二三 The outer monster
背後の霧を遠く離れ、それでも前には何も現れず。
何日もの航海を経てとうとう水平線以外のものが見えなくなった。
幸い魔法陣を置き方向感覚だけは狂っていないが、果たして霧から出て真っ直ぐ進んだとしてたどり着くのか。
……そんな言葉は誰も吐かない。必ずたどり着くと思っていなければ折れてしまうから。
私は引き続き【転移】習得のためにうんうん唸ってるけど、芳しくない。
『墜』と名の付くものにも覚えて何も考えずに使えるようになるまでかなりかかったっけ。どれくらいかかったかは曖昧だけど、とにかく長くなったのを覚えている。最上位魔法ともなればもっとかかった。
魔法は魔法陣を覚えただけでは習得したことにならない。いかなる状況でも正確に使えてこそ。
私は覚える段階にすら至っていない。
あと、この前の戦い以来ワイバーンたちによく話しかけられるようになった。
共に空で戦った仲間意識でも芽生えたのだろうか。甲板に出たら挨拶されるし何もしてなくても「お疲れ様です!」と頭を下げてくる。
チヤホヤ……チヤホヤとは言えないか。慣れてはきたけど人間以外の見た目の者に親しく接されるとつい居心地が悪くなってしまう。普通に怖いし。
「同じ魔法ばかりだと息が詰まるでしょう。この際ワイバーンの固有魔法も試してみては?」
ハイマに提案され、私はこの前乗ったワイバーンだろう個体に話しかけた。1回人違いならぬワイバーン違いをした。
ヒト型じゃない魔族はどうやって個を区別してるのだろう。鱗の生え方とか顔つきとかが違う? 分かって当たり前? そっか……
ちなみにドラゴン系とワイバーンの違いは翼の位置。
大将軍ハグネイラルをはじめドラゴンの翼は背中から生えているが、ワイバーンは細長い前足に翼膜がある。
しかし鳥のように胸筋が発達しているわけではない。かといって細長い前足の力のみでは自重を飛ばすことはできない。
よって【軽量化】という固有魔法を使って飛ぶのだ。
「俺たちの固有魔法の魔法陣? まぁいいすけど……ほれ」
鋭い爪で甲板にガリガリと描かれる魔法陣。【転移】のそれに比べれば意外と簡単そう。
「さぁ騎士レーデン、どうぞ!」
「…………あれ、流れない」
「そりゃ固有魔法ですから使えるわけないっすよ。にしてもなんでまた急に? あれですかい、ヒト型のメスは体重を気にするってよく言いますし――」
「違うわぶっ殺すわよ」
ワイバーン本人が描いたのだから魔法陣そのものに間違いはない。
だが魔力を流すことができない。
他人の固有魔法を使おうとした時に一般的に起きる現象である。
「おかしいですね……私の【転移】は使えたのに。もう一度やってみては?」
「駄目ね、何度やっても同じ。描いてあるのにそこに魔法陣が存在しないみたいな感覚」
私にも使える魔法とそうでないものがあるのだろうか。相性?
