四一 知ル脅威
この時代の旅とは、ほとんど自殺行為である。
人里に向かえばゴロツキ紛いの兵士たちに囲まれて、人里を離れれば魔物が出て、後に連邦が作る街道や馬車交通網なんかも無くて、あてになるのは地図くらい。
古代に作られた地図だけはまだ地形をしっかり教えてくれるが、数年前あったはずの町や村が次に訪れた時には滅んでいることなどざらであり、下手をすれば国そのものが無くなっている可能性もある。
占領地なんかに入ってしまえば住民と間違えられて捕まるか殺される。
中継地点での休息と補給がなければ、残っているのはサバイバル。その能力すらない者は飢えと渇きで行き倒れ。
故に無くなることのない大国を通るルートが一般的には好まれる。
『教の国』は大陸でもかなりの北側にある。
ここから『掟の国』に帰る大まかな道筋はまず『雨の国』から『柱の国』を目指し、次にエカスドレル大帝国を通る道。
「『雨の国』嫌いなのよね……ジメジメしてて髪もずっと気持ち悪くなっちゃう」
「ここで近道を考えても仕方ないよ。安全を取ろう」
「こっちの『愛の国』を通る道筋ならもっと早いのに」
「それも駄目だ。昔言われたこと忘れたの?」
6年前、『教の国』に向かう道中で2人は案内人に尋ねたことがある。何故遠回りして『愛の国』を避けるのかと。
『あの国にはよほどの用事が無ければ近付いてはなりません。入れば二度と出てこられないことも考えられますから』
まるで恐ろしい場所のように言っていたのが印象的だ。
『愛の国』――国土こそ小さいものの名は大陸にかなり広まっており、古来より様々な"愛"を布教してきた国として有名。
しかし国内の様子はあまり知られておらず、案内人の言ったように訪れた外国人が帰ってこなかった話も多い。
「とにかく行きと同じ道だよ」
馬車は3台。
ひとつはアイリアとシェリア用、ひとつは従者用、ひとつは物資運搬用。
たった3台の馬車で大陸縦断のような旅をするには慎重すぎるという言葉は無い。
大国はまだしも、その間にあるのは小国同士の戦争。そこをどう抜けられるかに命が懸かっている。
遭遇した人間に魔法学府の卒業証が通じるならまだ良し。通じなければ実力行使しかない。相手が協会に従う魔法使いであることを願うしかない。
――が、拍子抜け。
旅そのものに問題は無かった。
『教の国』での日々は確実に2人を一角にしていた。学府を卒業した一線級の魔法使いに、並みの人間や魔法使いは歯が立たない。問答無用で襲い掛かってくる部隊や野盗などは簡単に蹴散らせた。
故郷から遠い国々では『掟の国』の貴族といってもただの旅人扱い。他国の間諜と疑われても仕方ないところではある。
そこに事情を話し卒業証を見せれば入国を許可される。これのおかげで戦場の真ん中を素通りせず済んでいる。
『掟の国』――魔法協会の影響力は大陸の情勢に左右されない、ある意味でこの大陸を支配しているると言えるだろう
。
『雨の国』を越えて、『柱の国』も超えて、天柱を横切って、エカスドレルに入る。
既に道程の半分を終え、残るは大陸南部の3分の1という広大な領土を誇る大帝国。そこを過ぎればすぐ『掟の国』のある地方。
この辺りはさすがにフライフルとレンキュリーという名を知っている国もある。正体を知られれば拘束か暗殺してくるだろう。旅の中で一番危険なのが故郷の近くなのだ。
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エカスドレル大帝国を通ることに大した問題はない。
しかし南下すればするほど徐々に関所での質問が増えていく。
「通しはするが、勧めはしないぞ」
とうとう役人にそう言われるようになって、初めてアイリアたちは大陸南部に蔓延する噂が、人類を蝕む外の存在によるものだと知る。
「あと数年もすれば、ここから南に国は無くなるかもしれないんだ」
