外伝5 この呼吸は、明日には忘れてしまいますか?
レンファンは確かに弱くなっていた。結局マァゼから一本も取れなかったくらいだ。
異常個体でないものの毎日鍛錬を欠かさなかった護衛ガガウの実力は、実際に今のレンファンを上回っていた。
しかし両者の間には先天的な体質とは別に絶対的な差がある。
聖剣氣。
まずレンファンは杭掌に一瞬だけ身体強化を込めた。ガガウが動けなくなるほどのダメージはそのためだ。
断頭斧にも同じく身体強化。これによりその小さな体躯から想像もできないほどの破壊力を生み出す。
かつては強化されすぎて扱いきれないとした自分の力。実戦で使うには不安もあり心の準備が必要だったが、元々足りないなら結果はこの通り。とてもナギサに見せられない光景がレンファンの足元に広がっている。
「――先ほど、戯れと言いましたね。あなたのしがみつく家は私の戯れでいとも簡単に崩れる大したことのないものなんですよ、ご老人」
「貴様……! 出合え!」
カコウがテーブルを力強く叩く。ヒビが入るほどのそれは食堂の外で待機していたシンウー家の私兵たちを呼ぶのに足るものだった。
兵といっても彼らは鎧をまとっているわけではない。思い思いの独特な刀剣武器を持った、チンピラやゴロツキより統制が取れた腕自慢といったところだ。
「なっ、これは……!?」
「ガガウ殿!?」
誰もが驚き及び腰。
家の兵ともなればレンファンのことも知っている。明らかに彼女がガガウを殺した状況、そして怒り心頭といったカコウ。兵たちは自分たちに告げられる命令を予想しつつも違ってくれと思う。
「レンファンをやれ! 殺すなよ、痛めつけろ!」
そして予想通りの指示が出てしまう。
自分たちなどでは到底敵わないガガウよりも強い相手であるレンファンと戦えなど悪い冗談だろう。しかし彼らは従うしかない。なにせこの家の長はこの老人なのだから。
「一度だけ言います。老人ではなく私に従いなさい。私はレンファン・シンウー、前当主ウェンユェの姪であり成人した跡取りです。これより私は空席だったシンウー家当主として、家中の毒虫を粛正します」
「馬鹿なことを! 誰がお前を当主と認めるか!」
「一度だけと言いました。もし従わないのならばガガウと同じようにあなた達も殺します」
「乱心した小娘が何を言うか! シンウー家の長は儂だ!! お前たち、レンファンは両腕が使えん! 束になってかかれぃ!!」
有無を言わさぬ剣幕。従うべきは老人か。
しかし戦えと言われた相手はあのレンファン。武術大会のことを知ってて今もガガウを沈めた者を小娘などと侮れるはずがない。立ち向かうのは自殺行為だ。
レンファンの宣言は彼らの逃げ道でもあった。ここで彼女に従えば今殺されることはないだろう。
問題はその後。もしカコウを裏切ったとシンウーの他の老人たちに知られれば自分や家族の身も危ない。
彼らの中にあるのは忠誠心だけではないのだ。
「ええい! 腰抜け共が! そこの2人を人質にでもなんでも取らんか!」
業を煮やしたカコウが煌びやかな装飾の直刀を手に立ち上がる。
それを見たレンファンの目の色が変わったことに老人は気付かない。故に反応が遅れた。
「この宝剣の持ち主が誰であるか――」
言葉は続かなかった。
カコウは知らないだけだった。勇魔大会の委細を知ろうともしなかった老人はそれが命取りになることすら知らなかった。
兵たちに見せつけるために掲げたシンウー家当主である証の宝剣。
勇魔大会では【舞台】で作り出した偽物だったとはいえ、叔母を貫いた剣。
そんなものを見せつけられて冷静ではいられない。
跳躍、回転。
勢いに遠心力と身体強化が加わっただけの、命を摘むだけのなんの変哲もない飛び蹴り。
一直線に最短で、これ以上何も喋らせないように。ただひとつの蹴りで老人を壁にまで吹き飛ばす。
その威力は一撃でカコウを絶命させ、宝剣はレンファンの手の中に。
「まだ何か、ありますか?」
静けさが食堂を支配する。
このような状況で勇めるはずもなく、兵たちはレンファンに膝をついた。
「今から言う者たちを捕まえなさい。今すぐに。抵抗するなら殺しても構いません。向こうが何を言ってこようとです。私は正当な直系のたったひとり。私に逆らうはシンウーに逆らうものと思うように」
