6 学園のエレーナ・レーデン 2
「私があなた方の担任の~、ローリス・フィリスよ~」
ラビス学園長に言われた部屋で待つ2人のもとに訪れたのは、年若い女性だった。
まだ20代半ばであろう彼女を見た2人の第一印象は……
「「(なんか、緩い……)」」
ふわふわな若草色のウェーブ髪を背中まで伸ばしたその教師は、人当たりよさそうな笑みを浮かべながら2人を先導し、廊下へと出た。
「1年生のうちはね~、実技では主に~聖剣氣の基本的な使い方を教えるんだけど~……分かってるならもっと実践的なことを教えるの~」
「はぁ……」
「今はちょうど~、みんながどれだけ使えるのかっていう実力試験をしてたの~」
ローリスが連れていくのは外だ。
「私も元はここの生徒でね~、聖剣氣の使い方は結構分かってる方だから~、なにかあったらなんでも聞いてね~?」
「は、はいっ!」
ミアは道中、廊下に飾られる一枚の絵画に目を奪われた。
描かれていたのは、初代勇者、アイリア。
いつ描かれたのかも分からないこの絵は、彼を忠実に描いたものだと分かる。
鎧を纏った、優しさの溢れる金髪碧眼の青年。
手に持つのは身の丈ほどの金色の大剣――聖剣ミア。
実物を知るミアは、懐かしさに目を細め、愛おしそうに指を絵に這わせる。
「ミア、どうしたの?」
「あ~勇者様~? かっこいいよね~」
「え、ええ。そうね」
「なになにミア、偉人に恋しちゃった?」
「さぁね」
「絵くらいは~雑貨屋さんでもレプリカが売ってるし~、今度買ってみたら~? 私も一枚持ってる~!」
少し顔を赤くしたミアは、紛らわすようにローリスを急かした。
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ローリスについて行った先にあったのは、実技授業でよく使われる練習場だった。
そこには既に60人ほどの人間がいる。ミアたちと同じ制服を着ていることから、これが1年生ということなのだろう。
「意外と多いのね……」
ひと学年でこれほどということは、全部で5学年あるこの学園の生徒数は単純計算で300人ということになる。
人類全体から見ればわずかなものだが、これら全員が聖剣氣を使えて、戦線に出ると思うとミアは魔族として軽い絶望を感じた。
「(これは……戦争にでもなったら1年も経たずに絶滅ね)」
「2人は第3クラスだから~、こっちね~」
ひと学年につき、生徒たちは第1から第3までのクラスに分けられる。
大まかに聖剣氣の保有量が多い、中くらい、少ないと分けられたクラス分けだ。
保有量が多い者ほど少なく、保有量が少ない者ほど多いらしい。
人口ピラミッドにすれば、正三角形になるだろう。
「よし、次だ!」
厳しそうな男性の声がする。
彼は第1クラスの担任で、ギルベルト・ファーソン。
彼の監督のもと、今は第1クラスの者たちの実力テストが行われているようだった。
「テスト内容はね~、聖剣氣を使って何ができるかっていうのを見るの~」
「身体強化とかですか?」
「そうそう~! テストは2つあって~、身体強化ができるか~、また身体強化の程度はどのくらいか~っていうのと~、聖剣氣を武器に纏わせたりすることができるか~っていうのの2つ~」
「うーん……聖剣氣を何かに纏わせるのはやったことないなぁ」
クレアは身体強化はできるようであるから、テストその1は問題ないだろう。
テストその1――身体強化テストでやっているのは、まずどれだけ早く動けるかというものだ。一定距離を走ったり、教師が投げるボールを避けまくったり……とにかく動きをどれだけ強化できるか。
次に力がどれだけ増しているかを見ている。
身体強化を使えば、岩などの重い物も持ち上げることができるので、どれだけ重い物を持てるか……といったこともしているようだ。
「(このレベルなら、聖剣氣を使わずともクリアできてしまうわ……けど聖剣氣を使ってないとまずおかしい動きもできてしまうし、岩も軽々持ててしまう……!)」