とうとう国境にある関所では通行禁止のようなものを言い渡されてしまった。
厳密に言えば禁止ではないから通れるのだが、「やめとけ」「無駄だ」「自殺か?」と言われる。
「どいつもこいつも……! 何なのよこの国は!」
ただ家に帰りたいだけだ。他人にとやかく言われる筋合いはない。シェリアの言い分はもっとも。
大帝国でさえいまだ敵を『人ならざる軍隊』と断定しきれていない現段階では、噂はどこまで行っても魔物の大量発生による氾濫ではなかというところに行きつく。
アイリアはシェリアを落ち着かせながらも、彼女と同じ考え。
ここまで何ヶ月もかけて来たのに、いよいよ故郷のある地方だというのに、今さら止まれと言われても無理がある。帰り道を歩くからには帰りたいのだ。
2人だけではない。共に『掟の国』まで行って今まで色々と世話をしてくれた従者たちだっている。全員が故郷を持ち家族が帰りを待っている。
「不気味だけど、進まないわけにはいかない。何かあってもどうにかなるさ」
これまでの道中、魔物に人に幾度となく敵を倒してきた実績が自信となって歩を進ませる。
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再三にわたる引き留めを無視しエカスドレルを出て、またいくつかの国を渡る。
そして途中の国――『豆の国』に入って、いよいよ只事ではないことを肌で感じる。
この国は名前に反してそれなりに大きい。過去には周辺国と結託し『掟の国』を攻めるほどの国力と兵力を持っていた国だ。
そんな国の住民たちは、まるで国ごと移動するのかというほどに多くの者が荷支度を進めている。中には南からここまで逃げてきた民もいた。
そのおかげか、わざわざ入国する時の審査もあって無いようなものだった。『掟の国』とあまり仲良くない国だし多少は……と覚悟していたのに拍子抜け。
そこそこ大きな街で休息。物資の補給は従者に任せ、アイリアとシェリアは人の集まる場所を調べてみる。
そういうのはもっぱら酒場という法則があるわけでもないが、久々の休息だし酒でも……と思ったアイリアの足はそちらに向いた。
「あんたら外国人か? この国はもう国民に北に逃げるようにってお触れが出てるぜ」
「それは、どういう……?」
「さぁね。ただ中央が各領地に触れを出して、領主が民にもそう言った……この辺りもそうだ」
ありえないことだ。
国は民がいなければ成り立たない。それを『国を捨て北へ逃げろ』などと……まるでもうすぐ国が無くなるような言い草だ。
「だが従わない奴もいる。俺もそうさ、親から継いだこの店から俺が出てったら誰が酒を出すんだってんだ」
店主から出された酒を飲んでも、アイリアは酔えなかった。
進めば進むほどじんわりと肌に触れてくる嫌な予感……ここは戦場でもなければ野盗と魔物に警戒する野原でもないというのに。
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国から出た触れだというのに領主の匙加減によって民たちの反応はまったく違う。「中央がふざけて出したものだろう」と判断した領主の地は何事もなく呑気なもの。
反対に領主が真っ先に逃げ出した地は目も当てられない。
『豆の国』の様相は、町から町へ移る度に変わっていった。
既にもぬけの殻となった町、逆にいつも通りの日常を過ごす町、噂とお触れの真偽を測りかね争いが起こる町……
中にはこの世の終わりと言わんばかりに民衆が欲望に走り、軍や自警団が機能しない無法と化した町もあった。
そんな場所を転々としながら3台の馬車はなんとか進む。
まだ買い物という概念がある場所で僅かな食料と物資を買い、主も客もいなくなった宿を使い、襲い来る悪漢は簡単に撃退。
そうして『豆の国』を抜ける。
それは知らず知らず既に人類のいない地へと踏み出すことを意味していた。
