三六 A human. Shaken, not stirred
ああ……駄目だな、やっぱり駄目だ、無理になってきてる。
人をたくさん殺した。今にも吐きそうだ。部下がいつ戻ってくるかも分からないのに。
部下たちが人間を虐殺していった時も、兵を殺した時も、子供だけ処刑していった時も、まとめて氷漬けにした時も……
仇である辺境伯とその家族を殺した時もそうだ。
ひとりひとりに死をもたらす度に、同じ分の小さな刃物が心臓に刺さるように胸が痛く苦しくなった。
復讐を果たして怒りが収まり、残った不快感がシミのようにこびりついて呼吸を浅くさせる。
本来ならこんなことを思うことすらおかしい。私の意思で、私の手で殺したのに。
嫌々やったわけじゃない。進んで殺したんだ。
なのに殺人という行為をどうしようもなく忌避する自分がいて、本当に気持ち悪い。
私の本質が優しいから? 違う、そんな寝言をほざいても何の説明にもならない。
とにかく嫌なのだ。
今さら都合よく後悔でもしようとする自分が本当に嫌い。
こんな気分になるのも辺境伯のせいだ。
私の家族を奪ったくせに善い親と善い領主ぶるから。私が悪いみたいじゃないか。卑怯者め。
私は悪くないのに、どうして何もしてないのに嫌な気分にならなきゃいけないんだ。
シェリアを同じように殺せたら、この嫌な気分も晴れるだろうか。
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この街をどうするか迷った。
完全に時を止めてしまうか、跡形もなく消し去るか。
放って劣化するのも、幸福と不幸の宿る場所をなくすのも、どっちも嫌だった。
悩んで悩んで、結局残すことにした。
何を思ってそう決断したのかはよく覚えていない。
街すべてを呑み込む巨大な【氷界】の魔法陣をひとつ。何もかもを氷の中に閉じ込めて、世界からしまう。
たとえ運よく誰かが生き残っていたとしてもこれで終わり。部下に捜索させる必要なかったかも。まぁひとりになりたかったし別にいいか。
「…………さようなら」
挨拶をする義理のある人間などいないのに、誰に向けたのかも分からないことを口走った。
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次に向かったのはこれまた懐かしい……というよりも「こんなのだったっけ」とすら思ってしまうところ。
かつて住んでいたところ……私が生まれた町。
領都に比べたらはるかに小さく、まさに田舎町。子供の頃はこの町すらも巨大な迷路のように感じたものだ。
複雑な気分だった。来たくなかったような、とにかく手を出したくないような。
でもやらなきゃならない。例外は無いのだ。
小さい町だったので簡単に滅ぼすことができた。
町の中心で【雷宮】を使って一瞬。住民たちも何が起きたか分からず消えていった。
「やっぱ俺たちだけで国を落とすのは時間かかりそうっすね」
「手分けをすればいい。あなた達は最低でも何人で1組がいい?」
「4人……でしょうか。それより少ないと何かあった時まずいかもしれません」
「分かった。なら5人1組をみっつ、組み合わせは任せるわ。クリャガーダーとローヌは私と来なさい」
移動速度を考えるなら私を乗せて飛べるクリャガーダーは一緒に来てほしい。
それにローヌ――ニュクテというコウモリと人間が合体したような種族の彼女は単独で飛行できる。ワイバーンにもついてこれるだろう。
肌も髪も何もかも黒い。褐色とかそういう次元じゃなく。
魔族の中では珍しくかなり人間に近い。背中から翼が生えていなければ煤にまみれた女だ。
ハーピーやオウルミュンミンの親戚のようなものなのか、足はコウモリのそれ。
白目と黒目の色が逆というか、黒の中心に白い瞳がある。怖い。
「承知いたしました。しかし騎士レーデンと同行となると……私の出番はなさそうですね」
「私はサボるから2人で頑張りなさい」
「ちょっと! サボるなら降りてくださいよ!」
他の組もまとまった。
やはり移動のことを考えて、誰かを抱えて飛べるたり走れる魔族、そういうのが中心になった。
「これは侵略ではなく駆除よ。人間を殺して町や村を落としなさい。まずはこのフライフル領……ここは国外からの脅威に対応するため兵力が多い。侮らずかかりなさい。5日後に領都でまた集合。途中でも帰ってくること。来ない場合は死んだとみなすから」
私からしたらフライフル領は広くて、とても5日でやれるとは思えないけど……昨日見せてくれた彼らの力をもってすればやれるだろうと判断した。
それにこれだけ短い期間なら間違って領の外に出たりしないだろう。
地図は手に入れてある。
領内の詳しいものも、国全体のものも。
目指すべき場所は分かっている。
