8 学園のエレーナ・レーデン 4
「まさか黙って逃がすと思いましたか?」
「まさか今日からとは思いませんでしたわ」
決闘を終えたミアは昨日の感動が忘れられず、ストリアを買いに行こうとしていた。
祭りはもう終わっているが、菓子屋ならばあるだろうと考え心躍らせながら歩く……という時間も長くは続かなかったのだ。
校門に陣取っていたオキに捕まり、クレア共々連行。籠と長いトングを渡され、街に放り出される。
これが社会奉仕を命じられた生徒の放課後だ。
かつて『魔王の騎士』として恐れられ、人類から『終着点』の異名で呼ばれたエレーナ・レーデンであっても、この罰からは逃れられない。下手に逆らえば誰に目を付けられるかも分からない。
「このトング? というのは便利ね。簡単に物が掴める」
「子供かっ」
カチカチとトングを鳴らすミアの横でせっせとゴミを拾うクレア。
彼女らが担当するのは学園から少し離れた地区。
他の社会奉仕を受ける違反かなにかをした生徒はまた別の地区担当だ。
「あら、これは? 本?」
「ゴミだね。きたない」
「本がゴミ!? ありえるのそんなこと!?」
「えっ、そりゃ今目の前にあるし……本だってこんなに汚れて読めなかったらゴミだよ」
まだ本という物が高価だった時代に住んでいたミアは、時たま信じられないような顔をしながらもゴミを拾う。
真面目なクレアもまた、同様に。
「よくもまぁこうゴミばかり落ちてるものね」
「ポイ捨ては社会問題だからね~」
それよりも、とクレアが興奮したように息巻いてミアに詰め寄る。
「さっきの決闘、何したの!?」
「昨日も見たでしょ。魔法よ」
「魔法ってあんなに簡単にできるの!?」
「私はね」
「というか身体強化使えないなら昨日のアレはなに!? あの、クルッってなってドカーンってやった蹴り!」
「……鍛えてたからよ」
魔族なので身体スペックが人間より強いんです。なんて言えるはずがない。
クレアの質問攻めに疲れたが、明日辺りも大勢に同じことを尋ねられるのだろうかと考えるとさらに疲れるミアであった。
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「聖剣氣は魔力と似ていますが、実際はまったく違います。魔力は、魔族や天使など、人類出ない者が持つものでした。まぁ人類にも使える者もいますが、これは遠い昔にどちらかの血が入ったのだろうと考察され――」
座学の授業は、ミアにとって興味深いものだった。
1000年前に生まれた彼女だったが、実際のところ彼女は20年と生きていない。その前に封印されてしまったためだ。
物心ついてからまもなく戦いの世界に身を投じた彼女は、落ち着いて何かを学んだりといった経験が無い。
魔法陣による魔法操作を誰かに師事したことはあっても、成り立ちや歴史などを学んだことは皆無だ。
その日その日、あるいは未来を考えるだけだった彼女は、過去や歴史を振り返り学ぶことの面白さを知った。
「そして世界で初めて聖剣氣を持ったのは、勇者アイリアです。それ以前の歴史には、魔力はあっても聖剣氣の記述は一切ないことから、初だとされています」
「勇者アイリアの亡き後、世界各地で聖剣氣を持つ人間が確認され始めましたが、それは彼の死後、聖剣氣そのものが世界に撒かれたのではないかという意見があり――」
2日目の最初に行われたのは、まず聖剣氣とはというものと、勇者アイリアについての授業。
聖剣氣についての研究は人類でもされているが、やはり魔力に似た、魔族特攻の何かというくらいしか分かっていないようだ。
魔力もまた、一般人はよく分かっていない。
1000年前や、それよりずっと前から存在し使われているものだというのに、力の源も、原理も、使い方も、よく分からないが超常現象を起こせる不思議な力、というのが主な認識だ。
ただ分かっているのが、魔法を使うには血や才能といった適正と魔法陣が必要ということだけ。
事実ミアも「そういうもの」だと思って魔力を行使している。
ミアの感覚上、魔力はなにやら体の奥底から湧き上がってくる力だ。
どこかと言われれば答えようがないのだが、魔族の間では度々『泉』として表現していた。
