4 反省のエレーナ・レーデン
入学式の翌日、二の刻を知らせる鐘が王都中に響き渡る前にミア・ブロンズ──エレーナ・レーデンは目を覚ました。
「……ゴミ」
自室の片隅に積み上げられたのは、お祭りテンションで買った謎のグッズや屋台の景品。
そういった物は翌日以降、特に使い道のないゴミと化す。
「まぁ、いっか」
エレーナがクローゼットを開け、寝間着から制服に着替え始めた頃には既に鐘が鳴っていた。
「…………えっ? 遅刻?」
遅刻であった。
アイリア学園の生徒は、大陸中から訪れる。
故郷を遠く離れ、何年も学園で過ごすために寮に入る生徒も珍しくはない。
聖剣氣を持つ者を迎える寮は設備も充実している。
生徒ひとりひとりに部屋が割り当てられ、部屋には水道が引かれ風呂もある。
食堂では名の通ったシェフが料理を担当し、毎日3食が提供される。
ホテルに例えるなら、平民が頑張って稼いで数年に1度泊まれる……それほどのレベルだろう。
無論、王都に家を持つ者などは自宅通学も認められているが、貴族以外の生徒は一度この寮を知ってしまったら自宅に帰りたがらないほどである。
エレーナもまた、そんな待遇に尻尾を振った者のひとりだ。
「ふわぁ……」
誰もいない食堂で朝食をとる。
既に昼の仕込み中だったシェフには怪訝な顔をされたが、エレーナにはどこ吹く風だ。
パン、スクランブルエッグ、燻製肉、スープ……
どれもエレーナにはごちそうであった。
「(やっぱり食文化はかなり進んでる……平和というのは素晴らしいわね)」
この朝食も1000年前ならば王室でしかお目にかかれないような代物だろう。
それが庶民にも手を出せるという豊かさにエレーナは舌を巻きながら鼓を打った。忙しい舌だ。
しかし、その一方で他の技術……文明と呼べるものの進化はそれほどでもない。
封印から解かれたエレーナは、魔王の後見人となってから現在に至るまで、『人類大陸』を旅していた。
1000年ぶりの世界は彼女を感動させる……というわけでもなかった。
最初の方こそ、舗装された街中や街道を見るのには感心したが、慣れればただの景色だ。
驚いたのは文字の変化が著しいことだろうか。
1000年という時は共通文字もより簡略化し、書きやすくなっていた。
ほかに文化・宗教の点においてもやはり1000年前と変容したところもあったが、適応できないほどでもない。
文字はアレだが言語は通じるし、常識も普通だ。エレーナもこれなら時間はかかるだろうが馴染めそうだと感じていた。
とても1000年経った未来とは思えないのだ。まるで数十年か100年くらいである。
それほどまでに、人類の文明そのものの進化が停滞しているように見えた。
これには魔法とそれを管理する魔法協会の存在が関わってくるところであるのだが、割愛しよう。
「(ある意味で私が一番気にしていた軍事に関しては……ちょっと残念ね)」
一方で兵の質というものは1000年前と比べると弱体化は否めなかった。
強大な外敵のない環境というのは、どうしてもだらけてしまうものである。
人類大陸にいまだに蔓延る『魔物』の存在が軍の必要性を保たせているが、長く続いた平和によって軍縮は繰り返され、挙句の果てには軍不要論を唱える者まで出る始末。
「(これなら今の魔族でも……いや、駄目ね。数の差が圧倒的すぎる)」
既に皿は空になり、エレーナは優雅に食後のコーヒーを堪能していた。
1000年の間に物流も進化し、『砂の国』がコーヒー豆と製法を輸出したことから、遠く離れた場所でもこうして様々な国の特産品を楽しめる。
かつてはコーヒーを飲んだことの無かったエレーナだったが、独特の苦みや酸味、その奥に眠る風味は彼女をさりげなく夢中にさせた。
苦手な者は砂糖やミルクを入れるが、エレーナはブラック派だ。
1000年で世界がまるっきり変わるようなことは無かったが、主に食事面や、細かい技術革新。
身近で感じるさりげない自動化や便利さ、とにかく新しい何かでエレーナは時代の進歩を感じていた。
またそれを見つけるのも、ちょっとした楽しみでもある。
自死ばかり考えていた覚醒したての頃からは想像もつかなかったが、それくらいの心の余裕が今の彼女にはあるということだろう。
「(でもこれ飲んでるとあんまり眠れないのよね。夜とか口さみしいときに重宝するのだけれど、おかげで今日も──)あ」
エレーナは遅刻していることを忘れていた。
「ミア・ブロンズさん。ここにいましたか」
「……?」
そしていつの間にか、エレーナの背後には一人の女性が立っていた。
「どなた?」
「生徒指導のオキ・オーシーです。話があるので、生徒指導室まで来なさい」
□□□□□
「クレア、いつからいたの?」
「朝からだよ……! 登校したら呼び止められて、ミアが来ないからずっとここで……!」
生徒指導室。
校舎の中にある部屋だ。
呼び出された生徒は2人。どちらも心当たりのある者だ。
「ミア・ブロンズさんにクレア・プレトリアさん。あなたたち昨日は何を?」
「あーえっと……」
「……」
ソファに横並びに座らされた2人。テーブルを挟んで向かいのソファに座るオキの表情は楽しそうなものではない。
クレアは彼女のこめかみに青筋が浮かんでいるようにすら見える。
「街で噂になっていますね。入学式をサボって屋台をはしごしていたアイリア学園の生徒2人……ご丁寧に制服を着ていたそうですね」
「あばばばば」
「……」