要研究かもしれないけど、そんなものに時間を割くくらいなら早く【転移】を習得したいからひとまず他の固有魔法のことは考えないことにした。
□□□□□
数日、外魔の姿は見えない。
数週間、外魔の姿は見えない。
どうやら外魔は本当に霧の中だけが領域のようだ。
それくらい時間も経てば、空の色も当たり前なものとして受け入れることができる。
交代で来た面々は一様に驚いていたけど、それをおなじみの光景として微笑ましく思うほどには船団の雰囲気は回復していた。
昼は黄色、夜は黒、夕方は人類大陸と同じオレンジ、そうした空を何度も何度も見て船団は進む。
その途中で、ハイマが大陸から4隻もの船を運んできた。
私たちが出航してから竣工したものらしい。
当然人員も。2000人がポンと補充されるのはやっぱり国なんだなぁって思う。
まぁ、外魔相手には本当に盾にしかならないのだけれど。
あとハイマがこうして船ごと港からこっちに持ってくることができるなら、今いる場所に1隻船を残せば他が魔族大陸に帰れるのではないか。
このまま一気に人類大陸を目指すより、休息期間や帰省する期間をとってもいいのではないか。
……なんて声も出たけど、魔王が許さなかった。
イムグは魔族が滅ぶ前に――魔族大陸が崩壊する前に人類大陸を手に入れなければならない。
いくら急いでも急ぎ過ぎるなんてことはない。
魔族大陸がいつ崩壊するのか……彼女は私にも言わなかった。訊けば答えてくれるのかもしれないが、きっと遠くない未来なのだろう。
外洋に出るだけでもすごいのに、人類大陸にたどり着いたなら、それは後にも先にも無いくらいすごいこと。
でもこの航海はまだ彼女の目的にちっとも掠っていない。本当にただの第一歩目。
むしろたどり着けてからが本番。
昔、フライフル家で勉強した。人類大陸にはたくさんの国がある。
魔族が移住できる空白地帯なんてない。あったとしてもごく僅か。
だから土地も必要。それも魔族大陸の連中を丸ごと受け入れられる広い土地が。「ウチの大陸ヤバいんで土地ください」と言って素直にくれる国なんてない。
ならどうやって土地を手に入れるか。奪うしかない。
戦争をして。
数日で終わる話ではない。
本番は着いてからなのだ。
「私は……考えなくていいのよね」
私とイムグはお互いに人類大陸に行きたいから手を組んだだけの関係。
わざわざ戦争にまで協力してやる義理はない。着いたらさっさとさよならすればいい。
「…………」
……はずなんだけど、な……
なんだか、あのふわふわとした羽毛が恋しくなった。
□□□□□
来る日も来る日も何も見えず何も起こらず、退屈な日々。
非日常のはずなのに、海の上で寝て起きる生活が当たり前だと感じてしまっている。
【転移】の習得は遅々。とても戦いの中で使えるほどじゃない。
日常的に「あそこ行きたいな」と思ったと同時に飛べるようにならないといけないんだけど、1分以上うんうん唸りながら間違いはないか確認しながら魔法陣を描いてようやく飛べる現段階では話にならない。
思い通りにならないというのは気疲れを誘う。
気持ちの比重が嫌な方に傾いていく。
いつ終わるかも分からない航海、なかなか覚えられない魔法……引きこもりたくないのに引きこもらなくちゃいけない状況。
甲板を散歩していたところにワイバーンが声をかけてきた。前に背中に乗った彼だ。イライラしていることをうっかり漏らしてしまう。
「なら空飛んでみますかい? 背中に乗ってもらえりゃ俺がひとっ飛びしますぜ」
提案に乗ってみたところ、なかなかよかった。
はるか高くまで上がって風を切る感じ、遠くまで見通せる感じ、鳥になった気分。
でも3日で満足して1週間もすれば飽きた。
視界が高くなっても黄色い空と水平線のみという一生変わらない光景は虚無だった。
「泳ぐのはどうだ? 陸に住む者の中には海水浴を娯楽とするのもいる」
暑かったし騎士ドンブルーギュンの提案にも乗ってみた。なかなかよかった。
水の中は冷たくて、水棲魔族の軍が周りにいて賑やかで、ケルピーなんかに乗れば泳いでるのに乗馬してる気分。
でも3日で満足して1週間もすれば飽きた。
