11 Like tears in rain 1
夜になって誰もいなくなった平原に馬の走る音が鳴っては消えていく。
速力は常に全力。私よりも馬の体力が気になるが、構うことなく突っ走らせる。
時折折りたたんだ地図を広げては場所を確認し、印をつけた場所――ホロナス砦のあった場所を確認する。
「あと少し……頑張って」
声をかけると、苦しそうな悲鳴が帰ってきた。
帰りは【転移】でどうとでもなるから、着いたら思う存分休んでほしい。
「あれね……」
徐々に緑が無くなり、枯れたような大地へと変わる。
元々ここは岩場だったが、月日が過ぎると共に崩れた山も、小さな岩山じみたものに変わっていて、採石場めいた光景が私を出迎えた。
「お疲れ様。どこかで休んでいて」
馬から降り、その首を撫でる。
息の荒い馬はパカパカとどこかへ行った。休める場所を探しに行ったのだろう。
周りをグルリと見渡す。
ここが元々砦のあった場所とは想像もできないほどに、地形が"出来上がっている"。
もしかしたら、砦も崩れて岩の一部になっているのではという考えさえよぎる。
「来たか。早かったな」
切り立った岩の上に彼――騎士ボーデットは居た。
見下ろすという仕草が様になっているのは相変わらずだ。
彼の姿は記憶の中のものとまったく変わっていない。
黒地に様々な宝石を散りばめたような法衣で身を包み、彼をスケルトンと示すのは露出した頭部のみ。
示し合わせたわけではないけど、私も昔の服を着ているから、ここだけ時が戻ったかのよう。
この際どうやって王都に侵入しただとか、そういうのを聞くのはやめにした。
事実として、ボーデットは王都で人間を誘拐できる。
「ええ。来たわ。あの人間たちはどこ?」
「砦に移した。大切な我が糧だからな」
「食べる気なの? あなた、食事が必要だったかしら?」
魔族にも食事が必要な種族と、魔力だけで生きているような種族がいる。確かスケルトンは後者だったと記憶しているけれど……
「聖剣氣を克服するための、実験だ」
「……は?」
聖剣氣を克服。魔族にとってそれは猛毒の克服と同義だ。
確かに魔族にとってそれができれば弱点が無くなるし、なにより私自身、克服に至っている。
そのことまでは流石にボーデットも知らないだろう。
「どうやら、これまでの話をする必要がありそうね」
私は常時発動させていた変装魔法を解く。
亜麻色の髪は銀色に、灰色の瞳は赤に……エレーナ・レーデンとしての本来の姿を取り戻す。
「まさしく、記憶の中の姿そのままよな」
「そりゃあね。私はつい数年前までずっと封印されていたから」
「ふむ、我も自らに封印を施した」
「えっ……あなたも封印結晶を?」
「まぁ、不完全なものだったがな」
立ち話という無粋な形になったが、ボーデットは私が封印されてからのことを話し始めた。
どうやらあの後、魔族軍は混乱を極め、唯一生き残った『魔王の騎士』のボーデットも、最前線であるホロナス砦から動けなくなったらしい。
そうこうしている間に、魔族大陸は崩壊。人類大陸に進駐し、陥落した国家群にいた魔族軍も、人類側の解放軍に敗走。戻る大陸は既に無く、磨り潰されるように全滅した。
ボーデットは全力を尽くして砦を死守したが、既に戦略的に砦を守る意味は無く、さらに言えばもう魔族軍そのものが消滅していた。
人類軍は大軍をもってホロナス砦を包囲。そこでボーデットは、涙を呑んで『死んだふり』を決行した。
近くの岩山を崩落させ、わざと砦を潰し、隠れ潜んだのだ。
「……よくそれでやり過ごせたわね」
「砦には隠し通路や隠し部屋もある。人類ごときに気付かれないような、な」
「つまりあなたは、そこに潜んで、自らに封印を……」
「その判断を誹る自分もいたが、機を待つべきだと思ったのだ。耐え忍び、いずれ来る魔族復興を待とうとな……」
なるほど、魔族の上に立つ『魔王の騎士』としての責任感が、今は死ねないという結論を出した、と……
「待って、封印結晶ってどうやったの? アレはそんなに有名じゃない……それどころか、世界に存在しない『知られざる魔法』だったはずよ」
「【完全分身】を覚えているか?」
「っ……」
無論、覚えている。
術者を起点とした一定範囲内にしか出せない通常の【分身】と違い、自らの力を分け与え、人格と魂を創造する【完全分身】。
【完全分身】は術者との距離に関係なくどこにでも行ける。
そして元になった者と分身体は、どこにいても念話で会話ができる。