ミアの身体スペックは人間と比べるまでもなく強い。
それも1000年経って平和に慣れてしまった人間たちと比べるとなると……比べるという言葉では括れなくなってしまう。
「よし、第1クラスも全員終わったな! 後から来た2人! 来い!」
「えっ私たち!?」
「ああ~……第3と第2クラスは先にやってたから~」
「お前たちで最後だ! まずは赤毛の! クレア・プレトリアだったな」
クレアが呼ばれ、カチコチと体を軋ませるほどの緊張と共に前に出る。
まずはボール避け。全部で10球が投げられる。
「では行くぞ! 身体強化を行え!」
投げられるボールは安全のための柔らかい物だが、スピードが常識から外れている。
ギルベルト自身、聖剣氣を使える学年の卒業生だ。投げられる球もまた、身体強化から繰り出される剛速球。
「はぁっ!」
短い声と共に、クレアにボールが投げられる。
先ほどまで小鹿のようだった彼女はキッと姿勢を整え、それを正面から見据えた。
最小限の動き。
身体と共に動体視力も強化されたクレアがボールを避けるのは雑作もないことだった。
「ふむ、では続けて行くぞ!」
立て続けに投げられるボール。
ギルベルトの制球力はかなりのもので、頭や体、手足など様々な場所を狙っている。
が、クレアは体を捻り、足を狙われればステップで、低い姿勢や小さなジャンプも駆使して10球すべてを避けてみせた。
「なかなか体を動かすことに慣れているようだな」
「は、はいっ。実家は猟師をやっているので! 私も手伝いで!」
「では次に走ってみろ!」
「はいっ!」
クレアも体を動かし緊張がほぐれてきたのか、指定されたスタート位置に立つ。
ゴールは約100m先。
ギルベルトの合図でクレアが走り出し、数秒後には彼女はゴールを通り抜けていた。
「(聖剣氣様様ね……)」
常人では到底不可能なスピードだ。
ミアはかつて対峙した勇者アイリアを思い出した。
彼もまた、身体強化で魔族の戦闘速度についてきていたものだ。
「では次、そこにある剣を順に持ち上げろ!」
身体強化テスト最後の課目。重量挙げ。
片手剣、両手剣、身の丈ほどある大剣、なんかもうデカい鉄塊。
男女問わず、鍛えてなければ片手剣すら楽々持つというのは難しいだろう。
「よいしょ」
「持てたら置いてまた次を持て」
「はいっ」
片手剣、持つ。両手剣、片手で持つ。大剣、片手で持つ。鉄塊……両手で持つ。
クレアが鉄塊を持ち上げたところで、生徒の何人かが「おお」と感嘆の声を漏らした。
「なるほど。プレトリアは聖剣氣の量は?」
「少なかったですよ~。第3クラスです~」
「ということは、少ない聖剣氣で効率的かつ強力な身体強化が行えるということか。勇者や騎士志望ならば適した才能と言えよう」
猟師の娘であるクレアは素の身体能力が高い。
それに加えて自ずと覚えた身体強化で、彼女は故郷の町一番の成果を上げられるハンターなのだ。
次に聖剣氣を物に纏わせるテストだったが、クレアはできないと自己申告し、試しにやってみてもどうにもできないようだった。
「よし次だ! 最後……ミア・ブロンズ!」
「うおっ、メッチャ可愛いのがいるな……」
「後で声かけるか」
「女神かと思った」
「数年後ヤバいことになるぜアレは」
何人かからの声や視線を無視し、ミアは前に出た。
その立ち居振る舞いは、とても聖剣氣歴代最少とは思えない。
「お前で最後だ。行くぞ!」
「あ、私は身体強化できません」
「なに、そうなのか?」
「というか聖剣氣の使い方自体わかりません」
そういう生徒は珍しくない。
ただ聖剣氣を持っているという理由だけでここにいる者も多い。
そのことから、ミアは誰にも不審がられずにテストを終わらせることができた――
「無意識に使えるかもしれん。とりあえず一球投げてみるぞ!」
「は?」
かのように思えたが、もうちょっとだけ続いた。
「狙うのは胴だ!」
わざわざの予告と、常人には不可能だが身体強化すれば簡単に避けられる絶妙なスピードでの投擲。
