7 学園のエレーナ・レーデン 3
1年生の初日、午後は担任からの簡単な説明の時間になる。
ミアたち第3クラスも、ローリスの説明を受ける。
「それじゃあ~、何から話そうかな~……まず学園のことでいっか~」
アイリア学園の成り立ちや歴史についてローリスが語るが、クラスの面々はそれどころではない。
自身のクラスメイトがなにやら穏やかでない事情で貴族に決闘を挑まれたのだから、気が気でないのだ。
よって学園の簡単な説明を、大半の人間は聞き逃した。
「次に~勇者かな~……勇者についてわかる人~~……は、みんなわかるわよね~?」
『人類大陸』に住む人間で、勇者を知らない者はいない。
勇者は歴史として、おとぎ話として、制度として膾炙している。
ローリスがどの『勇者』について聞いたかはわからないが、おそらく全員はどの『勇者』も知っているだろう。
「じゃあ、今の勇者のお仕事を知ってる人~挙手~」
これに関しては、手の挙がり具合はまばらだ。
勇者そのものを知っていても、勇者制度で選ばれた勇者が何をするのかというのは知らない者もいる。
辺境の国に住む者ほどその傾向が強い。
「じゃあ~……ヒリス君~」
「はいっ。勇者はその身を連邦――人類に捧げる者です。主な活動は魔物討伐や非人類生存圏の探索などです」
「は~いその通り~」
「(うわっ、めんどくさそう……)」
勇者という称号はトロフィーみたいなステータスだろうと思っていたミアは思った以上の活動内容に眉を顰めた。
しかし人類にとって、それはこの上ない栄誉であり、羨望の対象だ。
それを目指す者の巣窟がここアイリア学園だ。
「勇者になった人が~ちゃんと勇者のお仕事をできるように~教育するのが~ここの目的なの~」
次に座学の説明。
歴史や勇者の心構えを学ぶもののようだ。
加えて一般的な貴族のマナーも学ぶ。
勇者は連邦大統領に並ぶ人類の顔として、大陸中を回る。
目的は内憂や魔物討伐に勇者として顔を突っ込むこと。
そのために勇者には貴族や王族並みの立ち居振る舞いが求められるのだ。
「座学はある程度やることが決まってるんだけど~、実技というか~、訓練はやることたくさんあるからね~」
魔物討伐という勇者の公務がある以上、勇者は強くなくてはならない。
そのための訓練をするのも学園だ。
在学期間は5年だが、次代勇者に選ばれれば『戦の国』で長年もの間、訓練に励むことになる。
『戦の国』はかつて傭兵団がそのまま国になったような兵士派遣国家であったが、現在は魔物討伐のための部隊を派遣することを生業とする州になっている。
屈強な兵士を育てる国だけあって、訓練は過酷だ。その訓練についていけるレベルにまで持っていくのも学園の仕事になる。
「1年生のうちは~、聖剣氣の使い方や~、基本的な体の動かし方を教えるの~。希望進路ごとに授業が変わってくるのは~2年生から~」
「先生も聖剣氣使えんのー?」
先ほどミアに声をかけてきた男のひとり、軽いノリが服を着ているような男子生徒が手を挙げた。
「うん~! 私もここの卒業生だから~」
「マジ? じゃあメッチャ強いとか?」
これまた軽そうな女子から声が上がる。
おっとりとしたローリスから『強さ』という言葉はあまり縁がないように見えるが、ローリスは自信満々だ。
「うん~強いよ~。自慢じゃないけど~」
「見えなーい!」
クラスからハハハと笑い声が出る。
「も~! 信じなさい~」
和んだ雰囲気のまま、説明は続く。
その後、5年間の基本的なカリキュラムが説明された。
勇者を育てる学園と言っても、勇者になれるのは一代につき1人。
次代の勇者に相応しいという者が1人も選ばれずに全員がそのまま卒業という学年も珍しくはない。
そのために、アイリア学園では各職種への就職ができるように、2年生からの選択授業として専門的な内容の座学や実技の時間も取れるようになっている。
聖剣氣が使える上に5年間の必修実技での訓練もあるので、大抵の者は自分の国の騎士団に入って魔物討伐で功績を上げる者がほとんどのようだ。
「(まぁ、私は卒業したら『大陸残滓』に帰るのでしょうね。その後は――)」
ミアはそこで思考を止めた。
魔族特有の長寿と、固有魔法の【超速再生】によって、彼女は寿命が来るまで死ねない。長い長いこれからの人生を思うと、気が遠くなるのだ。
今考えるべきことは、人類側の意思だ。
