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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
-1000 My detestable and dear memories
182/212

四二 私ガ得タ沈黙

 人類大陸に魔族が現れ、国々を滅ぼしていく。

 魔族たちには時間がない。魔族大陸が滅びようとしている中、平和的に間借りして避難させてもらおうという時間も余裕もない。

 まず人類という邪魔者を排除して土地をまっさらにし、その上で魔族を移住させる……手っ取り早く、後に先住民との遺恨を残さない方法。


 魔族侵攻として歴史に記される侵略は、人々から住む場所を奪い、隣人を奪い、命を奪う。



 初めて魔族が国を滅ぼしてから――先遣隊が外海を越え人類大陸にたどり着き『南の国』が地図から消えてから1年。

 1年の時が経っても、彼らは足を止めたりはしなかった。



 □□□□□



 そしてまた国が滅ぶ。


 『髭の国』はこの1年間に情報を集めていた。南からやってくる難民から話を聞き難民用の町などを作り、周辺国に警告し説得し、同盟を作り軍備を増強し……打てるだけの最善手を打ち続けてきた国だった。


 この国が無ければ人類間での魔族についての情報共有はもう数年遅れていたと後の歴史書には書かれている。


 そんな国でさえ滅ぶのだ。

 滅ぼしたのは人類にとってもはや半信半疑の存在と言えない者たち。



 異形の中にあって誰よりも人間と見紛う姿を持つ彼女もまた、人類が恐れる魔族のひとり。


 本来ならば透き通るような銀髪を土埃で汚し、一切の温度を感じさせない赤い瞳と目が合えば死を意味する。

 戦場に似つかわしくない黒のドレスを纏い指先を躍らせる彼女を、後に人々は『終着点』と呼ぶ。



 □□□□□



 遠距離は魔法、近距離なら魔力剣。それだけで人間など簡単に死ぬ。


 それらをかいくぐって彼女に刃を向けられる者は、間違いなく実力者だ。

 気配を消して彼女の背中を一刺しにした男もまたその類。『髭の国』王家の懐刀として個人の武力だけで周辺国にまで名を知られている強者。


 命を奪ったと確信した男は達成感と高揚感を感じながら首を落とされる。刺したはずの少女に。彼女の持つ黒い刃に。


「な、ぜ……」


 何故生きている……そんな問いをかける前に男は絶命。

 少女――エレーナは変わらず無表情のまま殺したばかりの生首を一瞥し、すぐ魔法陣を描いてまた別の人間を殺していく。


「ぬぷぷ、この辺りの形勢は決まりましたな。殲滅は味方に任せるがよいでしょう」

「そう」


 触手の魔族チョネリの報告に短く返し、エレーナは足早に次の戦場を求める。

 クリャガーダーの背に乗り、上空から敵陣へとひとっ飛び。

 周囲に味方がいないことを確認してワイバーンから降り、【雷宮】で一気に殲滅。戦場に文字通りの穴をあける。


 そうして悠々とさらに敵陣の奥深くまで歩き、無理やり敵の戦線を下げる。


「おのれ! ここから先は――」


 うるさい敵兵の声を途切れさせ、やかましい気配を消し、天幕に到着。敵軍の左翼指揮を担当する『髭の国』や周辺国の将軍が集まっている。つまりは戦略的に重要。

 エレーナが任されたのはここを潰すことだ。


「誰だ! 少女……?」「なんでこんなところに――」


 邪魔な兵を殺して【雷宮】。目標はあっけなく達成される。



「ふぅ……」


 頬についた返り血を拭いながらエレーナは周りを見る。

 見渡す限りの死体の山。ほとんどが人間でちょくちょく魔族。


「ん?」


