3 潜入のエレーナ・レーデン
アイリア学園の入学式から時は少し遡る。
「私に勇者の卵になれと言うの?」
溢れ出る怒りを隠そうともしない声が、玉座の間に響く。
声の主は、年端も行かぬ少女。
対して声を受け止めるのは、玉座に座る男。
男は黒い髪から覗かせる金色の瞳をもって、非難を受け止めた。
「そうだ。なにせ聖剣氣をその身に宿しているのだからな」
「私は魔族よ」
「入学条件は聖剣氣を持っていること。それだけであろう? 師匠本人が持ち帰った情報だ」
男の名はアデジア。
1000年前から人口のほとんどを失ってしまった魔族。その残り香ともいえる者たちを統べる魔王だ。
魔族としてはかなり若い方である。人間に例えるならば、まだ20代前半と言えよう。見た目もまたそれに倣っている。
「この数年、人類大陸を旅してきたのは師匠ではないか。そろそろ我の言うことを聞いてくれてもいいだろう?」
「それは……そうだけど」
魔王アデジアは、目の前にいる少女を師匠と呼んだ。
腰まで伸びたシルクのような銀髪、ルビーのような深紅の瞳。
見る者が見れば人形が動いていると評してもおかしくはない美貌に、人間でいえば14歳ほどの少女のあどけなさを残したその人物は、ため息をひとつ吐き、かぶりを振った。
「今は考えさせて」
「いいだろう。だが長くは待たんぞ。適性試験? とやらの時期は迫っているそうではないか。もう1年待ちぼうけは……いや、アリかもしれんな。なぁ師匠、1年ほど我と……」
「じゃ、近いうちにね」
ドウン、という転移魔法が発動した音と共に、少女はその場から消えた。
「む……師匠は今日も振り向いてはくれず、か」
アデジアは玉座に深く背を預け、少し寂しそうにその名を呟いた。
「師匠……エレーナ・レーデン」
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ここは魔族大陸……その崩壊を免れたわずかな土地。
『大陸残滓』と呼ばれる地には、絶滅目前まで追い詰められた魔族が1000年もの間、細々と暮らしていた。
魔族は1000年前の敗戦後、咬牙切歯の思いで滅びを受け入れた。
人類大陸に進行していた魔族は掃討され、魔族大陸は沈み、残った大陸残滓と一国単位にも満たない同胞たち。
その中でも、同胞間の争いまで始まる始末。
当時の魔王も既に亡く、残った資源を独占しようと、種族ごとに小競り合いを繰り返すことが続いた。
アデジアが魔王となって魔族統一を宣言したのはわずか15年前のこと。
魔族は基本長命であり、1000年などは余裕で生きる。
しかしアデジアは若く、まだ200歳にも満たなかった。
当然、戦時から生きるような魔族は反発したが、結果としてアデジアは魔王の座についた。
理由は至極単純。
彼が他の魔族より圧倒的に強かったからだ。
アデジアは「今後外敵や災害が訪れようと、自分が魔族を守る」との公約を掲げた。
しかしそれでも、力を誇示してもなお、内心は彼を魔王と認めない者もいることは確かだ。
しかし、アデジアには運命的ともいえる出会いがあった。
それがエレーナ・レーデンである。
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エレーナが目覚めたのは、どことも知れない山の中だった。
自分の体に刺さった聖剣は無く、傷は完全に塞がり、まるでただ眠りから覚めたように覚醒した。
困惑し、絶望した。
何故自分は死んでいないのか。何故自分はあの時守ることができなかったのか。何故自分はあの時、勇者と──叫び、叫び、叫び、
半狂乱になった彼女は思いつく限りの自死を試みた。
しかし、死ねなかった。
彼女の固有魔法は【超速再生】。
魔力が続く限り、体が再生し続ける。
再生の方法はさまざま。切り傷や内傷であれば時間が巻き戻るかのように治り、腕などを切り落とされたら、落とされた方が風化し、欠損部はすぐさま元に戻る。
そして彼女は魔族の中でも類を見ないほどの魔力量を持ち、自身の再生能力を上回るダメージの与え方を持たない。
死ねるとすれば、勇者の聖剣氣だった。
そう。その気になれば勇者は自分を殺せたはずなのだ。
エレーナは負けを認めた瞬間、死を望んでいた。
勇者に殺されるのであれば死を受け入れた。
それなのに──と、すべてが過ぎ去ったことだと知り、エレーナは血の涙を流した。
エレーナは目覚めた山を下り、歩いた。
