三八 The decision's me
「えっと……」
「転移」
「え?」
「転移、して。魔王城」
「あ、うん。いいの?」
「いい」
言われるままにイムグと手をつなぎ【転移】を使う。
飛ぶ先はとりあえず私の部屋。
「来たけど……なんで?」
「…………」
無言。
う……これはアレだ、言いつけを破ったからだ。
ラブラミとふたりきりになるなっていう……
「えっちなことは何もなかったわよ!?」
「ふーん」
なんだこの目は。これまでの人生の中でこういう目を見たことはない。一体どういう感情なんだ。
「そんなにラブラミの胸がいいの?」
「いや……あれは魔法で」
「なんでかかるの?」
「仕方ないでしょ、突然だったし……」
思い出すだけで悔しい。
まるで自分じゃないみたいにラブラミのことを好きで好きで仕方なくなった。それこそアイリアに自覚しているのと同じくらいに。
【魅了】……あれは危険だ。
「……怒ってる?」
「怒ってない」
「なら手を放して。ちょっと痛い」
「…………ごめん」
あれだけギュウと握っていた手があっさり離れた。素直だ。
「エレーナは……自覚が足りない」
「自覚って……」
「エレーナは私の騎士。ダメって言ったこと、なんで守れないの」
「やっぱり怒ってるじゃない」
だってそれにあれは、強引だったし。
「……もういい」
「ちょっと」
「私は、別のことにも怒ってる」
"も"って、やっぱり怒ってる――そう言おうとしたところで頬を掴まれる。むぎゅって。
「な、なひ」
「なんで……ああなるまで無理したの」
っ――
また答えにくいところを。
「今はまだいいけど、さっきのエレーナ、見ててすごく辛かった。あんなになるまで休まずやれなんて言ってない。なんで? 人数だって……言えば、軍とか他の騎士も一緒に行かせたのに」
「……私は――」
「そんな風になるって知ってたら……」
言葉は続かなかった。
その代わり、私個人に関わることだから敢えて【未来視】は使わなかった――イムグはそう言って息のかかる距離にまで近付く。
「ごめんね……無理させて」
「なんで謝るのよ。無理をしてでも戦う……前にも言ったでしょ」
「私は……エレーナにあんなにやつれてまで戦ってほしくない……」
やつれ……まぁ、それくらい酷かったのは確かか。
「魔王の言葉じゃないわね」
「だって、エレーナは……私の、大事な…………」
――そこまで言ってイムグが俯く。
「なに?」
「…………騎士、だから……」
再び「ごめん」と言われ私もどうしたものか。
「最近……分からないの。エレーナのこと」
「私……?」
「エレーナ自身のこと、私は何も知らない。今まで見てきたあなただけしか知らない……それに…………私が、私自身が、あなたを……どう思ってるのかも、分からなくなってくる」
ひとつ目は仕方ない。私が話してないから。彼女と出会って間もない頃に「そんなの話す間柄でもないでしょ」と突き放したのは覚えてる。
……ふたつ目は、それこそ知らない。彼女の気持ちの話だ。
「自分のことでしょ。私に言われても……」
「今日、エレーナが帰ってきた時、すごく不安になった……エレーナがラブラミと一緒に出ていった時、すごくムカついた……部屋に入ってエレーナがラブラミに抱き着いてる時、すごく嫌な気分になった……ダメって言ったのに、でも止めなかったのは私で、会議を優先したのも私で……今は、さっきまでの私が嫌い」
「だからごめん」――3度目のごめん。
「自分でも分からない、のに、エレーナに……ぶつけて、ごめん……」
「それって――」
「…………?」
「……いや、なんでもない」
どこか覚えのある感情の名を呼ぼうとして、私は見て見ぬふりをした。
違ってたら恥ずかしいし、もし合ってても……どうすればいいのか、私にも分からないから。
イムグも今すぐ答えを求めてるわけでもないらしい。侵略のこともあるし。
「休めたようで、よかった。騎士ラブラミは良い仕事をした…………おかえり、エレーナ」
「……ただいま」
色々置いて今さらのやり取り。こんなやり取りをしていると、ここが家みたいに思えてしまって……
