五十 エカスドレル攻略戦──ソレデモ
西側の別動隊──ハイマからの連絡が無いまま、東側にのみ置かれた【転移】の陣で作戦通りエルマー長城を挟むように包囲する軍が移動。
エレーナが応急処置のような【魅了】のかけ直しを受け戦線に戻ってからひと月後、魔族に手を焼かせた長城はついに陥落した。
外部からの補給と退路を断たれ孤立した城はいかに堅牢といえど長く息をしていられない。人間同士の戦争なら降伏も選択肢に入るところだ。
しかしこの戦いは両者ともに相手が死ぬまでやめられない。
「ここが死に場所と心得よ!命を捨てて奴らを殺せ! 腕が千切れようと足を失おうと腹を裂かれようと首を飛ばされようと屈することだけはないと知れ!!」
ゼンペンクをはじめ将兵らは徹底抗戦。
命令に忠実に、国に忠実に、時間稼ぎに徹することこそが忠を尽くすこと。
死を受け入れながら戦う者たちは強かった。
およそ半数の兵を逃がし、迎撃の要である魔法使いの数も少なくなった。それでもひと月を耐え抜いたのだ。
だが結果は予想から覆らない。
魔族は南北から攻めたて、山脈の上に横たわる長大な蛇のような城を日に日に疲弊させていった。
そして城門のいくつかが限界を迎え、サイクロプスやミノタウロスといった屈強な大型魔族らが破壊。人間と同サイズの魔族たちが城内になだれ込んだ。
『沈黙の騎士レーデン』に戻ったエレーナも、東端の関の戦いで突然消えた失態を取り返すように多くの人間を殺した。
東端の関と同じようにクリャガーダーの背に乗って飛び、城壁に飛び降りて魔法使いたちを惨殺。屋上から城内に入り、閉所でも容赦のない魔法剣が人体の輪切りを作り上げる。
それを見た腕に覚えのある魔族たちが同じように飛行魔族の手を借りて城壁の上から侵入。北から南から、上から下から侵された長城の運命は決まったのである。
総大将ゼンペンクは手勢と共に城内でもひときわ広い講堂に立て籠もり最後まで奮戦。
彼ひとりだけで百を超える魔族兵を殺したが、最後は数に押し潰され散った。
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手こずりながらも作戦通りに長城を落とせた魔族が勝鬨をあげた数日後、音信不通だった西側の別動隊の行方が分かった。
それは魔族たちに衝撃を与えると共に、このエカスドレル攻略を幸先のいいスタートだと言えなくする。
知らせたのは西側の生き残り……数少ない敗残兵。彼らが這う這うの体でエルマー長城へとたどり着いたにより、騎士ザガノースとハイマの戦死が知れ渡った。
ザガノースは真っ二つに斬られ死亡。戦が終わった後は首を切られて持ち帰られたらしい。
彼の死によって綻んだ魔族軍はそのまま敵に押し切られ、数の差と種族としての差を覆された。ハイマはその中で死んだという。
事の次第を聞けば誰もが驚き悲しんだ。しかし浸る暇はない。今は帝国攻略に専念しなければならない。事実を受け入れるしかない。
ザガノースやハイマの死は、一段落ついたら魔族大陸のブゾンノ火山で弔うことに。
今は彼らの抜けた穴をどうやって埋めるかを考えなければならない。
『魔王の騎士』は魔族の武者にとって何よりの憧れ、魔王に次いで頂点に立つ存在だ。絶対的な力を持つ彼らはひとりひとりが無敵……そのはずだった。
誰かひとりでも死ねば衝撃は計り知れないし、戦略レベルで影響が出てくるのだ。
そしてハイマ……2人しかいなかったモーメントルーラーの片割れが欠けることは軍全体のスタミナに関わる。
兵站はモーメントルーラー2人に頼りきりだったのだ。
魔族大陸から物資を持ってきて各軍に配ることのできる【転移】は物資の輸送という手間と時間のかかるものを省略し、大規模かつ速やかに軍を多方面に展開することができていたのだ。
ハイマとロウマは常に忙しく、日常的に魔力切れギリギリまで働いていた。
それが1人になればどうなるか、想像に難くない。
同時に行える軍事行動は大幅に縮小させるしかなくなる。
なにより兄の訃報を聞いたロウマが倒れて寝込んでしまった。今は臨時でエレーナが最低限の物資を魔族大陸から移している状態だ。
このままでは敵の防備が整う前に即展開とはいかない。ロウマをなんとかするか、それとも兵站を抜本的に見直すか……選ばなければならない。
