六十 エカスドレル攻略戦──終点悲劇、マダ足リナイ
騎士ラブラミが引き連れるサキュバス……彼女らに操られた『魅了兵』。
その数は3万、これまでの進軍で取り込んできた憐れな人間たちだ。
「な、なんでセキリ侯爵の黒備えが!?」
エカスドレルの中でも精兵ばかりと称されるセキリ侯爵軍、鎧やギャンベゾンを黒染めで統一していることから『黒備え』として広く知られている。
そんな軍が魔族に与し、精兵としての力を人類に振るっている。
彼らは正気だ、少なくとも自覚の中では。
無自覚のうちに忠を尽くすべき主を侯爵ではなくラブラミにされているだけで、彼らは簡単に帝国を裏切った。
「騎士ボーデットには感謝しなきゃねぇ~、おかげで楽できていいわぁ」
黒備えは怯える民兵を容赦なく殺している。帝国軍にも負けていない。
本来こちらに向けられるべき剣で人間を殺し、膝を折る相手である侯爵すら自分たちの手で殺した……そんな彼らは【魅了】が解けたらどうなるのか。
「きっと騎士レーデンのようになるんでしょうねぇ……用済みになったらそうしてあげるのも面白そう」
艶のある唇に指をあてて嗜虐的な笑みを浮かべる彼女は、正しく魔族であった。
『魅了兵』はじゅうぶんな成果をあげ、他の騎士たちもいつも通り仕事をしている。
帝都近郊で戦闘が始まって半日、帝都を守る2つの砦の内、片方は既に落ちていた。
フリク要塞を消したように、騎士マクが溶かして自分の一部としたのだ。
数で勝るはずの帝国軍も多くの将兵が死亡、戦況は魔族側に有利。
ヨーネとエレーナ以外の『魔王の騎士』が集結した戦場ならそうもなろう。
しかし局所的には魔族軍が蹴散らされるという光景も見られる。
「あ、あの人間……ミノタウロスを殴り殺しやがった……!」
自身の筋肉を見せつけたいのか上裸の筋骨隆々大男。生傷だらけの彼は、手首まで覆うような拳鍔を付けた己が拳だけで魔族を殴殺している。
そんな光景は異常だ。あの人間は異常だ。魔族は口々に彼を恐れる句を漏らし、将が「怯むな!」と檄を飛ばす。
「我こそ栄えある大帝国最強の拳客! 魔族ごときがこのムキム・キムッキーを殺せるというならばかかってこい!!」
「ま、魔法だ! 魔法で殺せ!」
「甘ァァァァい!! 筋肉は素早く、硬いのだ!!」
「当たらねぇ!?」
「筋・肉・断・罪!!」
ドドドドドと魔族が殴り殺される様を遠くから見たドラクスの副官が漏らす。「いつもながら様子がおかしいですね……」
「左翼全体に伝達。生き残りたければキムッキー将軍の背中を追えとな」
軍師でさえそう言うしかないムキムの大進撃はしばらく続き、止まる。
「ほう! 見たところ『魔王の騎士』と見た!」
「侮られたものだ……このようなふざけた輩が我が前に現れるとは」
相対するは骸骨の王、騎士ボーデット。
彼は重ねた同じ絵の札をばらけさせるように自らを増やし、ムキムを囲う。
「同胞を幾人も屠ってくれたようだな。嬲り殺しにしてやろう」
「グアッハッハッハッ! 雑兵はいくら増えても雑兵なのだぁ!!」
三桁に迫るまで増えた骸骨は一斉に人間へと飛び掛かる。
「フン! フン! フン! フン! 笑止ッ! この程度か『魔王の騎士』! 甘すぎるぞぉぉぉぉ!!」
戦況は魔族優勢、しかし人間が見せる粘りは帝都決戦を長引かせた。
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ところ変わって帝都のはるか北。
避難民を乗せた馬車の集団がその数を半分以下にまで減らされたところで、彼らは光明を手にする。
エイトは確実に魔族を仕留めている。元々多くなかった襲撃者もまた半数ほど討ち取られており、壊滅した部隊もある。
さらに現れたのが、『魔族を殺す力』を持った男。
「──ぁ、ハアッ、ハァッ……ぐ……!」
エレーナを襲う感覚は今まで味わったことのないものだった。
痛みと言っていいのか苦しみと言っていいのか、ともかく自分が消えていく。
腕の落ちた傷口は断面がボロボロと崩れていく。まるで砂を固めて作った家が削れるようだ──エレーナはあの島での思い出を場違いにも想起する。
しかも【超速再生】で治らない。本来ならとっくに生えている腕はまだ生えてこない。
……いや、治ってはいる。けれどそれは超速なんてとても言えないような速度。じわじわだ。同じ場所にまた同じ攻撃をされたらどうなるか、良い予想ができない。