帰る場所だったな、ここは。
□□□□□
落ち着いたらしいイムグはお茶を淹れる。魔王手ずから、やっぱりまだまだ練習中。
最初は呑気なものだと思ったけど、イムグにとってこれは少ない時間でできる少ない趣味なんだ。むしろこれくらいしか趣味ができない。それが魔王という立場か。
急激に申し訳なくなった。
イムグだって年中疲れを溜めている。それなのに私が疲れたくらいで彼女に心配をかけるのは追い打ちじゃないか。
「ねぇ、あのね――」
だから本当に、今から話すことが彼女の不安材料になってしまうだろうことが、本当に申し訳ない。
でも言わなきゃ、話さなきゃ。
「私はもう、戦えない…………」
私の言葉にイムグは強張り、1秒もしないうちに優しい目に戻ってお茶を置く。
「帰ったら……話そうと思ってた……駄目だったの…………どうしても……」
「うん。聞くよ」
「全部……話す……これまでのこと、私のこと……」
□□□□□
本当に全部話した。
私が『掟の国』に生まれたこと。領主の娘と仲良くなったこと。同じ男の子を好きになって仲違いしたこと。誘拐されて助け出されたこと。無かったはずの魔力を得たこと。処刑されたこと。師匠に拾われたこと。
ここに来るまでのすべてを。
途中、感情が昂ってしまうこともあった。
自分のこれまでを順を追って振り返ると当時の感情も思い出してしまうから。
何度か泣きそうになって、堪えて、やっぱり少しだけ涙を流して――
イムグはすべてを静かに聞いた。私の口が止まっても、時間は無限にあるとでも言うように待ちながら。
時間が無限にあっても私の人生は有限。とうとう現在に至ってしまう。
どうして彼女にすべてを話す気になったのか、理由はふたつ。
ひとつは単純に誰かにぶちまけたかった。私は今まで頑張ってきた、これまでの私を認めてほしかった。
もうひとつは、自分で言うのもなんだが辛い人生を送ってきてるんだから、これからの弱音を聞き入れてくれという下心。
すべてを話し終わって、私は今の私のことを話さなければならない。
「人間を殺せない……殺したらその分だけ、私が壊れる……それが分かってしまう……甘えとか良心とかじゃないの……憎い相手でも、殺したい相手でも、私じゃない私が邪魔をして……理由も分からない……とにかく体が動かなくて……もう嫌なの…………」
苦しくなって、痛くなって、感情も義理も使命も上回る嫌悪感が苛んでくる。
熱いものに触れたら反射的に手を引くように、本能が遠ざかりたいと思ってしまう。
『魔王の騎士』失格な弱さ。私は弱いんだ。逃げたいんだ。
優しくしてほしいんだ。慰めてほしいんだ。傷口を塞いでほしいんだ。
そして彼女はそうしてくれる。
肩を震わせる私にそっと寄って、抱きしめてくれる。
期待していた通りのことをしてくれる。安心する。
「辛かったね、頑張ったね」
言ってほしいことを言ってくれる。
弱音ばかりの私を責めず、慰めてくれる。頭を撫でてくれる。
「ありがとう、嬉しい。話してくれた」
「ごめん……こんなんで……」
「いいよ」
自覚がある。イムグに心を開きすぎていると。
初めて会った時の彼女は不思議で不気味で意味が分からなかったけど、彼女を理解してくると同時に私を理解してほしいと思ってしまう。
いいのかな。きっと彼女は「いいんだよ」と言ってくるだろう。
「ごめんね……今の話を聞いても、魔王として、エレーナに戦いをやめていいって、言えない……」
「うん……分かってる……」
イムグがこう言うしかないってことは分かってる。
彼女個人がいくら私を認めてくれても、今の私は私だけのものじゃない。
「だから、せめて……少しでも、エレーナの助けになりたい。支えになりたい。できることをしたい」
ああそれでも、本当に……イムグは私のほしい言葉を言ってくれる。
多忙なあなたが、魔族の命運を一身に背負うあなたが、私を思うことが……
私を見て、私に近付いて、私に触れようとすることが……
とても――
□□□□□
乾いたカップに再びお茶が注がれ、乾いた喉を潤す。