学園生活はこの敷地内に閉じ込められて終わるわけではない。
アイリア学園では研修や勉強を名目に、大陸中の各国に行く機会が多い。
どの国にも属さない連邦直轄領である『大統領府』をはじめとした連邦政府施設に行く機会もある。
警備が厳重な連邦直轄領に堂々と入れる立場として、学園の生徒はうってつけなのだ。
おそらくそういった場所には5年のうち1度くらいしか行けないだろうが、ミアには1度行ったことのある場所に一瞬にして移動できる魔法【転移】がある。
「(ひとまずは学園で無難に過ごしつつ、機会を待つ――)」
そう、無難に過ごすのだ。
現在無難とはすこしばかり遠いところにいるミアだが、まだ初日だ。
とっとと決闘を済ませ、あとは地味に過ごせばいいというのが彼女の目算。
甘い考えではあるが、潜入など初めてのこと。
まして魔族が人類に紛れるなど――
「(っ……)」
ミアの脳裏によぎる赤、赤、赤。熱さ、苦しさ、痛み。
眉間にしわを寄せ、浮かんだ光景を振り払う。
それと同時に、5の刻を告げる鐘が鳴る。
「時間みたい~……あっ! ゴメン~! 一番大事なこと伝え忘れてた~」
緩い雰囲気がわずかに引き締まる。
先ほどまでと打って変わったローリスの態度に、生徒たちもつられて何事かという姿勢をとる。
「ここ数年~、学園の生徒が行方不明になる事件が数件あるの~。あと、通り魔も~。だから~外を出るときは気を付けてね~制服とか着て歩くの危険かも~」
「聖剣氣持ってるのに襲われるんすか?」
生徒のひとりが疑問をぶつける。
聖剣氣を持つ者は強い。そして勇者候補だ。まっとうな者なら狙おうなどとは思わないだろう。
眉唾な話であるが、実際に被害が出ている。学園側として対応せざるをえない事態だが、解決の糸口はつかめていない。
行方不明の生徒が実家に帰ったのかと思えば、そんなこともなく、家族から苦情で済まないクレームが届いている。
勇者を育てる学園として不祥事や事件は許されない。連邦から家族へ口止め料を払って流布を食い止めているが、街には噂として流れ始めている。
数年で数件という少なさではあるものの、何が起きてるかもわからなければ防止策も無い。
こうして注意するだけしかできないのが現状だ。
定期的に開かれる教師会議では、生徒ひとりひとりに護衛をつけるべきではという意見も上がっているが、下手な騎士より生徒の方がよっぽど強いので、現実的な対策ではないと却下されている。
「そうなの~だから気を付けてね~。というわけで~今日はこれで終わり~。色々話したけど~明日から実際に色々学んでいきましょうね~」
少し延びたが、これで授業は終わり。学園の一日のスケジュールも終わる。
それからは自由時間、放課後だ。
寮の門限は夜、七の刻。それまでは街で過ごしたり、自主訓練に打ち込む者が多い。
傾いた太陽が窓からオレンジとなって教室を照らす。
生徒たちも思い思いに席を立ち、自分の時間を過ごすだろう。しかしやはり、注目はミアに集まっていた。
これから貴族と決闘に向かおうという、初日から面白い事をしでかす同級生への興味は隠しきれないようだ。
ローリスは決闘のことを知らないのか、挨拶を済ませると手を振って教室から去った。
「ミア、本当に行くの?」
クレアは変わらず心配そうな顔。周りの視線も似たようなものだ。
ミアはそれを無視するという形で教室を出た。
廊下には既に他の教室から出てきた他クラスの生徒たちで溢れている。様々な人種が入り混じるこの学園内では、ミアの美貌も背景になるはず……と思っていたが、何事も計算通りにいかないのもまた、この学園ならではと考えられるのだろうか。
「ねぇ君、昼に揉めていた子……だよね?」
常に人が動く廊下という空間にあって、動かない。
壁際だったからだろうか、彼が立ち止まっているのを気にする者はいない。
無視して歩こうとしたが、「ねぇちょっと」と言いながら後ろをついてくる美男子にミアは根負けしてしまった。
「なに?」
「よかった。無視され続けるかと思った」
金髪碧眼の彼は、困ったような表情を浮かべる。
「さっき廊下から見えたんだ。貴族クラスの人に決闘を申し込まれてたよね?」
「それがなに? というか誰?」
「ああ、ごめん。僕は第1クラスのリーパー。リーパー・レイルシア」
第1クラスといえば、聖剣氣の量が多い上位10%の人間たちだ。
