六一 今度コソ、殺シテヤル
エレーナは死んだ。
白の力は魔族を滅ぼす。だから効いてしまったということは、恋した幼馴染が人類の敵である証明なのだ。青年は認めたくない現実を受け止めるしかない。
「行きましょ。お姫様を医者に診せないと」
「ああ……」
シェリアの態度はあっさりしたものだ。エレーナの存在など最初から無かったかのような……
しかし責めることはできない。敵が死んだだけ……後悔すら覚えている自分がおかしいのだとアイリアはかぶりを振る。
2人はシスレスを連れ、生き残りを集める。
既に襲撃してきた魔族は粗方討伐されており、エイトはアイリアたちを見るなり驚いてみせた。
「よくやってくれた! 助かったぞ!」
『朝日の槍』の僅かな生き残りも合流し、生きていたことを喜ぶ。
団長ジックスは今回も深手を負ったものの生き残っており、自らの悪運の強さを呪い、また仲間と共に逝けなかったことを悔いた。
幸い、難民団の中には医者もいて、しかも生きていた。「綺麗に断たれているから今すぐ処置すればシスレス嬢の命に別状はないでしょう」という言葉に一同は胸を撫で下ろす。
残った難民団を集め、再び出発。
しかし足は遅い。馬車はほとんど破壊され、馬も死んだか逃げ出した。徒歩での大移動となると時間もかかるし無事だった物資も心許ない。
「クロナロ辺境伯領に寄るしかないわね」
片足を失った悲愴を表に出さず、シスレスは予定ルートにない箇所を指さす。
ここから一番近い帝国貴族の領土、それがクロナロ辺境伯領だ。
着くまで1週間はかかるが、この地の領主は忠義深いことで有名。帝都からの難民とあれば手厚い保護と支援をしてくれるだろう。
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「ローヌ、生きてたか」
「クリャガーダー…………隊の半分があの【切断】に……他の隊はほぼ全滅です」
「ったく、奴がこっちにいるとはな。諜報部隊にこんなこと言っちゃいけねぇが、知ってりゃもっと…………騎士レーデンはどこだ?」
「…………それが……」
エイトはじめ傭兵たちの攻撃をやり過ごし、第21独立遊撃部隊の生き残りが向かった先にあるのは……物言わぬ隊長だった。
「なっ……!? 騎士レーデン!! 隊長!!」
いつもならどんな傷を負ってもすぐさま再生してみせる彼女は何も言わない。
だが生きている。
閉じた目からは生気を感じないが、残った体の一部がゆっくりと、本当にゆっくりとだが再生している。
「何なんだこりゃあ……聞いたこともないような毒でもくらったのか?」
「分かりませんが、これでは騎士レーデンも私たちも動けないことは確かでしょう。どこか落ち着ける場所を探さなければ」
「だな…………残ってるのは、これだけか。多いと言うべきか少ないと言うべきか」
第21独立遊撃部隊は人数も少なく、それでいてエレーナに付き添って無茶なことをするのも多かった。隊員同士の結束は固い。
故に欠員が出た時のショックはひとしおだ。
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エレーナが意識を取り戻せば、目に映るのは木造の天井だった。
「ぁ…………」
喉から出る声は掠れ、体の感覚は曖昧。だが目も見えるし音も聞こえる。
首も動く。周りを見渡せる。
どうやらどこかの小屋のベッドの上らしい。生活感がある。誰かが運んできたのだろうか。
はっきりしない体の状況は……
「──ぁ、っ…………!」
首は動かせても手足は動かせない。当然だ。無いのだから。
エレーナの体は頭と胴体……正確には肋骨辺りまでしか無かった。まるでアクセサリーを飾るトルソーだ。
「ひっ……ひっ……ヒッ…………!」
「騎士レーデン!! 目覚めたのですね!」
小屋に入ってくるや否や声をあげたのはコウモリと人間を混ぜ合わせたような黒い魔族。馴染みの隊員だ。
「ろー、ぬ……! これ……!」
「落ち着いてください……と言っても私も困惑していますが、意識が戻ったのならきっと完治します!」
思い出す。最後の光景を。
白い力、再生できない傷、そして崩壊する体……
「っ、【雷墜】!」
「わあぁぁ!? ちょ、火が!」
雷によって小屋が全焼する騒ぎになったが、傷口を体ごと消したおかげで全快。エレーナは少し焦げたローヌに抱き着かれて燃える小屋から脱出。
「っ、ああ……よかったぁ……!」
