15 学園のエレーナ・レーデン 6
ミア・ブロンズがアイリア学園に入学してから1ヶ月。
30人ほどいるクラスの人間の顔と名前を覚えるのにはじゅうぶんな時間があった。
不本意ながら毎日のように声をかけてくる男子生徒の名前も。
ミアはモテる。しかし望むモテ方をした試しがない。
戦場でのアプローチは剣か魔法。人間は彼女の顔を見れば逃げるか立ち向かうか死ぬ以外なかった。
魔族からはというと、陰ながらファンがいた可能性は否めないが、『魔王の騎士』という立場の者に声をかける怖いもの知らずはいなかった。
故に『モテて仕方ない』という状況への対処法がわからなかった。
誰かの申し出を受けるのも嫌だったし、ウザいからとボコボコにしてしまうのは目立つとかそういうレベルではなくなってしまう。
その結果、面倒なので無視。それがミアの対処だった。それがよくなかった。
歯牙にも掛けない態度を貫くミアだが、いつかワンチャン……という賭けか、それとも声をかけてはフられるという一連の流れを気に入っているのか。彼らの情熱は止まることを知らない。
ミアの美貌はそこにいるだけでも目を奪われるために、本人が目立たないよう意識しても、やはり誰かに見つかってしまう。
例えば昼、ミアが食堂に行こうとすれば確実に数人がついてくる。断っても近くの席に座られ、見られながらの食事となる。
食事時には料理以外の意識を遮断するように堪能する彼女は、見てくること自体には注意しないようだ。
例えば午後、実技の時間。主に聖剣氣を扱う訓練をする時間。
大半の生徒が自分の聖剣氣を認識するのも難しい中、ミアは魔力を操る要領で最初のステップをクリアしていた。
そのために、教えを請う名目でミアに声をかける者が多発した。
それを無視するのは流石に悪いので、彼女なりの言葉で教えるが、どうにもうまくいかないらしい。
扱えるようになれば一瞬で数段強くなれる聖剣氣だが、コツを掴むのが難しい。それは魔力訓練にも似ているとミアは思った。
そんなこんなで、ミアはクラス内の高嶺の花という地位を自分から動くことなく確立してしまった。
10代前半から20代前半という男たちが美しい異性に心を踊らされるのは当然のことだった。
誰も別に遊びや思い出作りのためにこの学園に通っているわけではない。しかし色恋に積極的な年ごろなのだ。仕方のないことなのだ。
噂は噂を呼び、果ては他クラスや上の学年の自称色男たちからも声をかけられる始末。
よく行動を共にするクレアにも「ミア・ブロンズって何が好きかな?」と数人が向かい――
「ストリアが好きかな。なんでか部屋に常備があるし」
女の子は甘いものが好き。万国共通の言葉に男たちは膝を打ち、ラブレターならぬラブストリアをミアに贈る者まで現れた。
ミアからすれば無条件でストリアを貰うという降って湧いたぼたもち。とりあえず受け取っては食べた。
おかげで「ミア・ブロンズにはストリアが有効」という噂がまた広まり、顔を覚えてほしい男子はミアにストリアを贈る。
困惑しながらも受け取るミア。さらに貢ぐ男たち。
そんな日々が数日続き、ピタッと止んだ。
ある日を境に、ミアはストリア断固拒否し始めたのだ。
男たちはどうしたことかと悩んだが、毎朝ミアを起こしに行くクレアは、真実を知っている。
ミアは朝が苦手だ。目を離すとすぐ遅刻する。
何度も彼女から「お人好し」と言われ、世話焼きの自覚のあるクレアはどうしてもミアが放っておけない。クレア自身、下に何人も弟や妹がいる猟師の家の出身だ。手のかかる妹にはつい世話を焼いてしまう姉の部分が働いていた。
ある日、いつものようにミアに制服を着せようとしたときに、服がキツいことに気付いたのだ。
最初は成長期なのかと思ったが、違った。試しに腹をつまんでみれば、ぷにっと、むにっとしていた。
クレアはその時のミアの顔を忘れられない。
あのすべての感情が一瞬にして消えたような表情を。
そして入学から2ヶ月。
既に出来上がったクラス内構造。それを面白がらない者も当然いた。
パルラス・インフィーフィヴ。1年第1クラスにいる、豪商の娘もそのひとり。
「あら、リーパー。誰を見ているの?」
「パルラス。ほらあれ。ミア・ブロンズさん。またオーシー先生から社会奉仕を言い渡されてるみたいだよ。この前終わったばかりなのに、遅刻常習犯だからって」
「ああ、あの……」
「彼女面白いよね」
同じクラスのリーパー・レイルシアに惚れている彼女は、リーパーがなにかと気にするミアを目の敵にしていった。