 足を動かそうとして、少し動きにくいことに気付く。見れば足首を誰かに掴まれていた。


「やめ…………ろ……や、め……」


 全員死んでいると思ったら生き残りがいた。

 全身から血を流していて今にも死にそう。なのに掴む手の力はどこから来ているのかと問いたいほどに強い。


「帰る……かえ、る……お、れ……は……」

騎士(ナイト)レーデン! ここにいたんですか探しましたよ!」

「ん? そいつ生きてないすか? えいっ」


 死に体を動かしていた意思は、やってきたカブトムシとクワガタの魔物に摘まれる。石ころを蹴飛ばすように命を奪ったことよりも彼らにとって重要なのは自分たちの隊長だ。


「ちゃっちゃと【転移】で移動しましょうよ――あれ、どうかしましたか?」

「いいえ、別に」


 死んでもなお放さない手、失意の内に消えた命。

 冷たく見下ろす少女の瞳には何も映らない。


「戻る。全員集めて」

「へい!」


 第21独立遊撃部隊は今回も誰一人欠けることなく戦闘を終えた。


 数日もすれば悲鳴と悲劇が街を襲うだろう。

 占領と破壊に加わるつもりはないし、仕事を与えられてもいない。あとは帰るだけだ。



 同刻頃には他の騎士(ナイト)が同じように別の陣地を襲撃し、やはり成功。

 これにより指揮系統が壊滅。元々他国同士の連合軍だったこともあり足並みが乱れ、兵数の差は意味をなさなくなる。


 連合軍が平地で決戦を挑んだため、戦いが終わった後も素早く各都市へと侵攻。

 この数週間後、『髭の国』は滅亡。

 同盟を組み平地決戦に軍を派遣していた周辺国もまた、防衛軍備を揃えることができず簡単に攻められる。数ヶ月後には一帯の国々はすべてなくなった。



 □□□□□



 この1年で騎士(ナイト)レーデンにまつわる評価は不動のものとなった。


 無言で敵陣に飛び込み、淡々と魔法陣を描き、一切の容赦なく殺し続ける騎士(ナイト)

 どのような懇願であろうと聞き入れず、どのような強者相手であろうと勝利する。

 そしてどのような報告にも顔色一つ変えず短く返事をする。


 魔族の間で呼ばれる異名は『沈黙の騎士(ナイト)レーデン』。


 侵略が始まる前の彼女を知る者は言う。「彼女は変わった」と。



 久々に戻ってきた魔王城の自室――誰の目も耳も届かない場所にいても少女は無表情のまま。


「……うん、何も感じてない」


 『魔王の騎士(デモンズナイト)』であるエレーナに軍事的な仕事はほとんど無い。特命がなければ基本的に戦いの中で人間を殺すだけだ。

 なので戦闘が終われば帰っていい。帰って何をしているかというと、ぼーっと過ごしているか寝ているだけなのだが。

 不思議なもので、それだけでもエレーナはいくらでも時間を潰せていた。


 他にも時間を潰すのは【転移】の練習。

 テンポは遅れるものの戦闘で使えるくらいにはなってきたと自負している。


「暇……」


 今この瞬間にも人類大陸では魔族と人間が戦って、双方ともに命を落としている

 だというのに口から出てしまう。


 それは魔族がどうしていようが人間がどうしていようが、エレーナにとって()()()()()()()()だから。


「魔王……」


 今この瞬間にも魔王は忙しくしている。彼女が何をしているか、想像するだけで暇を潰せる。


「暇だし……」


 確か今の時間は魔王城(ここ)の執務室か。

 魔族大陸では書き仕事に会議に……人類大陸では鼓舞に指揮に……

 モーメントルーラーの力で遠く離れた場所を行き来できる彼女に休む間はあるのか。無いだろうなと思うと無性に顔を見たくなる。きっとこれを心配と呼ぶのだろう。心配するのは好きだから。愛しているから。