「ありがとう、ローヌ…………ここは?」
「この前の襲撃地点からほど近い村です」
なんでも他の隊も含めて生き残った全員で彷徨い、小さな村を見つけたので人間を皆殺しにして家屋を使っているとのこと。
「──な、7日……? そんなに?」
「はい……幸い畑があったので食料は大丈夫でしたが、身動きも取れず、目標も追跡できていません」
「他の皆は?」
「……他の隊は壊滅、私たちも半数が討ち取られました……」
「………………チョネリもやられた」
「っ、やはり、そうでしたか……」
状況は大体把握した。
圧倒的有利な蹂躙だと思っていたが、エイト・レイカーが同行していたために返り討ち。
難民団はいまだ逃げ続けているらしい。
「騎士レーデン、あなたには何があったのですか? 私たちが見つけた時には……その、口にできない有様だったのですが」
「…………敵の、よく分からないやつ」
「魔法ですか?」
「さぁ…………」
「『さぁ』って……あなたを戦闘不能に追い込み、再生すら阻害する敵がいるということなのでしょう? 【切断】に並ぶ脅威としか思えません」
「そう、ね……」
これがアイリアの仕業でなければすぐさま共有しただろう。ヤバい奴がいるから警戒しろ、優先して殺せと。
だがエレーナは口を噤む。もし教えてしまったら、彼が認知される。殺されるかもしれないのだ。
彼女はいまだに恋心にしがみつかれている。
「ごめんなさい、少し混乱してる……ひとりにして」
今のエレーナの心情を例えるなら、様々な色の粘土を組み合わせてひとつにしたようなものだ。
様々な疑問が絡まり、解くには苦労する。それでいてこの粘土はどうして色が付いているのか……と聞かれている。
答えはない。本人に訊かなければ、たどり着けない。
ならばどうするか。訊けばいいのだ。
「アイリア……シェリア……」
追いかけるのは簡単だ。またクリャガーダーに乗って探せばいい。数は減ったがあれだけの数の人間が移動していれば痕跡だけでも分かりやすい。
だが追いついたとして、2人の背中を見たとして、何ができるだろう……
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クロナロ辺境伯領は押し寄せた難民団を快く迎えた。
辺境伯本人は帝都決戦に出陣しているため、シスレスへの挨拶には代官が来る。
ここに着くまでに10日。準備にも同等の期間が必要かもしれない。
代官が「大帝陛下が送り出した人々です。ここに辺境伯様がいれば支援は惜しまなかったでしょう」と十分な食料と物資を提供し、シスレスは予想以上の手厚さにたじろぐ。
「こんなにしていただくわけには……」
「よいのです。帝都の戦で勝てばよし、問題は残りましょうが生きているのですからいくらでもやり直せます。しかし、もし……帝都が落ちたならば、ここにある物、いる者、すべてが無用の長物となります故」
この難民団にもっとも必要なのは食料を除けば馬車だ。馬と車を集めること自体は容易いが、帝都決戦のために荷馬車用の馬ですら徴用された。集めるのには時間がかかるだろう。
その間、ジックスやエイトはアイリアたちに訊く。
あの時何があった、今まで何をしていた、あれやこれや。
「僕たちは……その、気付いたら聖都にいたんです」
聖都──天柱の根本を囲うように作られた街。
その規模は都市国家並み。天柱教の総本山である『柱の国』の飛び地となる領土。ここを抑えているからこそ、かの国は大陸北部において不動の地位を築いている。
「どうやって……ってお前たちにも分からないのか」
アイリアとシェリアにはひとつの制約が課せられている。
それはナギサと名乗ったあの少女のことを口外できないものだ。本人が喋ろうとしても口が勝手に閉じられる。
「不思議な空間に飛ばされ、そこで力を貰い、さらに聖都に飛ばされた」などと馬鹿正直には話せない。
あの得体のしれない少女の得体のしれない力は、人智を越えている。
なので白い力の出所も話すことができない。
当然、色々と訊かれた。しかし「魔族のみを殺せる力」としか言えず、相当に怪しまれた。
「とにかく私とアイリアは今ここにいる。それがすべてよ」
シェリアの力強い言葉に周りは言及を止める。実際その通りであり、魔族を殺せるならもはやとやかく言っている場合ではない。
今まで天才の陰に隠れていた青年は、一転して英雄となることができるのだ。