泳ぐのは疲れるし水の中は息できないし海水はしょっぱいし、底の見えない海はどこを見ても同じ虚無。
あと濡れてもいい服に着替えてはいるけど肌を晒すのは人間相手でなくても恥ずかしい。師匠に水着も貰っておけばよかった。
騎士ドンブルーギュンが高く上げた足の上から飛び込む遊びもやったけど、それは1日で飽きた。
『魔王の騎士』が2人して遊んでいると船団の雰囲気も緩み、退屈を紛らわせたい魔族たちはそれぞれ遊びを考え始める。ハイマに頼んで遊戯盤を持ってきてもらうようなのもいた。
この遊戯盤というのがなかなか奥深くて、私はハイマと何度も遊んだ。
駒で陣地を取り合うような感じで対戦するのだが、彼は強くて私は全然勝てなかった。
それでもルールを覚えると楽しくて、他の遊びより長く続いた。
果てには船団全体での大会じみたものも開催され、各船で一番強い奴を決めてそいつらが決勝をする……みたいなの。
私は参加しなかった。馴染める気がしないから。
騎士ドンブルーギュンも「気を遣ってしまうだろうから」ということで参加しなかった。勝負事で萎縮されるのも接待されるのも嫌いらしい。
□□□□□
嵐を避けたりしているから船の消耗も軽微で、鎖でつないでるから速度はそこそこだが進みもスイスイ。
私たちはついに眼前に再び『蓋の霧』を捉えていた。
日を数えている者が言うには、魔族大陸を出発してから4ヶ月と少し。そんなに経っていたのか。
船団は喜びの雰囲気。果てのない旅に終わりがあったのだから。
たどり着いた。報われた。そう思ってしまうのも無理はない。
同時にここから先は外魔の領域。これからそこに突っ込もうという自殺行為を恐れる者もいる。
「騎士レーデン、どう思う?」
「どうって?」
「この向こうに人類大陸があると思うか?」
「思うしかないでしょ」
騎士ドンブルーギュンが心配してるのは、これが本当に人類大陸に続く壁なのかということ。
この世界がどうなっているかなんて私たちは知らない。だから人類大陸以外の陸地の可能性であることも否めない。
一番最悪なのは外洋を散々進んだ挙句、魔族大陸に戻ってきてること。魔法陣で方向はそれなりに維持してるはずだからそんなことはないと思うけど……
「何と言いますか、世界の果てに来た気分ですね」
ハイマの言葉に周りの魔族たちが頷く。
彼らにとっては魔族大陸こそが世界の中心で、確かにここまで来たら果てと感じるのだろう。
□□□□□
その日の夜は船を停めて英気を養うことになった。
明日は頑張ろう的な感じで酒や貴族が食べるような料理がたくさん振舞われた。
こういうのを宴会っていうのだろう。
私はといえば、やっぱり馴染める気がしないから隅っこで夜の海を眺めている。
船は煌々と灯りを焚いているから水面くらいは見れるけど、少し遠くを見れば何もない。空と海の境は目を凝らさなければ見えない。
「またここにいるのか」
「騎士ドンブルーギュン、あなたはあっちじゃないの?」
船の上で宴があれば、海の中も宴をしているらしい。私には見えないけど。
だからそっちでお酒を飲んでいるのかと。
「少しは飲んだぞ。酔ってお主を迷子だと思ってしまった」
失礼な奴だ。まぁ別にいいけど。話し相手は欲しかったし。
私は1本少なくなった彼の足を見る。
「その足、大丈夫なの?」
「いつかまた生えてこよう」
「それ生えるの……!?」
「長い時間はかかるがな」
「痛かった?」
「無論、体の一部であるからな。今日の騎士レーデンはずいぶんと饒舌よ」
なんかそう言われると無口になりたくなる。
でも私にもそういう日くらいあるのだ。戦う必要もなくただ船に乗ってるだけ……魔法陣とにらめっこする日々だったけど、いざ明日から大変だと思うと心が縮む。
決してこの巨大イカ魔族に心を開いているわけではない、はず。うん。
「心配くらいはするわ。一応同僚だし」
「ハハハ、なに、外魔と戦い足の1本で済むなら安いものよ」
「…………訊いてもいい?」
「なんだ?」
「どうして『魔王の騎士』なんてやってるの?」
別に、彼のことをもっと知りたいと思ったわけではない。
暇だったから……そう、話題が欲しかったから訊いただけ。それだけ。
