第二章エピローグ・人
「ナギサくーん、ご飯まだかーい?」
「ああちょっとまってー!」
おそらく世界のどこか、或いは誰もたどり着けない小島。
魔族の大陸残滓よりもはるかに小さいが、人ひとりが住むにはじゅうぶんな島には、一軒の家がある。
一見して普通の島であるが、普通でないところがひとつあるとすれば、そこが海抜で言えばマイナスになるという点だろう。
本来であれば海に沈むような低い場所にあるこの島は、周りを透明な壁に覆われ、島にとって適度な水位になっている。
上空から見れば、海の一部が窪み、そこにポツンと島がある不思議な光景に見えるものだ。
植生は南国のようで北国のよう。暑いようで暑くなく、寒いようで寒くもない。
エレーナの選んだナギサの隠し場所は、そこだった。
ナギサがここに来てから数日、「この人の世話になれ」と言われて匿ってくれた人は、魚相手に奮闘するナギサを放って読書に勤しむ人間であった。
「いやぁ、ナギサ君は料理が上手でいいね。久しぶりに食事の喜びを楽しんでいるよ」
「リーテさんも本読んでないで手伝ってよー! この魚暴れまくりなんだけど!」
「慣れたまえ。人は環境に適応する生き物だよ」
「家くらいある魚が暴れる環境ってなに!?」
太陽がさんさんと照り付ける砂浜、リーテと呼ばれた女性はナギサの悲鳴を聞き流し、パラソルで日光を遮り椅子に寄りかかって静かに本を開いている。
「今日はエレーナが来るんだから、彼女をもてなすくらいはしてやらないとだろう?」
「それ言い出したのリーテさんだからね!? 乗ったのは私だけど!」
見た目はおそらく20代後半の彼女は、紫色の長いくせ毛を整えることもせず、眼鏡の奥に潜む紫の瞳はずっと本に向いている。
「ボクはエレーナの動向を見るので忙しいんだ。君のガンサーベルならそんな魚なんて一撃だろう?」
「ああもう!」
リーテからの助力を諦めたナギサがガンサーベルを起動する。
サーベルと言いながら銀色の柄しか無いその先端から黒い刀身が現れ、硬い鱗を誇る巨大魚を瞬く間に斬り刻んだ。
「本当に便利だねぇそれは。なんでも斬れる。是非ともその技術を明かしたいところではあるが、肝心の君が何も知らないとなると歯がゆいものだよ」
「記憶が無いんだから仕方ないでしょ」
「だとしても、『書庫』にはそもそも君自体の記憶がどこにも無い。浜辺で目覚めたことや冒険者をやっていたというのでさえもね。あぁ気になるなぁ」
ようやくリーテが本を閉じ、手元から消す。
椅子から立ち上がるだけでも、頭と同じような大きさの豊満な胸が揺れた。
「ようし、じゃあ解体して持って帰ろう。頼んだよ」
「えぇ!? 手伝ってくれるんじゃないの!?」
「ボクは椅子とパラソルを片付けるのに忙しい」
「もーーエレーナ早く来てぇぇ!」
ナギサの願いを聞き届けるかのように、特徴的な重い音が砂浜に響く。
【転移】による音だとナギサもリーテも気付いた。
「何やってるのあなた達……」
「おお、本当に来たよ。すごいね君」
「やーっと来た! ねぇエレーナ! 何日ここにいればいいの!? リーテさん私のこと調べるわコキ使うわで召使い状態なんだけど!」
ミア・ブロンズに扮したエレーナは、「ああやっぱり」とため息をついた。
「まぁなんにせよ、天使相手によく無事でいられたねぇ。ボクにはできないよ」
「まるで見てきたみたいな言い方ね」
「ああ見てきたさ。まぁ実際には見てないんだけど」
リーテは『書庫』のリアルタイム記憶蒐集を利用して逐一エレーナのことを観察し、今回の事の行く末を見てきた。
「エレーナが天使の根城に乗り込んだよ」「おっ、主天使だ。死んだかなぁこりゃ」などと、心配するナギサにとってはヒヤヒヤさせまくりなリアクションもしていた。
種明かしはしていないため、リーテは2人から「なんで知ってるのこの人」という目を向けられている。
「さぁ愛弟子よ、ボクの胸に飛び込んでおいで」
「それで、その馬鹿でかい魚は何?」
「無視とは寂しいなぁ。じゃあボクから飛びつこう」
熱烈なハグを、エレーナは俊敏な動きで躱した。
「なんかリーテさんが、『エレーナが来るからもてなそう!』とか言ってた」
「そう……誰がこんなに食べるのよ」
「隙ありー」
避けるのすら面倒なのか、エレーナは後ろからのハグを受け入れる。
自分の頭より大きなふたつの膨らみに挟まれ、エレーナはむっとした表情を隠さない。
「今から家に運んで料理しようと思っていたところさ。ナギサ君がね」
「ナギサ、料理人に転職でもしたの?」
「してないわ!」