「シスレスの話じゃあ『魔王の騎士』……エレーナ・レーデンを討ち取ったって話だが……」
エイトは話すか話すまいか迷い、話す。アイリアの表情が暗くなることも承知の上で。
「まぁ……お前は正しいことをしたよ」
「はい……」
「俺が殺せるならそうしてやりたかった。それならお前たちは俺を恨めるからな」
「恨むなんてこと! するはずがない……」
「だが、お前は自分を許してないって顔をしてるぞ」
「エイトさんだったら……どうしますか」
幾度とない修羅場を経てここに生きる傭兵は目を細める。
「俺でも同じことだ。誰かを殺めた、恨みを買った、敵になった……そんな枷から解放してやるには、死しかない。楽にしてやるためにもな……」
かつて実の母が死ぬのを眺めていた男は、それでも自分の過去を肯定し、アイリアの決断を肯定する。
「お前はその罪悪感と引き換えに、彼女を解き放った。傷は時間と共に癒える……だろ? シェリアさんよ」
「そうね」
やはりシェリアは話に無関心。そっけない態度は「興味ないわ」と言葉にせず伝える。
「真逆だなぁ」
「冷たい女だって?」
「そうは言ってない。冷静なのは良いことだ」
さて──エイトが膝を叩いて立ち上がる。
「俺たちも準備手伝うか。魔族がまた追ってこないとも限らん」
「はい。あっ、エイトさん」
「ん? どした」
「どうして……僕たちのこと、気にかけてくれてたんですか? 会った時から、ずっと……」
名声を欲しいままにし、望めばなんでも手に入れられる力を持っている男……顔を合わせる度に良い顔を見せてくる彼をアイリアは信用しつつも疑っていた。
いつ死ぬとも分からない新人傭兵に構うなんて、辛いだけじゃないかと。
「あー…………まぁ、なんだ」
初めて会った時、お前たちを見かけた時──
「知ってる目だったからな。お前たちの、帰る場所の無い人間の目……」
「分かるものですか? そういうの」
「お前たちにもいつか分かるさ。だからまぁ……その手の奴のことはどうしても気になるんだ。それにお前たちはここまで生き残った。きっと何かそういうものを持ってるんだろう。これからも頼むぞ」
二度背中を叩いた手には、あまり力が入っていなかった。
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数日後、領内各所からあれこれがかき集まった。
どうやら今になって自分も逃げようという者が急いで運んできたようだ。代官から「よければ彼らも加えてくれ」という提案をシスレスは快諾。
これで後は荷を積んで人も乗って出発……というところで敵もやってくる。
もう少し早く出られれば、奴らがもう少し遅ければ、と思っても仕方がない。クロナロ辺境伯の領都は襲撃された。
帝都に行かず残っていた辺境伯軍は代官の指揮のもと迎え撃つが、最低限の兵力しかない軍はたったひとりに皆殺しにされる。
『魔王の騎士』──それは死んだはずの、間違いなく滅ぼしたはずの少女。
難民団はすぐさま慌てる。準備が整ってなかろうが逃げるしかない。敵はすぐそこまで来ていて、先の襲撃は誰の記憶にも新しい。殺されたくない。
「私が行く。あんたらは準備して、私が戻らなかったら先に行っていいから」
「なっ、シェリア!? 何を言ってるんだ、僕も──」
「あんたはダメ。白い力……まだ使いこなせてないでしょ」
アイリアの中にある力は膨大だ。故に扱うのに慣れる必要があり、聖都でしばらく修行したというのにいまだに不安定。
だからそこを突かれるとアイリアは反論できない。
「こんなところまで攻めてくる……この前エレーナが来たことを考えると、敵はきっとまた強い。もしかしたら他の『魔王の騎士』かもしれない。そんな相手と戦ってる時にもしもあんたが力を満足に使えず殺されるなんてこと……私には耐えられない」
「でも、ひとりでなんて……」
「大丈夫よ。私を誰だと思ってるの? むしろ難民の連中を守る方が重要だし、人手も必要……あの最強の傭兵様と一緒にみんなを守って」
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シェリアはひとり、襲撃されている辺境伯軍の近くまで行って、手助けはせず踵を返した。
彼女の足が向かうのは領都の教会。
聖都に近いからか、それとも辺境伯が敬虔だからか、他で見るようなそれよりも大きく立派なつくりになっている。
「今さら柱頼みってわけじゃないけど……」
