二一 命散ル霧海
ややこしいですが魔族の数え方はどんな種族であろうと(ヒト型でなくても)「〇人」になっています
沈む船と鎖で繋がった隣のもう一隻が海に引きずり込まれる。
乗員たちは切り離しにかかるも、外魔はそんな時間を許してはくれない。
まるで虫のように小さい光の群が殺到し、巻き込まれた魔族たちはなす術なく命を奪われる。
霧で見える範囲で起きた出来事。つまり旗艦に近い。
このままではあの光が次に牙を向けるのは――
旗艦の船長が慌ててエレーナに走る。
「騎士レーデン、【烈風】を!」
「他とはぐれるでしょうが! ハイマを船内に、アレは私がやる!」
風と合わない時にはエレーナの【烈風】が船団全体への追い風となりその分スピードが増すことがあった。
船長の言う通りにすれば旗艦だけはこの場からいち早く逃げることができるだろう。
だがこんな霧の海域でそんなことをすれば、他を見失うのは確実。
「あんなものに……!」
赤い瞳の睨みに反応するように光たちが向かってくる。その場にはもはや生き物も船も残っていない。
受けて立つのは特大の【雷撃】。海を割りながら光へと向かい、真正面から激突する。
「すげぇ……」
魔族のひとりがそう呟くのも無理はない。
その【雷撃】の魔法陣はひとつだけではなく、複数。
あの規模をひとつ撃つことすら並みの魔族には不可能だ。
途方もない魔力量とそれを扱いきる技量、間違いなく彼女が『魔王の騎士』だと見せつける。
霧に紛れる光と、霧を裂く光。押し合うような拮抗は雷に軍配が上がる。
轟音と共にいくつかがパラパラと海に落ちるのが見えた。
「やった!」「騎士レーデンが外魔を仕留めたぞ!」
音だけで海を揺らし高波を作り出しそうな鬨の声。
それは恐れるばかりだった外魔は倒せるのだという希望の叫びだった。
□□□□□
損失は2隻。生き残りはいなかった。
船を寄せて海面を見てみても、残っているのはバラバラになった船の残骸とズタズタにされた無数の肉片。
「見つけた、外魔の死体だ!」
「鳥? いや、魚か?」
「空を飛んでましたよ」
「光る虫というのもいますから、あの光はこれから発せられていたのでしょう」
エレーナもドンブルーギュンやハイマらと検分する。
見た目は白い魚。
大きさはエレーナの半分くらいだろうか。魚にしては大きく、魔物にしては小さい。
頭となる先端部分は牙のようになっており、触れただけで切れてしまいそうなほど鋭利。
口やエラといった器官は無く、目と思わしき部分も硬い。どちらかというと魚の形をした彫刻のようだ。
「金属……?」
手触りは魚と違う。
カチカチコツコツとしており、持つと非常に重たい。
試しに剣をぶつけてみれば、キンッと金属同士の音が鳴った。
「これだけ重ければほとんどの死体は海に沈んでますね。見つけられたのは幸運かと」
「相当硬いなこれは……鎧に加工できれば何も通さなくなるぞ」
「頭は武器だな」
「加工できる技術が無かろう」
「騎士レーデンの魔法が通ったし過信もよくない」
あれほどビビり散らしていた外魔なるものの正体がこれか……エレーナは拍子抜けした。
確かにあの奇襲は恐ろしく、これが群れとして襲い掛かる攻撃力は見ての通り凄まじい。だが現に倒せている。
緩みそうになる気に釘を刺したのはドンブルーギュン。
「雑兵であろうな」
「雑兵? こいつが?」
「外魔がこの小さいのばかりであれば、歴史の中で倒せたという記述もあろう。外海に出ても生きて帰ってくる者もいたはずだ。しかしそれが無いということは、これはほんの小手調べと見た方がよい」
考えたくはない。しかし彼の言うことはもっともである。
まだ『蓋の霧』に入ったばかり。先行きは不透明。ここは何があるかも分からない外海なのだ。
捨てるか、持ち帰り魔王に献上するか。後者の意見が通りそうなところで、異変は起きた。
死体の目が赤く輝き、周囲を照らしたのだ。
「なんだ!?」「生き返ったぞ!」
動く気配はない。本物の魚のように跳ねることもない。
「ッ、ハイマ!」
エレーナは本能的な危険を感じた。
ハイマの砂時計部分に抱き着き、押し倒す。