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紆余曲折はあったがだいたい来た道を戻れている。
しかし様子は異様。人間がいない。
彼らは知らなかった。これまで通ってきた町に、これから向かう国からの避難民がいたことを。
避難民が押し寄せた町は決まって混乱が起こる。そんな場所では情報収集のしようもなく、それよりも先を急ぐことを優先した。
だから彼らは、今や人ならざる者たちの領域へと足を踏み入れていることに気付かない。
「すみません、馬が言うことを……」
馬車が止まることも増え、その度に御者が苦労して馬を落ち着かせる。
アイリアもシェリアもどことなく何かを感じ取る。うなじの辺りがピリピリする感覚、初めてのことだ。
「アイリア、これ……」
「うん……」
嫌な予感。
雨が降りそうな曇り空も、平原を吹き抜ける強い風も、芽生えた危機感と警戒心に拍車をかける。
「ッ、魔物」
丘の向こうに異形の姿が見えた。
ここは人類非生存圏ではないが、どの国にも属していない野原。どこからか魔物がやってきてもおかしくない。
数が多い。本当に氾濫が起きたのか。小国や都市国家の多いこの地方でこの規模はまずい。
「――じゃ、ない?」
魔法で先制攻撃をと考えていた2人の指が止まる。
魔物といえば元々存在する動物を禍々しくしたようなものが多い。類人猿系でもない限り二足歩行するのは稀だ。
それに魔物ならば同種で群れを成すことはあるが、異なる種が共に行動することはほとんどない。
見えた集団はそのすべてと違う。パッと見でも多種多様な種が一団を形成しており、見たこともない二足歩行の種族が多数存在する群れだ。
「おっ馬車だ!」「人間だぞ!」「俺がもらったぁッ!」
風に乗って聞こえてくる人語。それが目の前の化け物たちから発せられたものだと気付いても動けない。
今まで生きてきた中で初めて見る、言葉を喋る魔物……その異質さと異様さに人間たちの体が止まった。
学府の誰もが知る天才を除いて。
「何ぼさっとしてんの!」
描かれる【雷撃】の魔法陣。草を燃やしながら飛んでいく雷。
一団から飛び出してきた先頭の何体かが餌食となる――
「魔法使いだ!」「散れ! 囲め!」
異形の集団は統率のとれた動きで左右に別れ、じわじわと包囲を作っていく。
やはり魔物ではない。動物的なものを感じない。
部隊のように集団で行動し、武器を持ち、言葉を介し……明確な文明がある。
あまりに人間くさすぎる彼らは、シェリアの魔法で数を減らされてもなお向かってくる。
「アイリア早く動きなさい!」
「あ…………ああ……! みんなは馬車の中に! いつでも逃げられるように準備を!」
「ま、待ってください! 馬が……!」
動物は本能が敏感に危機を察知する。
馬が暴れ出し、逃げ出そうとして従者らも慌てるばかり。
「チッ……アイリアは皆を守ってて」
そんな中でもシェリアの指は一切の狂いなく動き続ける。
的確に陣を描き魔力を込め、敵が魔法陣を使ってくるようなら反転陣で封じる。
彼女も慌てていないわけではない。恐怖を抱いていないわけでもない。
それとは別の、まるで頭の中に自分が2人いるような感覚。
感情に左右されない判断力――幼い頃から持つ彼女の異質。
今回はそれに助けられている。
途中から形勢は逆転した。
魔族たちは思い知る。人間の魔法使いを警戒する理由はこれだった。このことだった。
人間は弱い。しかし突出した個がいないわけではない。一方的に蹂躙される……今のような状況も起こり得てしまう。
部隊長は後悔した。人間だからと侮ってかかったことを。早い段階で撤退を考えなかったことを。
「くっ……! 退け――」
「あれが頭ね」
女の放つ【風刃】が部隊長にまで届き、彼の首が落ちる。
残った魔族たちは指揮官を失ったことで散り散りになって敗走した。
