14 報告のエレーナ・レーデン
1000年前にそのほとんどが死滅し、残った魔族が静かに暮らす大地。
通称『大陸残滓』の魔王城には、魔族を統べる王、魔王アデジアが住まう。
入学から1ヶ月、アデジアにとって万年にも似た時を経て、エレーナは休日を利用して魔王城へ帰ってきていた。
といっても【転移】を使えばどれだけ距離があろうと一瞬なので、エレーナ自身に帰省したという感じはあまりない。
【転移】は本来、エレーナの魔法ではない。ある魔族の持つ固有魔法だったが色々あってエレーナも使えるようになった。
固有魔法は他者に教えられなくもないが、自分のもの以外の固有魔法は魔法陣に魔力を注いでも使えない。つまりはその家や種族だけの文字通り『固有』な力。
そして現代、その種族は絶滅している。【転移】は歴史上のものとされ、『失われた魔法』となった。
もはや世界には、劣化したものを使うエレーナひとりきり。
本来の【転移】は、広く多く、それこそ軍団を丸ごと別の場所に移動させることも可能であったが、エレーナのそれは自身か、自身と接触する数人レベルの移動しかできない。
だが単独行動を好むエレーナには、それだけでもじゅうぶんだった。彼女の持っていた第21独立遊撃部隊も20人に満たない少数精鋭だったため、部隊を丸ごと移動させる際にも数回の往復を要するだけで済んだ。
閑話休題。
アデジアは久しぶりに見る師を盛大に出迎えた。
潜入から1ヶ月経ったらとりあえず報告に戻るという話をしていたので、準備には困らなかった。
大陸残滓では手に入れることの難しい海の幸山の幸を用意し、2人だというのにパーティーでもするのかというほどの歓迎ぶり。好いた女へのアプローチを欠かさないのがアデジアという男だ。
エレーナはため息をついた。
「片づけなさい」
用意された料理の数々は魔王城で働く魔族たちへのちょっとした褒美として彼らの胃に入ることだろう。
「む……むぅ……師匠よ、機嫌を悪くしないでくれ」
「別に怒らないわよ。でももうしないこと」
「わかった」
「よろしい。お土産があるわ。いる?」
「もちろんだ!」
エレーナが持参した土産は、コーヒーとストリアだった。
どちらもアデジアが初めて目にする物だ。
キッチンを借りて見様見真似でコーヒーを淹れるエレーナの手つきを、彼は至近距離で舐めるように見る。非常にやりづらかった。
「なんだこの黒い液体は。塗料か?」
「飲むのよ」
「……なに?」
町を見渡せる魔王城のテラスで、2人のコーヒーブレイクが始まる。
エレーナは慣れたもので、その味を楽しんでいるようだ。
一方アデジアはおっかなびっくり、数秒の逡巡を経てようやく口をつけた。
「ブーーーーッ!! な、なんだこれは!?」
「ふふっ、それがコーヒーよ。『砂の国』の特産品」
「こんな苦いものを好んで飲むのか!? 『砂の国』の人間どもが泥水を好むとは……砂に頭をやられたのか」
「飲めないのなら、砂糖と乳を入れなさい。それで多分飲めるようになるわよ」
「本当かぁ……?」
エレーナはこんなこともあろうかと、砂糖とミルクも持ってきていた。
人類大陸は物流が盛んなためにどちらも簡単に手に入るが、魔族大陸では同量の宝石と引き換えに手にするような高級品だ。
その高級品(魔族目線)を惜しげもなくカップに入れていくミアに、アデジアは「おぉ……」と声を漏らすことしかできない。
「はい。これで飲めるでしょう」
「う、うむ……」
一口目の衝撃が後を引くアデジアは、「冷めるわよ」と口を挟まれるまで長く悩んだが、意を決して再び口をつける。
「おぉ……なんか、不思議な味だ。苦味と甘味が、こう、なんとも言えん」
「私は何も入れない派だけど、そうやって苦味を抑えて飲むのも立派な飲み方なのよ」
「ふむ。それで、この丸いのはなんだ?」
「これはストリアよ。苦いコーヒーに合うと思って」
これもまたアデジアにとって初めて見る物で、初めて聞く名だ。
「っ、あっま! なんだこれは!? 砂糖をそのまま固めたのか!?」
「パンに似た生地を揚げて、砂糖をかけてあるのよ。生地にも混ぜてあるかも」
「それはもう砂糖だ! ぐおお……! こ、コーヒー!」
どうやら彼にはこの甘味の良さが分からないようだ。
エレーナは次に帰ってくるときは別の物を持って来ようと反省した。
「それで、どうだ? 学園は」
「あ、なんかそれ父親っぽいわね」
「そうなのか?」
「クレア――気軽に話せるくらいの関係になった人間がそう言っていたわ。父親はまず学園での様子を気にするものらしいわよ」
「む……我はこうして話すだけでも1ヶ月待たされているというのに」
エレーナは「はいはい」と流すと、学園でのことを話し始めた。
1ヶ月を過ごした率直な感想は、「まぁやっていけそう」というものだった。
座学はそれなりにためになるし、聖剣氣の使い方を学ぶのは損ではない。
