六八 拒絶スル雨
その国は降り注ぐベールに覆われていた。
常に薄暗く、雨雲越しに見える陽の光よりも水滴の方が親しみ深い。
初めてこの国を訪れた者は誰もがこう思う。「明るい空は無いのか」と。
それが『雨の国』。
領土は比較的小規模ながらも、長く続く戦乱の世にあって害されることも、他国を害することもない。
かといって鎖国はせず、交易路も常に開かれている。
東西南北どこへでも繋がる便利な立地から、市場は盛んなようだ。
雨が降り続けていることをデメリットに感じないのなら、この大陸において平和で幸福に暮らせる唯一の国である。
ここまで雨がザーザー降っていれば花から粉が舞うこともないだろう。
エレーナはこの国特有の外套──所謂レインコートの防水性能に驚きながら王都へとやって来た。
今回は髪色を暗い青にし、瞳も同じ色に。肌はいじらず白いまま。
足として使っていた交易商の馬車に別れを告げ、とりあえず王城を目指す。
彼女は自分が踏みしめる地面が土ではなく、石であることに驚いた。
王都だから主要な道が舗装されてるのはよくあることとして、それが細い道まで網羅しているのは珍しい。
もちろん故郷の『掟の国』フライフル領には無かった環境だ。
雨水を逃がす細かい溝が路面に彫られていて、それらは道の脇にある大きめの溝へと続く。脇の溝には網目状になった鉄の蓋。
この時代に排水溝なんてものがいたるところに張り巡らされている国など、ここしかないだろう。
よく見れば平坦な道も無く、必ずどこかが盛り上がったり坂になっていたりする。
周囲の建物も水を溜めない三角屋根。瓦によって排水溝に水を落とせるよう設計された徹底ぶり。
雨が降り続くこの国では、徹底して水はけを意識しなければ町ごと水没するのだ。
「さて……」
城というのは分かりやすい。
偉い奴の建造物というのはとにかく大きい。これは国や文化問わず、果てには魔族大陸でさえ同じこと。
一国の主の住処ともなればなおさら。
降りしきる雨の中で視界が悪くとも、目指す場所とやるべきことはどこに行っても変わらない。
「そこの者! 見たところこの国の人間ではないようだが、何用で城へと入ろうとする?」
門番に止められるのも何度目だろう。
その度にエレーナは指を動かし、魔法で命とともに門も破壊するのだが……
□□□□□
同時刻、『雨の国』王城。
ひとりの少女の手が止まった。
今年の稲作の作付面積を決める書類へのサインが止まったことで、大臣も不思議がる。
「いかがされましたか?」
「賊が城にいる」
「賊……ですか? この国、この城に?」
「魔法使い……それもかなりのもの。私が行く」
少女は椅子から立ち上がり窓を開け、雨の中へと姿を消した。
あまりにも即断即決。大臣が「お待ちください」と止める隙もない。
「まだ書類が溜まってますぞ……」
3代前から仕える老齢な彼は、即位したばかりの少女の心配などまったくしていない。
いや、する必要がないと言った方が正しいだろう。
□□□□□
「ッ!?」
城門すら簡単に破壊できる【雷撃】の魔法陣が完成すると同時に、描いていた右手がスパリと斬って落とされた。
目の前にいた門番は突然のことに驚愕。命を拾ったと彼が認識するのは数秒後のこと。
「上!?」
「させない」
次の瞬間、エレーナの視界すべてが水で埋まる。
目だけではない。頭も体も何もかもが巨大な水の球に吞み込まれた。
服を着ているというのに体が浮く。重力など関係ないかのよう。
しかも下を見れば地面から離れており、さらにはあっという間に王都からも離れていく。
水の球が空を飛んで移動しているのだ。
「(体が……動かな……息、が……!)」
所詮は水。意味はなくともジタバタくらいはできるはずだった。
それなのに全身を押し潰す水圧によって指一本も満足に動かせず、視界もどんどんブラックアウトしていく。
解放されたのは息が続かなくなり、溺れて意識を失う直前のこと。
空中から地面まで降りてきた水の球が弾け、エレーナは投げ出される。
「ゴボッ、げほっ! げほっ!」
確かに花粉を心配しなくていい雨には感謝していたが、だからといって今度は水を鼻に詰めろなどと誰も頼んでいない。