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アイリアたちはそれから何度も話し合った。
あの化け物たちのこと、噂が本当だったこと、『掟の国』はどうなっているのか、このまま進むべきか。
移動しながら長い時間をかけて出した結論は、やはり故郷への帰還。
確かに魔物の大量発生どころの騒ぎではなかったが、それでも『掟の国』は堅牢な守りの国だ。よほどのことがない限り落ちはしない。
戦ってみて相手の程も知れた。あれなら道中の障害になることもない。
それに自分たちが戻って故郷の守りに加わる方が良い。
旅は一気に過酷なものになった。
無用な戦闘は避けなければならない。シェリアの魔力量は多いが無限ではない。
一行は隠れるように進みながらどんどん故郷に近付いた。
途中で立ち寄ろうとした町や村はどこも滅んでばかり。更地か化け物たちの根城と化している。
そこにあった国そのものが滅んでいると知った時には誰もが驚いた。
よって物資も底をつき、自然の中から探すことに。
貴族として似合わないが、アイリアが食べられるものとそうでないものを見分ける知識に長けていたためになんとかなった。
途中何度も見回りのような化け物部隊と遭遇することもあり、従者の何人かが守り切れず命を落とした。
金はあれど物は無く、ひもじい食事と道なき道。何よりいつ化け物に鉢合わせるかという恐怖が従者たちの心を病ませる。
シェリアは弱音も不満も吐かなかった。
戦闘になれば魔法で一掃し、食事に文句は言うもののしっかり食べ、一行の精神的支柱となり足を動かし続ける。
やがて長い帰路が終わり、一行は帰還を果たす。
そこに何があろうとも、彼らは帰ることができたのだ。
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「砦が……馬鹿な……!」
『掟の国』の国境にある砦は崩壊していた。
化け物の姿は見当たらないが、難攻不落を謳うフライフルの城塞が落ちているという事実に絶望とさらなる不安が押し寄せる。
「まさか、嘘……」
シェリアも動揺を隠せない。一行は急ぎフライフルの領都に馬を走らせ、家族の無事を願う。
「何、これ……氷……?」
待っていたのは領都を包む巨大な氷たち。
エレーナの【氷界】は短くない月日が経っても変わらずそこにあり、何もかもを閉じ込め続けている。
そんなことを知らない一行は困惑し、只事でない何かがあったことを理解してその場に膝をつく。
「何なんだ、一体、何が起きて……」
アイリアは触れた冷たさに間違いなくこれが氷だと確かめる。
これほどの規模の氷が街を包む気候などない。できるとすれば以前シェリアが成功させていた最上位魔法――
「まさか……【氷界】?」
「…………アイリア、どいてて」
シェリアが氷に触れ、眉間を狭める。
フライフル家が秘匿する固有魔法【砕魔】。
決して他者に知られてはいけないそれを使うのは他にどうしようもない時、誰にも悟られない時。父親にそう教えられてきた。
今がその時だと判断する。
魔法を消す魔法……範囲は領都全体。
それほどの規模となるとシェリアの魔力も危ういが、できなくもない。
奇跡のように氷が消え失せ、冷えた空気が残滓を主張し、アイリアたちは息を呑む。
「今のって……」
「……これが私の固有魔法よ。誰にも話さないでね」
「ああ、分かってる……っ、これは……!?」
視界を塞ぐほどの冷気が晴れ、目に飛び込んでくるのは破壊された街。
まさしく廃墟と呼ぶべき建物だった物の数々と、夥しい数の死体。氷によって閉じ込められていた時間がそのまま五感に飛び込んでくる。
ありえない、あってはならない光景が現実として現れ、ここまで生き残ってきたメイドが悲鳴をあげた。
「っ、パパ! ママ!!」
シェリアも叫ぶ。必死の思い出帰ってきた長い年月ぶりの故郷の有様を見て真っ先に浮かぶのは家族の安否だった。
