9 学園のエレーナ・レーデン 5
路地裏はアンダーグラウンドな者たちの縄張りだ。
連邦最大の国である『柱の国』にも、現体制を是としない反社会的勢力、人道に反することを望む異常犯罪者、それらと繋がり私服を肥やす悪徳貴族。
自然と人目を避ける彼らが動く場所は決まっている。
子爵家の嫡男、バーダリー・ブレス。貴族という表舞台に立つ身にも関わらず、路地裏を好む彼は今、父親と学園から追い詰められていた。
罪状は言わずもがなである。
貴族である以上、表立った処理はされない。しかしなにかと理由をつけての廃嫡が迫る中での、先日の無様な決闘だ。
ワルを気取る彼は同学年の貴族クラスの中でも「裏社会と繋がっているのでは」と恐れられていたが、数日の間に見事にその地位を落としていた。
貴族クラスは徹底した上下社会だ。親や自身の爵位の差がそのまま直結する。
子爵であるバーダリーは常日頃から見下されていたし、彼が見下していた男爵家の者たちにも鼻で笑われる始末。
ただ聖剣氣を持っているだけで入学した、まっとうに勇者など目指していない彼には、もはや真面目に登校するつもりもない。仲間のゴロツキと裏路地を闊歩してこのストレスを発散する術を探すことしかやることがなかった。
「ば、バーダリーさん。今日は女でも攫いますか?」
「そうだな、久々に思い切り壊すか」
時折路地裏に落ちているゴミを蹴っては悪態をつくバーダリーに恐れ見かねた手下の意見を採用しかける。
これで気が晴れるのかと自問するが、彼にはなんとも言えない。
「あのクソ女……! 俺の顔に二度も……! 必ず破滅させてやる……」
バーダリーが貴族であることは日陰で生活するような人間なら誰もが知っている。
表では「悪い連中と繋がっている」などという噂程度で済んでいる風評も、裏ではガッツリだ。
彼の正体はいまだグレーゾーンであるが、それはわざわざブレス子爵家と事を構えようなどという奇特な者もいないからであった。
故に彼の歩みを塞ぐように路地裏に立つことも、普通の人間ならしない。
しかし今、バーダリーは突如現れたローブ姿の者に道を塞がれていた。
「なんだ、俺を誰だと思っている」
「白い……服……」
黒いマントを体に巻いたような姿。フードを目深にかぶっていることから顔は確認できないが、声から男であることがわかる。
その巨躯は異質だった。2mはあるであろう高さから見下ろされるのは威圧感さえ覚えるほどだ。
大男はバーダリーの制服を確認した。
白い制服はアイリア学園の生徒である証、羨望の対象だ。
これを着てナンパすればまず失敗しないという理由から、バーダリーは学園の外でも制服を着ていた。
「オイコラ、バーダリーさんになに無礼をはたらいてやがる」
「邪魔だどけ……あ?」
2人の手下が大男に近付く。
内1人が押しのけようと手を突き出したが、彼は疑問を表情に出した。
動かないのだ。
巨大な岩を押しているような感覚におそわれる。
「他はいらぬ」
バーダリーは目の前で何が起きたか、一瞬理解できなかった。
まず1人の手下の背中から何か白いものが飛び出し、もう1人も同様。
2人の手下は続けざまに絶命し、倒れた。
どこから取り出したのか、大男の手には、2人を刺し貫いた証で赤く染まる真っ白な大剣があった。
「ひっ、ひぃぃぃ!!?」
目の前にいる者がどういう奴かわかったのだろう。バーダリーの後ろにいた残りの手下たちは尻餅をついた。
一方バーダリーは、後ろに数歩下がりたじろぐだけで済んでいる。
「な、なんだ貴様!?」
「勇者の、聖剣氣……我が糧となれ」
大男がローブの中から手を出し、向けてくる。
バーダリーはすぐさま剣を抜き、不敵な態度をとった。
「バーダリーさん、やべぇっすよソイツ!」
「フンッ、俺がこんなデカいだけの奴に負けるはずがないだろう」
身体強化によりバーダリーが薄い白の膜に覆われたような姿になる。
常人相手であれば、完勝は間違いない。
しかし大男は構わず腕を伸ばす。
聖剣氣どころか、アイリア学園の制服を見ただけでその実力が常人離れしたことはわかるはずだが、大男には強敵を相手にしているという姿勢がまったくない。
それが気の短いバーダリーの加虐心を刺激させた。
「何者か知らんが、喧嘩を売る相手を間違えたな! 殺人者め、貴様を刻んで鬱憤を晴らすとしよう!」