記憶が正しければここは魔族大陸だが、彼女が知る限り、魔族大陸は崩壊したはずだ。当時の魔王とエレーナはそれを知っていたからこそ、あんな戦争を仕掛けたというのに。
そしてまたエレーナは絶望した。
知っていたはずの地形ではない、陸が続いていたはずの場所には海がある。
近隣に住む魔族を見つけられたときはやはり喜ぶべきだったが、話を聞いてみれば絶望は深まった。
「魔族大陸は崩壊し、魔族もほとんどが死に絶えた。ここは残りカスみたいなものだ」
現実を突きつけられ、エレーナは歩いていた足を止め、何もできなくなった。何もする気が起きなくなった。
自分は1000年前に死に損なった、時代に置いて行かれた、行き場を無くした、処理を忘れられたゴミだ。
もう何もしたくない。海にでも沈んで永遠に意識を失ったまま長い寿命が尽きるのを待とうか。
そうして海辺でただただ座り込み、雨に打たれ、波にからかわれ、何日も何日も、何もせずただただ時を過ごし──
「ようやく見つけたぞ」
黒い髪の魔王との運命的な出会いを果たした。
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エレーナと出会ってから今までを、アデジアは忘れることなく記憶に刻んでいる。
エレーナを封じる封印結晶は、崩壊を免れた大陸残滓のとある山中に眠っていた。
数百年前、地中に埋まっていた封印結晶が地震によって外界に出たのが発見されて以来、魔族たちにとって『悲劇の英雄』となって安置され続けていた。
アデジア自身も見たことがある。
誰が施したかもわからない新緑色の封印結晶。その中で眠る美しい少女が、アデジアの目には儚くもかわいそうなものに見え、彼の胸に高鳴りを与えた。
端的に言えば、彼は眠る少女に一目惚れしていた。
彼が魔王になってから数年、封印結晶が砕け、エレーナが姿を消しているという報告が彼に届いたのが始まりだった。
部下の制止を振り切り、自ら休みなしに連日馬を走らせ、ついに見つけたのが、海辺で抜け殻のように座り込むエレーナの姿。
「ようやく見つけたぞ」と声をかけるも、エレーナは振り返らなかった。
不思議に思い目の前に回っても、彼女は無反応。その深紅の瞳は何も映していない。
仕方ないので彼女を抱き上げ、自分の馬に乗せ魔王城に連れ帰った。
あの体の軽さを、アデジアは今でも思い出せる。
「(本当に、最初の頃は酷いものだったな)」
飲み食いも排泄も、なにもしないエレーナは本当に死人のようで、感じられる魔力だけが彼女が生きる証だった。
ようやく口がきけるようになったかと思えば、「死にたい」「殺して」とうわ言のような言葉しか出てこない。
意思疎通ができるまでにかなりの時間を費やした。
しかしアデジアも打算なしにエレーナを保護したわけではない。
彼女と交流を図り、回復を待ち、魔族をまとめるために力を貸してほしいと頼み込み、なんとか渋々ながらも協力を得ることができた。
エレーナ・レーデンを知らない魔族はおらず、敗戦の将だとしてもその影響力は本人が考えるよりも大きかった。
魔王アデジアは、エレーナ・レーデンを後見人とすることで反対勢力を鎮め、10分の1以下に減った魔族を統べることができたのだ。
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「あの時は、エレーナを師匠と呼ぶことになるとは思わなかったぞ」
「なんの話?」
「昔の話だ」
「そう。でも今は未来の話をしにきたのでしょう?」
「そうだな。正式に師匠にプロポーズを──」
「『柱の国』にある、勇者育成機関についての話よ」
適性試験が差し迫ったいま、エレーナは先日言われた提案の答えをするべく、玉座の間に来ていた。
「まずは確認だ。『柱の国』には、聖剣氣を持った者のみを集め鍛える施設が存在する」
「ええ。この目で見てきたわ。アイリア学園と言われていた……」
エレーナは目覚めてからアデジアの後見人になった後、世界を見て回るために人類大陸を数年かけて旅していた。
アイリア学園はその道中に見つけたものだ。
「では次に、認識を共有しよう。アイリア学園なる施設があるということは、どういうことだと思う?」
「……人類は勇者を崇めているから、その後継がいるという箔によって連邦の繁栄を維持したいのではないかしら」
「そうだな。だがそれだけではない可能性もある」
「ええ。そうね」
