16 森林のエレーナ・レーデン 1
「来週から~『港の国』に修学遠征に行くよ~!」
ミアとクレアが付き合っているということが周知されてから数日、ある日の教師ローリス・フィリスはいつもより声量を一段階上げてそう告げた。
魔族大陸の崩壊により海水位の上昇によって元あった国が沈んだ地域が空白地帯となってしまったため、地図を埋めるために造られたのが『港の国』。人類大陸の南端一帯の人類生存圏の名称だ。
この国は連邦が樹立してから州として立ち上げられた国であり、長は市民の選挙で決まる。
一番の特徴は、水産業とそれを大陸全土に届ける流通だ。
水揚げされた魚を【氷結】のスクロールが発動した箱の中に入れ、長い年月を経て造られた運河を使い、陸上輸送と組み合わせて早く届ける。
内陸部の民が海産物を食べられるのは、この『港の国』があればこそというものが大きい。
「先生ー」
「はいヒリツ君~!」
「なんで行くんですかー」
「そ~れ~は~……天柱見学で~す!」
数人の生徒が「なるほど」となった。
『柱の国』は、連邦の国教でもある天柱を信仰する『天柱教』発祥の国だ。大陸のどこからでも見ることができるほどに高く伸びる塔を近くで見ることは、巡礼としても意味を持つ。
しかしどこからでも見られるとはいえ、近くで見た者は意外と少ない。
よほど敬虔な信者でなければ、一生のうち一度も近くで見ない人生もありふれている。
この天柱見学は、『柱の国』としても、天柱教からなる勇者信仰としても、やっておくべき慣習なのだ。
「来週から~、往復の期間も含めて3ヶ月~! 『港の国』で授業をするからね~」
「ってことは、海とか入れるんですか!?」
「自由時間もあるから~、入れるよ~」
アクティブな生徒たちが湧きたった。
中には海なし国出身の者もいる。期待からか、興奮も大きい。
「やばっ、ミア! 海だよ海! 私初めて見るよ~!」
クレアも内陸部出身だったようで、隣の席にいるミアに目を輝かせて話を振った。
「私は久しぶりかしら。『港の国』は行ったことあるわ」
「ええ~っ! 本当!? どんなとこ?」
「魚の食べ放題とかやってる」
「それだけ~!?」
「あとは海水浴とか……天柱に近いからあの辺無駄に暑いし、海で泳ぐ観光業があった気がするわ」
ガヤガヤとする教室を、手を叩いて制すローリス。
「だから遠出の準備はしておいてね~」と言うと、いつもの授業が始まった。
天柱教としての行事であるが、生徒たちにとっては旅行という感覚が強い。毎年1年生はこの時期に楽しみからか浮足立つが、この学年も例外ではなかったようだ。
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修学遠征1日目の朝、総勢60人ほどの1年生は、寮の前に集められた。
引率をする各クラス担任が点呼をとり、校門の前には大型馬車が何台も停まっている。
例によって、貴族クラスは遠征には参加しないようだ。
「ぎ、ギリギリ間に合ったー! ほらミア、起きて!」
「んぁーー…………」
そんな日にも、ミアの寝坊癖は治らなかった。
まだ寝ているような状態でクレアが着替えさせ、クレアが前日に用意した荷物を肩から吊り下げている。
「まぁ、おふたりとも仲のよろしいことで」
「そういうのじゃないからね!?」
「またまた~」
ミアたちも点呼を済ませ、次々と馬車に乗る。
『港の国』は遠い。馬車を使って普通に行こうとすれば片道1ヶ月はかかる。まさに旅だ。
「じゃあみんな~、修学遠征はもう始まってるから~、旅をするっていうのも学ぶんだよ~」
勇者になれば、冒険者に混じって人類非生存圏の探索もすることがある。
そのために旅に慣れさせるという目的も、この遠征には含まれている。
「おおっ……! ミアさんと同じ馬車……! 俺の膝で寝てほしい欲求が噴出する……!」
「だめっ!」
「くっ……おのれクレア・プレトリア……! ミアはこの僕が狙っていたのに!」
「男子見苦しい~」
ミアが目覚めたのは、馬車が王都を出てしばらくした頃であった。
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「そういえば、ミアって旅とか慣れてるの?」
「ええ。ちょっと前に大陸をぐるっと」
「大陸ぐるっと!?」
「数年かかったわね」
馬車の集団は街道を使い、順調に南下していた。
旅路は順調。中継地点の国や町をいくつも経由すれば、『港の国』に着くだろう。
「あれ、道違くね? 地図だとこっちは……」
「先生ー、道間違ってんじゃないっすか?」