ここはどこだろうか。見下ろす地面は石畳ではなく草原となっている。
遠くに王都と城が見えることから、それなりに遠くの丘へと飛ばされたのだろう。
「なにが起きて……」
「右手がくっついてる?」
「っ!」
雨とともに少女の声が頭に降ってきた。
見上げれば声から想像した通りの年齢らしき人間。
年の頃は……シェリアより下だろうか。少なくともエレーナよりは年上そうだ。
白い肌、水色の髪、いかにも偉そうなゴチャついた水色のドレス。
感情をあまり感じさせない目は足元よりも下にいるエレーナを冷ややかに見つめている。
少女は空に浮いていた。
「誰?」
「不敬」
「それが名前?」
女王である少女に対し声をかける不敬。
そもそも明らかに国に害をなそうとした賊への慈悲などない。
エレーナの両脚が切断される。
「ぐっ!?」
まただ。何を使って斬ったのかすら分からない斬撃。
エレーナはエカスドレルの彼を思い出し、まさか同じ固有魔法かと思って首を振る。
斬られる瞬間、何かが肌に当たる感触はしたのだ。『斬った』という事実だけを引き起こす【切断】とは違う。
「……また、治ってる」
一度は脚を失って地面に這いつくばったはずなのに再び立とうとするエレーナを、少女は見定める。
エレーナもまた少女を睨んで予想する。
『強い魔法使い』には3種類いる。
ひとつは単純に魔力量の多い者。単純な魔法でも大きな威力を繰り出せる。
ひとつは手数の多い者。使える魔法の種類、そして陣を描く速度。多く速いほど数を撃てる。
エレーナはこのふたつを満たしている。
そして最後に、強い固有魔法を持つ者。
魔法使い同士……特に血筋ごとに固有魔法を持つ人間同士の戦いは、いかに相手の固有魔法を知っているかが重要になる。
固有魔法には初見殺しとなるものが多い。
【切断】など受けた瞬間に死ぬものや、【砕魔】など魔法使い殺しであるもの。
エレーナと相対する少女、ミステルもまた固有魔法の強力さを誇る魔法使いである。
「【雷宮】」
雷の空間が球状に広がっていく。
ミステルは驚愕する。
相手がなにやら尋常でない魔法使いだとは思っていたが、最上位魔法なんて自分でも使えないものをいきなり撃ってくるとは予想外。
それが攻撃ではなく目くらましだということもまた予想外。
宙に浮く彼女のさらに頭上、【転移】の重い音と共に殺意の籠った詠唱が小さく降る。
「【雷墜】」
「ッ──」
雨音によく似合う雷鳴。
ただの人間なら10回は死んで余りある威力。
激しい光の消えた先には何も残っていない……はずだった。
「チッ」
手応えはなかった。焼死体の匂いもしない。
それもそのはず。どうしてか知らないが、水色の少女は無傷でそこにいる。
「(防いだ……水で? それほどの【水壁】を張れるというの?)」
ミステルもまた、表情を出さないまでも驚いている。
再生能力に瞬間移動、明らかに2つの固有魔法を使っている。
「(片方は固有魔法、でももう片方は……? 付近に仲間らしき反応は無い。なら手品の類? それとも『知られざる魔法』?)」
思考を巡らせる間にもエレーナは重力に引かれて落ちてくる。
肉薄できるチャンスを逃がす『魔王の騎士』ではない。魔力剣を出し、ミステルの頭から股にかけて唐竹一閃。
「水!?」
しかし、またしても手応えがない。
鎧も兜も着ていない少女など、これで両断できるはずなのに。服すら斬れていない。
水色少女の体は、まるで水そのもののように黒い刃をすり抜けていた。
「水の……固有魔法」
「ふぅん、知らないんだ」
このまま地面に降りる──こともできず、エレーナが空中で制止する。
手首、足首、それらを水で作られた鞭のようなものに拘束され、磔にされているのだ。
「問う。お前は魔族か?」
「どうしてそう思うわけ?」
「私を知らない。私の固有魔法を知らない。大陸北部なら知らぬ者はいない。南部は滅び、生き残りがここまで来て城を襲うわけもない」
エレーナの首が半ばまで斬られる。相変わらず刃の正体は分からず。
「っ……」
「噂として聞いたことがある。北部の国々に現れる少女、魔族の将、『魔王の騎士』……」
