1 入学のエレーナ・レーデン
人類が住む大陸──通称「人類大陸」は、連邦という形で統一を果たしていた。
1000年前の魔族侵攻の際に、それまで国家間での対立をしていた人類はひとつにまとまり、勇者と共に見事魔族を撃退。
それから各国家は同調、はじめは同盟、次第に連邦という形で1000年の平和を築き上げたのだ。
連邦の中でも随一の領土を誇る王国、名を『柱の国』。
人類大陸の中心部にある、連邦の心臓ともいうべき主要国家。書類によって州とも呼ばれる。
魔族侵略が行われる1000年前よりも前から存在する大陸最古の国家であると同時に、大陸南にある天まで伸びる塔、通称『天柱』を信仰する天柱教発祥の国だ。その国名からも信仰心が伺える。
その王都には、ひとつの施設があった。
アイリア学園。
1000年前に魔王を討伐し人類に希望をもたらした勇者の名を冠する学園だ。
かつて勇者が持ち、その力で魔族を滅した【聖剣氣】と呼ばれるものを持った者のみが入学を許される学園。
無力だった人間たちが次なる勇者を育てるための施設。
同じく王都にあるシェリア魔法学園と並ぶ、『柱の国』の二大教育機関のひとつである。
大王国の誇る学園だけあって、各イベントの規模は大きい。
これから始まる入学式も、王都全体で未来の勇者候補たちを祝うお祭りのようなものだ。
それほどまでに、勇者という存在は人類にとって神格化されるほど大きな存在だった。
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アイリア学園の制服は白を基調としたものだ。襟から裾までひかれた金の刺繍が"聖剣氣を持つ者"としての高貴さを、貴族とはまた違った表現で周りにわからせる。
ミア・ブロンズもまた、今年からこの制服に腕を通したアイリア学園の新入生である。
数日前に入った寮から外に出れば、敷地の外の街が朝っぱらから賑わっているのが聞こえてくるうえに、風に乗った紙吹雪の一枚が視界内に入ってくるのを見て、彼女は腰まである長い亜麻色の髪を風に泳がせながら、14歳の見た目に似合わない仕草で呟いた。「ああ本当に──」
「本当に、騒がしいこと」
天気は快晴。彼女の瞳のような灰色の雲は空にひとつも見受けられなかった。
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「ふわ……」
寝坊癖のある自分にとって、朝である二の刻に開始される入学式に出席せよというのは無理難題に他ならない。と、ミアは自己の正当性を強引に心の中で主張しながら街中を歩いていた。
仕方がないのだ。早起きの練習だってした。それでもだめだった。
ならばもう自分の力ではどうにもならないことなのだ。全力は出した。
彼女の心の中の言い訳はこうだった。
入学式が行われるのは学園の敷地内ではない。王城にある勇者聖堂という建物だ。
よって出席のためには寮からそれなりに離れた王城まで行かなければならない。
貴族や金持ちなら馬車を拾って優雅に登城できるのだろうが、ミアにとって移動のためにポンと出せるほど金は軽くない。
「まぁ、見て。アイリア学園の生徒よ」
「見たことない顔ね。今年からかしら」
「え? でも二の刻はもう過ぎてるわよね」
ミアはただ街中を歩くだけで、周りからの注目を集めた。
勇者の証、聖剣氣をその身に宿すアイリア生徒は王国の、引いては人類すべての希望の象徴だ。
それに加えて、ミアの容姿は見目麗しい美少女である。その長髪を風に預けながら迷いのない歩みを進める彼女に目を奪われない者はいなかった。
これが入学式に現在進行形で大遅刻しているとは露ほども思わずに。
「(……迷った)」
元々別の場所の出身だったミアは王都の地理に明るくない。
なにせ王都には数回訪れただけで、入学が決定してからはロクにゆっくりすることも無く、寮に入るだけだったのだから。
王都は広い。建物も2階建て以上のものばかりなので、見渡してもあるのは壁、壁、たまに扉、窓、壁──
各所に置かれている王都内の案内マップも複雑で、おのぼりさんにはとても役に立たない。
「さぁさぁ買っていってくれぇ! 毎年これを食わなきゃ始まんねぇぞ!」
ふと、露店のひとつにミアの目が留まった。
街はお祭りの真っ最中だ。屋台はそこかしこにあるが、店主の親父が言う言葉が気になった。
なにやら甘い匂いが鼻に辿り着いてくる。
「これは?」
「おう嬢ちゃん! ってアンタ学園の生徒かい? 見たことない顔だが……」
「私は新入生だから」
「え……新入生って、いま入学式の真っ最中だろ? ははーん、コスプレだな?」
「えっ」
「新入生が神聖な入学式をすっぽかすわけがねぇからな。よく出来てるなその服!」
「え、ええと……」
勇者とは人類の英雄であり、人々の憧れ対象No.1である。
↓
勇者と同じだという誇りを持って聖剣氣持ちは入学してくる。
↓
まさかそんな人間が学校行事をすっぽかすわけねぇよなぁ!?