ボールが当たるまでの約1秒弱。
ミアは微動だにせず、腹でボールを受け止めた。
柔らかいボール故の痛みの無さ。手加減も入っているだろう。
「すげぇな、雰囲気はもう歴戦のやつなのに」
「どこかのご令嬢じゃないか?」
「でもブロンズ家なんて聞いたことないな。どこの国だろう」
ミアが避けなかったのは変に目立たないためというのもあったが、身体強化の方法がわからないというの本当だ。
聖剣氣を魔力に混ぜて【アークライトニング】のような魔法を使うことはできるが、そもそも魔族たるミアには身体強化の必要がないから使おうと思ったこともない。
「ではブロンズは聖剣氣を纏わせることもできないか?」
「はい。使ったことないので」
今度こそミアのテストは終わった。
「は~い、それじゃ~それぞれクラスごとに教室に行きましょう~」
各クラスには学園内に教室が割り当てられている。
座学を中心としたクラスのあれこれはこの場所で行われるようだ。
その教室への移動中、廊下の窓から、さっきまで使っていた練習場に向かう集団がいることにクレアが気付いた。
「ローリス先生、あれって?」
「あ~あれは~、貴族クラスよ~」
「貴族クラス?」
「貴族の人たちは~、色々あるから~、特別扱い~なんだって~」
色々、という言葉から「平民と同じ部屋など」といった貴族文句があったんだろうなとミアはその集団から興味を無くした。
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「それじゃ~、お昼が終わったら~、またここに集合ね~」
教室に案内するだけしてから、ローリスは姿を消した。
既に三の刻を告げる鐘が鳴っているため、絶賛ランチタイムだ。
第3クラスの面々も、思い思いに昼食を過ごすようだ。
ミアはクラスを見渡す。
人数は30人。ちょうど学年全体の半分の割合。
年齢層は若者ばかりであるが、それなりに幅がある。
寮生活ということで下限は10歳ほどだろうが、クレアのように10代半ばの者が多い。
それに加えてしっかり10歳ほどの者もいれば、10代後半から20代前半の者もいるように見えた。
「ねぇねぇ君、さっきは痛くなかったかい? よかったらお昼をご一緒にどうかな」
「いや是非俺と!」
「俺が先だ! こういうのは『花の国』出身者に任せろ!」
「それなら『愛の国』出身の私の出番ですね。麗しい君、是非ともわが部屋で食事を――」
ミアは数人に囲まれるように誘いを受けた。
隣にいたクレアは「あーれー!」と弾き出される。
そこで彼女はようやく自分の容姿を思い出す。
「(そういえば私って可愛かったのよね)」
彼女が使う外見変化魔法は、本来姿かたちを自由に見せかけられる。
元々とある種族が使っていた固有魔法だが、オリジナルと違って、目や髪の色くらいしか変えられない。既にその種族も絶滅し、変装魔法も所謂『失われた魔法』に分類される。
つまりこの評価はミアというよりもエレーナの外見評価である。
ちょっと誇らしくなった。
とはいえ、これはミアにとっても予想外の目立ち方だった。
溶け込むつもりが、浮いてしまいかねない。
これまで自分の外見よりも戦場での戦いに重きを置いてきた人生ならではのミスだ。
「(めんどいから全部断って食堂に行きましょ……)」
ミアが返事をしようとしたその時だった。
人が出入りして半開きだった教室の扉が乱暴に全開される。
突然の物音に誰もがそちらを向けば、そこにいるのはミアとクレアが見覚えのある人物だった。
「ミア・ブロンズ!!」
「げっ!」
クレアがストレートな反応をした男、バーダリー・ブレスが険しい顔で教室に入ってくる。
「邪魔だ、どけ!」
ミアに群がっていた男たちを押しのけたバーダリーは、険しい顔を崩さずに、ミアを睨んだ。
「あら」
「昨日はよくも無礼を働いたな!」
「私はただ不審者に襲われたから正当防衛に出たまでよ」
周りがザワつく。
中にはバーダリーのことを知っている王都出身者もいたらしく、ひそひそと彼が貴族であることが広められた。