兵たちが散り、その場に残されるのは4人。
「あのー……レンファン?」
「すみません。これが私のやりたいことです。言わば復讐ですね。八つ当たり気味の」
レンファンにとってはこの家のムカつく連中を始末したいという衝動が爆発したもの。突発的で短絡的。15歳の少女がキレただけの行動。
ナギサから見ても、それだけで2人も立て続けに殺した彼女は異常だ。しかしそうするに値する理由がナギサの知らないところにあったのかもしれない。咎めることはできない。
「……終わったら、どうするの?」
そうですね……――レンファンは考え込む。
「どうしましょうか」
「っ、え?」
「あなたはどうしますか?」
レンファンが話しかけたのは今の今まで事態を静観し食事を嗜むロンロウ。
あれだけ横が暴れ回っていたというのに、変わらず地味であることはある意味異質だった。
「そうだね……家に帰ろうかな」
「分かりました。送りの馬車は……」
「自分で手配するよ。久しぶり」
「お久しぶりです」
「とりあえず婚約は白紙でいい?」
「はい」
そうか、とロンロウは立ち去る。
「――ああ、そうだ。これだけは伝えたかったんだ」
「なんでしょう?」
「昔、一度だけ君の舞台を見たことがある。とても綺麗だった。向いてるよ」
「……ありがとう、ございます」
「それじゃ」
ナギサの視線はロンロウの背中とレンファンを往復する。
「なになになに!? なんかロマンス始まりそうなやつじゃん! ヒュー!」……近くに死体が転がっていなければこんな風に茶化したことだろう。
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その後、あれよあれよという間にナギサたちは敷地内にある離宮のような館に案内され、マァゼが目覚め夕食が始まる頃になってもレンファンは戻らず、彼女が再び顔を出したのは翌日のことだった。
「すみません。軟禁のようになってしまいますがこの館から出ないことを勧めます。ナギサには……見てほしくないので」
食事や身の回りの世話はシンウー家の侍女がやってくれるらしい。
降って湧いたお嬢様扱いの生活をナギサは戸惑いながらも満喫してしまう。それ以外にすることもできることもないからだ。
マァゼは最初から事情など知ったこっちゃないので変わらずはしゃいでいた。
レンファンは宣言通りに家の中の粛清を行った。
対象はいずれも、シンウー家の古株。レンファン曰く「自分たちの権威と利益のために他を苦しめる連中」である。
敷地内の本邸や別邸に住まう者は即時殺害。領地内に散らばる者たちはカコウの名と当主の印の入った手紙で呼び出し来たところを殺す。来ないようならこちらから出向いて襲撃をかける。
八家聖傘下の家々もそれなりの私兵を持っているが多くて300人程度。
反抗しようにもレンファンに勝てる者はおらず、3桁程度の人数などは個人の武という力で誰もが殺されていった。
しかも両腕を怪我しているから足のみというハンデ付きで。
護衛も供回りもつけずに単身で、ただ殺すためだけというフットワークの軽さは尋常でなく、レンファンは宣言からひと月も経たぬうちにシンウー領をまっさらにした。
当然これは騒ぎになり、国からも他の八家聖からも何事かという問い合わせが出てくるが、それに対しては「シンウー家の当主として内部を掃除した」の一点張りで通したのだった。
まるで自身の生まれ故郷を正す行為のようだが、やっていることは問答無用の暴君で動機は自分本位。
さらに権力者たちを一掃したことで領主としての内政機能は麻痺している。このままでは領を治めることそのものができなくなる。
そのことを家の文官に指摘されたレンファンはこう返した。
「大丈夫ですよ、アテはあるので。そうですね……もうひと月持てばいいです」
この電光石火の粛清はシンウー家の役人の間で歴史書に残るほど衝撃的で、話は国全体に広がりレンファンは後の世に『暴公主』と呼ばれるまで恐れられることになる。
さらに後の世では『キレて暴力に走る若い娘』、『容赦ない粛清でコミュニティを正す者』といった者を『レンファン』と呼ぶようになるとか。