パルラスは第3クラスにもミアが気にくわない生徒がいると考え、探りを入れた。案の定、面白く思っていない女子が何人も釣れた。
密かにミアの影口を言う会が開かれるのは、自然な成り行きだった。
「あの女、調子に乗っていると思わない?」
「ちょっと顔がいいからって」
「アイツのせいで男子みんな鼻の下伸ばして」
「私なんか狙ってるカレがアイツにゾッコンなせいでチョー振り向いてもらえないんだけど!」
少し話を振っただけで堰を切ったように出てくる不満。
これは使える、とパルラスでなくても思っただろう。
「アイツに少し教えてあげない? 調子に乗るとどうなるかって」
聖剣氣を持つ者を育てるための機関であるアイリア学園も、結局は年若い少年少女の通う学園である。
学園あるあるというのは、ここでも例外ではなかった。
□□□□□
「おーミア。また遅刻か。クレアはどうしたんだよ?」
「別に毎日クレアに起こしてもらってるわけじゃないわ。あの子にも私以外の付き合いはあるだろうし」
「ほぼ毎日だろ」
朝、誰もいない食堂で2人が食事をしている。
ミアと、同じく朝に弱いという2年生のスーヤ・ルーニャだ。
数日に一度の時間がある日、スーヤとは共に朝食をとる仲になっている。
クレアは別の友人の朝の自主訓練に付き合うとかで不在。
彼女は誰に対しても人当たりがいいため、ミアと違って友人が多い。クラス内や、クラス外の人間もちらほら彼女と交友を持っているようだった。
クレアが起こしてくれる日には遅刻をしないようになってきたミアでも、彼女がいなければ余裕で遅刻する。この前なんか罰としてオキにもう1ヶ月の社会奉仕(ゴミ拾い)追加を命じられてしまった。
「そういえば……」
「ん、なんだ?」
「昨日の夜、寮に戻ったら私の部屋が荒らされていたわ」
「なんだなんだ、変態の仕業か?」
「物は盗られてなかったから、違うと思う。あと最近ノートが無くなるし、私の方に手が滑って剣が飛んでくることが増えたわね。みんなドジみたい」
スーヤは「あー」と声を出した。なんとなく彼女がそんな仕打ちを受ける理由に心当たりがある。
ミアはちょっとした有名人だ。彼女に言い寄る男子が多いのも知っているし、それをよく思っていない者がいるのも当然だと至る。
「オマエいじめられてんじゃね?」
「いじめ?」
「ほら、オマエ人気あるし。男子にチヤホヤされるのが気にくわないって奴もいるだろ」
「もしかして、たまに敵意の籠った目で見てくる生徒がいるのだけれど、それ?」
「それだ」
圧倒的強者として猛威を振るったエレーナ・レーデンは、そういったものと無縁の存在であった。
しかし、いじめそのものに関してはまったくの無知というわけでもない。
「ふふっ、なるほどね。かわいいじゃない」
「すげぇ太いな」
「は? 今なんて? 私が太ったって? は?」
「いや神経の話だ。なんだ急に」
「ああそっち……」
「いじめられてるのにケロッとしてるなって意味で言ったんだよ」
「だって磔にしてありったけの魔法を撃ち込んでくるわけじゃないし」
「それはいじめじゃねぇ」
ミアは幼い頃のことを思い出していた。
『魔王の騎士』になるよりもずっと前、自分が人間だと思っていた頃のことを。
「昔も同じようなことをされたことがあるわ。すごく小さい頃」
「ほー」
「1人の男の子がいてね。私と、別の子が、その男の子のことを好きだったの」
「うおっなんだ話すげー曲がるじゃん。馬車なら横転してるぞ」
「あのバカ女、私が男の子のことを好きだって分かると、あの手この手でいじめてきてね。よく泣かされていたわ」
「今でも恨みがあるのは分かった」
「ええ。恨んでるわよそりゃ。まぁ、もう恨みもぶつけられないんだけど」
ミアが遠くを見る。
ああ、とスーヤは何かを察した。
「はーっあの性格ドブカス女、ホントむかついたわ。もう死んでるけどこの手で殺したいから生き返ってくれないかしら」
「あたしが察した意味なかったな。全部言うじゃん」
ミアがここまで怒りの感情を露わにするのは珍しい。
学年が違う以上、話せる機会はこの朝食の時間だけというスーヤでさえもそう思うほどだ。
「もう昔話はいいだろ。オマエは今いじめられてんだぞ」
「ああそうだったわ。どうしましょう。これ以上目立つのは避けたいのよ」
それは無理だろう。と口にしかけたスーヤは沈黙を尊んだ。
スーヤもスーヤで、積極的に人付き合いはしない方だ。こういう場合の助言や励ましは得意ではない。
「大変だなー」
結果、とりあえずの共感を選んだ。
「大変でもないわ。ベッドとか予備の制服がズタズタにされただけだし、ノートはまた買えばいいし飛んでくる物は避けられるし」