 □□□□□



「魔王」

「なに?」

「終わった」

「そう」

「椅子」

「そこ」


 何もかもに関心を寄せることができないエレーナの世界に、唯一色づいて見えるのが魔王イムグ。冷えた胸にほのかに熱が灯る。


 無言で椅子に座り、無言で彼女を見つめ、彼女もまた無言で仕事をする。


 これだけで一日が過ぎ去っていく――かと思いきや、イムグが不機嫌そうに騎士を見る。


「ずっと見てる」

「それが?」

「集中できない」

「なら休めば」

「だめ」

「いいじゃない。少しくらい」


 騎士が椅子から立ちあがり、魔王の机に手を置く。これから手を付けようとしていた羊皮紙に蓋がされてイムグは不機嫌の度合いを上げる。


「かまって」


 しかし魔王のイライラは霧散してしまった。


 平坦な表情から出る平坦な声。なのに本心であると感じさせる。

 お互いに温度のないような態度。なのにイムグの胸には熱が生じる。


「……その態度、やめたら、かまってあげる」

「無理」

「エレーナ、前から変」


 イムグがずっと思い続けて、ずっと言い続けていること。

 出会った時、過去を打ち明けられた時、彼女は沈黙などと呼ばれるような無口ではなかった。

 明確な異変。何があったのか訊いても答えは返ってこない。


 そんなことはエレーナ自身も自覚している。


「じゃあ……仕事続けてもいいわよ。勝手にするから」


 ゆっくりと、「本当にいいんだな?」と語りかけるように時間をかけて机を横切り、魔王の座る椅子の後ろにやってくる騎士。

 彼女が何をしようとしてるか、イムグは悟った。

 抗議の声をあげようとして、間に合わないことも悟っている。


「っ……!」


 戦場では絶えず動き続け魔法陣を描く少女の細い指が、マントのように生え揃っているオウルミュンミンの羽毛に触れる。


 最初は腰辺り、先端から。

 いじわるな指は感触を堪能しながらじわじわと首筋へ近づいてくる。


「やっ……だめ」

「仕事、しないの?」

「仕事する、から……やめて」


 この不敬極まりない少女が羽を求めるのは今に始まったことではない。

 しかし何度触られても慣れない。オウルミュンミンにとって羽毛は大切なもの。慣れるほど誰かに触らせることなどないのだ。


 ぞわぞわとした感覚に歪む口元を抑えながら、イムグは無礼者の顔を見る。

 その表情はやはり平坦。前なら羽の柔らかさに感動するような顔をしていたのに、今ではまるで芋の皮むきでもしているような顔だ。

 間違いなくエレーナ本人なのに、明らかに変わっている。原因も分からない。でもやっていることは同じ。この混乱にも未だ慣れない。


「いい加減にっ」


 ここが執務室ではなく、互いの私室ならイムグとて態度を柔らかくするのもやぶさかではない。

 ここは執務室だから魔王は咎めるしかない。

 エレーナの手首を掴んで羽毛から引き剥がす。


「誰か……来たら、困る」

「…………」


 困った魔王を見てみたい……しかし困らせるのは流石に悪い……

 エレーナの中で僅かな波が立ち、後者に傾く。


 なので最後に首筋に鼻を近づけた。


「やっぱり、いい匂い」

「ばかっ!」


 エレーナの口角がほんの少しだけ上がる。普段ならけらけらと笑っていたかもしれない。



 今度こそ顔も体も離して自分を睨む魔王を見る。

 やはり色づいている。イムグに対してだけは感情が動く。


 それが今のエレーナ・レーデン。魔王を慕い、魔王のために働く『魔王の騎士(デモンズナイト)』。



 □□□□□



 【魅了】の応用……それがラブラミとボーデットの研究だ。


「何も感じたくないの。どうにかできない?」


 サキュバスの州に――女王の住む館にたったひとりで入り込んできたあの日。

 まるで夕食の皿に盛られた料理のようだった獲物(エレーナ)を前に、手を出す気満々だったラブラミの動きが止まる。


「はいぃ?」

「【魅了】は対象を意のままに操れる……催眠みたいな感じになるんでしょう? だったらできるかなと思ったのだけれど」

「えーっと、話がよく見えないわ」

「戦ってると不快感がどんどん増してくる。どうにかしたい」


 少しの時間を要してラブラミはエレーナの言わんとしていることを理解する。その頃にはサキュバスの捕食者としての面は引っ込んだ。


「なるほどねぇ……まぁできなくはないと思うけど」

「本当?」

「ただ難しいわね。【魅了】の応用はまだまだ始めたばかりだし」


 【魅了】とはそもそも対象が自分のことを強制的に好きにならせるという魔法だ。

 応用と呼んでいるのはその前提をクリアした後の、『好きならできるよね?』という暗示に過ぎない。