人類が勇者を使い、残った魔族をこの世から消し去る考えを持っているかもしれない。
「勇者という存在があるだけでいい……ということなら我らもとやかく言う必要はない。海の向こうの話だ」
「けれどもし、人類が魔族を絶滅させたいのであれば、聖剣氣を持つ者を何人も抱えて攻め込むのは、すなわち確実な勝利が約束されていると言えるわ」
魔族は聖剣氣の前になすすべも無いのだから。
「まして国力にも差がありすぎる。人類は大陸、こちらはデカい島。戦争になれば確実に負けるだろう」
「一応大陸の残骸なのだから、一国くらいの力があると思いなさいよ……魔王様が弱気なことね。公約はどうしたの?」
「無論、師匠に鍛えてもらったのだから簡単に負ける気は無いがな」
「慌てて訂正しないの」
少しのジョークが混ざっても、議題が重いことこの上ないのには変わらない。
「それでも我らは……魔族は、まだ生きていたいのだ。ちっぽけでも、片隅でもな」
「……気持ちは、分かるわよ」
「師匠、いや……騎士レーデン。魔王としての命令……ひとりの魔族としての頼みだ。『柱の国』に行き、アイリア学園に潜入し、人類側の真意を見極めてほしい」
本来、人類大陸に魔族が向かうということ自体が自殺行為だ。
1000年の間に、人類は代替わりを重ねた。魔族など御伽噺の存在になっているところもある。
しかしそれでも、歴史書には事実として魔族の恐ろしさが描かれていると同時に、人類が大陸に残った魔族を絶滅させるべく、種族や老若男女問わず虐殺した歴史も残っている。
正体がバレてしまえばどうなるか、想像するに難くないだろう。
エレーナには外見を変えられる魔法があった。
彼女にこの変装魔法を教えた種族は既に絶滅しているため、現在世界でこれを使えるのはエレーナだけだ。
そして、魔族特攻である聖剣氣を魔族であるエレーナは持っている。
本来なら魔族が聖剣氣を持つことはありえないが、これにはとある事情があり、エレーナもアデジアも知っているところだ。
つまり、魔族はエレーナに人類側への潜入を頼むしかない。
「私は……」
「…………」
エレーナは悩んでいた。
1000年前に死んだも同然な自分が、今の時代に生きていていいのか、その答えは未だ出せていない。
死ねるならば死にたい。自分は世界から消えるべきだとの思いも抱いたままだ。
そんな自分が、今を生きる人類や魔族に介入すべきなのか。
魔王の後見人になることは了承した。たかだか敗北者集団、世界の片隅のちっぽけなことだったからだ。
お飾りの名前だけ貸すようなものとは違い、正体がバレるなどの下手をすれば人類と魔族に多大な影響を与えかねないリスクのある今回の潜入は、書類にサインしたり顔見せ散歩をしたりするような、彼女がそこに存在すればいいだけの仕事とはわけが違う。
協力はしたい。けれど協力する資格はあるのか。それすらも分からない。
故にエレーナは答えが出せない。
「…………」「…………」
アデジアは待った。急かすことも焦れることもなく、ただ待った。
「……ねぇ」
「なんだ?」
「理由を……頂戴。私は、あなたたちに踏み込めない。だから、なんでもいいの。私がやらなければいけない理由を」
アデジアが息を呑む。
己が惚れた女に頼られて嬉しくない男はいない。
「頼っているのか……? 我を!?」
「う、うるさい」
「我は頼りがいのある男か!」
「それ以上言うならもう帰るわよ……!」
エレーナ自身も、色々と思うところがあったのだろう。
ムキになるのも珍しかった。
「ふむ、理由か……」
しばらく考え、やがてアデジアは口にする。
少々意地悪な言い方だと自責しながら、それでも頼られたからにはキッチリと縛り付けておかなければならない。
「師匠は、魔族敗北の責を負っていない。敗戦の尻拭いをさせられたのは、残された魔族や後から生まれてきた者たちだ」
「っ……」
エレーナは似合わない萎縮を続ける。
「責任を果たしてもらおう。潜入程度で許されるとは思わんし、師匠もそうだろうが、まずは行動だ。いいな?」
「ええ…………ええ……その言葉で縛って」
「もう一度言おう、騎士レーデン。この潜入、引き受けてくれるな?」
アデジアの言葉は、おそらく彼女が動くに足りたのだろう。
エレーナは困ったように、しかしわずかに憑き物が落ちた顔で答えた。
「分かったわ。今この時より、私はアイリア学園の門を叩く人間……ミア、ミア・ブロンズよ」