10 再会のエレーナ・レーデン
スケルトンは骸骨の姿をした魔族だ。
ときたま死んだ魔族の遺骨が動き出す場合があり、それがスケルトンとされる。
そのためスケルトンの姿は人型から獣型まで多岐にわたる。
そして中にはスケルトンの固有魔法を使える個体もいる。
『魔王の騎士』は全員が全員、魔王への忠誠心が高く、そして強い。
1000年前の魔族侵略時、『魔王の騎士』ひとりで人間の軍隊を潰した事例がいくつもある。
スケルトンの頂点、スケルトンロードのボーデットが『魔王の騎士』となれたのは、固有魔法【分身】を使った強さ故だった。
本人の戦闘能力の高さだけでも魔族屈指であったが、それがまったく同じ力のまま増え、増え、ついに手が付けられないほどの集団となる。
人類を滅ぼすに足る力を持つ魔族軍、その一端を担った彼は、1000年経った今も生きていた。
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ミアたちを襲った幾人もの大男、それはたった1人の魔族が使う【分身】によるものだった。
目の前にいる3人のボーデット。
既に『魔王の騎士』は全滅したと思っていたミアにとって、驚きながらも喜ぶべき再会のはずだった。
「生きて……いたのね」
「貴殿も、魔王様と共に討たれたと思っていたぞ」
ミア――エレーナとボーデットはかつての戦友だ。
仲も悪くなかったし、彼に対して恩もある。
このような状況でなければ、両手を広げて再会を喜んでいたことだろう。
およそ1000年ぶりの感動的な再会が、魔族大陸を遠く離れたこのようなちっぽけな路地裏というのはいかがなものではあるが。
両者にとって、先ほどの攻防は危害を加えた内に入らない。
片や分身を傷つけられたくらい。分身はいくらでも作れる。
片や痛みは残るものの、【超速再生】によってあらゆるダメージを無かったようにできる。
故に攻撃されたことを責めるつもりは、2人の間にはない。
問題は今こうして相対していることだ。
現在エレーナはミア――人間として、勇者を育てる学園にいる立場であり、ボーデットは学園の生徒と分かった上で襲い掛かっている。
互いに説明が欲しかった。
どう言葉をかけるべきか、まずはクレアを放しバーダリーをどうしたか聞かねば。そう口を開こうとするミアをよそに、荘厳な鐘の音が街中に響き渡る。六の刻を知らせる鐘だ。
「長居は避けたい。話したいこともある。また会おう、騎士レーデン」
「っ、待ちなさい!」
「待っているぞ。今度は来てくれることを願う」
狭い路地裏に、さらにボーデットが増える。次々と、突然に。
そのすべて、およそ10人弱が一斉にミアを囲み、大剣を振り下ろす。
しかし速度ではミアに分がある。
黒い靄のような剣、魔力剣が振るわれれば、たちまちボーデットは真っ二つになるが、それでも数の暴力には敵わない。
魔力剣は切れ味こそ鋭いが、強度がまるでない。
大剣と鍔迫り合いなどとてもできないし、横から少し衝撃があっただけで簡単に砕け散る代物だ。
エレーナ・レーデンは魔族とはいえ見た目は華奢な少女だ。
それは身体能力も見た目通りである。あくまで"魔族基準"ではあるため、対人間であればそうそう遅れをとることはないが、魔族や、人間の中でも限界を超えたような強者を相手取る場合には、どうしても劣ってしまう。
よって力任せに敵の攻撃を受けながら戦うという手段はとれない。
魔力剣も同じく、ぶつけるような扱い方はいたずらに魔力を消費するだけ。
必然的に彼女の戦い方はヒットアンドアウェイだ。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
聞こえはいいが、実際にやるとなると難しい。そして一対多ともなると、舞う時間の方が長くなるし、舞うのは血の方が多くなる場合もある。無論、自分のだ。