自分の『泉』から、魔力を掬い取って魔法陣を介し、炎や水といった原始的なものから、固有魔法などの特殊な現象としてこの世に放つ。それが魔法だ。
「まぁ魔法はシェリア魔法学園という教育機関があることから、ある程度は研究も進んでいるのでしょうね。私見ですが、魔法協会が魔法研究のほとんどを隠匿していると考えます」
講義をする教師の考えは正しい。
古くからある超常の力を研究しないわけがない。ならば研究して、かつその成果を隠しているのだろうというのは、目覚めて数年のミアでもそう考えるところだ。
「おや、時間ですね。午後からは訓練でしょう。昼食はしっかり摂るように」
「(あら、もうなの)」
三の刻を告げる鐘が鳴ったところで、講義は終わった。
もう少し聞いていたかった、と思えるほどに、ミアは座学を気に入ったようだった。
「ねぇねぇ! 昨日のアレなに!?」
「貴族を倒すなんてやるぅ!」
「今度お茶でも!」
無視。
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午後からの訓練は、主に聖剣氣の使い方だ。
聖剣氣は魔力に似ている。と午前の授業で教師が言っていたように、ミアが聖剣氣の使い方を覚えるのは速かった。
まずは自身の中にある聖剣氣を認識し、それを操る。
身体強化などは、体中に聖剣氣を浸透させるイメージだ。
それだけで人間でも魔族並み、もしくはそれ以上の身体能力を手に入れることができる。
手軽に強くなれる。それだけでも聖剣氣持ちがどれほど人類の中で突出しているかが分かるだろう。
使い方は覚えたが、ミアがそれを実践しようとは思わない。
元々強い魔族の体に、聖剣氣の強化まで加わってしまえばどれほどになるか、自分でも想像できなかったからだ。迂闊に使うべきではないと考えた。
それにミアの保有量では、せいぜい数回、数秒の強化で限界だ。多く持っている者ならば強く長くということが可能なのだろう。
次に武器に纏わせることだが、これはミアにとって容易であった。
魔力に聖剣氣を混ぜるのと同じ要領で、自分の中にある聖剣氣を武器に流し込むイメージだ。
これだけで白く光る膜のようなものが武器を覆った。
「むむむむ……ミア、やり方教えて~」
「先生に言われたことをやればできるわよ。多分」
「えぇー!?」
ミアには魔力操作という下地があったが、他の生徒はそうもいかない者も多い。
聖剣氣を持っているというのが分かっても、それを上手く扱えるかどうかは別問題のようだ。
こうして午後の時間も過ぎていき、五の刻を迎え、また一日が終わる。
昨日買い忘れたストリアを今日こそ買おうと心に決め、ミアはクレアと共にまた籠とトングを持ち、街を練り歩く。
学園内では授業を受け、合間に相次ぐナンパを避け、放課後にはトングを持ってゴミ拾い。
潜入という名目上、なんの成果も得られないが、今は慣れる時期だとミアは自分に言い聞かす。
そんな日々が数日続いた。
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入学して何度目かの朝。
今日も今日とてミアは皆勤賞ならぬ、皆遅刻賞をとる勢いで寝坊をした。
食堂のシェフには既に『いつも遅く来て朝食をとる生徒』の認識を持たれている。
もう慣れっこだ。ローリスは遅刻する生徒をいつまでもネチネチ怒る教師ではないし、いっそ自分が遅刻するのは陽が昇って落ちるのと同じくらい当たり前なのだ。と思わせた方がいいかもしれない。
そんな考えこそよぎるのだが、今日はいつもと部屋の様子が違った。
まず、生徒ひとりひとりの個室のはずの部屋に、ミア以外の人物がいる。
妙に縁があるのか見慣れた顔。クレアだ。
「もう~~! 起きて~~~!」
シーツがバサッと持ち上げられ、胎児のように手足を丸めていたミアが露わになる。
悠長なことに二度寝を決め込もうとしたミアの意識が強制的に覚醒し、端正な寝顔が少し歪んだ。
「む……かえし、なさ……」
「ダメ! 早く起きて着替えないと今日も遅刻しちゃうよ!」
「いいのよ……別に……」
「よくないよ!」