それに初日こそ目立ってしまったが、人々は『慣れる』生き物だ。ミア・ブロンズはそれなりに溶け込めている、というのが彼女の感想だ。
これは報告する必要のないことであるからアデジアに伝えてはいないが、あの後バーダリーは廃嫡、卒業後は非人類生存圏の探索を生業とする『冒険者』になることが決まった。
非人類生存圏の探索は過酷だ。ただのお坊ちゃまなら事実上の死刑宣告であるが、聖剣氣を持つ彼ならばそうそう死ぬことはないだろう。
クレアには「命からがら逃げのびた。対応は騎士に任せてある」とだけ伝えた。
元凶であるボーデットが倒された今、再び行方不明事件や通り魔騒ぎが学園を脅かすことはないだろう。あとは時間とともに忘れられるのを待つばかりだ。
「そうか。まぁ最初は慣れるのが肝心だしな」
「ええ。人間とも普通に接しているつもりよ」
1ヶ月の間に、沢山の男子から言い寄られているということは伏せておいた方が無難だと直感したので、そこも黙っておくことにした。
「まぁ……入って数日でとんでもないことも起こったけどね……」
「なんだ、大丈夫だったのか?」
「ええ。解決自体はしたわ。ただ……」
エレーナは、ボーデットのことを話した。
彼が聖剣氣持ちを狙って誘拐し、殺害に等しいことをしていたということ。
偶然その場に居合わせてしまい、今の魔族のために、やむなく討ち取ったということも。
テラスに険しい雰囲気が流れる。
無理もない。生き残っているとは思わなかった同胞との、感動的な再会といかない事態だったのだから。
エレーナが自ら手にかけたというのも、重々しさに拍車をかけた。
「そうか……それは、大変だったな」
「ごめんなさい。あなたに相談しようとも思ったのだけれど、時間がなくて」
「構わん。騎士ボーデットは我の部下ではなく、師匠の友であるからな。師の判断に今さら口を挟むこともしないさ」
「……ありがとう」
あれから結構経ったが、エレーナの中の『仲間殺し』という自責の念が晴れることはない。
信念を、決意を持って討ったはずだ。後悔は無い。
しかしそれとこれとは、やはりままならないものだった。
アデジアは敢えて無言になる。
ここでどう言葉をかけるべきか、考えた。
彼女の内心を慮ることは当然。それと同時に、なんかイイこと言って好感度を稼いでみようという下心もある。
「師匠、ひとりで抱え込まずとも、いいのではないか?」
「……そう、ね」
「重苦しいまま飲むと、それはより苦いのではないか?」
「まぁ、苦いわね。でも好きだから」
「(えっ、いま我のこと好きって?)って違う!」
「っ、どうしたの急に」
「い、いや、なんでも?」
初めて見た時から惚れていた女。それを前にするだけで、アデジアはどうも心中を乱される。
結果的に彼は席を立ち、エレーナの背後に回り、肩を掴んだ。
「その、なんだ……我も、師匠のことは心配だ。どうにか慰められないかと思い……今触れている」
「え? ええ。触れてるわね。肩に」
「この腕を、もう少し前に出して……回しても、よいか?」
「? まぁ、好きにしたら?」
アデジアは腕を回し、後ろから抱き着く形になる。
流石にエレーナもこの行為の意味を察し、ピクリと肩を震わせた。
「……あのね、何度も言ってるけど私は――」
「今ここにいるべきではない、亡霊。だろう? 何度も聞いた。しかしよいではないか。亡霊に恋をする生者がいても」
「…………困る」
「ははは、弟子は師匠を困らせるものだろう。それに、こういう言い方は少しアレだが、師匠を困らせることができて少し嬉しいぞ。我のことを意識してくれているか?」
「ハァ……馬鹿」
「ん? っ、師匠! 顔が赤いぞ! まさか本当に我を意識して……!」
「うるさい」
エレーナは無礼な手の甲を抓った。
時間切れを悟ったのだろうアデジアは大げさに痛がりながら、その姿勢を解き、自らの席へと戻る。
魔王アデジアは、エレーナから見ても美男子だ。
黒い髪から覗く金色の瞳。褐色の肌は男らしく、スラッとした体形に魔王の風格も持ち合わせている。
そんな彼から真っ直ぐ好意を伝えられれば、どんな者でも胸を高鳴らせるに決まっている。
しかしエレーナは、その好意を素直に受け止められない。
この時代にいてはいけないと自戒する彼女は、今の時代を生きる彼の思いに答えるべきではないと考えている。
それに、ほいほい他の男に靡いてしまえば、かつてひとりの男を巡って争ったあの女に、今はもういない1000年前のバカ女になんと言われるか。
「だがまぁ、安心したぞ。早々に魔族であることがバレて追われる身になるということもなくて」
「一応、人類大陸は何年も旅したことがあるもの」
「そうだな。あの時も我を放ってフラフラとどこかへ行ったな」
「もう、しつこいと嫌うわよ」
ようやく他愛のないことを話せる雰囲気になった。
アデジアはまだ若い。外の世界のことも気になるお年頃なのだろう。どんどん質問をしてくる。