「大変じゃねーか」
「制服や家具は言えば支給されるでしょ。しばらくクレアの部屋で寝ることにするわ」
「クレアはこのこと知ってんのか?」
「いいえ。部屋荒らしは昨日の夜のことだし」
「昨日どうやって寝たんだ」
「ベッドで」
「ズタズタの?」
「ええ」
こういう話はもっと悲しげに語るものだと思っていたが、ミアにはそういう気配はこれっぽっちもない。靴ひもが切れたくらいどうでもいい不幸のようなノリだ。
そんな雰囲気だから、スーヤも「もしかしてこれはどうでもいい話なのでは」と思いかけた。
そんな折に、食道の扉が勢いよく開かれる。
ミアとスーヤは同時に時間切れを悟った。
「ミアーーー!!」
ちょうどと言うべきか、クレアが迎えに来たのだ。
時間通りに教室に行ってもミアがいなかったので急いで迎えに来たのだろう。肩で息をしている。
ミアはというと、既に朝食は食べ終わっているので、あとは皿を下げるだけ。
「もう授業始まってるんだけど! いつまで食べてるの!」
「ごめんなさい。いま行くから」
「またな。まぁなんだ、オマエが気にしてないならいいんじゃねぇの」
「なんの話?」
「本人に聞け。オラとっとと行け」
2人を見送り、いまだ完食しきれていない皿の上の料理をゆっくり口に運ぶスーヤ。
彼女はミアの話を聞いたときのクレアの反応が簡単に想像できるな。と思うのだった。
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「なにそれ!? 大変じゃん!!」
昼食の時間、ミアは誰もいないトイレにクレアを呼び出した。
いつもなら真っ先に食堂に向かうため、ミアをストーキングする男子は見事に撒かれてしまっている。
そこで昨日起きたことや最近起こることを話してみたが、案の定、クレアはクレアらしい反応を返してきた。
「だから当分クレアの部屋に泊めてね」
「え、ああそれはいいけど……って、どうするの!?」
「どうするって、ああ……私がベッドで寝るから、クレアは床で寝て」
「そっちじゃなくて!」
「ああ……制服や家具の申請ね。用紙になんて書けばいいのかしら」
「そっちでもなくて!」
掴みかかる勢いのクレアに圧倒され、ミアも両手をあげて降参の意を示した。
「別に大したことじゃないでしょ」
「ダメだよ! 大したことだよ!」
「どうして?」
「友達がいじめられてるんだよ!?」
ストレートな物言いに、少し照れるミア。
とはいったものの、対処法をどうすべきか。
「まずいじめてきた相手と話し合おう!」
「誰と?」
「え、そりゃあ……誰だろ」
「いちいち突き止めるのも面倒じゃない? もっと根本的な解決策はないの? 生半可な力じゃ壊れないベッドとか」
「そっちは根本的じゃないよ! そもそも原因は多分ミアがモテまくってることじゃない?」
「好きでモテてるわけじゃないんだけど……見苦しいわね。嫉妬というものは」
「多分その態度も原因! 仮に犯人突き止めて話し合っても神経逆撫でしそうだもん」
「じゃあどうすればいいのよ」
クレアも一緒になってうーんと首を捻る。
そして浮かんだのは、根本的な解決策だった。
「もうさ、ミアが誰かとくっついちゃえばいいんじゃない?」
「えー……」
「特定の相手がいれば、声をかけてくる人もいなくなると思うんだけど」
「そうかしら……」
ミアは好きな相手に恋人がいてもガンガン行くタイプなため、なかなか共感できない。
それを口に出したらまたクレアが大声を出しそうなため噤んでおくが。
「あの第1クラスの、リーパー・レイルシアなんていいじゃん。ミア気に入られてるんでしょ?」
「嫌よ。嫌。アレは御免」
「えっ、なんで!? 勇者の弟だよ!?」
「え、そうなの?」
「えっ!?」
ミアにとって興味がなかったため知らなかったが、リーパー・レイルシアが現勇者リーザック・レイルシアの弟であることは誰もが知ることだ。
知らずとも、名字が同じなので気付くパターンがほとんど。クレアも例外ではない。
勇者の弟である優男は、ミアと同じように学園の有名人だ。男子がミアに焦がれるように、女子もまたリーパーに憧れる者は多い。
だがミアは現勇者に大した興味は無かった。彼女にとって重要なのは、人類が魔族に手を出そうとしてるかどうかだ。現勇者のことは、まずそっちが明らかになってからと放っておくことにしていたのだ。
「ミアって変なところで世間知らずすぎるよね」
「うるさい」
「現勇者の弟で、イケメンで、優しい! これ以上の条件ってない気がするけど」