「理由か……そういえばもっともらしいものは持ち合わせておらぬな」
「え、そうなの? 忠誠とかあるでしょ」
「それは前提だ。あって当たり前のものだ。お主にもあろう?」
「……まぁ、うん」
流石に本物の『魔王の騎士』の前で忠誠は無いなんて言えない。
本物のってなんだ。私も本物だ一応。
「その当たり前のものはどうしてあるの?」
「魔王様は魔族を統べるに相応しい器だからだ。お主も魔族大陸に住む者なら知っていよう」
「まぁ、うん……」
知らないとは言えない。
「大陸とは陸地のみで成り立つものに非ず。取り巻く沿岸、『蓋の霧』までの沖、海とはある意味大陸の大部分を占めるところと言えよう。そこを任される……魔族としてこの上ない栄誉。理由を見出そうとするなど無粋よ」
「やりがい、ってやつ?」
「うむ。魔族大陸の海を預かる『魔王の騎士』……夢見る同胞は多いのだぞ」
「説教臭くなってしまうな……」と彼はデカい足で頭を搔く素振りをした。
「最近は子供も産まれ、奴らに食糧の獲り方を教えることも増えた」
「え、結婚してたの?」
「陸ではそう言うらしいな。誰にでも番になる相手くらいはいよう」
番がいたことないから何も返せない。
そうか、魔族も生き物だからそういうこともあるのか。
今さら思い知る。周りはみんな大人で、お父さんみたいに働いてて、家族がいる。
「お主の種族も年齢も知らぬが、この目にはまだ幼子に見える……だからつい、我が子のように話してしまう。位は同じだというのにすまぬな」
「あ……いや、いいのよ。私も――」
って、何を言いかけてるの私は。
私の父親はレオン・ニフューだけ。こんなイカがお父さんと重なるなんてありえない。
「なんだ?」
「なんでもない。本当に酔ってるみたいね。こんな話似合わないわよ」
「言ってくれるな」
「別に怒ったり不快には感じてないから、その、謝られても困る、から……まぁ、別にこれからも何かあれば怒れば?」
「その言い方ではいつも怒っているようではないか」
「怒られた記憶が強いのよ」
何の遠慮もなく話せる関係というのは心地よい。
私は『魔王の騎士』だし、やり方も強引だったから気安く話しかけてくる魔族などいない。別に間違ったやり方をとったというつもりはないけど、腫れ物のような扱いに居心地の良さを感じたりはしない。
だから……イムグ以外にこうして砕けた対等な会話ができるのは、たぶん貴重なんだろう。
他の『魔王の騎士』もこんな感じに接することができるだろうか。
騎士ヨーネは少しは話せそうだ。騎士ボーデットと騎士ラカミセリニウマは……嫌われてるかな。まぁいいんだけど。
……って、別に仲良くする必要はないっての。
当たり前のようにこの先も彼らと共にいることを想像してしまって頭を振る。
「騎士レーデンよ、この先遣隊の目的は覚えているな?」
「人類大陸にたどり着くこと、ハイマを守ること。でしょ?」
「うむ。初めて外魔と遭遇した時……直前の会話は?」
「もちろん。忘れてない」
「ならよい。明日からが正念場だ。魔族大陸を出る時に我らは船団の半数を失った。単純に考えればこの先残るのは4隻……外魔の気分ひとつで全滅もあり得る。途中で帰ることはできぬ。魔王様のため、なんとしてもハイマを人類大陸に連れていくぞ」
「お互い、気張ろうぞ」……騎士ドンブルーギュンはそれだけ言うと海に潜っていった。
残された私は相変わらず暗い海を見つめる。
「魔王のため……」
ここにいる誰もが魔王のため魔族のため、命すら懸けてみせる。
情熱というか忠義というか、溢れている。
私は私のため、死ぬこともなく力を振るい続ける。彼らとは温度が違う。多分、馴染めないと思っているのはそのせいかもしれない。
暗闇にぽつぽつと点在する灯り。他の船でも宴会は行われている。
賑やかな彼らは、外魔の攻撃で一瞬にして死んでしまう。その無常が私は嫌い。
嫌いなものを切り払うために、頑張りたいと思う。
ひとりでも多く守り、外魔をたくさん倒せば、騎士ドンブルーギュンは私を褒めるかもしれない。
そんな想像をすると、不思議と笑みがこぼれた。