シーツを取り戻そうと手を右往左往させるミアだが、既にクレアはシーツを畳んでベッド脇に置いている。
クレアは宙を彷徨う手を掴み、グイと持ち上げた。
「きゃっ」
「はい起きる!」
「こ、この人間めぇ……」
「何目線!? ほら着替えるよ」
他人の部屋だというのに、クレアはテキパキとミアをベッドに座らせ、クローゼットを開ける。
「あれ、これ……ドレス? 可愛い。ミアってやっぱりお嬢様なの?」
「あ、それは」
「後で聞くね。ほら制服着るんだから脱いで!」
いまだ半覚醒のミアはされるがままにネグリジェを脱がされた。
窓から差し込む朝日に照らされた珠のような肌は、同性のクレアも関心する。
「うわぁー……キズもシミもなにひとつない。いいなぁ~」
「まぁそりゃ――」
「……そりゃ?」
「そりゃあ……私だから」
「自信がすごい」
そりゃあ傷なんて出来た瞬間に【超速再生】で元通りだから、などということを口にしなかったのは、ミアの意識がようやく動き始めたからだ。
ミアの外見は15歳のクレアよりも下だ。おそらく妹の世話をする姉の気分にでもなっているのであろうクレアは、ミアが抗議の声をあげるまで、その凹凸の少ない体をほうほうと眺めたり触ったりしていた。
「ほら早く制服着て! もういよいよ時間無いよ!」
「朝食だけは譲らないから。遅刻してでも食べるからね」
「何言ってんの!?」
制服に着替え、部屋を出てクレアの制止も無視して食堂へ赴く。ちなみにこの時点でミアにとってはかなり早いと思えるほうだ。普段ならこの時間にようやく眠りから覚め、ベッドの中でもぞもぞといたずらに時間を消費している頃だろう。
だからだろうか、普段はミアの貸し切り状態になる食堂には、1人の女子生徒がいた。
「ほら、クレア。世界には私以外にも朝寝坊して遅めの朝食をとる人間もいるのよ」
「う、うわぁ~……」
向こうもミアたちに気付いたようで、怪訝そうな目を向けてきている。
その藍色の目には「うわぁコイツら遅刻かよ」というなんとも自らを棚に上げたような意思を感じられた。
「子供……?」
「あん!?」
「ひぇっ、ご、ごめんなさい!」
見るからに子供だった。
しかし放たれる凄み的なオーラを前にすると、子供扱いを取りやめざるをえない。そんな少女だ。
「なんだお前ら、1年か? 遅刻か? なってないな」
「先輩らしき人に絡まれてしまったわね。向こうも私たちと同じ寝坊の遅刻なんだから、そう怯えることもないでしょうに」
さらっと自分まで寝坊扱いされたことに抗議しようとするクレアだが、先輩らしき人間の方が気になったようで、さっそく自己紹介を始めていた。
「はいっ、1年のクレア・プレトリアです!」
「クレアのその物怖じしてるようでしてない距離感好きよ。じゃ私朝食取ってくるから」
「ちょ、ミア!?」
「……2年のスーヤ・ルーニャだ」
「ルーニャ? あっ、もしかして『教の国』の?」
「ああ、今度その話題出したらぶっ殺すからな」
「はいぃ!?」
『教の国』、ルーニャ。クレアはその単語に心当たりがあった。
なにせ有名だ。学問を第一とし、いい学校に行くならば『教の国』に留学しようなどとも言われるほどの国。
同時に、魔法協会の総本山である。
ミアもまた、『教の国』は知っていた。
連邦が樹立してから各国家群を州として制定したからか、当時残っていた国は名前だけ残っている場合が多い。
『教の国』は『柱の国』ほど古くはないが、1000年前には既に存在していた国家だ。
その頃はまだ学問は教育に傾倒する国ではなく、単に魔法使い至上主義の集団が国を形成したと言う方が正しかった。
そしてルーニャという家名。それにもまた聞き覚えがあった。
ルーニャ家は、当時の『教の国』の長だったのだ。
まさか1000年経ってもまだ血が続いているとは。というのがミアの率直な感想だ。
つまりスーヤは故郷でかなりの地位にいることになる。
「ということは、あなたがもう1人の魔法使いさん?」
「あん? どういうことだ?」
この先輩はミアの興味を惹いた。
ラビス学園長の言っていた聖剣氣と魔力の両方を持つ超レアな人間。潜入している身としても、知っておきたいのだ。
食事を運び、スーヤの向かいに座る。
