二九 殲滅ノ狼煙
港町が滅んで2ヶ月、『南の国』にはあらゆる噂が蔓延していた。
なんでも化け物が町を滅ぼしたのだとか、町は一日で消えたとか、外魔がどうとか。
何にせよ町がひとつ音信不通、さらに派遣した者も帰ってこないとなれば領主が動くものなのだが、この領主が仕事をしないタイプの人間だった。
大陸の端、海を持ちながら運良く戦乱とは無縁だったこの国は保守的でだらけていたのだ。
それが魔族にとって好都合。
ろくな軍備も整えていないこの国は僅か7日で滅び、住む人間のすべてが殺された。『魔王の騎士』が出るまでもなく、ただの雑兵のみで。ひとりの死者も出さずに。
人類にとって未曾有の敵。しかしそれは魔族にとっても同じ。
双方共にすべてが珍しい。
戦闘は互いに手探りだったが、慣れてしまえば余裕が出てくるのは魔族の方だ。
なにせ人間は数だけは多いものの個が脆く、魔法が使えるのも一握り。
全員が魔法を使えるうえに膂力で勝る魔族が敗北する理由がなかった。
魔族の誰もが思う。「こんなものか」と。
橋頭保となる広い土地を得た魔王軍は続々と兵を呼び寄せ、ついにはキャッスルゴーレム騎士ラカミセリニウマ本体すら人類大陸へとやってきた。
初めて彼の本体を見たエレーナは口をあんぐりとする。
ドンブルーギュンの何倍だろうか。まさしく城。土台部分には6本の足があり、移動する様は山が動くよう。
内部も城そのもの。数千の軍が中にいるまま移動できそうだ。
彼は自らの枝となるゴーレム軍を主力としているが、ワイバーンなどの飛行魔族も住まわせていた。
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魔族が人類大陸についての情報を得る際、ゲイザーとドッペルゲンガーは特によく働いた。
ゲイザーは捕まえた人間の記憶を読むことができて、ドッペルゲンガー人間を殺して成り代わり何食わぬ顔で国の主要な都市へと潜り込めるのだ。
魔族の共通語が人間のそれと同じだったのも幸いしただろう。
地理は飛行魔族が飛んで把握できて、近くに何があるかはゲイザーが読んで、詳しい地図などはドッペルゲンガーが持ち出してくる。そうして徐々に人類大陸の情報が集まる。
最初に上陸したのが『南の国』という文字通り南端にある土地だったのもあり、進軍方向は絞られてくる。
事実上の魔族侵攻の口火を切るのは、元『南の国』……現魔王軍基地からそれなりに距離がある国――『楔の国』への進撃だ。
北進する上でこの国はまるで分かれ道のような場所にある。この国から見て北東と北西にそれぞれ別の国があって、それらの国境に楔を打つかのように存在していることから今の名で呼ばれているらしい。
エレーナはそこで初めて戦争を体験する。
リーテに送られた不思議な空間ではない、現実の戦争を。
そして初めての戦争は、あまりに一方的だった。
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『楔の国』にとって落日となる日、王都には国の全軍が集っていた。
上がる「化け物がやってくる」という報告、突如として途絶えた『南の国』との連絡、そして南方の町や村を滅ぼしながらやってくるという人間ではないらしい謎の軍勢。
王は最悪の事態を想定し、あまりに大げさすぎる防備を固めた。
彼は賢王と呼べるだろう。それは間違いでもなかったのだから。
国の全軍ともなれば数万にものぼる兵が集まっている。
北側2国を牽制できるほどの国力を持つ大きな国、それが全力で王都を守るのだ。ちょっとやそっとで陥落させられるわけがない。
だがどれだけ万全を期しても、どれだけ覚悟をしても、どうしようもないことがある。
あらゆるものを正面からねじ伏せる暴力だ。
魔王軍は呼びかけも宣言もなしに、兵も民も問わず攻撃を始めた。昼前、太陽が昇り切る前のことだった。
最初の攻勢、それなりに大きな国の王都を落とす。
『南の国』の腑抜けた上に数も少なかった雑魚とは違い、人間たちは本気の構え。
景気づけや自軍の兵へのパフォーマンスの意味も込めて、通常の進軍ではなく『魔王の騎士』とその麾下のみが前に出た。
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真っ先に接敵したのは騎士ザガノース。
武器は持たず、サイクロプスの巨大な体躯から繰り出される拳や蹴りだけで一瞬にして何人もの人間が砕け散る。
「ガッハッハッハッ! 人間というのは脆すぎるな!」
人間たちは恐怖した。
生まれて初めて見る人ならざる者たち。少し歴史を紐解いたくらいでは存在すら確認できない化け物。
自分たちよりもはるかに力を持った存在が明確に自分たちを皆殺しにしようとしてくる……僅かに残る勇気も霧散するほどの蹂躙。