ボーデットの強さは分身による数だが、単体でも十分に強い。強くなければ『魔王の騎士』にはなれない。
ミアとて同類。数人相手に無様を晒すことはないが、苦戦した。
結果として、ミアは2度致命傷を受けながらようやく目の前のボーデットを全滅させた。
分身していたものの、ボーデットは本気を出しているように見えなかった。あくまで足止めだったのだろう。無論クレアを担いだボーデットはいなくなっている。
まんまと逃げられた。さらに言えばミアの体は再生するが、制服までは直らない。
このまま路地裏からトボトボ出て行けば、ボロを纏った孤児でも出てきたのではないかと疑われるだろう。
ミア自身、服はなるべく守りたかった。
そのためにいつも以上に回避に専念したが、それでもやはり『魔王の騎士』を相手にすると、そんな舐めた願望は叶わない。
制服は学園からの支給品で、1人につき予備も含め何着も与えられるが、無限ではない。破損してしまったら学園に届け出て追加分を貰うが、破損理由なども書かなければならない。きわめて面倒だ。
「まぁ、服の心配よりも……」
気になったのはボーデットによる聖剣氣持ちの誘拐。
クレアに、気に入らないがバーダリーも、何をされるのかわかったものではない。
それを超える問題が、『魔族が人間に危害を加えた』ということだ。
明るみになってしまえば、1000年の間に忘れられていった魔族という存在と、魔族への憎しみを人類が思い出してしまう。
魔族が聖剣氣持ちを殺せる力を持っていると知られてしまえば、大陸残滓に残っている魔族たちはどうなるか。
間違いなく狩りたてられる。
人類は海を渡り、大陸残滓を埋め尽くし、最後の1人を殺すまで殺し続ける。
ミアは知っている。人間は恨みを忘れず、外敵を執拗に排除したがる。そういう種族だ。
自身の考えが行き過ぎた被害妄想でないことを知っている。
アデジアをはじめとした、残った魔族が望む静かな暮らしも失われるだろう。彼に頼まれた身としては、それだけは避けたい。
もう戦争は終わったのだ。
止めなければならない。仲間の暴走を。
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ボーデットが使ったのは、王都に張り巡らされた下水道だ。
地上にある用水路と違い、下水道は地下にある。
人々の生活排水を一手に受け入れ、行き着く先は『奈落』と呼ばれる、どこに続いているかもわからない下への大穴だ。
この『奈落』はおよそ100年前に行われた下水工事で発見されたものであるが、正体や下に何があるのかというのは明らかにされておらず、『とりあえず捨てるのに便利な穴』という認識がされている。
汚物にまみれるのはボーデットの望むところではなかったが、進入路としては最適であった。
人間が入ることは滅多になく、王都の端の方にまで通じる。夜の闇に紛れれば見つかることはまずない。仮に見つかったとしても人間の怪談話がひとつ増えるだけだ。
エレーナとは似たようで違う理由からだが、彼もまた自分の存在が人間にバレるのは避けていた。
バレてしまえば聖剣氣持ちや、現"勇者"に狙われる可能性もある。それは避けたかった。
既にバーダリーを背負った分身は王都の外にいることだろう。
クレアを背負ったこの分身も、下水道を出た。
「……【流水】」
2体のボーデットが合流し、頭上に魔法陣を構築する。
滝ほどの勢いはないが、下水の汚れが落ちるまでは流し続ける。人間は多少水に呑まれたくらいで死にはしないだろう。
『魔王の騎士』ボーデットは綺麗好きだった。
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ミアは【転移】を使い寮の自室へと戻った。
ボロボロになった制服を床に放り、予備の制服に着替える。
止めるにせよ助けるにせよ、まずは社会奉仕のゴミ拾いを終わらせたことにしなくては。
問題は、クレアが籠を背負ったまま攫われてしまったこと。
