外伝14 你教我的呼吸 中
マァゼに担がれ……というより抱きかかえられ数日、馬車で行くよりは早く着いた。
シンピョウ領、そして領主の屋敷。
山間にあって普通に軍が攻めるなら厳しい、大昔の城砦があった場所に建てた天然の要害。しかしそれは空中から訪れるのに何の障害でもない。
夜闇を裂く篝火は煌々。敷地内だけが昼間のように照らされている。
「人がいっぱいいるの」
「変ですね、当主滞在中の警備にしても多すぎる。まるで……」
元が城砦だった地だ。権力者の本拠らしく土地は広く贅沢に使っており、広場には人々が詰めている。
その数は1000を超える……2000には届かないかもしれないけど。どのみち軍隊だ。
しかも多くの天幕があり、まるでこれからどこかへ攻め込むような雰囲気。
彼らの目的は分からないけど、何にせよ邪魔極まりない。
「マァゼはあれらの相手をお願いします」
「あはぁ~! いいのー!?」
「いいですよ。あなたが暴れている間に私はナギサを探します」
「じゃあ早速始めるのね!」
「えっ? ちょっ――」
パッと手を離され、私は落下した。
高度がそれほどでもなかったからいいものの、普通ならこれで死ぬって。
なんとか受け身の姿勢と身体強化で無事に地面に出会えた。マァゼめ……覚えてろ。
「あはぁ~!!!」
広場の方に飛んでいったマァゼが笑いながら魔法を使う轟音が聞こえてきた。
静かな夜は突然の敵襲に水を差されてんやわんやだ。
「なっ、なんだ!? 地震か!?」
「あっちから悲鳴が聞こえるぞ!」
「敵襲ーーーー!!」
「どこの誰だこんな夜更けに!」
「まさかシンテンが攻めてきたのか!?」
ナギサ、無事かな。
「俺たちも早く向こうに――おい、誰だ?」
「止まれ、見慣れないガキ――」
怪我とかしてないといいけど……
「ぎゃあぁぁっ!」
「誰か、侵入者が!」
お腹空かせているかもしれない。何か食べ物を持ってきてあげればよかった。
「す、スー師が一瞬で!?」
「化け物だ! 逃げろ!」
「馬鹿、逃げるな――ぎゃああぁぁ!」
なんでもいいか、無事でいてくれれば。
それにしても邪魔が多い。
馬鹿みたいに広い敷地でどこを探そうか迷う。
中央の大きな2階建ての屋敷か、はたまた離宮か別邸か。
攫った意図は分からないけど、娼婦と同じ場所には置かないだろう。
「ヒッ、まさか……レンファン・シンウー!?」
「邪魔」
あるいは人に訊いてみるか。当主と一緒に帰ってきたのなら見ている人間がいるはず。
「ゼァジョウ・シンピョウはここにいますか?」
「や、やめ……命だけは……!」
「答えなさい」
「助け……ギャアアアッッ!!」
「チッ、次」
下っ端に訊いても意味がないかも。中央の屋敷に詰めている者なら使用人や警備の中でも高い地位だろうからそいつらから聞いてみよう。
まったくだだっ広い。権力者はこれだから。
「やっぱり上から魔法落とすだけじゃつまらないのね。こうしたッ、方がッ、感触がッ、手にッ、残るの」
「何やってる! たかがガキひとりだぞ!」
「キャハハハッ! 殺すのはあんまりだめだけどぉ、向かってくるなら仕方ないのね!」
「なんなんだよアレは! いきなり空から!」
「化け物だぁぁっ助けてくれぇぇぇ!」
マァゼも派手にやっている。あれならここにいる人間が全員注目するだろう――
と思っていたら屋敷に入ったところでひとりの男が待ち構えていた。
「賊の襲撃かと思えばこれは珍客ですね。いや賊であることに変わりはないか……武人として名を明かし拳を交えましょうレンファン・シンウー。わが名は――」
「邪魔」
「ジャク師がやられた!」
「おい、黒髪の女がここに連れてこられるのを見ましたか?」
「ひぃ……!」
「見たのか見てないのか、答えなさい」
「みっ、見た……! 見たから、助け……!」
「まったく、せっかちなクソガキだ」
広い玄関ホールの隅に兵士を追いやりながらやっとナギサの消息が知れそうなところで、私はすぐ後ろに気配を感じた。
すかさず振り返りざまに肘を叩きこむ――はずだったのに、何にも当たらず空を切った。
「残念、はずれ」
そこにはさっきぶっ飛ばした男が立っていた。そう、私の背後に立っていた。私は背後に攻撃したはず。なのに当たっていない。自分の目を疑いそうになる。
男はまるで空間が歪曲しているかのように腰を横にくねらせて肘を回避していた。
どういうことだと思うより前に男は動き、私に密着し腕で首を絞めてくる。