そして生き残りの話から、軍の間には『騎士殺しの黒髪長髪の人間』の恐ろしさが浸透し始める。
ザガノースを殺し、棒を振るだけで遠くにいた軍がまとめて斬られ、さらにハイマを殺したのもそいつだという。魔族たちは憎しみを抱くより先に恐怖を覚える。
イムグ自ら長城にやって来て慰労と激励のために演説して士気の低下は抑えられているものの、これまでのように完全なる蹂躙と勝利は不確定。
これからのエカスドレル攻略、そこには常につきまとう。相手に騎士を殺した人間がいるかもしれない、その男以外にも自分たちを瞬殺できてしまう手段を持っている者がいるかもしれないという不安が。
人間は弱い。しかし一方的にもならない。
自分たちがやっているのは『魔王の騎士』でさえ戦死するような戦争なのだ。
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対してエカスドレル側は持ち帰った巨人の首を掲げ、『魔王の騎士』を討ったことを大々的に広めた。
魔族は倒せる、魔族は殺せる。
南の国々は滅ぼされてしまったが、この国は黙ってやられるわけがない。
希望はある。勝つことができる。
これからの戦いに向け、将兵らの士気は高まった。
エルマー長城を落とされたことも知れ渡ったが、人々は悲報よりも朗報に目を向けた。誰もが信じたいのだ、魔族たちを追い払えると。無敵の大帝国は今度も勝利すると。
帝国南部の要衝、フリク公爵領。
そこが今後の防衛線の要である。
撤退してきた軍や傭兵たちは一旦ここに集められた。
大半が無念の敗走……しかし凱旋のように帰ってきたのがザガノースを討ち取った軍だ。
その中でもエイトは英雄として持て囃され、傭兵をあまり信用していない帝国の印象も変えていく。今後はもっと広く傭兵を集め、戦力の増強を図るだろう。
領都の広場に飾られたザガノースの巨大な首級は長くとっておくために【氷結】で保存されている。
通る誰もがその禍々しさを恐れ、そんな相手を倒せるという希望を抱く。
アイリアとシェリアはその首を複雑そうな顔で見上げていた。
長城東端の関から撤退する軍に紛れてここまで逃げてきた2人は流されるままに『朝日の槍』と行動を共にし、今は戦と長旅の疲れを癒す期間。
団長をはじめ大半の仲間を失った『朝日の槍』はジックスを新たな団長とし、これからも傭兵業を続けていくそうだ。仲間内でも仇を討つべきか北に逃げるべきか意見が割れたらしいが、結果としてここにいるということは前者に傾いたのだろう。どうしても逃げたい者は抜けたそうだ。
この街でエイトと再会できたのは幸運だ。無事ここまで生きられたという意味で。
約束通りお互い生きてた祝いに酒でも飲み交わそう……となったのだが、2人の胸中はそれどころではない。
ここに来るまでも、着いてからもあの銀の君は頭を蝕み続けている。
どこに行ってもその武勇伝が聞こえてくるエイトに形だけの賞賛を伝えると、彼はそういうのに慣れているような態度を見せた。
「お前らもよく生きて帰ってこれたな。東にも『魔王の騎士』が出たって聞いたぞ。」
「『魔王の騎士』……?」
「知らないのか? 魔族の中でも特にヤバい、親玉みたいな連中のことだ。そっちに出たのは一見人間に見える少女型の奴らしいな」
人間に見える魔族、少女に見える魔族。思い当たるのはひとりしかいない。2人は慌てて訊き返す。
『魔王の騎士』の情報は帝国が集めたものを将兵や傭兵にも共有していたが、詳しい個体のものまでは伝わっていないこともある。
あらかじめドラクスから聞いていたエイトは何も知らないアイリアたちにそれぞれの特徴を説明し、2人はさらに言葉を失う。
「ありえないわ! 『魔王の騎士』なんて魔族の頂点みたいな奴らの中に……あの子が? ありえない……何かの間違いよ。あの子は人間なのよ!」
「俺に言われてもな……人違いじゃなくてか?」
人違いだと信じたい。
しかし頭ではどうしても信じたくない事実を認識してしまう。
強力な魔法を連発し、近づけば手に黒い刃を出して、外見は無害そうな銀髪赤目の少女……何もかもが一致してしまえば反論もなくなる。
その正体が今は亡き『掟の国』に住むただの人間だった、というのは逆にエイトの方が驚く。
「まぁ理由だの経緯だのは置いといて、事実としてそのエレーナってのが魔族の将になってるのは確かだ。それがお前らの幼馴染とはまぁ……俺からは何も言えん話だが」