お茶と一緒に受け取るのは、イムグの提案。
「心が痛いなら、私に押し付けてほしい」
「押し付ける?」
それができれば苦労はしないのだが、実際の傷すら誰かに移すことはできないのにこの不快感を押し付けるなどできるのか。
誰かそういう固有魔法でも持っているのか。
そんなことを訊いてみたがイムグは首を横に振る。
「全部、私のせいにして。エレーナは本当は誰も殺さなくていい。でも殺さなきゃいけないのは私のせい。私が命令してるから、私のためにやってること。そう思って」
「それは……」
「辛くなったら私を責めて。お前のせいでこんな思いをしてるんだって」
「そんなこと! できるわけ……」
「私は大丈夫だから。元々そういう立場、なんだよ」
これまでも私は誰かのせいにしてきた。
特に『掟の国』では、すべての元凶は家族の仇である辺境伯だと。怒りが心をごまかしてくれた。
それを今度は「魔王の命令だから」とごまかせというのだ。
できるのかな……自信がない。
実際に体を動かすことなら死ぬほど練習すればいつかはできる。でも心のありようを故意にどこかに向けるのは……やりたくてもやれないことではなかろうか。
海を越える時、外魔にくじけそうな時に一度だけ「魔王のため」と言い聞かせたことはあった。
あれもきっとイムグの言う押し付けなのだろう。死にゆく理由に魔王を使ったわけだから。
でもあれは味方を鼓舞したもの。私自身に当てはめて言ったわけじゃない。
やはり難しい。
「今、言ってみる? お前のせいでーって」
「……嫌よ」
「私に悪いって思ってる?」
「当たり前でしょ……あなたは私によくしてくれて……そんな相手に、なんで恨み節をぶつけられるのよ」
「恨まなくても、押し付けるだけでいいよ」
「ほとんど同じ――」
「こうだよ」イムグが耳元で囁く。
「あなたは私の騎士。あなたの剣も色も温度も、私のもの。あなたの行動は、すべてが私のため」
「…………」
「続けて」
「……私は、あなたの騎士。あなたは……私の魔王」
「エレーナのやること、そのすべてを私が肯定して保証する。何をしても、私のせい」
「それ、騎士全員に言ってるの?」
「ううん。エレーナだけ」
特別扱い……今さらか。
イムグは私を肯定して、都合の良すぎることを言ってくれて、ダメになりそうだ。溺れてしまう。
「痛くても辛くても私がいる。私が、あなたの手を引いてあげる」
「っ……」
…………ああ、そうか。
ずっと探していたのかもしれない。
両親に引かれ、シェリアに引かれ、師匠に引かれ……そうして今、私の手は宙ぶらりんだった。
幼い頃から私は求めていた。手を引いてくれる誰かを。引っ張ってくれる誰かを。
「これまで一緒にいたエレーナを、全部話してくれたエレーナを信じる。あなたも、私を信じて、ついてきて」
「――努力してみるわ……」
何も考えずに手を引かれるままついていくのは簡単だ。ずっとそうしてきたのだから。
それは私にとって温かくて、安らぎで……
でも殺人への不快感を和らげてくれるのか……やはりいまだ不安が残る。根本的な解決になっていない。
ここまで心を砕いてくれるイムグに真っ向から「そんなの気休めじゃないか」なんて言えない。
イムグのためにも、これは私がなんとかしなきゃいけないことなんだ。
手段は選んでいられない。
□□□□□
「女王様ですか? 今日はお休みしてますよ」
『楔の国』にいたサキュバスが言うには、次の侵攻前に一週間の休暇を貰っているらしい。ハイマが魔族大陸の彼女の故郷に送ったんだとか。
次にハイマを見つけて、私もそこに飛ばしてほしいと頼んだ。『魔王の騎士』同士の報告があると言えば頷いた。
飛ばされた先は、昔は国……今はサキュバスが治める州。
元は小国だったためか主の住まう建物は宮殿ではなく館。働くメイドもサキュバスだった。この建物――この国で男を見つけるのは難しいらしい。
部屋の扉を叩き、主が顔を出す。
「なに~……まだ休暇中――って、え!? 騎士レーデン!?」
びっくりされた。私もびっくりした。
なんで全裸?