一言でも気に障ることを言えば殺される。そう噂され誰もが彼女の顔色を伺う。周りの人間にとっての束の間の暗黒時代である。
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一方ナギサの滞在する館は平和そのもの。何もない怠惰な日常が続いていた。
起きてから寝るまでをお世話されて、食事もナギサすら満足するじゅうぶんな量が与えられて、飼育されているような感覚さえある。
マァゼは普段の生活に比べて天国なのか「ずっとここに住みたいのね!」とだらける。ナギサは「堕天使……」と誰にも聞こえないよう呟いた。
領内のすべてを終わらせたレンファンがようやくここを訪れた時には開口一番「遅いよおー」と言ってしまうほどには放置であった。
「ごめんなさい……でも勝手についてきたのはあなた達ですよね?」
「うぐぐぐ……!」
「やることは終わりました。晴れやかな気分です」
久々に顔を合わせた彼女の顔には疲労がこれでもかと主張していた。
とてもスッキリしたようには見えず、押せば倒れてしまいそうだ。リハビリ前の弱弱しさを思い出す。
たったひとりの少女が短い間に大勢を殺して回ったのだ。むしろ彼女が道半ばで倒れなかったことが奇跡のようである。
「嘘言わないでよ、ご飯食べてるの?」
「ええ、まぁ……そりゃ……」
緊張の糸が切れたようにレンファンの足が自身を支えられなくなる。
それ見たことか。ナギサはそう言いたくなるのをこらえて倒れる小さな体を抱き留めた。
「って、すごい熱! だ、誰かー!」
「お嬢様!?」
真っ先に駆けつけてきたのはこの館の使用人を取り仕切る太った初老の女性。名をチョウイー。
他の侍女たちにもテキパキと指示を出し、あっという間にこの館の一室にレンファンを寝かしつけた。
ナギサもじっとしていられない。
看病には積極的に参加し、何度も眠るレンファンの手を握った。
しかし丸一日経っても容体は良くならず、むしろ熱は上がってきている。
八家聖ともなれば屋敷に何かあった時のために医者が常駐してもおかしくないが、その医者はカコウ派だったため処断し追放してしまった。外から招くしかなく、人を遣わせても数日はかかる。
症状は風邪のようだが何かの病気かもしれないと思ったナギサは翌日、医者を待ってられないとばかりに医学書を探しに館を飛び出し、マァゼを連れて本邸の書庫へと向かった。
書庫にはその家の歴史や記録、表に出せないようなものもある。言わば秘中の秘。
よって当主や近親の者でなければ入ることは叶わないが、ナギサは無理を押し切った。番人にレンファンが恐れられていたのも効いただろう。
「ナギサお姉さん、その内容分かるのー?」
「すっごい難しい……けど、症状から調べていけば何かしら当てはまるかも……」
平民は言わずもがな、偉くとも門外漢であればまず開くことはない専門書。素人のナギサが読んですぐ何かが分かるというものでもない。
「咳は……出てないし、呼吸……浅い……痙攣、違う……」
「はつねつに効くーって草見つけたのね!」
「栄養……? 風土病……じゃないか地元だし……ウイルス……ウイルスなんて載ってないかぁ……風邪薬ぃ……」
「わわっ、みてみてお姉さん。薬に見せかけた毒があるの」
「それ医学書じゃなくて暗殺指南だよ!?」
その日は一日書庫に籠り、翌日の夜になっても出てくることはなかった。
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結局なにも打開策を見つけることができず、徒労だけを抱えて館に戻る。
三日三晩が過ぎようとしてもレンファンはいまだ回復していない。変わらず寝込んでいた。
「チョウイーさん、レンファンは……」
「昨日が峠だったようですね。今は昨日より安定しています。過労が祟った……弱ってるだけの風邪と思いたいですが、お嬢様には色々なものがのしかかってますから……」
苦しみからか、また嫌な夢を見ているのか。思い出したようにうなされるレンファンをナギサとチョウイーには傍で見ていることしかできない。
「それにしても、驚きました……お嬢様がこんな素敵なお友達を連れて帰ってくるとは。色々ありましたが、私としてはあなたがいることが喜ばしくてなりません」