ミステルはあらゆる可能性を生み出しては否定し、消去法でエレーナの正体を見出していく。
「解放会が広めている情報の中にあった。死なない銀髪赤目の少女……見た目は異なるようだけど、死なないという点において共通している……」
そして結論付けたのだろう。
「名乗ることを許す。正体を明かしてみろ、たったひとりの襲撃者」
残るは答え合わせのみ。
ミステルの見下した視線には確信が灯っていて、普通に正解だからエレーナも少しムカつく。
「偉そうに……」
「それが名前?」
「……あなたの言う通り、私は魔族。『魔王の騎士』エレーナ・レーデンよ」
名乗りと共に、拘束されたままのエレーナの描いたいくつもの魔法陣が発動。
手首を縛っても指と口をどうにかしなければ魔法使いは止まらない。
互いに空中に留まったまま、ミステルへ四方から魔法が殺到。
……が、やはり水で防がれる。
「(【水壁】ではない……まるで雨があいつを守ってるみたい。でもあいつ自身が攻撃を水のようにすり抜ける……)」
「『魔王の騎士』……なるほど。一国と捉えるかはさておき、将が来たのならこちらも名乗ろう」
ミステルは特に礼をすることもなく名乗る。
当然だ。彼女は誰かに礼をしなくてもいい立場なのだから。
「『雨の国』女王、ミステル・エアレイニー。固有魔法は【雨】……この国に降る雨すべてが剣であり、盾であり、目であり耳であり、私自身でもある」
固有魔法を秘匿する家は多い。例えば【砕魔】を持つフライフル家などがいい例だ。
しかしこの国の王族は自らの力を隠さない。
それは絶対的な自信からくるものであるが、この国に関してはそれが良い方へとはたらいていた。
なにせ攻略不可能なのだ。
永遠に降り続く雨、そのすべてが王の意のまま。
雨を集めてできることは無限にある。
水の球にして対象を拘束するもよし、【水壁】のように防御に使ってもよし……集めた水を高圧で射出し斬り裂くもよし。
そして自身を雨の一部にするもよし。
血筋によって強さに差がある不公平さがあることはこの世の常識。その中でも【雨】はぶっちぎりでインチキ扱いされているのだ。
改めて、師匠リーテの思い通り。
かつてのエイト・レイカーと同じ、不死の少女を手詰まりへと追い込む力。それが固有魔法。
攻めは届かず、防げも逃げられもしない。
この戦乱の世において『雨の国』が絶対の堅牢と評される理由の一にして全がエレーナに襲い掛かる。
「(分が悪すぎる……!)」
部下を連れてこなくてよかった。なす術なく全滅していただろう。
特に水圧の剣、予備動作もなく気付けば斬られている。
それでもミステルは決めに来ていない。やろうと思えば水球の牢獄で窒息させることもできるのに。
「チッ……仕方ない」
エレーナは再び【雷宮】で目くらまし。その隙に【転移】の陣を描く。
先ほどの再現……ではない。
今さら人間相手に背を見せることへの恥などない。撤退だ。
自身を縛る水の鞭を消し去った後、残るのは何もない。
「…………いない」
残されたミステル女王は雨を通して探すも、変わらず降り続く雨は何も見つけられない。
影も形もない。この国から消えている。
「逃げた……」
仕留めるか捕獲するかできなかったのは心残りだが、この地から脅威は去った。
誰一人として死者も出していない。魔族侵攻が始まって以来の快挙だろう。
「まぁ、捕まえたところで……」
同時にミステルは要らぬ心労を抱えずに済んだと安堵。
噂通りの不死身。
加えて最上位魔法を幾度となく放てる底なしの魔力。
どれだけ水圧の刃でバラバラにされようと、人間にしか見えないあの少女に挫ける気配はなかった。
捕まえたとして、捕えておく牢がない。
何かの拍子に逃げられて国民を殺されれば国の損失だ。
なにより捕らえ続ける労力をミステルは厭う。
また来ることがあれば……今度は国境に入った瞬間に迎え撃てばいい。
しかし今後、魔族がこの国の土を踏むことはない。
魔族侵攻が終わろうが、1000年もの月日が経とうが、『雨の国』は領土を広げることも狭めることもなく在り続ける。