思い出したように口をつけたコーヒーはもう冷めていた。
□□□□□
エレーナはアデジアへの報告を済ませた後、魔族の町を回っていた。
残滓と呼ばれる大陸の残骸ではあるが、一国くらいの広さはある。行けるのは魔王城の周りにある町くらいではあるが、ふと町を見てみたいと思ったのだ。
「騎士レーデンだ!」「エレーナ・レーデン様!」
町に行けば多数の魔族に声をかけられた。
かつて魔族のために尽力し、志半ばに封印され、今の世に解き放たれた生ける伝説。魔族はエレーナをそういう存在と見ていた。
アデジアの後見人になる前にも何度か町を回ったことはあるが、あの頃のエレーナは抜け殻も同然であったため、よく覚えていない。
しかし今なら、民衆に手を振ることもできるし、話しかけに行くこともできる。
「はっ、え、エレーナ様! ご、ご機嫌うるわしゅう……!」
通りかかったオーク族の女性に声をかけた。手に抱いているのは彼女の子供だろう。
育てば屈強な戦士になるオーク族だが、赤子の頃は似ても似つかないほど丸く柔い。
「産まれたばかり?」
「は、はいっ! つい先週……!」
「そう。大事にね」
「光栄です……! よかったわね! エレーナ様に撫でてもらったわよ!」
まだ言葉も分からない子供を、母親が喜んで揺する。
泣き出してしまうのではないかと心配になったが、母親というのは侮れないらしい。子供がぐずることはなかった。
「エレーナ様! 私の子も!」「撫でてくださいー!」「私の卵もー!」
「わっ、ちょっ……!」
今のを見ていたのか、もみくちゃにする勢いで自らの子を差し出す母親たち。
エレーナの手にご利益があるのか、おそらくは無いだろうが、エレーナはされるがままに子供たちや卵を撫でまくった。
「こんなに……いるのね。新しい命が」
「はいっ! ここ数十年は農業も安定してきてて……生まれてすぐ死ぬということもなくなりました」
「そう……でも、私は不安になるわ。この子たちが生きる世界は、狭くて、暗くて……」
エレーナは、新しい命すら素直に喜べないほどに卑屈だった。
1000年前に魔族軍が勝利していれば、このように狭い世界で終わる生き方ではなかったろうにという思いは、未だ拭いきれていない。
そんなエレーナの言葉を否定したのは、ひとりの母親だった。
「いいえエレーナ様。確かに私たちは滅びに瀕し、数えきれない絶望を味わいました。けどこうして、生まれた子供たちを見ていると……なんだか希望が湧いてくるんです」
「希望……」
「何世代も後のことは分かりません。けどこの子が生きる時代が平穏であれば……私はそれでいいと思います」
その言葉に、種族を問わずその場にいた母親の誰もが頷いた。
彼女らの顔はどれもこれも慈愛を感じさせ、これが母性かと思わされる。
「……そう」
エレーナはそれだけ言って、その場を後にした。
なんとなく、ボーデットと対峙したときの自分の道は正しかったのだと思えた。
彼の意思も理解はできた。しかし復讐と戦争は、この子供たちも巻き込んでしまう。
守るべきは、これなのだと、おぼろげながら思える。ボーデットと戦った自分は、これを守ったのだ。
少しだけ、自分を肯定できた。
この大陸に暮らす魔族を守るために、エレーナにはまだやることがある。
ミア・ブロンズとして、これからもバレないよう潜入し続ける。新しい命を、彼らの未来を守るために。
「休日も終わりね」
時差はあるものの、そろそろ『柱の国』にも夜が近づいていることだろう。
魔王城に帰れば、アデジア自らが出迎えてくれた。
「今度はいつ戻ってこられる?」
「そうね……まぁしばらくは何もないでしょうから、半年後とか?」
「なっ……!? あ、明日……せめて来週とかは……」
「何言ってるのまったく……今度はちゃんとお土産選ぶわ。何か好きなものある?」
「師匠」
「そういうのじゃなくて」
この男は不意討ちが上手い。
まったく魔王としてそれはどうなんだと冗談交じりに呆れる。
「そうだな……なんでもいいさ。師匠に任せる。大切なのは無事戻ってくることだからな」
「……わかったわ。今度はあなたが気に入るようなのを持ってくるから」
「指輪とかかな! 揃いの!」
「そういうのじゃなくて」
馬鹿話を切り上げ、【転移】を発動させる。
もう何度目かの別れだ。アデジアは最初の頃のようにしがみついて引き留めてくることはしない。頼りがいのある不敵な笑みが似合う男になった。
「じゃあね。また」
「ああ。また」
ドウン、と特有の音が鳴れば、エレーナの視界は魔王城から寮の自室へと変わる。
「さて」と変装魔法を施し、亜麻色の髪に灰色の瞳を持つミア・ブロンズへと姿を変え、エレーナはさっそくお土産選びをしようと決めた。
「とりあえず、もっと調査しなきゃね」
表に出すことはないが、彼女の中には少しだけ『楽しみ』という感情があった。