ボーデットはその能力を駆使し、大陸中に侵攻した魔族軍の連絡役を買っていた。
そして、【完全分身】には私自身、忘れることのできない思い出がある。
今はもう溶けて消えた、あの子の思い出が。
「我は魔王様が討たれた報を聞いたとき、魔族大陸にいる分身を使い状況を把握した。その時に見たのだ。封印された貴殿の姿をな」
「……なるほどね、あなたはどうにかして封印結晶を真似てみたと」
「ああ。苦労した上に、出来上がった物は貴殿を封印していたものとは雲泥の差……我は動けないまま、少しずつ老いていくのを味わった」
それはまた、地獄のような話だ。
私は意識が無いまま、死んだような眠ったような状態で封印されていたけど、ボーデットは違った。
中途半端に完成していた封印の中で、意識があるまま動くに動けず、埋葬された廃墟で過ごす。心が壊れてしまってもおかしくはない。
「それで……封印されていたあなたが、何故今になって動き始めたの?」
「我の封印は、貴殿のものを参考にしている。おそらく期間も同じになったのだろうと考えるが」
「……えっ、ちょっと、え……?」
期間? なにそれ。どういう……
「あの封印には……期限があったと……? 私は、意図して1000年も……?」
「そうでなければ。あれほどの封印が自然に解けるとも思えん」
「待って、それじゃあ勇者は……アイリアは……私を、最初から…………」
最初から私を殺すつもりなんて無かった?
最初から私を封印するつもりで、1000年後に再び復活させることを選んだ?
「ぁ……え……、う、そ……」
嘘だ。嘘だ嘘だ。
どうしてどうしてどうしてどうして。
どうしてアイリアは、私を殺さなかった。
私は死ねない。それは彼も分かっていたはず。死ねるとしたら彼の手にかかるしかないはずだった。
彼の手で死ねるならそれでいいと思っていた。だから私は、全力で戦った。
どうせなら殺してほしかった。彼らと決別した私を、愛しい主と同じ場所に送ってほしかった。
なのにどうして、彼は私に、こんな、こんな仕打ちを……
「騎士レーデン、貴殿の気持ちは分かるつもりだ。その目は、死を求めているな」
「ぁ…………」
その通りだ。私は死にたい。死にたかった。
あの戦いで、魔王が死んで、後を追いたかった。
今だってそうだ。魔王の、彼女のいない世界に生きている意味なんてない。
まして、アイリアのいない世界にも……
「いくら考えようと、栓無きこと。1000年前の人間の考えなど分かりようもあるまい」
私という思考が真っ黒な海へと沈んでいく感覚。
疑問と後悔と怨念が、封印から目覚めたばかりの頃憑りつかれていたあの絶望が。
アデジアの献身によってなぁなぁくらいには頭から消せていた、今さら過ぎる感情が私を凌辱する。
「騎士レーデン」
ハッとして我に返る。
駄目だ、今考えるべきはそれじゃない。
もうどうにもならないことじゃなく、今この状況のことを考えなければ。
「ごめんなさい、もう大丈夫」
これまで彼がどうしてきたかは分かった。
あとは、これからの話だ。
私は薄氷を踏む心持ちで話題を選んだ。
「数年前に目覚めたと言っていたわね。聖剣氣持ちを攫って喰らうというのは、もう何度も?」
「ああ……食事の真似事ではないが、【分身】の応用で他者を自らに同化する術はあるからな」
なにそれ反則。
「それで、効果はあった?」
「残念ながら、何も変わらん。魔力のように体に感じる、ということもない」
「……まだ続けるつもりなの?」
「……さぁな」
効果を実感できずとも、彼は縋るように、天上の糸を掴むように、その手段に頼るしかなかった。彼の口ぶりからは無情に積もった徒労を感じさせる。
実験と称したが、案外1000年も続ければ聖剣氣を克服できるかもしれないし、同化という手段はアリなのかもしれないけど。
ああこの話題はダメ。尽きた。
次、次。
まだ私たちが話せているうちに。
「そういえば、【完全分身】は元に戻るには本人に直接接触する必要があったけど、あなたは結構な数の分身がそのまま死んだんじゃない?」
「連絡用のはな。なに、心配無用」
【完全分身】は自分の力を削って作る。分身体が死ねば、削った力は戻ってこない。
とはいえどれだけ削り出すかは術者が決められるので、おそらく彼の分身体には、本体の欠片にも満たない力しか与えられていない。
つまり、おそらくボーデットの力は、さほど衰えていないだろう。