腕、これは腕のはずだ。なのになんだこれは。まるで縄じゃないか。
中に骨が通っていないかのようにぐるぐると私の首を絞める腕。さらに私の脚にもぐるぐると男の脚が絡まり動きを拘束される。大の男が全身を使って私みたいな小娘にしがみつくおんぶのような形。
「カッ、ぁ……!」
「不思議に思っていますね? 無理もない。こんなこと普通の人間には不可能……しかし魔法使いなら?」
「ま、ほう……!」
「いかにも私は魔法使い。そしてわが固有魔法は【軟体】。関節の可動域とかちゃちな話じゃありませんよぉ……こうして体を使ってあなたを縛ることもできる。筋肉さえも柔らかさを維持しながら力を入れることも、可能ッ」
気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い。
べったりと私にひっつく男の声や息が近くて気持ち悪い。
うねうねとしながらギシギシ絡みつく全身が気持ち悪い。
ナギサが以前ミミズを見て「生理的に無理!」と言っていたのを思い出す。ああこんな感じなんだ。
「さぁてあなたの首はどこまで細くなれるかな」
「ふっ、ぐ、かふっ……! この……っ」
締め付ける腕に掌をあて、杭掌を撃つ。だが悪あがきにすらならなかった。
柔らかすぎて衝撃が極度に分散され、向こう側にある私の首にも来て少し痛みを感じたほど。
ならばとただ拳をぶつけてもぷよんぽよんという感触が返ってくるばかり。
「みゅほほほほ、何もできずただ苦しみもがく様を見るのはいつ味わっても極上……」
ギチギチと腕が絞まり、呼吸がままならなくなっていく。ほとんどできない。
「じゃ、ジャク師……」
「手出しは無用。この小娘は私が仕留め、首はご当主様に献上いたしましょう。首に力を入れて防いではいるようですが……あと何秒意識が持つかな?」
「はな……せっ……!」
「ならば抵抗してみるといい……できるものなら」
いくら手で引き剝がそうとしても掴めない。水を掴もうとしている気分になる。
視界がぼやけ、チカチカのようなブツブツのような乱れが出てくる。
舌がひとりでに外に出て、開けっぱなしの口からみっともなく涎も出てくる。
思考もだめだ。意識も。
なんとかしないと。こんなところで立ち止まっていられない。
首、なんとかして、腕、首、腕、腕……――
だめだ、まとまらない。
本当に、死……
「ッ、よ、こせっ……!」
視界に入ったものに無我夢中で手を伸ばした。
目の前でへたりこんでいた兵士……震える手に握られていた剣を奪う。
掴むのも衝撃も無意味なら切るのはどうだ。あるいは刺すのは。
降って湧いたような生きるか死ぬかの瀬戸際。まとまらない意識の中で少しでも可能性がありそうなものを取っただけ。
「ほう、しかし定まらない手元で私の腕を切れますか?」
絞めつけながらもうにょうにょと動く腕。切るなら避けるぞという意思を感じさせたが、私の頭はそれどころではない。
時間をかけてはいけない。だから私が狙うのは、私の体。
剣を逆手に持ち、左半身――胸と左肩の間。下から上に刃を突き入れ鎖骨と肩甲骨の間を縫い、もうひとつ。背中にべったりくっついていた男の体すら貫く。
耳元から聞こえてくるものが変わった。
「が……っ――な、ん……だと……」
武術を習う過程で人体の構造も学んだ。時に本物の死体を解剖するのも見ながら。
自分で刺した部分は臓器も無く骨の間を縫うような、一番命に別条のない部位。
対して男はほとんど体の中央――心臓か、はたまた別の臓器か。どちらにせよ腕の締まりが緩んだことで賭けに勝ったのを感じる。
直後に拘束がずるりと解け、男が床に落ちる。
念には念を。回復途中のまだぼんやりする意識の中、何回か刺す。
ざくざくという感触が柄から伝わってきて、おばさまの死に際が思い浮かんだ。あれは私が刺したわけじゃないのに、私を睨んで、罵声を浴びせてきて、演技だって分かってるのに……
「ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ……ぁ…………」
「ひっ、ひぃぃぃぃっ!! たっ助けてくれ! 何でもする! 何が望みなんだ!」
「…………ナギサ………………ナギサに会いたい……」
「だ、誰だそれ……」
「おい敵襲だ! って、ジャク師!?」
「そいつも賊か!」
「待て、お前ら! 逃げ――」
「うるさい……」
道案内はひとりだけでいい。他はいらない。