彼女が走り、アイリアも走る。従者たちは打ちひしがれてその場から動けない。
走りながら目が見てしまう。見たくもない血だまりと死体たちを。
たどり着くのは街の中心――広場。
そこにはまるで生きたまま氷漬けにされたような、傷のない原型を保った大量の死体、そして無造作に積まれた子供たちの死体。
それらが誰かなど考えるまでもない。この領都の住民たちだ。
「ぁ…………あああああ…………ア……!」
中央にある死体は……シェリアの絶望だった。
彼女を追ってきたアイリアも言葉を失う。腰を抜かしていないのを褒めるべき衝撃。
ここは何もかもが失われていた。
「こんな……これは……一体何が……」
「グ、ア アァァァ ァ アアアアァァァ!!」
「ッ、シェリア!?」
シェリアから湧き上がる何か。アイリアはそれが魔力だと悟り、思い出す。この症状を。
「駄目だシェリア!!」
見るのは初めてだが知識として知っている。
魔力暴走……魔力量の多い者が稀に引き起こす現象。
極限まで振り切れたシェリアの感情が、尽きかけの魔力を煮立たせる。まるで足りない分は命で補おうとばかりに。
「アアアアアアアァァァァァァァアァァァァーーーーーッ!!」
起きればどんな被害が出るか……アイリアは学府で学んだことを思い出す。
「シェリアっ!!」
「ァ アァァァァ ァ……!!」
既に彼女の穴という穴から血が流れだしていた。
暴走した魔力が体中を巡り、弱い血管から破壊している。このままでは全身が崩壊してしまう。魔力が万全ならもう手遅れだっただろう。
アイリアは一か八か、正面からシェリアを抱き締める。
「落ち着くんだ! 僕がいる、僕を見ろ!」
魔力暴走の原因は感情。鎮めればまだ引き返せる……それに賭ける。
シェリアの体から噴き出す魔力がアイリアの皮膚に触れ、ピリピリと痛みを与える。肌の表面が小規模な崩壊を起こしているのだ。
手荒れだけで済んでいるのは彼の目論見が正しかったことを表す。
「ぁ…………い、り……あ」
「ゆっくり呼吸するんだ。僕に合わせて」
「あ、ひっ、ひっ……すっ」
心身ともに限界を迎えた彼女はやがて意識を失ったが、それでも生きている。
魔力暴走そのものですら歴史的にも稀なのに、それを鎮めたなど偉業ではなかろうか――なんて感想を抱ける状況ではない。
現実に取り残されたアイリアは周囲と足元を見渡し、歯を噛む。
「父上、母上……ルトー…………」
自分の家族はどうなっているのか。生きているのか死んでいるのか。確かめたくないけれど確かめなくてはいけない。
シェリアをおぶり、広場から離れる。
ここにいると自分までおかしくなってしまう。シェリアが先に取り乱していなければ自分が発狂していただろう。
それほどまでにこの場所は氷漬けになる直前の絶望と恐怖に満ちていた。
故郷の道というのは何年経っても覚えているもので、アイリアは迷わず自宅へと向かう。
そして後悔する。この光景を認識してしまったことを。
「あ……あああぁぁぁぁ……!」
潰れた家、潰れたそのままの死体たちを認めたくない。
幼い頃から世話をしてくれたメイドが、別れ際に涙を流して「いってらっしゃい」と言ってくれた母が、記憶の中より大きくなった弟が、こんなことになっていいはずがない。
父の姿は見えない。領地の方だろうか。向かった方がいいのか。それすら考えられなくなる。
旅の果てに待っていた故郷の死。
意図をもって殺された人々。
何故こんなことになったのか。誰がやったのか。何が引き起こしたのか。答えは見つからず、見つける活力も湧かない。
今までの時間は何のためにあったのか。
何のために留学し、何のために帰ってきたのか。
やるべきこともこれからの時間もすべてが消えた。文字通りすべてを失った。
この場所にはもう何もない。
何一つ残っていない。
あるのはただ、響く青年の慟哭のみ。