他クラスの人間が、現場を見ているからといってわざわざ廊下で話しかけてくることにミアは首を傾げた。
「君はミア・ブロンズ……だよね。朝、最後に来てたし覚えてるよ」
「そう。それで?」
「朝の様子を見た感じ、君が決闘するのは無謀ではないかと言いたかったんだ」
「は?」
突然失礼極まりない厚かましさ満点のことを言われたミアは高速でこの男の印象を悪くした。
実力も事情も知らないであろう相手に言われたことも彼女の中では腹立たしさと同時に、疑問符も浮かんでくる。
「どうしてあなたにそんなことを言われなければならないのか、今から練習場に行く間に説明をお願いするわ」
ミアが再び歩き出し、それをリーパーが追う。そのまた後ろから、心配だからか野次馬精神か、昼の揉め事を見ていた者たちと決闘という言葉に誘われた者たちもついていく。
「どうしてって、ただ気になって……心配と言ってもいいけど」
「まぁお優しい。その厚かましさは勇者と言っていいわね」
「バーダリー・ブレスって、4年生だと聞いたよ。身体強化が使えない君が勝てるとは……」
そこまで聞いて、ミアは彼の言葉にある程度納得がいった。
聖剣氣のテストの結果から、ミアはロクに戦えないどこぞのお嬢様あたりに見えたのだろう。
そんな彼女が4年生――戦闘訓練を4年積んできた相手と決闘をする。結果は火を見るよりも明らかだと思うのもまた当然。
お優しい勇者候補様は、それを心配してくださっている。
「それとも誰か代理人が?」
学園の決闘には代理人を立てることができる。
だが初日にしてまともに話したのがクレアひとりというミアにそのような人脈は無い。
「そんなのはいないわ。私がやるだけ」
「っ、それなら僕が代理人に……!」
「いりません。お人好し病は聖剣氣持ち共通の病かなにか?」
そうこうしている間に、練習場へと着く。
どうやらバーダリーは女を待たせない男のようで、既に木の剣を持った状態で練習場に立っていた。
傍には立会人として、彼の担任である4年生貴族クラス教師が立っている。
「フン、よく逃げずに来たな。その男は代理人か?」
「いいえ。あなたのように付きまとってくるナンパ男」
シッシッと手を振ってリーパーを追い払い、ミアはバーダリーと相対した。
教師から木の剣を渡され、細工がないことを確認する。決闘前の所作だ。
「それでは決闘を始める。野次馬が多いようだが……双方、正々堂々と戦うように。はじめ!」
開始と同時にバーダリーが身体強化を使い、一気に距離を詰め、剣を振りかぶる。
野次馬は息を呑んだ。ミアは微動だにせず立っているだけなのだ。
防御も回避も間に合わない。1秒もしない内にバーダリーの剣がミアの胴に食い込むだろう。
遠巻きに見ていたクレアが思わずミアの名を叫んでしまう直前に、その時は訪れた。
「ギャアアアアァァァァッ!?」
バーダリーの悲鳴が運動場に木霊した。
教師も野次馬も、己の目を疑う。攻撃を加えていたのはバーダリーのはずだ。
しかし彼はこうして悲鳴をあげ、痙攣しながら地に倒れ伏している。
開始からわずか2秒ほどの出来事。ミアはおろか、立会人の教師ですら、合図として振り下ろした手はまだその姿勢のままだ。
「気絶ね。はい私の勝ち」
「ま、待て! 何をした!?」
「何って……これですわ」
ミアが剣を持っていない左手の人差し指を上げた。
その指先には、コップの縁ほどの直径を持つ魔法陣が浮かんでいる。
「なっ……!? 魔法だと!?」
「ええ。間違えて殺さないよう調整した【雷撃】です」
ミアがやったことは、即席の魔法陣構築だった。
空間に魔力を込めて魔法陣を描けば、すぐさま魔法を撃てる。ベテラン以上の魔法使いがよく使うもので、それほど珍しいやり方でもない。
「しっかり開始の合図の後に描き始めたので」
「あ、ああ……」
類を見ないほど速い決着であったが、勝敗は決した。
教師がミアの勝利を宣言し、バーダリーは家の者だろうか使用人らしき数人に担がれて去る。
ミアもさっさと木の剣を返し、その場を後にした。
「(ストリア買いに行きましょ)」
その場から離れられないのは、遠巻きに決闘を見ていた者たちだ。
決闘とはあんなにあっけないものなのかと1年生。
何があったのだと2年生。
ざわつくあまり、ミアもバーダリーもその場からいなくなっていることに気付くのは、数分後のことであった。