「ど、どうも……昔から知ってるんですか? レンファンのこと」
「ええ。お嬢様が産まれた時よりお世話をさせていただいていました。この館も、お嬢様が幼少より暮らしていたんですよ」
少し昔話を、とチョウイーはナギサに椅子に座るよう促す。
「お嬢様は物心ついたときからずっと……あの方の後ろを追いかけていました」
「ウェンユェさん……」
「ええ。しかしお嬢様は昔から自分で何かを考えて行動したことがあまりありません。そういう風に育てられたからです。ウェンユェ様――前当主様は多忙でなかなかお嬢様との時間は取れず……カコウ様たちは自分たちの人形を作り上げるようにお嬢様に教育を施しました」
レンファンは叔母に愛を向けるほど心酔していたが、幼少から武術大会に至るまで長く時間を過ごしてきたのは老人たちと武術師範である。
「この家での当主とは、ある意味で形だけのものです。家全体としてカコウ様のような老人たちと揶揄される方々が実質的に支配していたと言ってよいでしょう。しかしウェンユェ様は老人たちに真っ向から否を叩きつけ、静かな対立状態のようなものになっていました」
話しながら、チョウイーは時たまレンファンの額の布を取り換える。
「お嬢様は……そんな家の中で板挟みにあっていました。心はウェンユェ様側といった感じでしたが、お嬢様本人の気質はどちらかというと老人寄り……与えられる命令を忠実にこなす人形。ある意味では、お嬢様とウェンユェ様はすれ違っていたのかもしれません。ウェンユェ様はお嬢様に自発的に何かをしてほしくて、お嬢様はウェンユェ様に何かを命じてほしかった……アイリア学園に入学するためにこの国を出るときまで、最後まで私の目にはずっとすれ違ったままに見えていました」
レンファンとウェンユェは互いに想い合っていた。
しかし互いの理解が足りなかった。足りないという自覚すら足りず、心酔は妄信に変わり、片方が死んだ今も生者は憑りつかれている。
誰も何も指摘できないままに。
「ですから、お嬢様だけを見るなら……私はこれを成長だと思っています。こんなにお嬢様を心配するご友人ができて、今のお嬢様は誰にも命令されずに、自分のやりたいことをやってるように見えます。やってることは褒められることではないでしょうが……」
「まぁ、そうですね……私も、よくないと思います。でも、止められなくて……」
「私もお諫めすることはできません。今のお嬢様はシンウー家当主……何をやっても許され、それをなす力がある……私ども使用人にできることは、こうして身の回りをお支えするだけ……昔も今も変わりません」
チョウイーが他の仕事のために部屋を出て、ナギサだけが取り残される。
食事の摂取は使用人たちがさせているようだが、手持ち無沙汰になったナギサはテーブルの上に置いてあったリンゴ見た。
おろし金も隣に置いてある。いつでも食べさせることができるようにだろう。
ナギサは無心になってリンゴをすりおろす。心配ばかりが先行すると自分まで参ってしまう。今できることは信じることだけ。
「ぁ……なぎ、さ……?」
「ッ、レンファン!?」
寝言かと思ったが、そこには意思が感じられた。
リンゴを放ってすぐさまレンファンの手を握る。そこには握り返してくる感触があった。
「わた、し……は……」
「倒れたんだよ。覚えてない?」
「……ゆ、め…………ずっと……底で……息が……」
「また……嫌な夢……?」
「……分かりません……どうしてか…………」
苦しそうな彼女と目が合う。荒く吐かれる息は熱そうで、瞳から力を感じない。
「あなたの、夢を……見ていた、気が、します……」
「えっ?」
「水面、が……見えて……あなたが、いる……息が、できて……」
握る力が強まる。存在を確かめるように。
「どうして……あなたは、ここにいるんですか……」
突然の問いかけに思わず「えっ?」と訊き返してしまう。
問いは変わらない。そしてナギサの答えも、無理やりついていこうとした時から変わらない。
「心配だからだよ」
「それだけ、ですか……?」
「……それだけで動けちゃうみたいだから。リンゴ食べる?」
次第にレンファンの握る力が弱まり、瞼が閉じられ少しだけ息が整う。
「少し、ください……水も……」
