四四 エカスドレル攻略戦――アノ山ヲ落トセ
ひと月後、作戦が開始された。
大陸を南から塗り潰す侵略はとうとうエカスドレル大帝国を捉える。
どこの国でもない空白地帯、人類非生存圏……魔物の蔓延る地域を挟み、山脈へと進む。
魔物は目についたものを無差別に攻撃する。それは魔族とて例外ではない。
魔族に伝わる歴史では、いつか大昔の魔王が人類大陸に侵攻した時に生み出した兵隊だというが……今の魔族の仲間になるということもなかった。
エルマー長城は東西にそびえる山脈に沿って作られた長い城。
その守りは堅く、いかに魔族の軍といえど容易に落とせるものではない。
戦いが長引けばこちらの消耗は増し、あちらは援軍を得るかもしれない。
魔族は人類に対し絶対数で負けている。無駄な犠牲は避けたいものだ。
時間はかかるが山脈を迂回するのが上策。しかし敵もそれは想定済みだろう。行く手に待ち伏せされれば厄介だ。
よってこの戦いには正面から攻める陽動軍と山脈を迂回する別動隊に別れる。
敵も同時に動かせる軍には限りがあるはず。それにモーメントルーラーを守るのが『魔王の騎士』となれば突破できる可能性はグンと上がる。
エレーナが付いていくのは東側から回り込む軍。
足の速い魔族を中心に構成されているが、5万の数となれば行軍速度もそれなりに落ちる。
ましてここは平原や街道のような足場ではない。山に沿った悪路だ。
そんな中で陽動軍が引き付けている間に迅速に向こう側までたどり着かなければならない。
「あ…………あ、あの……よ、よろしくお願いします……」
「ええ、よろしく」
東の別動隊についたモーメントルーラーは妹の方。相も変わらず引っ込み思案なロウマである。
どうして彼女がこっちに来たかというと、ザガノースの豪放磊落なタイプと一緒なのは怖いからだとのこと。それなら顔見知りであるエレーナの方がいいと彼女の方から言ってきたらしい。
「それで、えっと……」
「無理して喋ることもないわ。楽にしてればいい」
ロウマの仕事は向こうに着いてから。守られる立場なのだから陣の中央の馬車内でじっとしていればいい。
彼女を守るエレーナにもやることが無い。
途中に町や村があった場合は逃げられる前に皆殺しということになっているが、それくらいなら5万もいる魔族が処理する。
あくまで騎士が随行するのは保険なのだから。
手からこぼれるくらいの暇を持て余してもエレーナは何かをしようとは考えない。
ボーっとしているだけでいいのだから、そうするまで。
「その……雰囲気変わりました?」
「よく言われる」
ロウマは最初こそ沈黙が気まずいのかたどたどしく話しかけてきたのだが、やがて身を小さくして黙り込んだ。
第21独立遊撃部隊の面々には『魔王の騎士』の名のもとに自由行動を命じてある。
血気盛んな者なら軍に混じって道中見つけた集落を襲ったり。
馬車の中は静かなもので、ガタガタと進む音だけが響く。
外からは話し声。今回もぬるい戦いだろうという話が聞こえてくる。
気を引き締めさせたいところだが、エレーナも同じ考えなので言えることがない。
ただ大きいだけでこれまで滅ぼしてきた国と同じ。殺して殺して、ただ滅ぼすだけ。
そこには何の感慨も罪悪感も……無いわけではない。しかし極々小さいものにまで抑えられている。
【魅了】の力が無ければ今頃は誰よりも顔色を悪くしていたことだろう。
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別働隊が出発して2週間と少し。
ハイマとロウマが【転移】を活用し連絡を密にし、とうとう東西どちらも道中にある関所を確認したところで陽動となる20万の魔族たちが歩みを進める。
備えていたエカスドレル軍は山の上という高所の利を活かし、迫る軍を早期に発見。すぐさま防衛体勢を整えエルマー長城にあるいくつもの装置の準備にとりかかる。
大帝国は既に魔族が来るという前提で軍の展開ができていた。
長い長い城には多数の兵が詰められる。長城で迎え撃つ帝国軍はおよそ15万。この数すら全軍からすれば一握り。
そのまた数日後、魔族たちと帝国軍との戦端が開かれた。