「それに学園長からの沙汰もあったでしょう。立場が悪いのはあなたの方ではなくて?」
「知るか! 俺の顔に泥を塗りやがって……!」
バーダリーは今朝、彼の父親に呼び出され、大目玉をくらっていた。
ミアたちを陥れようと自ら学園長に直談判しに行った結果、逆に家には言えない自らの行いをバラされた彼の自業自得と言えるが、彼を含め貴族は『自業自得』という言葉が辞書に無い者も多い。
「その内指導室に呼び出されるのでしょうから、ご自分で行ってみては? 多少心証が良くなるかもしれないわよ?」
「おのれ……! 覚えていろ、ブレス家に――俺に逆らう者がどうなるか……!」
「学園の生徒は連邦に籍を置くため、『柱の国』の木っ端貴族にどうこうできる立場ではないんですって。残念ね、お坊ちゃま」
売り言葉に買い言葉が続く。
次第に貴族という立場に慄いていたクラスメイトたちも段々とミア寄りのムードを見せる。
代表するかのように口を開いたのはクレアだった。
「そうだよ! 貴族も平民も関係ない! ここじゃあなたの横暴も通じない!」
「ちなみに連邦に守られているのは生徒本人で、家族の立場は変わらないわよ。手を出されたらどうしましょう」
「ミア!? 梯子外さないでよ!!」
「まぁ、この子爵家のお坊ちゃまがそのような卑怯な手段を取るとは……思えちゃうわね」
そろそろミアの食欲も限界だ。
さっさと追っ払って食堂に直行したいところであるが、バーダリーが扉との間に立っているためにどかすか避けるしかない。
避けを選択し踏み出そうとしたところで、バーダリーが懐から何かを取り出すと、それをミアに投げつけてきた。
勢いはそれほどでもないため、簡単にキャッチできる。
見ればそれは白い手袋だ。
「これは?」
「……決闘だ」
決闘? とミアを含めた周りが首を傾げる。
「立派な学園のルールだ。断ればお前が言った通り、そこの赤毛女の家族か、お前の家族を玩具にしようか」
アイリア学園には、双方が合意すれば決闘をすることができるというルールがある。
練習場で木製の剣を使ったもので、気絶するか降参で決着。
これは勇者候補同士のいざこざを外部に波及させないという政治的な理由で出来た制度であるが、現在はさほど意味をなしていない。
バーダリーはその生まれから、ミアのように愚弄してくる相手に出会ったことがない。
子爵家ごときが学園に圧力はかけられない。それどころかバーダリー自身も、自身の悪行のツケを支払わされるのは目に見えている。
貴族が法で裁かれることは少ないが、よくて厳重注意、明るみに出てしまえば廃嫡もやむなし。
それならば、回りくどいことはせず直々にこの不届き者に罰を与えてやろうというのがバーダリーの目論見だった。
断られたら断られたで、手下を使って2人の家族を特定し攫えばいい。
まずは自身に土をつけたミア。次にどうでもいいがその場にいたクレアという順番だ。
「…………」
決闘は断ることもできる。
ミアに家族はいないし、断るデメリットは無い。放っておけば自滅する相手だ。
ふと横を見れば、クレアが顔を青くしているのが見えた。
貴族相手に啖呵を切るのだから気丈を装わなければやっていられないだろうが、クレアはどちらかというと何を考えているかわかりやすいタイプだ。
彼女は自分の家族に何かあったら――とでも考えているのだろう。
簡単にそれがわかってしまい、ミアはため息を吐いた。
「わかったわ。受けましょう」
「ミア!?」
「お、おい大丈夫なのか?」
「あなた戦えるの?」
先ほどのテストを見ていた生徒たちが口々に心配そうな声をかけてくるが、一度口に出した言葉をバーダリーが見逃すはずがない。
「よし、ならば午後の授業後、夕方に練習場に来い! 逃げればわかっているな?」
「はいはい。わかったらどいてくれる? 昼食を食べ損ねてしまうわ」
ミアはクレアをはじめとしたクラスメイトの戒飭の声を無視し、さっさと食堂へ向かうのだった。