これについては考えがある。
ミアはひとりでオキの待つ備品倉庫の前まで向かった。
「遅いですよブロンズさん! あら、プレトリアさんは?」
「実は、ゴミ拾いの途中で用水路に落ちてしまって、クレアは今シャワーを浴びています。風邪にならなければよいのですが」
「用水路に……? まったく」
王都は近くを流れる河から水を引き、上下水道がしっかりしている。用水路もそこら中にあるので言い訳としては有用だ。
しかしミアが背負っていたグシャグシャになった籠は言い訳のしようがない。
「なんですかこれは」
「……壊しました」
「どうやったら壊れるのか教えてもらっても?」
30分ほど、ガミガミと説教された。
「それでプレトリアさんの籠は?」
「あ、彼女の部屋です。取ってきます。その前にこれ片づけます」
「もう使えないでしょう。預かります」
倉庫の中に入り、「ああそうですか」と籠を渡す。
隙を見て倉庫に積まれている籠のうちひとつを【転移】で自室に転送。
ドウンという重い音がするのが【転移】の欠点ではあるが、オキが「今の音は?」と倉庫の中を覗いてもしらばっくれることができる。
そうして寮に戻って自室に送った籠を取り、オキのもとへ持っていく。完璧な工作だ。
「さて、どうしましょう……」
これで夜間は自由に動ける。門は閉められてしまうが、【転移】を使えば問題ではない。
ボーデットを追わなければ、と息巻くのは簡単だ。しかし肝心の居場所がわからない。
「(彼は『待っている』と言った……拠点のような場所があるということ)」
それに彼は『今度は』とも言っていた。
「(ボーデットの言葉の意味……今度は……? ……あっ)」
まさか、と思った。
答えを見つけるために、ミアは寮を飛び出し図書館へと向かった。
王都内にある図書館は、膨大な歴史の眠る本の揺り籠だ。
そこは万人に開かれ、誰でも本が読める場所でもある。
ミアはそこで地図を広げていた。
「ここがこうで、王都がここで……」
目当ての場所を探す。
現代の地図はどこでも手に入るが、彼女の目的は1000年前の地図だ。
そんなものを置いているのはこの図書館くらいだろうと目星をつけたのは正しかった。
彼女が広げたのは年代ごとの地図と、地理の本。
「あった……! 地形が変わって分かりづらかったけど、ここは……」
1000年前の侵略。
魔族にはまさに人類の喉元に手をかけるほどの勢いがあった。
それは、人類大陸中心部にある『柱の国』すらも陥落させかけたほどだ。
当時最前線だった、王都近くにある『ホロナス砦』。
ボーデットはそこで攻撃に加わっていた。
しかしその最中に勇者アイリアが魔王とエレーナを討ち取ったことが広まり戦局は混乱し、特にエレーナにとってはホロナス砦に向かう前にボーデットと交わした会話が最後の記憶であったため、その後どうなったかはいまだにわからなかった。
――気を付けて、騎士ボーデット。こっちが落ち着いたら私も向かうから。
――ああ。待っているぞ。
「まさか、1000年経ってもまだあそこに……? でも地形が変わってる。近くの山が崩れて、砦は埋もれて……」
普通ならば馬鹿正直にずっと砦にいるとは考えられない。
しかし何か事情があったのかもしれない。なにせミアは封印されてからの状況がまったくわからないのだ。
「でも、きっと……彼はそこに……」
「やぁ、もうすぐ門限だよ」
「あなたは……」
ブツブツと独り言を繰り広げるミアに声をかけたのは、あの決闘前にもしつこくつきまとってきた(ミア視点)金髪碧眼の優男、リーパー・レイルシアだ。
端正な顔立ちをしているが、同じ金髪碧眼という条件を満たしていても、彼はアイリアと違って魅力がない(ミア視点)。
「何か用?」
「君が困ったような顔で寮を飛び出していったのが見えてね。心配で追いかけてきた」
「ナンパの次はストーカーとはね。第1クラスではそういうのが勇者とされているの?」