魔族側の戦術は平押し。単純だが人間相手ならこれで余裕……これまでもそうしてきた。
なにしろ長城だけあって横に長い。山脈そのものが相手だ。軍を延ばして進軍するのが良いだろうと考えていた。
宣戦布告も口上も無く、魔族たちはいつものようにただ鬨の声をあげ各々らが種族の特性を生して攻める。
飛行魔族の部隊は山を登るという手間を省略して空中を上昇。一番槍として真っ先に長城付近までたどり着いた。
「今だ、魔法部隊!」
が、エカスドレル軍はこれまでの情報から『敵には空を飛ぶのもいる』ということも把握しており、対空にじゅうぶんな数の魔法使いを配置。
城壁の上から空を覆うほどの魔法が飛ぶ。
魔法での中~遠距離攻撃の重要性を知っている百戦錬磨の大帝国は、魔法使いを兵科として運用し育成している。
代々『教の国』から講師を招き、個の強さよりも軍や部隊としての強さを重視。全体的な攻撃力を底上げした。
その成果はこれまでの侵略戦争……そして今まさに現れている。
飛んでくる魔族と迎え撃つ魔法使いたちでは、やはりエカスドレル側に数の利がある。
複数の魔法使いが同時に同じ敵を堅実に狙う。
避ける者もいれば当たってしまう者もいる。それも負傷で済む者から死ぬ者まで。
いかに1対1なら人間を優に凌駕する魔族であっても複数に狙われては不利が目に見えた。
「怯むな! 俺たちであの無駄に長ぇ城をぶっ壊すぞ! 続けぇ!」
鼓舞するように大声を出したワイバーンが突撃。
種族として大きめな体躯を持ち、こうした戦いではその大きさが恰好の的。だが威勢に実力がついてきている。彼は魔法の弾幕を器用に潜り抜け、ついに城壁を目と鼻の先にまで捉えた。
彼の後に続くように他の者たちも命を捨てて特攻。同じように城壁に取りつこうとする。
しかし、それは叶わない。
真っ先に飛び出したワイバーンの体を鉄が貫いた。
「な……ッ!? がっ、く……そっ……!」
勇ましき彼を貫いたのは槍。
エルマー長城防衛の総指揮を任された将ゼンペンクが投げた鉄の槍である。
「羽虫どもめ! 儂のいるこのエルマー長城を落とそうなど笑止千万!!」
筋骨隆々な体から投げられる彼専用の重槍。1本だけで人ふたり分以上の重さがある。
魔法を使わない彼の飛び道具とも言うべき槍投げは『教の国』と魔法協会にも名が知られるほど。魔法使いの地位を脅かすものを何より危険視するかの国では何度も暗殺すべきという話もあったとか。
部下に2人がかりで持たせていた槍を片手で持ち上げ、2本目を投擲。
体に穴があいてもなお突撃せんとするワイバーンに投げ、今度こそ絶命させた。
「次! 持ってこい!」
重槍はいくらでもある。加えて狙いも正確。
魔族1人につき1本、頑強な者でも2本で落ちていく。
加えて歴戦の猛将ならではの覇気が彼を大きく見せ、それだけでも威圧感で動きが鈍ってしまう。
形勢は決していた。
やがて飛行魔族を束ねる将が撤退を決断。一番槍は折られて帰ることになった。
死傷者多数。この戦闘に参加していた第4と第17独立遊撃部隊が全滅。先のワイバーンのように勇猛で知られる飛行魔族の多くがその果敢さ故に命を落とした。
前哨戦とはいえ魔族がここまで明確な敗北を味わったのは侵攻を開始してから初めてのことだった。
しばらく日が経ち、魔族軍の本隊が長城に接近。
しかしこのような地形では数の利をなかなか活かせない。
峻険になるほど道は限られ、通れる場所にはもちろん仕掛けが施されている。
中でも落石は効果的だった。巨大な質量が転がってくるのは脅威そのもの。これだけで万に届くほどの魔族が死んだ。
物理的にも心理的にも魔族軍の足が遅くなる。
「怯むな! 岩が無限にあるわけがない、必ず限りがある! 恐れず進めぇッ!」
中には城壁までたどり着く部隊もあったが、そこには上から魔法と槍が降ってくる。
それだけではない。油が降ってきたかと思えばすかさず炎が飛んできて焼け死ぬ者も多く出た。
同じような光景が長城のいたるところで起きており、ひとまず退却を選んだ魔族軍が去る頃にはエルマー山脈の中腹は魔族の死体で埋め尽くされていた。
魔族軍にとって本命はあくまで別動隊。自分たちは陽動としてそこそこプレッシャーをかければいい。