「条件って……恋ってそういうものじゃないでしょ」
「えーっなにその恋知ってます感。恋したことあるの?」
「ふっ、そりゃあね。燃えるようなのくらいあるわよ」
「なにそれ聞きたい! ……って、今はその話じゃなかった。とにかく、相手がいるって周りに知られれば、いじめも男子の声かけもなくなるんじゃない? どっちも解決してお得だよ!」
果たしてそう上手くいくものかと思ったが、この手の話題に関してミアは素人を自覚している。
ここは自信満々に拳を作るクレアの言葉に従ってみることにした。
「そうね。じゃあそうしてみるわ」
「決まり! それじゃあ次に相手だね。レイルシアは無理だとして……同じクラスだとー……」
「ああそれはいいの」
「いいの?」
「ええ。クレアちょっと付き合って」
「え、いいけど何に?」
「決まりね」
そろそろ食堂に行かねば昼食を食べ損ねてしまう。
トイレを出るミアをクレアが追いかけるところに、他クラスの声かけ男子が遭遇した。
「やぁミアさん! 今日は俺と食事しないかい?」
「ごめんなさい。私お付き合いしてる人がいるからその誘いは受けられないわ」
「おお! やっとミアさんが答えて……え、お付き合い?」
「ね、クレア?」
「えっ?」
男子に見事に存在を無視されていたクレアだったが、ミアが隣に並んで立つことで、あっという間に状況を理解してしまう。
目の前の男子も理解したようで、目が点になっている。
「ミア、ちょっと待って」
「恋人のクレアよ」
「ミア!?」
「なん……だと……!?」
なんらかのダメージを受けたのか、二歩三歩後ずさりする男子。
ワナワナと震える全身は、ちょっと押せば簡単に倒れそうだ。
「それじゃあ行きましょうか。クレア」
「え、ちょ、あの」
見せつけるように手を繋ぎ、2人は食堂へと赴いた。
その間にも似たようなナンパがあり、同じ返しをすれば、午後の授業の頃には周知の事実の出来上がりだった。
「(まぁ、こんなことでナンパが減るなら御の字だけど、期待はしないでおきましょう)」
□□□□□
「ミア・ブロンズって女が好きだったんだな」
「道理で俺らに振り向かないわけだ……」
「いやお前は顔が悪い」
「なにっ」
「クッ、こうなったら私が男の良さを教えて差し上げなければ……!」
「それはダメだ。女同士の間に男が入るもんじゃねぇ。『愛の国』じゃそれを破ったら死刑なんだぞ。逆もまた然りだ」
「まぁ……俺はあの2人アリっちゃアリだな」
「実は俺も……」
「いいよね」
「いい」
クレアと交際しているという話が広まると、声をかけてくる男子の数は一気に減った。
0になったわけではないが、毎日何人もの人数が迫っていた頃に比べて、数日に1人レベルに減ったのは「ほとんど」と言っていいだろう。
それでも声をかけてくる者には、クレアとの付き合いを強調。お前に付け入る隙なんぞ無いぞと暗に伝えることで撃退することができた。
肝心のクレアはたまったものではない。
勝手に付き合っていることにされ、友人からは「ミア・ブロンズと付き合ってるんだって!?」と質問攻めにされる。
学園有数の高嶺の花を射止めた者として、クレアまでちょっとした有名人になってしまったのだ。
「だからってなんで私までー!」
「だってあなた、付き合ってくれるって」
「アレそういう意味だったの後になって気付いたよ!」
「安心して。別に本当に好き合わなくていいから。偽装偽装」
「なんだそういうことか。オマエらマジで付き合ってるのかと思ったぞ」
こうして恒例の朝の時間にも、スーヤにいじられる始末だ。
「まだベッドの替えが来ないのか?」
「ええ。だから毎日クレアの部屋に行くのを何人にも見られてしまって」
「わざとだよね!?」
ミアの自室の諸々は申請してあるものの、家具となると即日用意とはいかない。
クレアの部屋に夜な夜なミアが入り浸るのは、周りにはそう映るわけで――
「お、おい! あの2人、夜同じ部屋で寝てるらしいぞ……!」
「もうそんな関係に……!?」
などという色恋に敏感な生徒たちを刺激した。
ミアへのいじめも目立ったものはなくなったのだが、それは人当たりが良く、誰にでも明るく接するクレアという存在も大きかった。
同時にクレアが陰ながら友人たちへ「ミアも別に調子に乗ってたとか悪気があったわけじゃないからね!」とフォローしたのが功を奏していたことを、当の本人は知らない。
「クッ……ミア・ブロンズ……! 油断させようとしてもそうはいかないから……!」
そしてなお執拗にミアを敵視するパルラス・インフィーフィヴのような者もいたことも、ミアは知らないのだった。