「っ、くっ!」
エレーナは自ら自分の右腕を根元から魔力剣で斬り落とした。
腕が治らないのは崩壊している断面のせいだ……そう思っての行動、彼女の試みは成功する。
自分で斬った場所から元通り腕が生えてきた。
続けて肩。ここも傷口から崩壊し、これまた再生と崩壊が争い再生が若干上回っている。
「ら、【雷撃】……っ」
少女の上半身が半分ほど派手に吹っ飛んだ。自傷なんてレベルではない。
だが傷口諸共消し飛ばしたおかげで肩もその周りも問題なく再生する。
「ハァ……ハァ……っ、くそっ、チョネリ……!」
呻きながらも見逃してはいない。部下が消えていく様を。
やったのはアイリアだ。幼馴染の彼だ。
信じられない──少女の頭はそれだけが支配する。
殺そうと右足を斬り飛ばした金髪の女は生きている。生きて、シェリアに介抱されている。
「シェリア……!」
思わず奥歯を噛み、砕きそうになったところでエレーナの頭が少しの冷静さを取り戻す。
「(なんでここに……?)」
2人を『掟の国』まで連れて行ったのは自分だ。だが記憶に不自然な空白があり、気付いたら2人は消えていた。
自分も必死に探して見つからなかったのに、あっさりと再会を果たしたのだ。
無事だったことを喜ぶ暇も無く呆気にとられる。
2人は変わらず人類として、魔族の敵として刃を向けてくる。
「(どうやってここにいるの……今まで何を……どうしてシェリアは生きて……アイリアの身体能力……白い力……)」
気になることが多すぎる。
そして気安く質問できるような空気でもない。
「まだ……」
チョネリの消滅を確認したアイリアが再びエレーナへと目を向け、駆ける。
「今度こそ!」
「甘、い……!」
彼の動きは思い出の中のものでもなく、これまで殺してきた人間の強者ですら凌駕している。
反応は難しい。避けるのも難しい、というかできない。
なのでその場から逃げる。
後ろ手に描いていた【転移】を発動させる。
「でしょうね」
「──っ!?」
赤と茶の瞳同士が合い、雷が迸る。
たとえ稀代の天才魔法使いの【雷撃】を受けても再生することに変わりはない。ただし痺れと、彼女が的確に対応してきたことへの驚きがエレーナの隙を作り出す。
「アイリア!」
「ああ!」
次の瞬間、白が『魔王の騎士』を切り裂く。多少の距離はあったというのに、アイリアにとってはまさしく一瞬の間合いと化していた。
「ぐあぁ……あ……ぁぁ……!!」
「何回か見たし、その瞬間移動のことはなんとなく理解してきたわ。それに、それを使うならあんたが狙うのが私だということもね」
シェリアの言葉は悶えるエレーナには届かない。
先ほどより深く刻まれた白の崩壊。それを取り除こうとして──
「再生もさせない。あんたはここで終わりよ、エレーナ」
【砕魔】によって魔法も再生も塞がれ、崩壊部を取り除いて再生するという手段も奪われた。
「だめ、まだ……! 私、は…………!」
「もう……いいんだ、エレーナ。もう……君に誰も殺させない」
「あいり、あ、助、け……」
伸ばそうとした手を白い光が包み、埃に息を吹きかけるように消す。
「──っ…………さようなら……」
男が白を纏った剣を振り下ろす。
これでよかったのだろうか……そう言わんばかりの青と茶の目たち。
助けを求める口も、縋る目も、朽ちていく。
そうして残るのは少女だったもの──滅ぼされた魔族の残骸だけだ。
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帝都決戦が始まってから9日目……ついに趨勢は決した。
エカスドレルはじゅうぶん抗った。
絶望的な状況下で、ひとりでも多くの魔族を道連れにした。
ふたつの砦を落とされ、もはや帝都へ撤退して街並みを利用した伏兵戦術と城を使った籠城しか選べないこの時点で、まだ軍の3割も残っているのはひとえに各々の意地の賜物だ。
だが時間切れ。騎士ラカミセリニウマが到着。
「城が……攻めてくる……」
圧倒的質量。ミノタウロスやサイクロプスのような巨人など比べ物にならない。文字通りの城塞。
それが迫り、底部に生えた短い脚が人間の軍など蟻のように踏み潰す。
生身の魔族ならまだしも、城を殺そうという手段が思い浮かばない。
