にありがちなやつでしょう』
『いいえ、彼の言動には確かな思想があります。今回、選出された他の配信者たちもそうです。政府、そして、あたしたちは彼らの動向を注視するべきです』
『ははは。まあ、よく見られてはいるようですね。その彼も登録者数が確か100万人越えをして、と、あれ? おかしいな……』
『炎上効果というやつですね。昔、流行りましたけど、彼もそういった連中と同じく、収容所に送られるのでしょうか?』
『いいえ、これまでと変わらないそうです。ただし、登録者数は無効になるみたいですが』
『ああ、だから今、表示されていないわけだ。これじゃまるで』
『透明人間か幽霊ですね』
『はははははは! おっと、CMの後も、この件について議論していきます。皆さん、番組および、出演者の配信ページに登録よろしく!』