「合ってるよ~」
一行は巡礼路から外れ、とある町へ寄った。
冒険者組合の拠点がある町だ。そういう町には大抵近くに人類非生存圏が存在する。
「お前たちにはこれから、エデミナ大森林を通過してもらう!」
生徒の中からどよめきが上がるものの、第1クラスの担任ギルベルト・ファーソンは構わず続けた。
「修学遠征は始まっていると言っただろう。勇者は人類非生存圏に足を踏み入れることもある。このエデミナ大森林はお前たちひよっこにちょうどいい練習だ!」
エデミナ大森林。大陸でも珍しい、人類生存圏に囲まれる形で存在する場所だ。
人類非生存圏であるものの、住む魔物は弱い。駆け出し冒険者御用達の、初心者用人類非生存圏と言える。
ギルベルトの言う通り、生徒たちの練習にはちょうどいい場所だ。
「マジかよ……俺まだ聖剣氣使えないんだけど」
「魔物となんて戦えるかな……」
生徒たちの心配も無理はない。入学から2ヶ月以上経っているが、一部の生徒はまだ身体強化すらできない者がいる。
そうなってくるとただの人間と変わらない。ただの人間が人類非生存圏に赴くのは自殺行為だ。
「ここからはクラスではなく、また別の班分けを行う! まだ聖剣氣が使えない者は、ここで無理やりにでも学べ。さもないと死にかねんぞ!」
そこから行われたのは、クラス混合の班分けだった。
聖剣氣の保有量やどれだけ使いこなせるかといった度合いを基に、実力が上の者が下の者をフォローできるよう、四人一組で平均的になる分け方がされた。
その結果、ミアは会いたくない顔と行動を共にすることになった。
「やぁ、同じ班なんだね。よろしく」
「げっ……」
ミアが分けられた班は、第1クラスのリーパーがいたのだ。
考慮されたかどうかは分からないが、クレアも同じ班。
残りの1人は、黒い短髪がアウトドアな印象を与える第2クラスの男子だった。
「おっ、有名人ばかりの班か! 俺は第2クラスのラル・アーバンチ。よろしくな」
「リーパー・レイルシアだよ。よろしくね」
「私はクレア・プレトリア! よろしくー!」
「……ミア・ブロンズ」
「武器も荷物に入れられてたのは、こういうことだったんだな……頑張ろうぜ!」
早速各班には寝袋や簡単な調理器具などの荷物が支給される。
チェックが終わった班から出発するようだ。
「教師陣も同じように森を抜けるが、基本的に手助けはしない! 期限は2週間、迷っても誰も助けんから自力でなんとかしろ!」
一見厳しい教育であるが、ここすらクリアできない人間は最初から勇者に向いていないということだろう。
無論この森にはこの期間だけ、学園から要請を受けた近隣の騎士が配置されるために、どうしようもない事態が起きた際の救助や安全には一定の配慮はされているが、生徒たちには知らされていない。
これは勇者選抜のための考査も兼ねている。
察しのいい勇者を目指す生徒たちは頬を叩いて気合を入れた。
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エデミナ大森林は深部に行けば行くほど陽の光さえ遮る深い森だ。
ミアたちの班は、森の外縁部といえる、まだ木々もまばらで人の通れるほどの道がある場所からスタートした。
人類非生存圏といっても、長きにわたり多くの冒険者が入った場所。しばらくは道らしい道が出来上がっていた。
「こんな森に魔物なんているのかなぁ?」
「この辺にはいないでしょうね。冒険者に追いやられて奥の方に引っ込んでるんじゃないかしら」
「ってことは、奥の方に行けば魔物に会えるってことか! 腕がなるな!」
ラルはなかなか血気盛んな少年のようで、腰に下げた剣を今にも抜きそうだ。
今回は訓練で使う木の剣や刃を潰した剣ではなく、本物の武器を使う。
費用は学園持ちなので、各自が好きな武器を手に入れていた。
リーパーとラルは兵士が使うような剣。片手でも両手でも使える長さだ。
ミアは何かあっても魔法で対処するので、身軽さを重視し短剣を1本のみ。どうせ無料だから普段使いできるものにしようとした結果だ。
中でも一番目立つのは、クレアの武器だ。
「クレア、それ重くないの?」
「重いよ。でも使う時は身体強化するし」
「あのバカみたいに大きな袋にはそれが入っていたのか……」
クレアの武器は大槌だった。その大きさたるや、それを入れていた袋に人が入れるほどである。
兵の中にも戦槌を使う者はいるが、このような規格外な大きさを持つ者はミアの記憶にもいない。
「家の手伝いで狩りやってた時にもこれより小さいの使ってたんだけどね、せっかくタダなんだから大きいの使ってみたかったんだ!」
