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天柱のエレーナ・レーデン  作者: ぐらんぐらん
-1000 My detestable and dear memories
166/212

二七 温カクテ、柔ラカクテ、イイ匂イ

 一度青空を見たせいか、目を覚まして飛び込んでくる景色が赤い空というのはやはり不自然だとエレーナは目を擦った。

 魔族大陸でも太陽の位置で朝昼夕を分けるので、今は昼だと言えば通じる。


 そう、昼に起きたのだ。

 寝坊である。


「ま、いっか」

「よくない」


 久しぶりに会う彼女は、不機嫌な声で出迎えた。


「うわっ、居たの?」

「居た」

「なんで居るの?」


 先遣隊の帰還自体は既に知られている。が騎士(ナイト)レーデンの姿が見えないことに誰もが首を捻り、居所を探していた。

 部屋の管理をしていたメイドは昨晩部屋に入ったらベッドで寝るエレーナを見て驚いたという。

 起こしても起きないから放置していたのだとか。


 そして魔王直々にやってきたわけである。


「報告、して」

「報告って……ハイマからだいたい聞いてるでしょ」

「あなたの、口から」


 この話し方だ。えらく久しぶりに聞いた声にエレーナは少し気を緩める。


「やってやったわよ。あなたの望み通り人類大陸に到達した」

「うん」

「――ってなにすんの!」


 唐突に頭を撫でられ、エレーナはベッドの上から飛び退いた。

 誰かに認められ褒められる心地よさを知った彼女はまだ照れに負けるのだ。


「嫌……だった? ごめん」

「あ、いや、そうじゃなくて……いきなりはびっくりする」

「じゃあ、今から、撫でる」

「いらない」

「命令」

「は?」

騎士(ナイト)レーデンはしばらく動いてはいけない」


 そんな命令聞いてやる必要はない。ないのだが、心の底から嬉しそうなイムグを見ると体が動かなくなる。


 撫でられ、顔をむぎゅむぎゅされ、抱き着かれる。

 それでも動いてはいけないらしい。


「ありがとう、本当に……こんな言葉じゃ足りないくらい、私はあなたに、皆に感謝してる。魔族の未来が開けた。希望が大きくなった」

「……騎士(ナイト)ドンブルーギュンが死んだ……数えきれないくらいの魔族が死んだ。本当に、意味があったのか……分からなくなる」


 イムグは首を横に振る。


「これが始まりってことくらい、分かってるはず」

「本当に……人類大陸を手に入れるつもりなのね」

「私は魔族を……皆という種を生かしたい」

「分かってる」


 予断を許さない未来が遠くないことに変わりはない。

 だから人類は邪魔。侵略する。


「ハイマから、頑張ってたって聞いた」

「頑張っても……みんな死んだ」


 褒められることは嬉しい。しかし嬉しさと同等の後ろめたさ。

 無我夢中で戦ったエレーナは、取りこぼした方へと目が向いてしまう。


 イムグは撫でる手を止め、エレーナの小さな手に重ねて握る。

 両者ともに体温が移り合うのを感じた。


「生き残った皆には褒美を出す。死んだ者たちは……名前が分かり次第、慰霊碑。遺族にも補償する」


 生まれてこの方ろくに金を稼いだことも使ったこともないエレーナをして、とんでもなくお金がかかりそうだという想像は難くない。

 金額で決まるとは言わないが、きっと国としての最大限の敬意と感謝を表しているのだろう。



「私には?」

「もちろん。何がいい?」