「ほう、魔法か! そういえば人間にもいるのだったな!」
あまり考えることをしないザガノースだが、注意すべきことは覚えている。人間は種族ではなく家系ごとに固有魔法が異なるからなるべく早めに殺せというもの。
離れた場所にいる人間に対し、ザガノースは転がっていたものを投げる。岩だったり死体を握り固めたものだったり。
彼の手に収まる大きさとは、すなわち人間に直撃すれば即死。遠くから魔法を撃つ人類側の魔法使いもまた蹂躙から逃げられなかった。
そうして真正面から敵軍に突っ込み暴れ回った騎士ザガノースは、真っ先に都市を踏み荒らし城の正門へと到達する。
「堅そうだな! 吾輩の拳と比べようではないか!!」
がっちり閉じた堅牢な門があろうと、ザガノースは固有魔法を使えば人間たちは口を開けて呆けるしかなくなる。
ただでさえ人間の何倍もある体躯が、さらに大きくなったのだ。
サイクロプスの固有魔法【巨大化】によって城壁すら見下ろせるザガノースの拳は、門や壁の意味すら粉砕した。
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堅実に動いたのは騎士ボーデット。
固有魔法【分身】で1人が大軍勢へと増え、ある意味まともな戦争を作り出す。
片方が全員骸骨の軍でなければ、人類大陸でも珍しい光景ではなかっただろう。
「魔法の使えぬ者が大多数を占める種が、よくここまで発展したものだ」
ボーデットは魔法を得意とする。それが何千へと増えればどうなるかなど火を見るよりも明らか。
戦場を覆い尽くさんばかりに放たれる数々の魔法によって、『楔の国』の兵は剣を振ることなく死んでいった。
彼がひとたび都市に入れば、もはや手がつけられない。
元は同じ個体。完全に連携が取れ効率的に逃げ遅れた者を狩る。
慈悲も区別もなく、王都の悲鳴のほとんどは彼が作り出した。
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騎士ラブラミは戦わずして目の前の軍を全滅させた。
サキュバスの固有魔法【魅了】の力によって「ワタシのために人間を殺して」とお願いすれば、いくら国に忠を尽くし隣人を愛する理想的な兵であっても裏切り者に変貌する。
共に国を守るために隣に立つ者同士躊躇なく殺し合った。愛のために。
精神が強靭な者は耐えることもできた。
しかしいくら自分ひとりが正気を保っても、無差別に襲い掛かる味方に囲まれ殺される。
「女王様ぁ、私たちの出番ないじゃないですかぁ~」
「聞きませーん、ワタシは魔王様にいいとこ見せたいの」
「騎士レーデン狙いじゃなかったんです?」
「それがねぇ……魔王様のお手付きっぽいのよねぇ……」
「ああいうのは身持ちが堅そうに見えてちょっと優しくしたらベタベタに惚れてきそう」
「分かる~!」
「お手付きじゃなかったら狙ってみようかな」
「あんたじゃ無理だって」
「はぁ? じゃあ騎士レーデン落としたら私が次の女王ってことでいい?」
サキュバスたちが世間話をしている間に、目の前の軍はひとりでに死体の山と化した。
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あらゆる場面で一方的な展開になる中、騎士ヨーネの戦場もまた同様。
たったひとりの鎧騎士が向かってくるかと思いきや、突如としてバラバラに崩れ細かくなり、上から襲い掛かってくるのだ。
固有魔法【刃雨】――文字通りの刃の雨。人々は降り注ぐ死に抗えない。
盾を構えて防御した者はいた。が、命を数秒延ばしただけの行為でしかなかった。
上から下へ落ちた破片は動きを止めない。すぐさま下から上へ……足元から襲い掛かってきた。
小さい破片と化したヨーネを防ぐことは難しく、その数から避けることも難しい。
バタバタと死んでいく人間たち……果たしてその場に立つのは黒い鎧のみとなる。
「これくらいでよいだろう。魔王様のもとへ戻るか」
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騎士マクは、ただただ進んだ。
そこに障害は無かった。
全てを溶かし飲み込む彼にとって、有機物も無機物も関係なかったのだ。
スライムという種族は一にして全。魔族大陸にいるすべてのスライムがマク本人であると言えよう。
会議や式典などの時は椅子にちょこんと乗る程度の大きさしかないが、集まれば湖すら軽く覆い、山ですら飲み込む不定形の塊と化す。
「他は賑やかだなぁ。僕も急がないと遅れちゃう」
人間たちはこれを止められなかった。
繰り出した武器はマクに触れた途端に固有魔法【溶解】によって溶けてなくなるのだ。防ぎようがない。