ミアの辛辣な対応に「うぐっ」と声をあげるが、リーパーはあくまでスタンスを崩さない。
「勝手についてきたことはすまなかったよ。あと、この前の決闘のことも。君のことを見誤っていた。いや、無意識に見下していたといってもいいかもしれない。君も立派な勇者候補なんだね」
「そう。謝罪なら受け取ったからもういいでしょ」
「ああ。けど困っているんだろう? なにか力になりたいな」
「厚かましい……」
これが「ゴミ拾い手伝おうか」といった提案であれば、まだ受けたかもしれないが、今回はたかだか10代の小僧が1人力を貸したくらいでどうにかなる話ではない。
相手は『魔王の騎士』だ。1000年前の人間たちが束になっても敵わない相手だ。
まして魔族との戦いがなくなった現代の人間など、たとえ聖剣氣を持っていたとしても数の内にすら入らないのだ。
「多少厚かましくとも、困っている人は助けなきゃ。勇者はそういうものなんだから」
「……は?」
その一言は、ミアを激しく苛立たせた。
彼にとっては何気ない一言だった。おとぎ話の勇者は確かに、人助けなど善の象徴として扱われている。人類の大多数は彼の言葉に同意するだろう。
しかしそれは、詩人が好き勝手に脚色したものに等しい。ミアは叫びたくなる衝動を抑え、抑えた分だけ籠った低い声を出した。
「勇者が、アイリアが? 彼が?」
「……?」
「確かに彼はお人好しよ。バカがつくほどにね。でもそうさせたのは、彼を無理やり戦わせたのは……あなたたち人間じゃない……!」
「み、ミア?」
「その名で呼ぶなッ!」
感情が決壊した口から思わず大声が出る。
周りの利用客が何事かと2人を見る。
もう少しこの状況が続けば「あのー痴話喧嘩なら他所でやってくれませんかね」と司書がやってくることだろう。
「それ以上アイリアを愚弄するのなら……!」
「ミア、君……人格派かい?」
「は?」
「ああいや、まぁ、うん……ゴメン」
リーパーがそれ以上何も言わない気配を察すると、ミアはその場を後にした。
『人格派』という単語が気になったし、片づけを忘れていたが、あの場に長くはいたくないというのと、リーパーがやるだろうと考えないことにする。
ミアは門限直前に寮に戻り、クローゼットを開けた。
先ほど着替えた予備の制服の他に、一着だけ彼女の私服がある。
黒を基調としたゴシックドレス。彼女がエレーナであった頃から愛用していた服だ。
このドレスは破れようが割かれようが魔力を注ぎ込むことで元の形に再生する特別製だ。
戦いに赴くときの正装ともいえるだろう。
彼女の美貌に合う美麗なドレスであるが、1人で着られるような工夫もしてある。
「まずは馬……」
ドレスに着替えたミアは【転移】で寮の外へ移動し、馬車での送迎を生業とする業者の持つ厩舎へと向かい、馬と鞍を拝借した。
乗馬は経験がある。これを走らせれば、八の刻の頃には着けるだろう。
馬を走らせ向かうのは、かつて崩落した山。
そこにあるはずだ。地面に埋もれ、歴史に忘れられた砦が。
ミアの頭を支配するのは学友の安否や戦友の思惑ではなく、過去だった。
リーパーに激昂した先ほどの感情がまだ尾を引いていた。
記憶に残る勇者、彼の傍らにいる2人の仲間。
「アイリア……」
名を呼び、空を見る。星と月が光をたたえ、暗闇を照らしていた。
ボーデットの目的が何にせよ、クレアたちは助けなければならない。
魔族のために、人を助ける。
それに彼女には、アデジアに頼まれたからではない、別のある決意にも似た思いがあった。
1000年前、数えきれないほどの屍の山を築いてきたエレーナ・レーデンにとって、悍ましいほどに烏滸がましく、虫がよすぎると誹謗されてもおかしくない思いが。
「あなたは、今の私を、お人好しと呼ぶかしら……ミア」
――その優しさを、否定しないで。
かつて彼女に言われた言葉が今になってリフレインする。
その言葉を発した彼女――ミアに、ミアは思いを馳せた。