せっかく奢ってくれた酒の味も分からない。アイリアとシェリアはまったく酔えずに俯く。
「あー……まぁなんだ、辛いなら逃げるのも手じゃないか? この戦争ははっきり言って勝てるかどうか怪しいところだし、この国に尽くす義務も義理もない。2人だけなら北に――」
「そんなことは! でき……ません…………」
「そうよ…………あの子が、生きてたのに……」
「だったらどうする? また会ったら殺すか殺されるしかないぞ」
現状は先輩傭兵の言ったことがすべてだ。
滅んだ故国の生き残り、会えて嬉しくなかったわけがない。
しかし敵だ。エイトの言った通り理由も何もかもを差し置いて、事実エレーナは魔族として人々を殺している。2人の目の前でさえもやってみせた。
また会ったら? どうすればいい……アイリアは奥歯を噛む。
「暗い話は酒を不味くするだけだ。切り替えて飲もうぜ!」
気を遣ってくれたのだろう。エイトはわざとらしくアイリアの肩を抱き、自分の杯を強引に青年の口へと持っていった。
そのことにシェリアが「ちょっと!」と言おうとした時である。酒場の入り口から女の声がしてきたのは。
「エイト・レイカー!」
金髪に緑の目。貴族社会に生きていたシェリアには彼女が高貴な身分だと理解する。
「はぁ!? なんでお前ここにいるんだよ!? 馬鹿か!?」
「誰が馬鹿よ! あの長旅を乗り越えられたのよ、帝都からこっちに来るくらい私にもできるわ」
「そうじゃねぇ! なんで北に行くお前が真逆に来てんだって訊いてんだ!」
「私を置いていこうったってそうはいかないわよ、私は──あら?」
闖入者の出現にさっきまでの湿っぽい雰囲気が少し紛れ、見た以上に筋肉質な腕から解放されたアイリアが「そちらの方は?」と訊けるくらいには空気が変わる。
「こ、こちらの方はー……なんつーかな……」
「なに疚しそうな言い方をしてるのよ。コホン、私はシスレス、まぁこの男に用がある人間よ」
ついでのような挨拶にも高貴な振る舞いが板についている。
釣られて2人もかつて習った所作をし、「あら?」とシスレスの関心をひく。
ここでの出会いが戦時中、そして戦後まで続く彼女と2人の関係の出発点になることはまだ誰も知らない。
「用は済んだはずだろ。広場行ってこい、仇は討った」
「っ……その事よ! えっと……その」
「…………あー、どこかの騒がしいお方のせいで注目されちまってるな。悪いな2人とも、深い話はまた次におあずけだ」
「あ、はい。ご馳走様でした」
「どうも。行きましょアイリア」
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2人が去り、勘定を払ったエイトは元王女の手を引いて薄暗い日暮れの大通りを歩く。
エイトは今や英雄だ。酒場の中でもここでも、「英雄が美女を連れてお楽しみか?」という視線と言葉を嫌というほど浴びせられた。
「なんなのよ……居心地悪すぎるわ」
「お前さんの容姿が目立つんだよ」
「あなたの髪と服のせいよ。ってどこに向かっているの?」
「英雄様だからな、ここに滞在してる時にゃ空いてる屋敷を使っていいって使用人まで用意してもらってんだ」
「当然の待遇ね。それで英雄様は帰ってきて早々女を連れ込むわけ」
「外じゃ落ち着けないだろ。あと元とはいえ王女様に手を出す気はないから安心しろ。旅の時もそうだったろ」
「それはそれで逆に頭にくる話だわ!」
空き家だったと思えないほど手入れされた屋敷には空室もあり、「どうせ宿のことなんて考えてないだろ」と客間をそのままシスレスの滞在に使うことに。
供も雇わずたったひとりで帝都から来たのだ。シスレスは自分の思っているよりも疲れ果てていて、湯浴みの後すぐにベッドで意識を失い、礼を言うのは翌日となった。
「広場の首を見たわ。あれは間違いなく……私の国を滅ぼした奴だった」
「ああ。恩着せがましいことは言いたくないが……気は晴れたか?」
「…………」
「仇は討った。『風の国』だけじゃない、奴に殺され滅ぼされた数多くの無念は晴らした」
「でも、それで手打ちになるわけない」
「そうだな、『魔王の騎士』1匹を殺ったところで戦争は終わらない。魔族は攻めてくるし、大陸のすべてが胡坐をかけない」