次の瞬間、轟音がして辺りに金属の破片が飛び散った。
悲鳴があがり、エレーナの背面にも何か突き刺さり激しい痛みが襲う。
「なんだ今のは!?」「う、腕がぁぁ!」
死体があった場所には何もない。それどころか、床が無くなって、周囲も焦げている。
近くにいた者たちは良くて大怪我、悪くてバラバラ死体。
遠くで目撃した者曰く、炎のような光と共に破裂したらしい。
「騎士レーデン!」
「大丈夫……! ハイマ、怪我は?」
「いえ……私は何も」
押し倒した拍子に頭が床にぶつかって割れるのではないかとも思ったがどうやらそれなりに頑丈らしい。
「悪いけど、誰か背中に刺さってるの抜いてくれない?」
この経験から、外魔の死体は見つけたら必ず海に捨てるようにと決まった。
「一戦交えたことで他の外魔にも気取られたかもしれん。今日はなるべく距離を稼ぐぞ」
稼いだところで遭遇しない保証はないが、誰もが少しでも安心できる材料を探していた。
留まっていた船団は足早にその場を去り、警戒の度合いも上げる。
今度は小さくまとまるのではなく、少しでも早く接近する敵を発見できるように広い陣形をとった。
旗艦と繋がったもう一隻を除き、8組の船が二重に四方へ広がる。外側の船が敵を見つければすぐに知らせ、内側の船が継ぎ、旗艦へと伝わるという狙いだ。
ドンブルーギュンは忙しく動き回り、はぐれる船が出ないように足を使って進路が同じになるよう調整してくれたりした。
□□□□□
霧の中を進むこと1週間、敵は来なかった。
2週間、敵は来ない。霧も晴れない。
3週間、次第に船団全体の疲労が表に出てくる。
厳戒態勢のまま未開の海を進むのだ。それもなるべく急いで。精神的な負担は大きかった。
【転移】で船と大陸を行ったり来たりできるハイマがそのことを魔王に報告し、人員の交代も行われた。
交代要員は先遣隊に加わりたいが行けなかった者たちがこぞって手を挙げたという。
エレーナとドンブルーギュンに交代の暇はない。現状唯一の外魔に対応できる戦力として常に船団に居続けなければならない。
□□□□□
「【転移】ってどういう感じなの?」
「飛んでみますか?」
「じゃあ、甲板のあそこまで」
ある時、手持ち無沙汰なエレーナがハイマに尋ねた。
「手を出して。触れなければ対象にできないので」
「はい」
瞬間、特徴的な重い音がして視界が変わる。
「……え? わ、すご……」
不思議な感覚だった。
飛んだという感じはしなくて、自分はそのまま立っている場所が変わるだけ。下手をすれば酔いそう。
ハイマのところに戻り、今の不思議体験を褒める。
「触れてるものなら何でも飛ばせるの?」
「はい。例えばこの船を丸ごと港に戻すこともできます」
「凄いわね。どこにでも?」
「行ったことのある場所、現在見えている場所なら。ただ、大きく移動する場所の上に飛ぶことはできません。例えば私が大陸からこちらに戻ってくるときに船が移動中であれば、私は海の上に出ることになってしまいます」
「だから停まってる時にだけ飛んでたのね」
対象にできる範囲にも限度があるらしい。
例えば何百何千人と一度に飛ばすことができるが、各々が触れ合っていなければ途切れてしまうとか。
この船を丸ごと飛ばすことはできるが、船団すべてはできないとか。
海や地面や空気などを介すのができないとのこと。
「それでも凄いわ。私も使えないかしら。魔法陣さえ覚えればいけそうだけど」
「ははは、騎士レーデンは冗談がお好きなようで」
「いや冗談じゃなくて」
「魔法陣を教えることはできますが、使えないと思いますよ。【転移】は我が種族の固有魔法ですから……他の種族が同じ魔法陣を描いたとしても使えません」
「そうなの?」
固有魔法に関しても、リーテから教えられたものは少ない。なにせ実際に目にする機会がなかったのだから。
島には2人きり。送られる戦場にも固有魔法を使う者はいただろうが、最初の頃は余裕もなかったし途中から最後の方は殺られる前に殺っていた。分析しようとも思わなかった。
そして固有魔法は魔族なら種族ごとに、人間なら家系ごとに数多の種類がある。一生のうちにすべての固有魔法を目にする機会などないだろう。