という理屈は勇者を崇める人類にとって当たり前のことであり、まさかその考えに反する者はいないだろう。
屋台の親父もそういう考えであった。
「(まぁ私すっぽかしてるんだけど)それよりこれは何? お菓子?」
「嬢ちゃんストリアを知らねぇのかい?」
「馬鹿にしないで。ストリアくらい知ってるわ。あの廃油みたいな味のゴミ料理でしょ?」
「ガッハッハ! 嬢ちゃんいつの時代の人間だよ! 歴史ネタとか人を選ぶぜ?」
「は?」
「とにかく買うのか買わねぇのか? ウチのストリア」
ミアは「えっ……?」と呟いて屋台に並んでいるお菓子を見た。
細い揚げドーナツのようなものにカラフルな溶かし砂糖がかかり、細かく砕いた塊砂糖がかかった菓子。
まさかこれがあのストリアだとでも言うのか、という顔になる。
「……1つ頂戴」
「あいよ! 400ダラウな!」
少しして、ミアの手にはピンク色のストリアが。
「……(本当にあのストリアなの? これが)」
意を決して食べてみる。
すると、眉をひそめていたミアの顔はどんどんと綻んだ。
「甘い……美味しい!」
「ガッハッハ! だろ?」
「なにこれ!? なにこれ!」
ミアの中のストリアといえば、古い油で揚げたギットギトのパンのイメージが強い。
事実ミアはそれを食べたことがあるし、二度と口にしないと決めてもいる。
が、このストリアはなんだ。
油臭さなど微塵も無いし、砂糖の甘さが暴力的なまでに味覚を刺激する。
「これ、あと2つ……いや3つ頂戴!」
「おう! 1200ダラウだ!」
チャリチャリと硬貨を親父に渡し、ミアは様々な色のストリアが入った紙袋を受け取った。
「それより嬢ちゃん、気をつけろよ? 近頃アイリア学園の生徒を狙った通り魔が増えてるそうだからな。コスプレで間違えて狙われたら笑えねぇぞ」
せっかくのお祭りに似つかわしくない不穏なことを言う親父に気のない返事をして、ミアは再び歩き出した。
といっても目的地は無いに等しい。
今ミアの中にあるのは、「入学式に行くかいっそバックレるか」と「ストリア美味しい」のふたつだけだ。
「あのゴミがこんなに美味しくなるなんて……! 1000年って分からないものね」
「お、おいあの子!」
「ちょっと!」
そしてミアは気付かない。
自分が歩道ではなく、馬車がせわしなく通る車道を歩いていることを。
自分に猛スピードで馬車が迫っていることを。
「あ──」
ポカンとミアが迫る馬を見る。
「危ない!」
同時に、歩道から車道に飛び込む影も見えた。
「きゃっ!?」
「く……っ!」
ミアは何者かに抱かれながら、ゴロゴロと転がり馬車に轢かれることを回避したのだった。
「っつーーーー……! 大丈夫!?」
「あ……ストリア!」
「心配そこ!?」
ミアは車道に落としてしまった紙袋を探し、そして絶望した。
買ったストリアは手に持って食べていた分も含め、走り去った馬車の車輪に轢かれグチャグチャに地面と同化してしまったのだから。
「私のストリアがぁぁ……!」
「ちょっと、それどころじゃないでしょ!」
ミアがキッと恨めしそうに助けてくれた恩人を見れば、向こうもまた睨み返して──こない。ただただ心配そうな表情を浮かべる少女がそこにいるだけだ。
「っ……綺麗……」
「ありがとう。あなたも可愛いわよ」
ハッキリとミアを直視したからか、彼女は見惚れ少し固まった。
短めに切られ活発な印象を与える赤い髪、ミアより少し年上に見える15~6ほどの少女。
何より目を引くのは、ミアと同じ白い制服を着ているという点だろうか。
「か、かわいいって……!」
「あら、言われ慣れていないの? 周りは節穴かしら」