城攻めなど一日で終わるわけがないのだから急がなくてもいい。
そういう作戦だったのだが、これまでの破竹の勢いが将兵たちに「脆弱な人間の城などいかに大きくても正面から攻め落とせるだろう」という慢心を誘い、勝手に強引な攻めを行い犠牲をもたらした。
後方の本陣で報告を聞いたハグネイラルはたいそう激怒し、作戦を無視し多数の魔族を死なせた挙句におめおめと逃げ帰ってきた将の何人かを処断したという。
一方、エルマー長城は湧いていた。
先鋒の飛行魔族、次に大規模な防衛線。どちらも一方的と言っていい勝利をあげたのだ。
話に聞く恐ろしい魔族ですら大帝国の誇る堅城を落とせはしない。兵たちの士気は極めて高まり、化け物たちを撃退できるという希望が現実のものに見えている。
「皆の物よくやった! 今日は飲み、よく休め! あの醜悪な連中はまたやってくるだろう、岩の補充を忘れるな!」
ゼンペンクも大帝陛下に素晴らしい報告をする未来を思い浮かべ酒に酔う。
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陽動部隊が深くまで行きすぎて返り討ちにあったという話は定期連絡を通じてエレーナのもとにも届けられた。
別動隊の将兵には伝えていないロウマの判断は正しいと言えよう。いたずらに士気を乱すわけにもいかない。
そもそも彼女は誰かに世間話を振れるような性格でもないのだが。
「多少の犠牲は覚悟の上のはずよ」
「で、でも……本隊の空気はひどいものでした……あそこまで手痛く負けるなんて」
「殺してるんだから殺されもする……不思議なことはひとつもない」
「そう、でしょうか……騎士レーデンがそんなこと言うのは、意外……です」
「え?」
「あっ、ご、ごめんなさい! 騎士様に失礼を……!」
「別に気にしてないけど……」
『そんなことを言うのは意外』――言われて初めてエレーナは自分の言ったことを顧みる。
そして思う。そんなに意外なことを言っただろうかと。
当たり前のことを言っただけだ。戦争をやっているのだから自軍が負けたりたくさん死んだりするのは当然だ。大した苦戦もなく勝ち続きだった今までが上手くいきすぎていたかもしれないのだ。
自分は死なない……いや死ねないけど、この別動隊だって自分の部下だってロウマでさえいつ死んでもおかしくない。
「(…………ん?)」
自分の思考に違和感はなかった。それ自体が違和感であることに気付く。
「(私は……何を嫌がっているの……?)」
何か、自分が元々持っていたものをなくしているような、奥歯に物が挟まっているけど何が挟まっているのか分からないような感覚。
騎士が釈然としないまま、別動隊はエルマー長城の東端を回り込む。
山間の関所が邪魔だが、これ以上東へ向かうと別の国に入ってしまうしさらに時間もかかる。
ここを突破するしかない。敵もそれを予測済みだったのか、かなりの兵が待ち構えている。
エレーナは先日の本隊のやらかしを鑑み、ここで時間をかけて手間取るわけにもいかないと考えた。
「行ってくる。ここは私の隊を護衛につけるから」
「えっ!? あ、は、はい……!」
クリャガーダーの背に乗り飛び立つ。
既に関の前は白兵戦。城壁からは絶えず魔法が飛んでいる。
「くそっ、こっちにも飛んできやがるのか!」
数を揃えた魔法使いたちは地上のみならず飛行魔族にも矛先を向けている。
魔族軍において飛行魔族の割合はそこまで多くない。攻めようにも攻め切れていない様子。
「どうします?」
「関の上で飛び降りる。その後はロウマを守っておいて」
「あいさ!」
これほどの数の魔法が飛んでくると飛行魔族による有効打は期待できない。しかし魔法を避けながら頭上を飛び抜けることはできなくもない。
クリャガーダーがジグザグな軌道で飛び、関の上を通り過ぎるタイミングで上下を反転。背に乗っていたエレーナもまた重力に引かれて彼から離れ落ちる。
両手に魔法剣を出現させた少女が勢いよく城壁の上に着地するのと同時に魔法使いたちを斬る。
「何だ!?」
「誰が、ぐあっ!?」
味方が攻めているから【氷墜】や【雷宮】のような大規模破壊は使えない。ちまちま潰していくしかない。