煩わしいものを潰していって、静けさを取り戻す。ああでも静かなのはいけない。思い出したものが続いてしまう。動いていないと、ナギサに会わないと。
会うためには止血も必要だ。どうせ左腕はもうあんまり動かせない。袖を破って止血のために結ぶ。
「黒髪の女、の……ところに、連れて行ってください。あなたが駄目なら殺して別の者を探します」
「わか、わわかった、分かったから、ひっ……!」
兵士の案内で進んだ先は地下。ここは元の城砦の地下通路をそのまま使っているらしく、広くて角が多くて古い。
壁の松明がなければ真っ暗でなにも見えないだろう。
途中にも警備の人間がいたけど障害にならない。
案内役は逆らいも逃げもしなかった。賢明だしありがたい。
「おい、なんか上で誰か暴れてるらしいぞ」
「この地響き……崩れたりしないよな?」
「さぁな、ここも古いから――誰だ!」
「邪魔」
「あ、あの牢に閉じ込めたって、言ってたのを聞いた……」
「っ、ナギサ!」
たまらず駈け出して鉄格子の向こうを見る。
見慣れた黒髪がそこにあって、さっきまでの疲労や痛みや苦しみが吹き飛んだような感覚すらあった。
「……んぁ? ■?」
いた。ナギサ。
あっけなく見つかった。見つかってよかった。
「ナギサぁっ!」
無機質な地下牢。こんな場所に閉じ込めてたなんて……
鉄格子を蹴り破って存在を確かめる。
勢いあまって抱き着いてしまったけど、感触を感じる。よかった。何もなくそこにいる。
「■■■■■!? ■■、■■、■■■■!?」
「え……? ナギサ?」
「■■、■■■■■■……これで大丈夫かな?」
「今のって……」
「エネルギー節約のためにボックス切ってたからさ、翻訳されてなかった」
なんでも読み書きはできるけど会話はボックス頼りだったようだ……そんなことはどうでもいい。
「何もされてないですよね?」
「うん。ただフカフカベッドがあるだけの地下牢だとは思わなかったし何もなかったから暇だったけど……ご飯も一人前は出たし、別に何かされてはなかったよ」
「よかった……マァゼが上にいます。すぐ合流して帰りましょう」
「マァゼちゃんも? というか、よく私がこの屋敷にいるって分かったね」
「ユータオ・シンズが教えてきました。まったくあの女……ナギサを奪っておきながら簡単に攫われるなんて」
「ん? あの人が?」
「どうしました?」
「あ……あのじゃあ俺はこれで……」
案内してくれた兵士は逃がした。彼なんかよりナギサが首を捻っている方が気になる。
「いや、あの人が私をシンピョウ家に売ったのにわざわざレンファンに教えるの変だなーって」
「えっ? シンズ家から無理やり攫われたんじゃないんですか?」
「普通に引き渡されたんだと思うけど……連れてこられる時にそう言われたし」
どういうことだ。
あの女がゼァジョウにナギサを引き渡していた? 話がずいぶんと違う。
それにこの屋敷にかなりの人数が集結していたのも理由が知れていない。
何かに踊らされているような、騙されているような気がする。
誰が何のために……
「帰ったらあの女に訊かなきゃいけませんね」
「うん。正直怖いけど……ってかレンファン、立てない」
「え? あ、すみません」
ずっとしがみついていた。忘れていた。
場所は変わってもナギサの匂いは変わっていなくて一安心することに夢中だった。
今はおあずけに甘んじよう。帰った後でもできることだ。
「道分かる?」
「来た道を戻れば大丈夫です。はぐれないようにしてください」
「うん手を繋ぐのはいいんだけど……力強いよ、痛い――レンファンッ!!」
急な叫び声にそんなに力を入れ過ぎていたのを怒ったのかと思ったけど違った。
振り向こうとする間に壁の松明が一斉に消え、視界が暗闇に支配される。
次いでやってきたのは痛み。
止血している左肩をなにかで斬り裂かれ、立っていられず地面に転がる。さっきの傷口も開いて一気に血が外へ出ていくのを感じた。
「ッ、なに、が……」
「レンファン! どこ!?」
ナギサの手元がパッと明るくなる。ボックスは本当に多彩な機能を持っているようだ。
彼女の目には、照らされた私が血まみれで倒れているように見えただろう。
「おいおい、心臓を一突きにするはずだったのに避けやがったよ。どんな反射神経してんだ?」
「ゼァジョウ……シンピョウ……!」
どこからか男の声が聞こえてくる。近いのか遠いのかすら分からないのにハッキリ聞こえた。