「うう……それ、私と同じ制服だよね? 先輩?」
「同じ学園の生徒なのね。コスプレじゃなくて」
「コスプレ!? 違うよ!」
ということは、彼女もまたアイリア学園の生徒ということだ。
「助けてくれたことにはお礼を言うわ。まぁ必要なかったけど」
「いや嘘だよね? 思い切り轢かれかけてたし気付いたのもギリギリだったよね?」
「よろしければ名前を伺っても?」
「そっかー都合の悪いことは聞こえない人かー」
少女はため息をひとつつくと、気を取り直したように自己紹介を始めた。
「私はクレア・プレトリア。今年からアイリア学園に入学した1年生。よろしくね先輩」
「えっ先輩?」
「えっ?」
ミアの常人を卓越した頭脳が高速回転を始める。
クレアという少女が1年生なら、自分と同じく入学式に出ていなければいけないはずだ。
屋台の親父曰く、入学式をすっぽかすアホはいないという。
なるほどなるほど。
「コホン、新入生なら今頃入学式をやっているハズでしょう? こんなところで何を?」
「うぐっ……それは」
「まったく、やっぱりコスプレなのね。よく出来てるわよ」
「いやいやいやコスプレじゃないから! ほらこれ学生証!」
「よく出来てるわよ」
「信じてないよね!?」
クレアが見せてきた学生証は、ミアの持つ物と同じだった。
手のひらサイズの革に貼られた金のプレートには校章と共に生徒の名前も管理番号もしっかり彫られている。
「わ、私はただ……大寝坊して道に迷ってるだけで……」
「ああ、そうなの」
なんだ自分と同じではないかとミアは息をついた。
入学式の日に大失態を犯したのが自分だけではないというのは、存外安心するものだ。
「とにかく、コスプレじゃないからね!」
「それはそれで問題じゃない? 天下のアイリア学園の新入生ともあろう者が、入学式に出ないだなんて。聖剣氣を持つ者としての自覚が足りないと見えるわね」
「ぐぐぐ……! ね、ねぇ、今からでも逆転できない? 先輩の力とかで」
「残念ながらそんな都合のいい展開は無いし、なにより私は先輩じゃないから無理ね」
「へ? センパイジャナイ?」
「私も1年生ですもの」
「…………はぁぁぁーーーー!?」
自信満々に言い放つミアに、クレアは一瞬何を言われたのか分からなかった。
いま自覚が足りないと言ったその口で、堂々と入学式に出ず、馬車にも気付かないほど夢中でお菓子を食べながら往来を歩いていたのだと告げられたようなものなのだから。
「あなたも同じなの!?」
「ええ。入学式が始まる時間に寮を出て、遅刻してでも行くか諦めようか考えていたあなたの同類」
「私は諦めようだなんて思ってないからね!? ただ人に道を聞いても全然わからなかっただけで」
(片方が)ギャーギャーとうるさくしていたせいか、交通事故が起こりかけたことに心配していた通行人も離れ始めた。
会話の内容はバッチリ聞かれていたので、今日から「アイリア学園の入学式に出なかった奴が2人いるらしい」と噂されることは間違いないだろうが。
「ていうか、あなたの名前まだ聞いてないんだけど」
「ああ、そうだったわね。失礼。私はミア・ブロンズ。よろしくね、同輩さん」
「ミア……ミアね。うん。よろしく!」
「それじゃあバックレましょうか。入学式」
「えっ」
時間の数え方
零の刻→6時、一の刻→8時、二の刻→10時、三の刻→正午、四の刻→14時、五の刻→16時、六の刻→18時、七の刻→20時、八の刻→22時、九の刻→0時(一日の終わり)
の2時間刻み
0時~6時の間は一日の変わり目として数えられていません。鐘も鳴りません