各所の床に魔力を打ち込む。
すべての準備が整い、待つ。
「シェリア」
足音。背中にかかる声。
来ると思っていた。だからわざわざ前線に近付いて、存在をアピールした。
そうすれば彼女は見つける。無視できない。因縁が絡まっている同士なのだから。
「やっぱり、あれでも生きてたのね」
「ひとり?」
「あんたもひとりじゃない。お仲間の化け物はどうしたの?」
「後で来るわ。それまでに……」
「殺すの? ここにいる人間全員を」
ドレスを返り血で汚した少女の気勢が緩む。
「……そうよ。そのために、来た」
「アイリアも殺すの?」
「あなたには関係ない」
「あるわよ。あんたのことなら、どんなことでも私に関係がある」
シェリアは振り返る。
目が合う。
昔から変わらない赤い瞳。その中にあるものは……変わってしまった。
「私を殺したいんでしょう?」
「ええ、殺したい……でも、あなたはあの時死ぬと思ってた。『掟の国』からどうやってここまで……アイリアのあの力だってそう、何なの? どうして生きているの? どうしてここにいるの」
「質問攻めね」
答えてあげたいけれど──首を横に振る。
「教えてあげない」
「ならあなたを殺して、アイリアから聞く……いい加減死んでよ、シェリア」
エレーナからの殺気を受け止め。シェリアの背筋が震える。
あれは怒りなのだろうか、憎しみなのだろうか。
それとも何もかもがどうでもよくなって、意地だけが体を動かしているのだろうか。
「…………エレーナ、一度だけ言うわ。この手をとりなさい」
「何を言うのかと思えば……命乞いのつもり? それとも本気で私があなたに擦り寄るとでも? 気が触れたのか知らないけれど私は敵よ、人殺しよ」
「フッ、正気よ。これはただのけじめ……あんたは私の家族を殺して、民を殺して……人をたくさん殺した…………それは私の罪でもある」
罪の告白……教会はそういう場所だ。人々はここで懺悔し、柱と女神に赦しを請う。
「あんたがこんなことになっているのは、元は私のせい。『魔王の騎士』のあんたを生み出してしまったのは……私」
赤い目が呆気にとられる。
「私があの時、迷子のあんたを見つけなかったら、あんたを誰にも会わせず、一生私の手の中に閉じ込めておけたら……こんなことにはならなかったのに……」
感情的な自分も、冷静な自分も、どちらもが同じことを言う。
「あんたは魔族として人類全員に恨まれ、憎まれ、攻撃される。あんたはこれからも人間を殺し続ける……そんな連鎖にあんたを閉じ込めたままにしない。私が生んだ罪は、私が償う。私はあんたの枷を解かなければならない」
今までエレーナが奪った命の中には、シェリアが愛する者もいた。
背中の大きかった父も、厳しくも優しかった母も、絵姿でしか見たことのない妹も、産まれたばかりの新しい家族も……
許せなくて、恨んで憎んで、絶対に殺す、仇を討つと誓った。
なのに、それよりも優先してしまいたくなる。
シェリアの目には、どうしてもまだ映ってしまうのだ。
あの路地裏で泣いていた幼子が。
「この手をとれば、私のすべてを懸けてあんたを閉じ込める。悪意も大人も、怖いものすべてを気にしなくていい、どこか遠くの、誰も来ないところで……あんたを甘やかす」
その言葉は本心で、だからエレーナにも届く。届いて……彼女の温度が上がる。
「思い、上がるな……! 黙って聞いていれば、いつまで……っ、いつまで私の手を引いてるつもりだっ!! お前に私は救えない! ただの人間のくせに、シェリアのくせに! 上から私を包もうとするな!!」
少女は泣いていた。
「手なんて、いつまでも引くわよ。泣き虫のエレーナ。私はお姉さんだもの」
「黙れっ、できないことを喋るな! ならどうして、閉じ込めてくれなかったのよ! どうして……どうして、私をあなたで縛ってくれなかったのよ!!」
怒りとも憎しみとも違う、戻ることのない時への想いが目から溢れる。
頬を伝い、床に落ちて染み、いずれ乾く。
「遅いのよ、何もかも……あなたの籠の中にいられなかった……私はそうなれなかった……だから私は、あなたを殺す。私はあなたを…………」
「そう、なら私もあんたを殺す──いいえ」
シェリアの足元から魔力が流れ、床を伝い、陣を描く。
「エレーナ・ニフュー、私が一緒に死んであげる」
次回、内容にグロと性的な描写が含まれます
エレーナの頭のおかしさはその回がピークで、そこからは段々下降していきます