魔王や騎士たちに大見栄を張ったのだ。やってやる。たとえ指が動かなくなっても。
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私たちが向かったのはとびきり兵の多い国境付近。
上空から【雷墜】や【氷墜】を落とす……ほとんど作業だった。
頑丈な砦もはるか上空から落ちてくる巨大な質量には耐えられない。何の前触れもない奇襲に兵たちは慌てふためき、どれが指揮官かなんて考えずにただ魔法を落とすだけ。
クリャガーダーとローヌも魔法を使ったけど……一般的な魔族は【雷墜】を2回くらい使うだけで魔力切れに陥ってしまうらしい。ローヌの言った通り2人の出番はあんまりなかった。
狙うのは砦や城塞だけではない。無辜の民しかいない町も村も、目についた集落はとにかく破壊。
領都のように念を入れて逃げ道を塞いだわけじゃないから生き残ったのもいるけどまぁいいだろう。それに人里を離れて暮らしてる者もいるだろうし、完全な皆殺しは最初から目的にしていない。
どうせ後で魔王軍がたくさん来るのだ。ぷちぷち潰す作業は彼らにやらせておけばいい。
そんな感じで空からドカドカやっていたらあっという間に目標としていた分を終えてしまった。
遠い上から見下ろしていたからだろうか、作業感も相まって前のように指が動かなくなるということもなかった。
なんて効率的なのだろう。師匠曰く「魔法使いは位置を制した者が強い」らしいが、本当に上を取るというのは凄まじい。これも飛行魔族のおかげだ。
「いや、確かに俺らワイバーンは昔めちゃくちゃ重宝されてましたよ? でも騎士レーデンみたいにアホみたいな上位魔法の連打なんて普通できないんですよ。もうちょっと自分のヤバさを認識してください。どんだけデカい泉持ってるんですか」
かつて戦乱の絶えなかった魔族大陸において、飛行魔族は一定の地位にあったらしい。
今の私みたいに背に乗って上空から魔法を落とす戦術もかなり猛威を振るっていたようだ。
しかし普通の魔族は魔法こそ使えるものの魔力量はまちまち。種族によっては魔法に頼らず普通に武器や肉体に頼る者もいる。ゴブリンとかオークとか。
だからワイバーンを使った戦術は基本的に一撃離脱。その場に留まって魔法を使いまくるのはなかったという。
ワイバーン自身も【軽量化】という魔法を使い続けているため下手に余計な魔法は撃てない。本当にただの足。
仮に私ではなくローヌがクリャガーダーの背に乗って戦ったとしても、やはり一発ぶつけてすぐ退避する形になるだろう。
「まぁそれでも俺らは色んな国に引っ張りだこだったんですがね! 空を制す者が戦を制すってね」
「じゃあ敵なしだったの?」
「……空飛べる奴は他にもいるし、ドラゴン相手には逃げるしかないっす。地上から物投げてくる怪力種族には返り討ちにされることもあったっけなぁ……」
強い戦法というものには、得てしてそれなりの対策もあったようだ。
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5日後、領都の郊外で再び部隊が集う。
部下たちには内地側を任せていたので、報告はどれも色よい。
やはり期限が短すぎて手が届かなかったところもあるようだが、フライフル領は制圧――殲滅したと言っていいだろう。
「この調子で国のすべてを滅ぼす。次は隣のビードフ領、その次は――」
こうして第21独立遊撃部隊は『掟の国』を食い荒らしていった。
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落とした領の隣を攻め、そこを落とせばまた隣を……と順繰りにやっていった。
敵はただの人間。正面から当たり数にものを言われれば苦戦は必至だが、こっちは数が少ないなりに様々な攻め方ができる。
突如として現れる魔族の部隊に即応できる者は少なかった。
最初に落とした辺境伯領より多くの兵力を持つ貴族がいなかったのも大きいだろう。最前線で国の守りを任されていたフライフル辺境伯こそが最大戦力だったのだ。
王都に近付くにつれて敵の数や質は低くなっていった。
さすがに向こうも異変に気付き、化け物が現れたという生き残りの証言を聞いて急いで対策を考えてはいたが、結論から言えば彼らは間に合わなかった。
私たちはほとんど休みなしで手当たり次第に町や村を滅ぼして回り、その速度は普通に軍が動くよりも速い。
そしていよいよやって来た王都にはかなりの数の防衛軍が詰めていた。国中からかき集めてきたのだろうか。中に収まらず王都の外に陣を張っている軍もある。
「あなた達は王都の外にいる軍をやりなさい。敵は多いから正面から全滅させるのにこだわらず引き付けることを意識して。決して王都内には入らないこと。私は一気に王城を叩くけどローヌはついてこなくていいわ。他の皆と攻撃に加わって」