「なんでもいいの?」

「……うん」

「なにそのなんでもよくなさそうな間は」

「なんでもいい」


 褒美、頑張りと功績に与えられるもの。


 いざ貰うとなるとエレーナは考え込む。

 地位はこれ以上望むものなどないし興味もない。衣食住にも不自由していない。

 金銭の類と無縁な生活。エレーナは魔族大陸の通貨の名前すら知らないのだ。


 自分の分を散っていった者たちに……という思いはある。本当に命を懸けてハイマを守ったのは彼らなのだから。

 しかしそれはちゃんと用意されている。ならやはり自分に。


 エレーナは褒美を蹴るほど無欲でも高潔でもなかった。


「あ、服。直して」

「それだけでいい?」

「え、待って」


 死なないけど命を張った結果だ。ただ服だけとなると安い気がする。


「あまり、暇じゃない。はやく」

「急かさないでよ」


 せっかく何でも要求できるのだ。何かないかとうんうん唸る。

 寝起きの頭には難しい。無意識にイムグを見る。


 久しぶりに会う魔王は変わらず、ふわふわした見た目。

 エレーナは「あ……」とベッドを指さした。


「……ちょっとうつ伏せになって」

「なんで?」

「ご褒美。はやく」

「……? 分かった」


 相変わらず自分よりも少しだけ大きな体。それを覆う羽毛。

 船旅の途中、何度も思い出したものが目の前にあった。


「っ、エレーナ、なに……!?」

「動かないでよ。寝にくいでしょ」

「やめっ……」


 普段より一段声を高くしたイムグは声の通りに驚いている。

 うつ伏せになったところにいきなりエレーナがのしかかってくれば、まだ若い魔王がそうなるのも無理はない。


「(ああ…………柔らかい……)」


 エレーナはマントのように広い羽毛に顔どころか体を埋め、ベッドのように堪能していた。

 不敬どころの騒ぎではない。この場に他の誰かがいたら引き剥がしにかかっただろう。


「スゥーーーー……」

「やっ……嗅がないで……」

「なんで?」

「まだ、お昼。お風呂……まだ先」

「別に臭くないわよ」

「変態……」

「あ? ご褒美なんだから黙って大人しくしてて」

「変態……!」


 イムグは言葉でこそ反抗するものの、言われた通り体はもじもじする程度であまり動かない。

 自分で言った手前なのか。どちらにせよエレーナはオウルミュンミンの羽毛を体全体で浴びる。変態などと謂れのない罵声でムッときてるので強めに抱きしめる。


 前に触った時と同じ、極上の心地だ。

 この部屋のベッドはきっとお高いんだろうけど、それよりも寝心地が良い。体温もあって落ち着く。

 ふとした時に思い出すほど忘れがたいこの感触は、長旅を経た自分へのじゅうぶんなご褒美として文句なし。


「ん……」


 ふと邪魔な感触に気が付いた。服だ。

 オウルミュンミンの前には質の良い部屋着でさえも劣って感じる。

 せっかくの機会。服ごときに水を差されるのは不愉快だった。


「もう終わった?」

「まだ。服脱いだだけ」

「服……!?」


 ひとまずすべて脱ぎ、床へ。

 勝手知るようになった部屋だ。肌着がどこにしまわれているかも覚えている。


「あったあった」

「もう終わり」

「まだだって」


 着替える間、イムグは律義にうつ伏せのまま待っていた。


「顔真っ赤」

「エレーナのせい……!」

「嫌だろうがなんだろうが続けるわよ。ご褒美なんだから」

「っ、いつまで」

「暇じゃないなら誰かが呼びに来るでしょ? それまで」


 イムグは後悔した。