だからエレーナにとって固有魔法とは未知の領域。無知を晒してしまう。
「"固有"ですからね。もしあなたの固有魔法を他の者が使えれば誰しもが再生能力を得て死なない体を手に入れられますがそうはいかない。同じ魔法陣を描いても、まったく同じ発音をしても、他人が使うことは叶わないのですよ」
「やってみなきゃ分からないでしょう。いいから魔法陣描いて」
知らぬが故に、エレーナは便利な魔法を諦めたくなかった。
ハイマは子供の駄々に対応するように「やれやれ」と木版に【転移】の魔法陣を刻む。
模様は中々に複雑だった。
「あっちに行くのを思い浮かべればいいかしら」
魔法陣に魔力を込めると、発動音と共にエレーナの姿が消える。
ハイマが仰天するのと同時に、船の外からバッシャーンと聞こえてきた。
「騎士レーデン!? いきなりどうしたんすか!?」
慌てて舷に向かい手すり越しに海面を見てみれば、警備をしていたサハギンが驚いていた。
「ブッ、ブッ、ガボ……!」
「敵ですか!? 海中!? 俺には見えませんが……!」
「いや、ちがっ……」
エレーナのいきなりの飛び込みはちょっとした騒ぎになり、しまいにはドンブルーギュンがやってきて怒られる羽目になってしまった。
「騎士レーデン、お主自分の立場くらい分かっておろう」
「いやこれは……」
「お主が頓狂な行動をとれば、それは他の者に波及して先のような騒ぎを起こすことになる。ただでさえいつ外魔と遭遇するか分からぬ状況でいたずらに混乱をもたらすな! 騎士の自覚を持て!」
「……ごめんなさい」
怒る巨大イカはめちゃくちゃ怖かった。
エレーナは濡れ鼠のまましゅんとなり、船内のシャワー室を使えたのはたっぷりお説教された後だったという。
その後は興奮したような恐れるようなハイマに詰め寄られることになった。
「騎士レーデン! あれは本当に【転移】ですよね!?」
「ええ、多分使えたと思うけど。一瞬で視界が変わるのは同じだったし……まぁ場所を間違えたんだけどね」
「ありえない! 固有魔法については先ほど説明した通り、他の種族には絶対扱えないものなんです! なのに使えるとは……ありえない! もしや他の固有魔法も使えたり……!?」
「どうかしら……使ったことないし」
丁寧な物腰のハイマらしからぬ押しの強さに思わず仰け反る。
頭の水晶は見開かれた目やらグルグルした渦やらが行き交っていて、一目見て興奮が分かった。
「もしあらゆる固有魔法を扱えるのであればとんでもないことですよ!」
「ええ、まぁ、そうね」
「試しにワイバーンの彼の魔法を! 確かワイバーンの固有魔法は体の質量を一時的に減らす魔法のはず――」
ハイマの言葉は続かなかった。
甲板から悲鳴のような叫び声が聞こえてきたからだ。
「敵襲だーーーーーッ!!」
□□□□□
今度の襲撃者は海中からだった。
船団から見て右、外側の2隻の周りにいたマーメイドが暗い海の中で遠くから迫る赤い光に気付き、船に知らせる。その船が内側の船に狼煙で知らせ、そして中心にある旗艦にも届いた。
「ハイマは中にいなさい」
「言われなくても……!」
エレーナが外に出たのは、まさに外側の2隻が船底から破壊され沈む瞬間のこと。
「上空にもいる!」
「ワイバーン隊待て! 殺られるぞ!」
「我々が壁にならねば誰が旗艦を守るのだ! 飛ぶぞ!」
二度目の敵襲。変わらず船団はパニックに陥る。
「鎮まれィ!!」
そこにドンブルーギュンの大声が響き、船団から音が消える。
「海面より上は騎士レーデンを頼れ! 海中は任せよ!」
巨大な魚影……イカ影が船団右の内側と外側の間に入る。
彼もまた『魔王の騎士』。ああ言ったのなら任せてもいいだろうと判断したエレーナは空を睨む。
この前の敵と同じ、光の群れ。つまりあの魚みたいな奴だ。
なら倒し方も同じでいいだろう。全力の【雷撃】を真正面からぶつければいい。
……のだが、射程が足りない。
現状はまだ霧の向こうに光が見え隠れする距離。
ここで撃っても全滅させられるかどうか。
かといってちゃんと当てられる距離まで待つと間違いなく外側の船が攻撃される。