 その暗示をどこまでやれるか、どこまで難しい暗示を刷り込めるかというのが現在の研究。


 エレーナの要望を叶えるなら彼女に対し『好きなら不快感を感じなくていいよね?』という感じに【魅了】をかけてやればいい。


「というか、いいのかしら~? 私に頼むってことは【魅了】をかけてほしいってことだけど……」

「構わない。なんなら研究の実験台だと思って」

「それはまた……ワタシとしては嬉しいけど~……それってつまり騎士(ナイト)レーデンがワタシのことを好きで好きでたまらなくなるってことよ?」


 ラブラミ的にはどんとこいという感じだが、相手は魔王が重用する『魔王の騎士(デモンズナイト)』。

 これがただの小娘相手なら念のため訊いてみる……なんてことはせずに問答無用で【魅了】をかけていただろう。


 そしてラブラミは訊いておいてよかったと安堵する。


「…………その、好きになる相手も自由に決められる?」

「魔王様?」

「…………まぁ、そんなところ」

「ちぇ~、ワタシじゃないの~?」

「ごめんなさい。まだよく知らないから」


 やはりイムグとエレーナの間には何かあるのだろうと察していたラブラミは頷き、肩を竦める。


「(魔王様の一方通行じゃないってことかぁ……言えばつまみ食いくらい許してくれるかしら?)」

「どうしたの?」

「なんにも。多分できると思わうよ!」

「そう……あと、もうひとつ。このことは魔王には話さないでほしいの」


 イムグに心配はかけたくない。あんなに気を遣われて「無理そうだったからラブラミに頼る」と言うのは憚られる。

 口には出さなかったが、ラブラミは快く「じゃあ2人だけの秘密ね」と微笑んだ。



 こうして沈黙と呼ばれる騎士を作る研究が始まった。


 結論から言えば出来上がったのだが、一朝一夕で出来るものではなかった。


 単純に『魔王のことを好きなら不快感なんて感じるな』という催眠をかけるにも失敗が重なり、一時は難航した。

 暗示は細かく指示すればするほど難しくなる。現段階ではサキュバスの女王ですらもピンポイントな暗示をかける【魅了】ができなかったのだ。それほどまでに困難な話。


 様々なアプローチを試し、たどり着いたのが『すべての感情を抑制すること』だった。


 当の本人が了承し、また様々なアプローチを経て、とうとうエレーナは不快感を克服……ごまかすことができた。


 すべての感情と関心――つまりは心の揺らぎを抑える。

 これによって結果的に人を殺す度に動けなくなるほどの不快感を封じることに成功したのだ。


「今のあなたはあれね、通常の感情の振れ幅が100だとすると、それを10とかにしてる感じ。喜怒哀楽をはじめ色々な感情が極限まで抑えられてる状態よ」


 嬉しいことを嬉しいと感じ、悲しいことを悲しいと感じる心……それが氷漬けになったような感覚。

 感情を持っていないわけではない。しかしそのすべてが微々たるところに収まる。


「気分はどう? こんなに複雑で難しい【魅了】は初めてだったからワタシもよく分からないけど……」

「…………なんか、分からない。どうでもいいって感じ」

「どうでもいい……なるほどね。感情が動かないからすべてがどうでもよく感じてるのね」

「ただ…………魔王……イムグに会いたい」

「元の【魅了】も問題なし、と。これで一応成功……かしら」



 エレーナは生まれ変わったような気分だった。

 爽快とかまっさらとかそういうものではないが、間違いなく今までと見えてる世界が違う。

 感情が極限まで抑えられるとすべてに無関心になることを知った。


 頭にあるのはイムグのことだけ。

 彼女のことを考える時だけに感情が動く。

 何も感じない世界の中で、イムグのためならなんでもできると思える。何かをしたいと思える。好きだから。愛しているから。


 そのイムグへの感情すら暗示によって小さくされているのだが、他の感情と違って確固たるものがある。


騎士(ナイト)ボーデットの言ってた保護魔法陣ってやつも組み込んだから、よっぽどのことがなければこの魔法は解けないけど……ふたつ注意が必要よ」


 ラブラミの言う注意事項も右から左。エレーナにとっては恩人にあたる騎士(ナイト)ですらその他大勢に入ってしまう。


「今のあなたはあくまで感情を抑えてるだけ。感情そのものは残ってる。だから我を失うような強い感情を覚えた時……魔法は不安定になるし表にも出ちゃうからね。これがひとつ目。そして万が一、意図せず魔法が溶けた場合……どうなるか私にも分からない。覚えておいて」

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