これまで化け物相手に体を奮わせてきた闘志も、どうしようもない破滅の到来には掻き消える。
ひとり、またひとりと絶望に打ちひしがれ、武器を持つ手が下ろされ、そんな心情など気にしない魔族に無防備に殺される。
個人の武や知では到底挽回し得ない。帝国軍、周辺国軍、民兵……そのどれもが壊滅した。
将も指揮官も多くが討ち死に。老大帝は命からがら城まで逃げることができたが、幾ばくも持たないだろう。
「よもや……本当にあるとはな…………栄えるものは、いずれ滅びる…………唐突に、見せつけられたわい」
大帝の言葉に、同じく生き残った忠義ある貴族たちが涙する。
悲壮、悔恨……力のない空気はいっそ清々しかった。
「ドラクスよ……アレの準備は……」
「出来ております」
「そうか…………ならば、準備せよ」
エカスドレルの最後の一噛み。
万が一を考え帝都決戦の直前に街全体を使って線を引いた──魔法陣。
ひとつの魔法陣に複数人の魔力を込める方法が『教の国』よりもたらされ実現したもの。
このためにある程度の数の魔法使いを守り、残しておいたのだ。
「最後に……城下を、ゴホッゴホッ、見せてくれ……」
「ご随意に」
皇子たちも死んだ。大帝の手を引けるほど身近な者はドラクスくらいしか残っていない。
バルコニー部分に出て手すりの向こうを覗けば、凄惨たる有様が見て取れた。
人間が勝つと信じて待っていた民たちの悲鳴が聞こえてくる。
抵抗の手段を持たない女子供が、凌辱もなく殺されていく。
産まれたばかりの赤子が地に打ち付けられ、踏み潰されていく。
逃げられる足を持たない老人が、引きちぎられていく。
魔族にとってそんな惨劇は"ついで"だ。本命はこの城なのだ。
やがて悲鳴すら無くなり、魔族軍が城の門と壁を破ろうと殺到する。手柄を欲しがる彼らは多くが帝都内に入り込んでいる。
「陛下、準備が整いました」
「うむ……やれ。願わくば、『死の国』で再び会おうぞ」
その日、地に太陽が顕現した。
帝都すべてを覆う巨大な魔法陣から放たれる魔法──【雷宮】。
何もかもを呑み込む雷の奔流溢れる領域が球状の光となった後、放散する。
後には何も残らない。広大で深いクレーターと、何かの残骸らしきものだけ。
そこにあった城も、街も、人間も、そして魔族もが消滅した。
「どういうことだ! 街に入った部隊はどこへ行った!」
「あんなものを放てる魔法使いが人間にいるのか!?」
「ありえん! それこそ魔王様や騎士レーデンでなければ……!」
「どこが健在でどこがやられた! 確認急げ!」
「『魔王の騎士』の方々は街の外にいたため全員無事とのことです!」
敵は消えた。勝利したのだ。
しかし占領と蹂躙のために街へと入り城を目指していた多くの将兵もまた消えた。
幸い『魔王の騎士』と大将軍ハグネイラルは無事だったものの、先ほどまでの戦での損耗も考えると、今ので軍の総数は戦闘開始前から3分の1までに減ったことになる。
「おのれ……人間め!! 小賢しい隠し玉など生意気な! 騎士ラカミセリニウマが腰を落ち着け次第、残った軍を集めよ! この国はまだ滅んでいないのだぞ!」
帝都を落とし、憐れな帝国の行く末は決した。
だがまだまだ残っている。エカスドレルは広く、さらに周辺国も。
これまでと同じだ。敵主力を叩き、残った土地と人間どもを一人残らず皆殺しにしてまっさらにする。
魔族軍はその後半年を経て帝国の全領土を殲滅。エカスドレルという名は地図と歴史から消えた。
帝国に援軍を出したために戦力という戦力を持たない周辺国らもまた、エカスドレル滅亡の1年後に後を追った。
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未来が見える……未来を変えられる……それが希望であると同時に絶望でもあると知ったのはいつだっただろう。
ついに人類大陸南部を手に入れることができた。
「数多」「膨大」……そんな言葉で片付かないほどの数の人間が死に、「少なくない」という表現では足りないほどの魔族が死んだ。
「まだ、足りない」
なおも魔王は望む。
「まだ、足りない」
命も、土地も……
「まだ、足りない」
もっと、もっと多くの死を。もっと多くの犠牲を。
「まだ、足りない」
未来は、別の未来を踏み重ねた先にしかない。
「まだ、足りない」