すりおろしたリンゴと水を用意しながらナギサは考える。
この国とこの少女は――いや、この世界はナギサの持つ価値観と違う。人の命は軽く、権利も軽い。レンファンはその中で足掻いているだけに過ぎない。
人を殺すのは悪いことで、今この世界に生きている中でもっとも人を殺した彼女――エレーナも自責の念に苦しんでいた。
自分の倫理を押し付けるべきか、相手の倫理を受け入れるべきか。記憶にない母国から遠い異国の地。ここで起きてることは――
「(……ううん、違う。もっと……そこじゃないところ)」
大義とか道徳とかではなく、やはり自分が動いてしまうのはさっき言った通り。心配で、触れれば折れてしまいそうなこの少女が放っておけないからだ。
エレーナは独りだったという。一番つらい時に誰も頼れず、人を殺した痛みを誰に分けることもなく、たったひとりで長年に渡り苦しみ続けてきた。
そんな彼女とレンファンはどこかで重なるのではないか。そう思うから心配なのだ。
人を殺した先にある痛みを感じるようになる時、それは今かもしれないし、未来かもしれない。
出口のない暗闇の中の光になろうとは思わない。ただ手を繋いで引いてあげられたらいい。
手の届く範囲に、放っておけない彼女はいるのだから。
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同刻、屋敷の敷地内には夜闇に紛れた不穏な動きがあった。
ここに来てからレンファンは人に恨まれることしかやっていない。武器を持った100人近くの穏やかでない集団は何者か、断定はできないものの容易に想像はつく。
敢えて言うならば粛清された老人派閥の残り、見逃されたか取り逃がした者が差し向けた兵だろう。
レンファンとて本邸の人事すべてを把握しているわけでもないし、武力と恐怖で家を支配した彼女を良く思わない者は内部にもいる。
そうしたところからの手引きが彼らをここまで侵入させていた。
本来なら帰ってきて疲れた彼女が眠りについたところを闇討ちするつもりだったが、結集するのに時間がかかってしまい3日ほど遅れた。
しかし風は彼らに吹いている。
「今宵は月が我らを祝福しているようだ」
なんと標的は体調を崩して寝込んでいるらしい。もっとも恐るべき本人がそんな有様であれば仕留めるのは容易。もし屋敷の全兵力が刃向かってきても制圧できる差だ。
「これより我らが行うはシンウー家の未来をかけた戦いだ。お前たちも見ただろう、あの血にまみれた殺人者を。あれは人間ではない、化け物だ。化け物に我らの忠義を踏みにじられたままでいいわけがない」
既に居場所も突き止めている。ズタズタにされたシンウー家のため、彼らは大義を掲げて殺戮者の暴君を討つ。
「本来なら鬨の声をあげて突撃したいところだが、むやみやたらに衛兵と戦う必要はない。速やかにあの化け物だけを討つぞ!」
リーダー格の男の言葉に全員が頷く。
広い敷地内の中をレンファンの寝る館まで最短で進む。
やがて大きな池のある場所に出る。権力者のための美しい庭園はこれまた権力者の象徴のようなもので、土地を贅沢に使ったものだ。
いくつかある亭のひとつに、異国の修道服に包まれた少女が居た。
「マァゼってば、とぉーっても頭がいいのね」
物々しい集団と相対するには場違いが過ぎる甘ったるい声。思わず「子供?」と呟く者さえいる。
「なんだお前は」
「今レンファンの傍にはナギサお姉さんがいてー、おじさんたちがレンファンを狙うってことはー、お姉さんも危ないってことなのね。だからぁ……ここでおじさんたちを殺すことは、マァゼが使命を果たすってことなの」
少女は一度の跳躍で亭の屋根に上り、集団を見下ろした。
「わぁ! たくさんいるー! うふふふふふっ」
くりくりとした丸い目が細められ、小さな口は不気味に弧を描く。
満月を背に顕現する魔力の大鎌と開かれる翼。
天柱教が国教ではない彼らの中に、その正体にすぐ気付く者はいない。
それでも彼らは肌で感じる。自分たちが見ている少女は、人間ではないと。
「それじゃあ始めましょ!」
瞬時に急降下してきた少女の大鎌が1人目の首を落とすその時まで、彼らは呆気にとられるばかりで動けなかった。