「狩りってそういうものだっけ?」
「実際は罠で動けなくなったところを仕留めるのがほとんどだけど、私は身体強化使えたから、サッと近づいてドカン! って感じだったんだ」
「やべーなそれ」
武器はその者が命を預ける道具だ。本人がそれでいいなら何も言うまいとミアは黙って歩を進めた。
他の班と鉢合わせることもあるかと思ったが、驚くほど誰ともすれ違わない。
4人は静かな森の中をただ進む。
ラル辺りは「もしかしてこのまま抜けられるんじゃね?」と言い出すほどに何もないのだから、他の面子もそう思い始めていた。
しかし、先頭を歩いていたリーパーが止まり、それにつられて3人の足も止まる。
「何かいる……」
「えっ、いる?」
「わかんねぇ。ミアは?」
「さぁ」
実際、いる。おそらくは魔物、3体ほど。
ミアは分かった上で何も知らないふりをした。
3体であれば残り3人で相手をすればいい。まさかこれに苦戦するほど人間は弱くはないだろう。
リーパーが警戒しながら先行すれば、予測通り3体の狼型の魔物が茂みから現れた。
「ッ、みんな! 行くぞ!」
「すまん! 俺聖剣氣使えない」
「えっ!?」
「3人共使えるんなら、俺がヤバそうなら助けてくれよな!」
てっきり「使えないからあとは頼んだ」と言い出すのかと思いきや、勇ましくも飛び出すラル。ミアはそれを見て蛮勇だと呆れた目を向けた。
「うおおおぉぉ!」
いくら弱いといっても魔物は魔物。人間が苦戦するくらいには危険なはずだが、ラルの一撃は魔物の1体にダメージを与えた。
一撃で倒れない辺り、やはり魔物だ。
「うおっ、これで死なないのか!」
「ラル、一人で出すぎだ!」
リーパーは武器に聖剣氣を纏わせたようで、手に持つ剣は薄く白い膜に覆われているように光っている。
危険性を察したのか、3体の魔物は一斉に飛び退き、距離を取る。
クレアは先行した2人と歩調を合わせられないようで、槌を構えてはいるものの逡巡しているようだ。
ミアはただ突っ立っていた。別に動けなくなったわけではない。
ここではミアは静観を選んだ。
魔法を使えば1秒とせずに魔物などは全滅させられる。だがそれだと3人がここにいる意義がなくなってしまう。
未来の勇者候補の成長を促すのもいかがなものかと思ったが、こんなものは誤差の範囲だろう。
「てーーーーーーいっ!」
ようやくクレアが動いた。狙ったのは右側にいる個体。
いまだ武器に聖剣氣を纏わせる段階に至っていないクレアの槌は、それでもまともにくらえばペシャンコになるほどの代物だ。
いかに魔物といえど、物理的に潰されれば死ぬ。クレアの狙った個体は横に飛んで回避したが、リーパーはそれを見逃さなかった。
「そこだッ!」
振るわれる剣。聖剣氣を纏ったそれが体に食い込めば、魔物は悲鳴をあげてボロボロと体を崩れさせた。
聖剣氣の魔族特攻は、魔物にも有効。死体も残らないような塵になって消える死に方は、ミアがかつて何度か目にしたことのあるものだった。
「うわっ……あれが聖剣氣……」
「やっば、俺も使いてー!」
1体を倒して勢いづいたのか、クレアとラルも攻勢に出る。
即席のチームであるが、2人が追い詰めた魔物をリーパーが聖剣氣で倒すという構図は、チームワークと言って差し支えない成果を見せた。
「わーすごいわね。あっというまに倒すなんてー」
「ミアも手伝ってよー!」
「ごめんなさい、足が竦んでしまって」
「えー!」
プンスカするクレアを「まぁまぁ」と諫めるのはリーパー。
ラルも「初めて見るんなら仕方ねぇよな」と納得した。
見た目だけならこの中で最年少のいたいけな少女だ。クレアは「絶対嘘だよ」と思っているが、他2人は魔法を使えるだけの戦闘の素人だと思っている。
「これくらいなら俺たちでもやっていけそうだな、今度は俺が仕留めてみせるぜ!」
「私も次は当てたいなぁ」
「2人とも、次も頼んだよ」
「(これ本当に平等に分けた班なのかしら……なんか普通に戦えるのばかりいるんだけど)」
入学まで剣も握ったことのない者もいただろうに、そういう生徒がいる班はどうなっているのだろうと心配になる。
しかし教師がそう分けたのならそれでいいのだろうと考えるのをやめた。
「もう少し進んだら野営の準備をしようか。ミアもそれでいいかい?」
「ええ。野営は経験あるわ」
「おっ、じゃあ設営とか任せていいか?」
「いいわよ」
森の行軍は方向感覚と時間の間隔を狂わせる。
歩いて休んで歩いて……気付いたら日が暮れているというのはよくあることだ。
まだ初日。急ぐことはないだろうとの判断だった。