「あん? なんだコラ」と言わんばかりにミアを見る藍色の瞳、ボサボサな長い黒髪がもたらす暗いイメージとはまったく違う気配が彼女からは伺える。
しかし今にも飛び掛かって来そうな様子はなく、けだるげに尖った物言いをする少女だった。ダウナーなオラオラ系だ。
一見した感じ、路上で育った子供という印象を覚える。誰も国のトップの子供だとは思わないだろう見た目をしていた。
「もう1人……ってことは、オマエも魔力持ってんのか?」
「ええ。失敬、ミア・ブロンズよ」
「ふーん、珍しいな。どれだけ使える?」
「それなりにね」
「口頭詠唱は?」
「もちろん」
「同時にいくつできる?」
「別々の魔法を指の数くらいは」
魔法を行使するやり方は主に2つ。
ひとつは魔法陣を構築して放つこと。
もうひとつは、口頭で魔法の名前を言う『口頭魔法』。
口頭魔法は、魔法陣を描くよりよっぽど難しい。
その魔法のことをしっかりと理解し、頭の中に魔法陣を思い浮かべ、正しく発音する必要がある。
この方法を使うことができる魔法使いは少ない。使えるならば、間違いなく一線級と認定されるだろう。
さらに魔法陣構築も、同時に複数の魔法陣を描くのはかなり難しいことだ。
同じ魔法を複数描くのも大変だが、別々の魔法を同時に使うには常人には不可能なほどの同時処理能力が必要になる。
それを知っているからこそ、スーヤは「ほう」と少し驚きを表に出した。
「ずいぶんな自信だな。ホラじゃなきゃいいが」
「試してみる?」
ミアは行儀の悪さを自覚しながら、フォークをペン代わりにし、空中に魔法陣を4つ同時に描いた。
それぞれ【雷撃】【流水】【氷結】【烈風】。
「口だけじゃねーってことか」
「そういう先輩は?」
スーヤはフンと鼻を鳴らすと、ミアと同じ魔法陣を同時に2つずつ構築した。
ほうと感心すれば、ドヤ顔。
むっとなったミアは、今度は同時に3つずつ構築し、スーヤも目を厳しくさせて構築――負けず嫌い2人の静かな争いがあった。
「「【雷撃】――」」
「ちょちょちょ!?」
食堂を埋め尽くすほどの魔法陣を描くだけ描いた2人がとうとう口頭魔法を口にしようとしたのを、クレアは手を振って制止した。
すべての魔法陣に魔力を込めれば、食堂どころか寮が原型をとどめなくなるほどの大惨事が訪れただろう。
水を差されたが、2人の実力は本物だった。
即時発射可能な魔法陣をいくつも維持できるのは、高い実力の証だ。
特にミアは、ただの人間が魔族にここまで魔力勝負で食いついてこれる少ない事例に驚いていた。
戦時中、己の限界を超えたような戦士や魔法使いは多々現れたが、平和な今の時代にもこれほどの魔法使いがいるのかと舌を巻くほどだ。
「やるな……ミアだったか」
「流石はルーニャの末裔、といったところかしら」
「チッ……その話題出すなつったろ」
「あら、何故? あなたの魔力操作はヴェーザ・ルーニャに勝るとも劣らないところよ」
「あーやめろやめろ。あたしは『教の国』もルーニャ家のことも話したくない」
ここまでこの話題を避けられれば、ミアとて追及は望むところではない。
それよりもスープが少々冷めてしまった失態の方が、食事を重んじるミアにとって致命的だ。急いで残りを食べる。
「にしても驚いたな。あたし並みに魔力操作ができる奴なんて初めてだ」
「あら、アレが本気だとでも?」
「あん?」
「もうやめようよ~!」
「チッ……どこで魔法を? そんだけ使えるなら、高名な師がいたと見えるが」
「……立派な師匠がいたわ」
そこで今まで圧倒されていたクレアがようやく思い出した。
今はもう授業が始まっている時間で、ここにいる面子は全員絶賛遅刻中だということを。
「み、ミア! 食べ終わったんなら行かないと! 先輩も!」
「あたしはいいんだよ。オマエら1年は大変だなぁ」
「むぅ、ズルいわね」
「ほら行くよ! 奉仕日数増やされたいの!?」
ズルズルとミアを引きずっていくクレア。
これがまさか毎日見られる光景だとは、この時は誰にも思えなかっただろう。
「おーオマエ、こっちじゃ魔力持ち少ねーからよ、また話そうぜー」
変わらずダルそうに見送るスーヤの朝食は、まだ残っていた。