「ちょっと待ってね!」
バタンと扉を閉められ、バタバタと部屋の中で物音がして、再び開く。
「どうぞ~!」
裸とそう変わらないいつもの面積の少ない服を着たラブラミが部屋に入れてくれる。
さっきの物音は片付けてる音だったか……まぁ、普通にまだ汚い部屋なんだけど。
比較的無事なソファに座らされ、隣にラブラミが座った。
「ごめんなさいね、この部屋にお客さんって来ないからお茶も出せなくて」
「別にいいわ」
「それで? サキュバスの部屋を訪ねてくるなんて……もしかして"個人的な用"ってやつかしらぁ? なーんて――」
「そうよ」
「へ……?」
数秒の驚きと逡巡を経て、甘い匂いが近づいてきた。
「ふーん……じゃあいいんだ。手、出しても」
□□□□□
「私はイムグに言わなかった。アイリアのことを……『掟の国』に彼はいなかった。再会はもっと後だった……その時にも、言わなかった……」
自棄なのか、それとも本当にすべてを預けることができたからか。
なんのしがらみも嘘も無く、ただ吐き出す。私の長い長い長い過去。
途中何度も発作のように涙が出て、呼吸が荒くなって、その度に背中をさすってもらった。
「私はたくさん間違えた……誰かに頼って、依存して、そのくせ都合の悪いことからは逃げて…………」
間違えて間違えて、もしかしたら今も間違えたままここにいる。
こんな暗い話をずっと聞いてくれる赤毛の少女――既に少女とは呼べないかもしれない彼女に対しても……こうしてすべてをさらけ出すことが正しいのか、それすらも分からなくて。
同じ部屋にいるのに、私は彼女の顔を見られない。
一度は心を通わせたからこそ、大切な相手だからこそ、すべてを話して嫌われたらどうしよう……覚悟を決めたはずなのに心は今にも逃げ出してしまいそう。
イムグにもこうして身の上を話したことがあったっけ。
あの時は相手がどう反応してくれるか、なんとなく分かっていた。心のどこかで私を慰めてくれるという打算があって話した。
でも今回は読めなくて……彼女がどう思ってるかなんて分からない。
拒絶されてもおかしくない。一度は喧嘩別れした。また彼女と離れ離れになっても……
ああ……嫌だなぁ……
「――今日はもう遅いし、ここまでにしましょうか」
「うん……また明日」
彼女の手が私の手に触れて、体が小さく跳ねてしまう。
果たしてこの手に触り返すことは許されるのか。そんなことを考えて、怖くて……
「大丈夫。聞くよ、最後まで」
「クレア…………」
「全部知りたいから、どんなことでも」
ようやく彼女の顔を見る。
確かめたくない。嫌われたら、拒絶されたら、きっと明日なんて来ない。私は逃げ出して二度と彼女の前に姿を現さない。
そんな未来を想像すると怖い。怖くて仕方がない。
「重くても、痛くても、私に分けて」
声に釣られて彼女を見る。
安堵して、釘付けになる。
それは自分のことしか考えてない人殺しを見る目ではなく、確固たる決意を湛えた瞳を持っていたから。