「あなたたちは勇者から受け継がれた聖剣氣を持つ者です。入学式を放り出すのだからよほど高尚な理由があったとお見受けしても?」
「ひぃぃぃ!」
「……」
ガミガミ……とまではいかないが、オキの説教は長くなった。
アイリア学園は伝統と格式のある国家機関であり──
そこに通う者は──
聖剣氣を持っているという自覚を──
などなど、ミアの予想に外れない話がしばらくの間繰り広げられた。
2人の反応は対照的だ。
クレアは怯え、ミアは無反応。
オキは心の中でクレアを一般的な感性の人間、ミアを変わり者と評し、最初の質問に戻った。
「それで、どういうつもりでこのようなことを?」
「入学式に遅刻しそうだったので、目についたこの子……クレアを私が無理やり連れ出して付き合わせました」
「ミア!?」
オキの目がキッと細められる。
一方ミアは顔色ひとつ変わっていない。
「クレアを巻き込んだのは、多分こうした呼び出しがあるだろうと思って、に1人で行くのは堪らなかったので。あとその気になれば2人とも入学式には間に合いましたが私が彼女を行かせませんでした」
「それが本当なら、これから与える罰の重さをブロンズさんとプレトリアさんで変える必要がありますね」
概ねミアの狙い通りの展開だ。
入学式欠席は既に起きてしまった変えられない過去であり、これによって目立ち、潜入のリスクが増えることはもう仕方ない。
むしろ都合がいいかもしれない。
初日からやらかしていれば、これから先何か変なことをしても「まぁアイツだし」で流されるかもしれない。
情報を探るために妙な動きをしても怪しまれない可能性がある、かもしれない。
それにクレアは真面目だ。
こういうタイプは後々、周りの人間にも相応の評価を受けてそれなりの地位になるだろう。
恩を売っておけば何かあったときにいい感じの味方になってくれる、かもしれない。
かもしれない。かもしれない。
「ま、待ってください! ミアの話は嘘です!」
「は?」
思わずミアは声を漏らしてしまった。
せっかく庇ってやったというのになんだコイツは。
死んでも恩や借りを作らない文化出身なのか?
「私も遅刻しそうなときに、偶然ミアと街で会いました! 馬車に轢かれそうなのを助けて……ある意味声をかけたのは私と言えるかも……で、それからは2人で……」
「ブロンズさん?」
「……」
ミアはあっけにとられてすぐに言葉を紡げずにいた。
「なので! 私とミアは同罪です!」
「……ふむ」
オキは生徒指導という立場上、大陸中から多様な文化を持ってやってくる様々な生徒を相手にする。
彼女の経験上、嘘をついていないのはクレアだ。
一方ミアは、あらかじめ考えていた嘘が瓦解した反応を見せている。
それらを踏まえてオキが出した結論は──
「ブロンズさん、プレトリアさん。あなたたちには罰として1ヶ月の社会奉仕を命じます」
「しゃ、社会奉仕?」
「分かりやすいもので言えば、街のゴミ拾いですね」
「その程度で私たちが反省すると?」
ミアの嘲笑混じりの質問に、オキは目敏く眼鏡を光らせた。
「反省は今ここでしてもらいます」
そして2人の前に出される紙。
「えっとーこれって……」
「反省文です」
「ガーン! やっぱり……」
「(植物紙……)」
植物紙はこの数百年の間に大陸に普及した紙である。
それまでは木の板か羊皮紙──地域によってはパピルスなど──だったが、平和の間に進化した技術のひとつが紙だ。
製紙工場も各地にあり、いまの人類大陸のほとんどの紙と言えるものは植物紙を指すだろう。
「(やっぱり羊皮紙より手触りがいいわね)」
「ミア?」
「知ってる? 紙ってくしゃくしゃにすると柔らかくなるのよ」
「ミア!?」
突如グシャッと紙を丸めるミア。
本人にとって植物紙はまだ珍しい物で、今の彼女は玩具を前にした子供も同然だ。
これが紙を渡した本人の目の前でなければ、誰も彼女を責めはしないだろう。
「(なっ……! ミア・ブロンズ……! ふ、ふふっ……そういうこと。しかし相手を間違えましたね。あなたくらいの不良生徒、大陸中から様々な人間が集まるこのアイリア学園で長年生活指導をしてきた私にとっては赤子よ)」
「ちょ、先生怒ってるよ!」
「ほら、触ってみて」
「いや紙が柔らかくなるのは知ってるから!」
「…………ブロンズさん、そんなに紙が好きならおかわりを渡しましょう」
ミアの前に出される追加の紙。その数10枚。
クレアは当然ともいえる措置に「あーあ」という顔をしたが、ミアにとっては玩具が増えただけだ。
10枚すべてを丸めて広げ、柔らかくしていた。
意味を求めてはいけない。子供の遊びに意味はないのだから。
「あら? この紙の形……何かに似てないかしら?」
「折り紙始めないで!」
「っ~~~~!!」
「ひっ!」
ついにオキの怒りが爆発する。
避けられない未来に怯えたクレアだったが、その爆発は部屋に響くノックの音でかき消された。
「失礼するよ」
オキは扉を開けて入ってくる人物を一目見て体の向きを変えた。
元々正しかった姿勢がさらに張ったように見える。
「ラビス学園長、何故ここに?」
「昨日顔を見そびれたのでね。挨拶しておこうと思ってね」
「が、学園長って……あのラビス・キウラス様!?」
「いかにも、ここの長をさせてもらっている、学長のラビス・キウラスだよ。昨日は言えなかったが、入学おめでとう」
杖を片手に持った初老の男性──ラビス・キウラスは、柔和に細められた目でクレア、そしてミアを射抜いた。