しばらくわしゃわしゃとされていたエレーナだったが、手が止まると同時にリーテの雰囲気が少し変わったことを見逃さない。
「というかエレーナ、また魔力弾なんて使ったね?」
「……仕方ないでしょう。余裕が無かったのだから」
「だからといって美しさを捨てる理由にはならないなぁ。いつも言ってるだろう? 魔法戦闘はいかに美しく魔法を使って敵を倒すかであって~」
「ああはいはい、反省してるわよ。だからいい加減離してくれないかしら? 師匠」
エレーナに師匠と呼ばれたリーテ――リーテ・ヴェッテリエは、素直に彼女を解放した。
「よかったねナギサ君。君は自由だ」
「えっ?」
「師匠、それ私が言う台詞なんだけど……」
エレーナがここに来た理由はひとつ。
天使との交渉の末、見逃されたナギサがこれからどうしたいかを聞くためであった。
□□□□□
エレーナの報告で、ナギサは飛び上がるほど喜んだ。
相変わらず記憶は戻らず、よほど大きな問題が起きれば天使がやってくるという状態であるが、それでも変わらず世界にいていいというのは、ナギサにとって喜ばしいことだ。
リーテの「それじゃあ料理よろしく」にも大人しく従う。何故なら今日で最後だから。
せっかく出会えた縁ではあるが、ナギサはここに長居するつもりはなかった。
「いただきます」
テーブルを囲み、ナギサの作った魚、魚、魚、魚のフルコースを3人でいただく。
「う~ん、やはりナギサ君の料理は美味しいなぁ。ずっとウチにいてもいいんだよ?」
「泊めてくれたことにはお礼を言うけど、ずっとはいません!」
「おやおや、嫌われてしまった」
「師匠は自分勝手が過ぎるのよ」
「仕方ないじゃないか。人と話すのも、人とご飯を食べるのも久しぶりだったんだ。ここに人が来ること自体、君が最後だったんだよ?」
「いつの話よ……」
「数年前のは数えないとして、ざっと1000年くらい前の話かな」
パクパクと料理を口に運ぶリーテ。
2人は「相変わらずどこにあんなに入るんだ」と彼女を凝視し、結局胸にばかり視線が向いた。
「それで、ナギサ君は『港の国』に戻るのかい?」
「うん。もう一週間くらい空けてるし、マスターも心配してるだろうから。その後は旅に出ようかなぁ。私って本当に天柱から出てきたみたいだけど、記憶もないならもう関係ないかなって思うし」
本当は自分のルーツを探して旅をするつもりだったが、そのルーツはよく分からないものだった。
記憶が戻るまで、自由気ままに過ごすのがナギサの予定だった。
「あ、好き勝手動くのは駄目よ」
「へ?」
「あなたに何かあれば、天使が動く。最悪あなたは問答無用で連れていかれるし、そうなったら私はもう知らないから」
「えー! 守ってくれたじゃん!」
「あれは事故だから。今回ので筋は通したつもりよ」
エレーナがスープに口をつける。
ナギサの作った料理は食べたことのない味だったが、どれも美味しい。
「別に冒険者をやめろとは言わないわ。けど拠点は『柱の国』にしてもらう。私の目の届く範囲にいなさい」
「わお、それはあれかい? 告白かい? いやぁエレーナも大人になって……ボクは嬉しいよ」
「あくまで何かあった時のためよ。何もなければ自由にしていいし、問題が起きれば、私の手に負えることなら協力してあげる。あなたもその方がいいと思うけど?」
「無視は寂しいなぁ」
エレーナの提案は、現実的でありながら魅力的だった。
『柱の国』というところも気になるし、冒険者も続けられる。
さらに『何かしら問題が起きて天使に連れていかれる』という事態になる前に、助けを求めることができる。彼女の強さは折り紙付き。
「よーし……分かった! 何もなければ旅もしていい?」
「ええ。まぁ私にも私の生活があるし、あくまで友達として、これからよろしくね」
「友達……」
「エレーナ……! ついに友達ができたんだねぇ! ぼっちで泣き虫で嫉妬心だけは一丁前な子供に友達が!」
「師匠、怒るわよ」
「はっはっは、フォークを投げつけておいてまだ怒ってないなんてエレーナは優しいなぁ」
こうしてナギサの行く先も決まった。
ひとまず事態に収拾がついたことに、エレーナはようやく肩の力が抜ける。
「2人とも、いつでも遊びに来てくれていいからね。あとナギサ君はレシピを書き置いていくように」
「えー!?」
「……これ、なに?」
「テリヤキ。知らない?」
ナギサの作る料理は、やはりどれも美味しかった。
第二章はここまでです
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