「なら……私の気も晴れるわけないってことくらい、分かってるでしょう」
声の中に芯を感じたエイトは前のように王女様を頭ごなしに否定することはしなかった。
「私は剣を持って戦えない、王族だけど魔法使いの血筋でもない、父や兄のように兵を率いることもできない……国が滅ぶ数日前まではたかだか望まない結婚なんかで頭を抱えてた怠惰な王女よ…………それでも、できることがしたいの、見つけたいの……! 直接戦えなくても、何かで……お願いエイト、私が私の戦いをする手伝いをして!」
この英雄はこれからいくつもの戦場に引っ張りだこになり、その度に魔族を大量に殺し、終わればまた別の戦いに行く。
小娘に付きまとわれる暇などない。
両者ともにそれを理解している。
シスレスは理解した上で、故国から逃げる時……出会った時と同じようにまっすぐ男を見る。
エイトは「知るか」とも「もう依頼は終わってる」とも言わない。懇願を正面から受け止め、頬を掻いた。
「ハァ……なら俺から頼みたいことがある。お前さんの戦いにはならねぇが、もしかしたらこれから役に立つかもしれねぇ」
「それが床掃除だろうと頷いてみせるわ」
「はは……床掃除じゃねぇけど、雑用じみてるぞ」
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傭兵にあてがわれた領都の外の天幕、2人はその中のひとつで寝泊まりしている。
数は減ったが他にも傭兵は山ほどいる。男女だからと限りある天幕を分けられるなんてことはなかった。
エイトと別れ戻ってきた2人の空気はやはり重い。エルマー長城からずっと引きずっているものは簡単には取り除けない。
そして2人きりでなければ話せないこともある。
例えば……あの時のエレーナのこと。
どうしてエレーナが執拗にシェリアを狙ったのか、その心当たりがシェリアにはあったから。
子供の頃の話とはいえ自分から話したい話題ではない。それでもエレーナへの「何故」を2人で突き止めるために明かすしかない。
『教の国』に留学する直前、シェリアにとってエレーナは邪魔だった。田舎町で拾った友達は己の恋路に土足で踏み込んで、あまつさえ横取りしようとした。
だから遠ざけて、冷たくして……使用人の魔の手から助けたことは話さず、魔法の練習のための的にした。
子供のやること。動機も内容も単純……故に度が過ぎたことは今になれば本人にも理解できる。
だから恨んでいるのだろう。幼い頃に下手をすれば死んでしまうような所業をして、彼女が好いていたアイリアを強引に奪ったのだから。
「そんなことを……」
それを聞いたアイリアは怒るよりも長年の疑問が晴れた納得が先にきた。『教の国』の学府でアイリアに言い寄ってきた女子たちをもれなくキツく詰めていたのはまだ記憶に新しいのだ。
怒りの感情を抱いていないわけではない。もしここが『掟の国』で、何も起こらない平和な中だったなら強い言葉で責めていただろう。
でも今はそれどころではない。過去のことに構っていられる余裕はない。
故郷が滅び家族を失った悲しみを共にする相手だ。追い詰めたくない。
「でも、それだけなのかな……」
「私も……思う……」
恨みはあっただろう。間違いなく。
しかしその恨みは手を血に染めてまで、魔族の一員となり人類に牙をむくまでに深いものだったのだろうか。シェリアのやったことを考えても何かが足りないと感じるのはアイリアも同じ。
もっと何か、別のことがあるのではないか──それとなくシェリアに訊いてみても、特に何も見つからなかった「分からない」と首を振る彼女は嘘を吐いていない。
「会って話せれば……」
「また私を殺そうとするのかしら」
「その時は僕が盾になるよ」
「アイリア……」
「知らなきゃならない。彼女が……あのエレーナがどうしてああなっているのか」
アイリアは逃げないことを決めた。
傭兵としてこの戦いに身を投じ続けると決めた。
それしか彼女に会う方法はないから。
人類と魔族だとか、立場の違いとか、そういうのは二の次だと決めた。
とにかく会いたかった。
「進んで危険に飛び込むことになる。君は――」
「私に逃げろなんて言わないわよね? 私だって……あの子に訊きたいことは山ほどあるのよ」
その半月後、魔族軍がエルマー長城から侵攻を始めたという知らせが領都に届けられた。