 確かに暇ではない。しかしこの時間はエレーナを起こして話をするために割と長めな時間を取っている。未来のことなど明かせない内容もあるため人払いも済ませてある。

 だからしばらく、この部屋には誰も来ない。


「羽、乱暴にしないでっ」

「しないってば。スゥーーー」

「嗅がないでっ!」

「びっくりした。そういう声出せるのね」

「恥ずかしい、から……終わって」

「やだ」


 エレーナは段々と感触よりも反応を楽しみつつあった。

 初めて会った時から決して崩れなかった魔王イムグ。全魔族が跪く彼女のこういう様子なんてそうそう拝めるもんじゃない。

 ほんの少しだけ嫌がるような……照れるような慌てたような声色も、心をつついてくる。


「なんで恥ずかしいの? いつもひらひらさせてるじゃない」

「……オウルミュンミンの、羽は……大事なもの、だから、普通、触らせない」

「え……そ、そうなの?」

「そう……」

「触ってるけど」

「だめなのに……」

「スゥーーーー……」

「吸わないでっ」

「温かい。いい匂い」


 ここで初めてイムグが激しく動く。

 割と本気でエレーナをどかそうという動きだ。ジタバタとも言う。


 だがうつ伏せの上から重なるように体で抑えつけているエレーナにとってその程度の動きは簡単に封じられる。

 起き上がろうと力む魔王の手首を掴むと、またエレーナの知らない声が飛び出した。


「動かないでって言わなかった?」

「やっ……!」

「それとも魔王は、与えると言った褒美を与えないの?」


 少しだけ静かな攻防があって、やがてイムグが観念したように力を抜く。

 恨めしそうな魔王の声すら今のエレーナには優越感を与える材料でしかない。



 しばらく無言の時が続いた。

 お互いの呼吸の音だけ。たまに体を動かした時の衣擦れの音だけ。


「寝た?」

「寝てない」

「…………」


 イムグは内心舌打ちをする。寝ていればどかせたのに。


「魔王、あのね――」

「名前」

「……イムグ」

「うん。なに?」

「私、本当は人類大陸に着けばどっか行こうと思ってたの」


 そんな感じはした。イムグから見たエレーナは焦っていて急いでいて、この関係を煩わしく思っていそうだったから。


 この協力関係はあくまで人類大陸に行くという共通の目的のための取引。

 着いた今、エレーナを縛ることはできない。彼女は与えた地位を簡単に捨てて去れるような奴だ。


「今も、そう思ってる?」

「……思ってはいる。やりたいこと、会いたい人がいるから」

「…………」

「でも……私ね……悔しかったの」

「何が?」

「皆を死なせたことが。騎士(ナイト)ドンブルーギュンが死ななきゃいけなかったことが。私が、だめだめだから……」

「それは――」

「分かってる。あなたも皆も、よくやったって言ってくれる。きっと皆は浮かばれた……そう思うようにしてる」


 こんな体勢で話すことなのだろうか。イムグはそう思うが、エレーナはこんな体勢でなければ話せなかった。

 顔を合わせれば情けない表情を見られてしまう。それが嫌だったのだ。


「重かったの。彼らの命が……イムグは、重い?」

「…………重い。苦しい。決まってる」

「押し潰されそう?」

「うん……」


 エレーナは少しだけ安心した。

 自分は言ってしまえば中間。真に彼らの命を背負うのはすべての頂点である魔王だ。彼女がその重みを感じることのできる心を持っている。やはり彼らは浮かばれるのだろうと思える。