「分かりました」
乗り慣れたクリャガーダーの背にまたがり、王都を見下ろせるほど高い所まで行く。
「? 気付かれた……?」
下が騒がしくなっていた。こっちまで届いていないものの魔法まで撃たれている様子。
「ずっと同じ攻め方してましたからね。生き残りが俺たちの情報を持って帰ったんでしょう。空から攻めてくる奴がいるーって」
「そう。まぁ関係ないわね。王城の上まで行って」
クリャガーダーが太陽を背にするように飛び、すぐに王城まで着く。
なにやら王城のバルコニー部分からも魔法が飛んでくる。やはり完全に発見されているな。
これまで通り【氷墜】をいくつも撃って建造物を破壊する。突然のことに混乱の悲鳴がこっちまで聞こえてきた。
立派な城だったが、氷の雨が降った後は見るも無残だ。
龍の外魔に比べたらどんなものも容易く壊れてくれてありがたい。
「あなたは皆のところに戻って。私は降りて内側から殲滅する」
「騎士レーデンは?」
「言ったでしょ、ひとりで叩くって」
跳んで、落ちる。
落ちながらふたつの魔法陣を描く。
ひとつは【転移】。地面と激突する直前に使うと勢いを殺せることが分かった。
もうひとつは【雷宮】。周りに味方がいないから使える。まとめて殺すのに非常に有用。
大きなバルコニーが見えた。そこに【転移】し、周りを見る。演説の時に使うやつだろうか、眼下に城下町と広場がよく見える。
「大丈夫、やれる、やる、描ける、殺せる、消せる」
建物内のバタバタとした騒がしさをかき消すように無心になって最後の直線を引き、【雷宮】の陣が完成する。
込めた魔力が遺憾なく発揮され、雷で出来た宮殿が城を吞み込み、それだけでは足りぬとさらに広がっていく。
ここまで広範囲の魔法を使うのは久しぶりだ。
老若男女も身分も関係なく、王都のすべてが破壊の雷に喰われ、残ったのは崩壊した街の残骸。
……生まれ故郷だから私自身なにか思うところがあるかと思ったけど、意外にも感慨とかはない。
私が憎いのは辺境伯であって、顔も名前も知らない国王や『掟の国』そのものには大した執着をしていなかったみたい。
あるのはただ、雪のように降り積もってかさを増す溢れそうな不快感のみ。
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その後、王都の消滅を目の当たりにした時の動揺を突いた部下たちが一気に襲い掛かり、化け物を相手にする人間たちの戦意が急激に失せ、遁走する兵が続出し軍も崩壊。
私もその場に合流したけど背中を撃とうとしてまた指が動かなくなり、部下たちに任せた。
心臓の動きが速い。苦しい。頭も痛い。不快を越えて苦痛になっている。
なんとなく自覚があった。私という器には淵までなみなみの水が入っていて、あと少しでも足せば零れる。
零れるだけならまだマシか。器そのものが割れそうな気がした。
「ふざ、けるな……!」
まだ手を付けていない地方も残っている。全体でいえば7割くらいしか終えていない。
残りの3割も片付けなければ。降伏も交渉もないこの戦争とも呼べない一方的な虐殺は終われないのだから。
敗走する軍は深追いせず、部下たちが戻ってくる。誰一人として欠けていない。
正面から当たれば犠牲もあっただろう。さらっと奇跡みたいな戦果だ。
街の外に展開していた敵の損耗は少なかっただろうが、どうせ殺すのだ。遅いか早いかでしかない。
「王都は落とした……引き続きこれまで通り、残った場所を潰して……いく……」
「騎士レーデン、さすがに休んだ方がいいですよ。ひでぇ顔だ」
「休む…………?」
確かに部下たちにはこれまで無理をさせたかもしれない。なにせほとんど休みなしでここまできたのだ。クリャガーダーの言葉に頷く者もいる。さすがに疲れさせてしまったか。
「そう……なら休みたい者だけここに留まればいい。後で戻る」
「ちょっ、ひとりで行く気ですか!?」
「あなたが飛べないならそうなるわね」
「俺が言ってんのは――ああちょっと、待ってくださいって!」
「なに、飛べるの?」
「まぁ飛べますけど……だから休むのは俺らじゃなくて――」
いつものようにその背に乗ろうと鱗に手をかけて、掴み損ねた。
手に力が入らない……違う、手だけではない。全身から力が抜ける。
「……あ、れ?」
見上げれば空が遠くて、ゆっくりとさらに遠くなっていく。
芝生の柔らかさを背中と後頭部に感じて、意識すら遠くなる。
「なっ!? ちょっと!」
「なんだどうした!」
「来てくれ! 騎士レーデンが倒れた!」
くそっ……なんで動けない。
動かそうとしても指一本も。
こんなところで止まってる暇はないのに。
動け、
まだ、終わって な