魔法は通じるようだったが、人間の放つ矮小な魔法が巨大なスライムを滅ぼせるはずもなく。
「安心していいよ、僕は痛みを与えない。君たちはただ溶けてなくなるだけ。何も考えなくていいんだよ」
そこに立っていた人々も、地面に生える草花さえも、建物すら溶かす彼の通った後には何も残らない。ただ進むだけで王城へとたどり着いた。
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他の騎士たちが戦いを終える頃にやってくるのが騎士ラカミセリニウマ。
キャッスルゴーレムである彼の進軍速度は遅く、王都に到着したのは夕方だった。
その頃には王都はもはや街と呼べない惨状。
敵兵すら存在しなかった。
残った僅かな人間たちは王族を中心に籠城の構え。
もはやどんな手段を用いても状況を打開することはできない。中には自決する者もいた。
しかし何か奇跡が起きて助かるかもしれない……事前に出していた使者が他国の軍を引き連れてくるかもしれない……
そんな希望を打ち砕くのが、迫りくるもうひとつの城――ラカミセリニウマである。
わざわざ他の騎士たちが手を出さないでいた王城までやってきた彼は、地響きと共に王都だった廃墟街を踏み潰しながらそのまま体当たり。
一生のうち、このような光景を見られる者がどれだけいるだろう。ふたつの巨大な建造物同士がぶつかり合って、片方が崩れ片方が残る。
まるで城そのものが置き換わったように、かつて王城があった場所にラカミセリニウマが鎮座し、制圧の印となる。
無論、王城の中にいた者たちは一人残らず瓦礫の下に潰れた。これにて本当の意味での皆殺し、『楔の国』は地図から消えた。
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たった半日で全滅した人間、消滅した国。
一連の流れの中で、エレーナはどうしていたかというと……一当てした後に下がっていた。
理由は単純。語弊を恐れず端的に言えば、ビビって逃げた。
最初は戦えていた。
接近する前に魔法で仕留めれば楽だった。
自分の部下である第21独立遊撃部隊の面々と共に、人間たちを苦も無く殺せていた。
しかし徐々に不調になっていく。
戦場そのものには慣れていたはずだった。
あの島での修行で人殺しを苦も無く行えるようになっていた、はず。
なのにエレーナはひとり殺す度に……ひとりと相対する度に心を蝕まれていく。
敵兵は最初こそドレスを纏う可憐な少女という戦場に似つかわしくないエレーナに困惑するが、その段階で死ななかった者は少女を敵と認定する。
「クソッ、死ね化け物共ッ!」
「一歩も退かぬ! 貴様らに王都の土を踏ませるものか!」
「数では勝っているのだ、囲んで殺せ!」
罵声を浴びる度に、殺気を浴びる度に、少女の眉間の皺が深くなり息が荒くなる。
横では部下たちが簡単に人殺しの数を競い合っているというのに、隊長の自分は芳しくない。
「(なんで、指が……動かな、震え……)」
原因は2つ。
ひとつは相手が人間であること。
エレーナの中では無意識のうちに過去の恐怖がぶり返していた。
人間たちの表情を見れば見るほど、両親と共に火あぶりにされたあの日を思い出した。
もうひとつは、これが初めての戦争だから。
リーテがエレーナを送った記憶の戦場は、あくまで再現。エレーナは他人の夢に介入したようなものでしかない。
あの世界の住民はエレーナを見ているようで見ていなかった。当時の敵に重なって存在していただけなのだから当然のこと。
だが今は違う。ここは記憶世界でなく現実で、敵はエレーナ本人を認識した上で殺そうとしてくる。何のフィルターもなく、生の殺意が剥き出しの自分を刺してくる。
前に魔族大陸でザンゴートの反乱軍に突っ込んだ時は相手が化け物だから、そういうのに意識を向けることもなかった。
総合して、エレーナは人に悪意と殺意をぶつけられることに弱かったのだ。
そのせいで徐々に動けなくなった。
できないということではない。できるが、負担が大きい。
そしてエレーナは心を苛むものから逃げることを選ぶ。
「っ……もういい、下がる」
「え、騎士レーデン!? まだ人間ども残ってますよ?」
「やりたきゃ勝手にやってなさい。私は気分じゃない」
「ええちょっとそれ……くそっ、野郎ども集まれ! 騎士レーデンのお帰りだ!」
実力で選ばれた血気盛んな者たちはまだ殺り足りない様子を見せたが、隊長の言うことだしとりあえず従う。
エレーナが【転移】を発動し、部隊の者たちが集まって触れ合う。
第21独立遊撃部隊の初陣はそこで終わり。他の『魔王の騎士』のような華々しい戦果とは言えなかった。