任された手前、犠牲など出したくはない。
しかし、見捨てるしかない。
その気になれば【転移】で前方外側の船に移動できるだろう。そうすれば空の雑魚どもには対処できる。
だがエレーナの……この船団そのもの役目はハイマを守ること。
旗艦から離れている間に別の敵が来たらそれこそ本末転倒。エレーナは騎士として旗艦に居続けなければいけない……
「っ…………船長! 船を止めてッ!」
甲板から叫ぶエレーナの声は船長に届く。
無茶な提案にオークの船長兼船団長は面食らった。
「この状況で止められるわけがない! 正気ですか!?」
「ハイマを一旦帰す! 早くしないと前の船がやられる、黙って見てろっての!? 同胞が死ぬのよ!」
「っ、それがあいつらの仕事です!」
「ざけんなッ! いいからハイマ帰して船止めろ!! 命令だ!!」
言い合っている時間はない。
船長のすぐ横に脅しの【雷撃】を放ち、返答も聞かずにエレーナは船首まで走り、はるか前方を睨む。
犠牲を出しながら距離を稼ぐより、一旦止まって敵を全滅させることを選んだ。
魔法陣の描かれた木版はまだある。あと数回使えるかどうか。片道だけでも持てばいい。
もしかしたら後でまたドンブルーギュンに怒られるかもしれないが、知ったことか。エレーナは【転移】を発動した。
「――よし、できた……!」
「え、騎士レーデン!? なんでここに!? 今のは一体――」
「どいて、もう一回……」
視認できたのは旗艦のひとつ前に位置する内側の船まで。だから外側までもう一回。
「――って、なんで飛べないの!?」
ここでエレーナの予期せぬトラブル。
【転移】が使えないのだ。
魔法陣に魔力が流れてはいる。なのに魔法が発動しない。
遠くから激しい音が聞こえてくる。巨大なものを水に叩きつけている音だ。ドンブルーギュンが戦っているのだろう。波がこちらまで来た。
「(マズい、もう近付いてる!)」
空の光はどんどん降下してきている。完全に捉えられている。
「クソッ、はや――」
視界が変わった。
「――く!! って、あれ?」
船の形は皆同じ。しかし様相が違う。
さっきより切羽詰まった雰囲気、最前線だ。
「使えた……? なんで……まぁいいか」
「騎士レーデン!? どうしたんですかい!?」
「ハイマは大陸に避難させた。どいて、怪我するわよ」
どういうわけか使えないと思っていたら目的地に着いていたが、今は目の前の敵に集中する。エレーナの視力にはもうさっきと同じ魚の本体が見えている。
「くたばれ!!」
光と光がぶつかり合う。ダメ押しにもう2つ魔法陣を展開し、道を開くように霧を裂く。
外魔たちは密集状態から二手に別れようとするも逃げられない。
術者であるエレーナの目すら潰れそうな雷光が周囲を照らし、それでも魔力は尽きない。
「す、すげぇ……」
「本当に同じ魔族か……!?」
無数の金属の塊がボトボトと海に落ち、手応えを確信する。
雷が晴れれば、そこには何もない。
「うおおおお! 騎士レーデン!!」
「万歳!」「騎士レーデン万歳!」
背中からの歓声にどう答えていいか分からず、エレーナは前方を一瞥してから踵を返す。
今度は船尾に移動して、ドンブルーギュンが手こずっているようなら助けに行って――
そう考えながら歩いているときだった。
エレーナの視界が光に塗りつぶされ、体は激しく揺れ、激しい痛みと共に意識すらなくなる。
次に意識が戻ったのは、暗い空間の中。
息ができない。体の動きが重い。これは水の中、つまり海中だ。
辛うじて見える範囲には色々なものが見えた。
木片、肉片、金属片――船とその乗組員。
「(息、が……!)」
「騎士レーデン!」
「ご無事で!」
水棲魔族は水の中でも相手に伝わる発声法を使う。エレーナを助けたのは人魚とサハギンの2人だった。
彼らはエレーナに肩を貸すように抱え、超特急で浮上する。
「プハッ! ゴホッ、ゴホッ……!」
短い間だけだったはずなのに、息をするのが久しぶりに感じる……なんて言っている場合ではない。
周りは酷いものだ。
船は2隻ともバラバラ。あまり見たくもないものがそこらじゅうにある。船に乗っていて生存したのはエレーナだけだった。