相手にすれば骨の折れることだろう。
「(……って、なんでそんな考えが……まるで今から戦うみたいな……)」
いや、戦う。
私の予想が悪い方に当たってしまえば、道を違えることは避けられない。
私のこめかみを冷汗が伝う。頼むから違っていてくれ、そう思いながら私はこの話題を切り出した。
「それで……あなたは、これからどうするの?」
「決まっている。貴殿も同じつもりだろうから言葉に出すのは無粋と考えたが……」
そして、それは口に出された。
「復讐だ。我らが魔王様、そして散っていった魔族への弔いは、人間どもの死でなければ果たせん」
ああ……ああ、ああ。
そうか、やはり、ああそうだろう。
彼はやはり、まごうことなき『魔王の騎士』だ。
恨みを持てる――その由来は忠誠心。そして魔族を想ってのこと。
彼の感情は間違ってはいない。主を殺され、仲間を殺され、憤るのは自然な反応だ。
たとえ先に仕掛けたのが私たち魔族で、虐殺ともいえる一方的な戦争を、侵略をした魔族であっても、同胞は同胞。
既に燃えカスになっている私よりも、よっぽど魔族だ。
それが分かり、揺るがないだろうからこそ、私は眉間にしわを寄せて目を伏した。
「そう……そのために、攫った生徒も同化させて、これからも人間を殺し続けるのね……」
「貴殿も目覚めた。生き残った同胞は少ないが、我らならばできるはずだ、騎士レーデンよ。我らで勇者を、人間を滅ぼすのだ!」
天を仰ぐかのように宣言する様は、嫌味なほどよく似合っていた。
彼にはそれだけの風格がある。
私たちの道は、たった今、交わることはなくなった。
「騎士ボーデット、私は……私はもう、そんなことはできない」
「……なに?」
「私たちは、本来なら今ここにいない。1000年前の搾りかすよ。そんな私たちが、今を生きる人々をどうこうしようだなんて、してはいけないの」
それが、私の理念。
魔族の存在が明るみになるとか、そういう理屈を抜きにした、純粋な私の考え。
復讐を目的とする彼と、介入を拒む私。両者はどうしようもなく同じ方向を向くことができない。
「何を言っている、1000年の間にどうかしたか? これは我ら魔族の、我の願い! 魔王様もそれを望んでおられる!」
「っ、魔王は! イムグはそんなこと望んじゃいない! 魔王は死んだ! もう帰ってこない!」
私の腕の中で息絶えた魔王。彼女は、愛しい彼女はもういない。
この問答に意味はなく、私たちの主張の武装に他ならないだけだ。
「……騎士レーデン、ならば何故ここに来た。黙って朽ちることを望むなら、貴殿は何故、我の前に立つ」
「決まっている。攫った人間を返してもらうためよ」
「人間を……? ク、ハハハ……!」
出来の悪い喜劇を見ているかのような反応だった。
それは正しいのだろう。魔族である彼にとっては。
「魔族が人間を助ける? どうやら本当に乱心したようだな。その姿を見るのは忍びないぞ」
「どうしても、やめるつもりはないの?」
「貴殿こそ、これがつまらぬ冗談だと言うつもりはないのだな? ここから先は、いかに同志といえど痛い目を見るぞ」
ボーデットが大剣を取り出す。その巨躯の肩の辺りまで届くほどに、長く大きな剣。
【分身】を使えば、あの剣ごと増えるのだから固有魔法というのは厄介だ。
対して私が出すのは、魔力をぎゅうと固めただけの魔力剣。
軽く、薄く、脆い、不安になるような剣。私にお似合いだ。
しかし私はこの剣で数えきれないほどの命を奪ってきた。ボーデットもそのことを知っているからこそ、本気の臨戦態勢をとってきた。
彼は復讐を望み、私は平穏を望む。
その2つは相容れない。絵の具のように混ぜてひとつの色になることもない。
どちらかの願いを叶えるためには、どちらかを終わらせなければならない。
そして私たちは、願いのためならかつての仲間とだって戦える。そんなどうしようもないエゴの塊。
「貴殿の行動は、魔王イムグ様への、魔族への反逆に他ならない! 同志の罪は、我が手によって罰を与え、改めてみせよう!」
「騎士ボーデット、私はあなたの考えに、願いに、共感できる。けれど、それでも……私は、その願いを否定する! その復讐を破壊する!」
重い音を立てて、私が見上げるほどの巨躯が目の前に飛び降りてくる。
互いに数歩踏み込めば、もうそこは手を出せる範囲内だ。
私とボーデット、歴史の敗北者同士の戦いは、私たちの故郷を遠く離れた人類大陸にて、静かに始まった。