遠目から見ても城壁の上に異変が発生。戦闘中につき騒がしさなど当たり前のことであった関の中は、自分たちの頭上で味方が殺され続けていることに気付くのが遅れる。
「れ、レッジ将軍!! 城壁の魔法使い部隊が!」
「なにっ!?」
エカスドレルは侵略国家だが、時に奪われたものを奪い返そうと攻めてくる敵もいる。
そうした際の防衛線で数々の手柄をあげた将はそこそこいる。彼らは『堅盾』の称号を与えられ、国内外に知られる武勲を持つ者たちだ。レッジもまたそのひとり。
そんな彼がこんな端に置かれたのは、世界一と言っても過言ではない軍師殿の考えによるもの。
魔族の作戦などドラクスは想定していた。だから備えとしてレッジはじめ少なくない兵を配属した。ここだけではない。遠く離れた西端でも同じだ。
戦術もとにかく防衛に特化させ、頼みは魔法使いによる城壁からの遠距離攻撃。
関の前に置かれた長槍と大楯の部隊は迎撃と肉の壁を兼ねる。
彼らが命を張って敵の攻撃を引き付け耐えている間に上から魔法使いたちが乱れ撃つ――相手が化け物であっても有効な戦術だった。さっきまでは。
突如として降ってきた敵に魔法使いたちが蹂躙されていると聞いたレッジは血相を変えて司令室から飛び出し、報告に来た副官が後を追う。
「護衛をつけていたはずだ、それすらもか? 敵はどれくらいいる」
「そ……それが……人間らしき者がひとりだけと……」
「ふざけているのか!」
「そんなことは! もう魔法使いの半分が奴によって殺されています!」
「傭兵とやらはまだか。援軍が来る前に落ちては笑い物ぞ」
「先触れは来ておりますが、もう少しで着くとだけ……」
「だから使えぬと言ったのだ、無骨者など……!」
レッジは城壁の上に出る道中で使い慣れた大楯と長槍を持つ。
過去の戦闘で、20人の敵兵を相手にたったひとりで背後の門を守った時からずっと愛用しているものだ。この槍と盾こそレッジの『堅盾』としての象徴。
彼は人一倍武勇に優れていた。だからこそ自分がその何者かを倒さなければならないと考える。
「魔法使いは接近戦に弱いからな……よほどの武者がいると見える。貴様も覚悟せよ」
「はっ! レッジ将軍の下についてから、いつでも命を盾にする覚悟はできております!」
2人と手勢の50人が城壁に上った時、そこにはひとりの少女しかいなかった。
報告にあったのは半数が殺されているとのことだったが……とんでもない。文字通り全滅だ。
両手に黒く薄い剣。黒いドレスはところどころが赤黒く、それよりも目立つのが半分を赤に染めた銀髪。
血塗れ……なのだが、すべてが返り血だったとしても魔法使い部隊と護衛の隊を皆殺しにしたにしては少ない。
それは大して敵と密着せず、ほとんどを魔法で片付けたからだとレッジたちが知るのは少女と目が合ってから。
「ッ、横に避けよ!」
こちらに向いた黒い剣の切っ先が何か丸い軌道を描いた瞬間、レッジは大楯を構えながら横に移動。副官や何人かが続くが、半数ほどは間に合わない。
予想通り攻撃が来た。少女から雷が放たれ、避けられなかった兵たちは鎧の金属部分だけを残して消し炭へと変わる。
単純な魔法陣――【雷撃】だ。しかしただの【雷撃】ではない。威力が桁違い。
レッジは周囲にある魔法使い部隊の死体の数が妙に少ない理由を悟る。皆こうして痕跡すら残さず消されたのだ。
しかも雷はこれ一発だけではない。立て続けにふたつみっつと陣が描かれ、瞬く間に兵たちが断末魔すらなく死んでいく。
さっきまで話していた副官でさえ目を離した隙に鎧しか残っていない。
自慢の大楯も一撃で粉砕される。【雷撃】が当たる前に手を放していて正解だった。もし掴んだままだったら間違いなく死んでいた。
「何者……なんだ……人間では、ないのか……!」
「『魔王の騎士』」
その単語は魔族についてまとめた資料に書いてあった。
特筆すべき凶悪な魔族、絶対なる個。
レッジの本能が訴える。
とても戦える相手ではない。戦いを挑んではいけない。
1対1だけではない。たとえ軍隊と共にあろうと、奴には勝てない。逃げるべきだ。
そこに感情はあるのか。おそらく無いのだろう。そう思わせる冷たい人形のような少女は、死が形をもってそこに立っているようだった。