赤に、青に、緑に――様々な種族の血が混ざり、摩訶不思議な色となった海は二度と見たくない。
船を破壊した者は上空にいた。
魚の群れもそうだが、外魔というものには気配がない。本当に生き物かと疑うほど。
だから誰も気付かなかった。音もなく飛行する圧倒的な質量が空に存在することに。
「なんだ……ありゃ……」
「でけぇ……」
「鳥、ドラゴン……違う……亀……?」
破壊された船の真上、街ひとつ分はあるであろう大きさのなにかがいる。
影の形は確かに亀のよう。
大きな円盤の四方に脚らしきものがあり、頭部らしきものも確認できる。
その亀の脚の1本から、一筋の雷。
遠くにあるせいで小さく見えたが、先ほどエレーナが見せたものに負けず劣らずの雷だった。
向かう先は旗艦の左、内側に位置する2隻。
破壊は一瞬だった。
「でたらめだ……」
誰かがそう呟いた。
これなら外海すら越えられると思わせる大きな船を、しかも2隻をまとめて呑み込み破壊する雷の攻撃。
エレーナのいた船もあれにやられたのだ。
しかもさほど時間を要せず連発できる。
「ふざ、っけ……!」
エレーナは借りていた肩を離し、【転移】を発動する。今度はちゃんと飛べた。
現れたのは上空。確かに見えている場所にならどこでも飛べるようだ。
亀は次の雷を放たんと脚の先を光らせる。
「AMフィールド!!」
現在の彼女の位置は船団と亀の間。直線上。
亀が雷を発射し、次の獲物を破壊せんとする。
魔力には自信がある。この特大のAMフィールドならある程度減衰できる。
それは間違いではない。魔法に限れば。
「ッ、はぁ!?」
雷はAMフィールドをすり抜けて海へと向かった。
一瞬のうちに旗艦の後方の船が藻屑と化す。
はるか下で400余りの命が消えた事実にエレーナは背筋を震わせる。
「魔法じゃ、ない……?」
AMフィールドは魔法以外はすり抜けてしまう。つまりあれは雷系統の魔法ではなく、自然現象によるもの。
呆然としている暇はない。今こうしている間にもエレーナは自由落下している。
下から上への【烈風】で軽い自重の速度を落とす。
「くっ、今度はちゃんと飛びさないよ……!」
再びの【転移】は成功した。向かう先は亀の目の前。
同時に魔法陣が描かれていた木板がパキンと割れる。とうとう耐えられなくなったのだ。
ここまで来れば霧に紛れていてもその面くらいは拝める。
魚と同じように口はなかった。その代わり、目であろう部分が赤く輝いている。
「ここじゃ駄目……このっ、なんで割れるのよ今になって!」
悪態をついてからもう役に立たない木版を捨てる。
この高度に居られる時間は2秒もない。悪あがきに鼻っ面に【雷撃】を放った。
「クソッ、一発じゃ……!」
魚と違い、亀はその大きさ通りの硬さを持っていた。大して効いた様子がない。
最接近した今コイツを仕留めなければまた被害が出る。
しかし重力には逆らえず、海に落ちてまた船が沈むのを見ているしかない。
不意に、下からふわりと支えられた。
「騎士レーデンッ!!」
ドラゴンにも似た翼竜種族、ワイバーン。
緑色の鱗を持つ彼らが何人もエレーナの周りにいる。
エレーナはその中の一人の背に乗っている形。
「あなた達、よくこんなところまで……!」
「AMフィールドが見えて、駆けつけました!」
「アレをぶっ殺せるのはアンタだけだ!」
これなら滞空時間を気にする必要はない。
至近距離で魔法を撃ち込むことができる。
しかしそう簡単にはいかないようだ。
「ッ、おいアレ! 腹から何か出してるぞ!」
「例の魚の群れじゃねぇのか!?」
亀の腹から小さな赤い光たちが群れとなって飛び出て、真っ直ぐにエレーナやワイバーンたちに向かう。
「クソッ……! 俺たちで引きつける、騎士レーデンはデカブツを!」
「ええ。奴の背に降ろして、必ず殺してやる」
物言わぬ亀の目を睨む。睨み返される感じもしない。本当にただの物のようで不気味。
「振り落とされないでくださいよ!」
「デカい口を叩くのね、全力で行きなさい」
少女を乗せた緑の翼竜は仲間たちから別れ、真っ直ぐに亀の頭上を飛び越した。