「それに、まだたくさん……たくさんの命がなくなる。魔族も、人間も、たくさん死ぬ。私はそれを受け止めて、それでも未来を願ってる」


 顔が見えないこの状況。イムグの声は表情よりもよく伝えてくれる。

 強い声。強い心。

 きっとエレーナが持つことのできないものだ。


「逃げたくならないの? その気になればあなただけでも」

「逃げても滅びるだけ。私ひとり逃げて、魔族が滅ぶ……耐えられない。見捨てられない。私は同じ大陸に生まれた彼らが好きだから」

「偉いわね。想像もできない」

「……偉い?」

「そりゃ、そこまでの覚悟を持ってる奴を偉くないなんて言えないでしょ」

「そう……」


 イムグはそれきり黙る。羽をさすさすしても反応がない。

 つまらないながらも触り心地だけで満足できるエレーナはそのまま無言を再開する。



 □□□□□



 少女は孤独だった。だから嬉しかった。

 自分だけが知る未来を話せる相手……それどころか、自分のやったこと、やろうとしていることを聞いてもなお「偉い」と認めてくれる存在は何にも代えがたい。

 実際に言われてみて、イムグは心が緩むのを感じる。


 魔王という存在を讃える者はごまんといる。自分が白と言えば黒いものも白と言ってしまいそうな忠誠心も感じる。

 だがそれとは違う。彼らには決して埋められない。


 埋めてほしかったわけでもないけど、エレーナが何気なく発した言葉はイムグの無自覚な欲求を埋めてくれた。


 果たして自分のやっていることは本当に未来のためになっているのか。魔族が生きる道に繋がっているのか。不安になることもあった。

 【未来視】も万能ではない。見られるのは結果だけ。だから今を生きるイムグは糸の束から正しく繋がる糸を探すような思いをして生きている。


 エレーナに言ったように、これから戦争が起きる。侵略をする。

 数えきれないほどの命が消えていくだろう。

 勝つためなら、生き残るためならどんな手段だって使わねばならない。


 選ぶ手段が正しいか正しくないか、そんな基準は「未来のため」の前には煙のように失せる。


 イムグは泣きそうになる顔が見られなくて済む体勢に少しだけ感謝しながら、ぽつりと問う。


「エレーナ、聞かせて」

「何を?」

「この先、私は非道になる。正しいと言えなくなる。そこに暮らしてる人間たちを押しのけて、自分たちの都合を押し付ける。人間から恨まれて、魔族からも責められるかもしれない。それでも、私は……」

「偉い」


 きっぱりと言い放たれ、イムグの心が跳ねる。


「どうしようもないんでしょ。そうしないといけないんでしょ。全部受け止めるんでしょ。誰かに責められても、私は肯定する」



 聞くや否や、イムグは不意にごろんと回転した。

 完全に気を抜いていたエレーナはベッドに転がされ、「なによ」と起き上がろうとして肩を押され動けない。


 イムグが下を向いているのは変わらない。ただその下に仰向けになったエレーナがいるだけ。

 四つん這いの魔王の顔は近い。


「なら、一緒にいて。行かないで」

「なに急に」

「さっきの話。エレーナはまだ、出ていこうと思ってるって言ってた。話したくないなら、理由は訊かない。でも、いなくならないで」

「ふーん……今度は何を餌に引き留めるの?」

「無い……けど、やりたいこと、手伝えるなら手伝う。だから……」


 頷くまで放さないと言わんばかりに肩に置かれた手が強張っている。


「強引じゃない?」

「強引でも、いてくれるなら……私には、あなたが必要」


 エレーナは必死そうな魔王から目を逸らせなかった。

 こんな顔も、きっと滅多にないのだろう。


「未来を見るくせに、早とちりするのね」

「……?」

「私は出ていくなんて言ってない」

「でも、さっき」

「思ってたって言っただけ」


 キョトンとした顔も、また。


「条件を吞んでくれるなら、私は逃げない。あなたからも……『魔王の騎士(デモンズナイト)』からも」

「条件って?」

「この先、魔族は人類大陸を侵略するんでしょ。ならいつかは『掟の国』にぶつかるはずよ。その国のことは、私に一任して」


 イムグは頷く。どうしても欲しいものに比べれば、国のひとつなど安いものだった。



 エレーナをここに留めたもの。それは義務感だろうか、責任感だろうか。


 ともかく、少女は変わった。

 背負うことを知り、託されることを知った。

 自分の都合よりも、この魔王に肩入れしようという気持ちが芽生えた。


 もちろん打算もある。魔族が勢いよく人類大陸を進めばきっと『掟の国』にもすぐたどり着く。

 もう少しだけ、利用し合う関係が続くと言える。


「ちょっ、何して――」

「スゥーー……」

「嗅ぐな!」

「おかえし、いじわるの」

「やめ、こらっ! 私は首舐めてないっ」

「思い知るといい。オウルミュンミンの羽に触れた愚かさを」

「変態!」

「不敬」


 やっぱり出ていくべきか。エレーナはみっともなく悲鳴をあげながらそう思うのだった。

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