腐っても聖剣氣を持つ強者であるバーダリーは自身の実力を疑わない。
相手がゴロツキとはいえ、殺人は連邦法によって厳しく罰せられるべき悪行だ。
この不届き者を成敗し、それを喧伝しよう。そうすれば功罪がせめぎ合い結果的に貴族の力で有耶無耶にできるだろう――
という意識は、数秒でブツリと描き消えた。
□□□□□
「た、助けてくれぇ!」
路地裏から突如飛び出してきた男たちは、たまたま近くを歩いていたクレアの前に出た。
クレアは「わっ」と小さく悲鳴を上げ、尻餅をついて背負った籠の中身を少しぶちまけ、同行していたミアがすかさずそれを自分の籠に入れる。
今日も今日とて2人は放課後の社会奉仕に従事していたのだ。
「あれ、あなたたち、この前の……」
「なっ!? この前の……! あっちはヤベェ! 近づくなよ!」
「なになになに!?」
「アイツやべぇって! 立て続けに2人殺しやがった!」
「バーダリーさんもやられちまった! 人間じゃねぇよありゃぁ!」
ミアたちの頭の中に、あの不遜な貴族の顔が浮かぶ。
男たちは半ベソをかきながら逃げ去っていった。
クレアは驚愕に口を開き、ミアは興味なさそうな顔。
「王都にもヤバいのがいるものなのね」
「い、いや……聖剣氣持ちを倒すってヤバいどころじゃ……っていうか、殺人……!?」
学園の生徒はその身体能力だけでなく、最低限の訓練を受けている。
普通ならただの暴漢に負けることはない。ましてバーダリーは曲がりなりにも4年生だ。
ミアはそんな彼に勝ってしまうような相手に興味を持ったが、彼女自身は危うきに近寄りたくない君子を自称している。
「怖いわね」と何も聞かなかったことにしようとしたミアの裾は、震える手に捕まれた。
「み、ミア……行かなきゃ……!」
「は? 嫌よ」
「人殺しがすぐそこであったんだよ!?」
「私たちは訓練も受けてない素人よ。身体強化を使う人間に勝つなんて普通じゃないわ」
「で、でも……! っ、じゃあ私ひとりで行くもん!」
クレアは路地裏の方へ駆け出してしまった。
止めようと伸ばしたミアの腕は、彼女を捉えきれずにプラリと浮かぶ。
「あっ、ちょっと……ったく」
聖剣氣持ちの共通点がお人好しなのか、それともクレア自身が首を突っ込みたがりなのか。ミアにはまだ判断材料が少ない。
しかしここでクレアをひとりで行かせ、ここ数日で何度も迷惑を被った例の貴族(生死不明)と同じようなことになってしまっては寝覚めが悪い。
ミアはため息をつくだけついて、クレアを追いかけた。
□□□□□
人類大陸屈指の人口密度を誇る王都の路地裏は決して一本道ではない。
先ほどの男たちに事件現場を聞くのを忘れていたが、それでも人が道の真ん中で2人も死んでいればすぐにわかった。
冷たく倒れるのは2人。そこには犯人らしき姿もバーダリーの姿も見当たらない。
死体の前で立ちつくすクレアに、少し遅れて到着したミアが声をかける。
「犯人はもう居ないようね。それとあの先輩も」
「う、うん……どこに行ったんだろう。こんな王都の真ん中で……」
「路地裏は入り組んでるし、どうとでもなるのでしょう。連れ去ったということは誘拐……身代金目当てかしら。貴族だし、殺されているというのは考えにくいわね」
「それか、もしかしたら――」
クレアは続きを口にしようとしてやめた。
つい最近聞いた行方不明や通り魔の事件。
まさかそんな、すぐにそれを目撃してしまうわけがない。まさかまさか。という思いが口を噤ませた。
「相手は一般人ではないのでしょうね。同じ聖剣氣持ちか、身体強化を使う暇もなく不意討ちか……ッ、クレア!」
「へ?」
ミアがクレアを突き飛ばす。
予想以上の力にクレアは受け身もできずに地面に倒れたが、ミアを襲った力はその比ではなかった。
何かに体を打ち付けられたミアが吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
籠は潰れて中身がばら撒かれ、口からは血が吐き出された。
「ミア!?」
「殺してはいない」
何者かに首を掴まれ、クレアは宙吊りになったかのように足をバタつかせる。
突然の状況を理解するどころか呼吸もままならない彼女の目の前には、全身を黒いマントで覆った大男が立っていた。
「っ、か……ぐ……!」
「まさかまだ居たとは……好都合だ。連れて行く。眠れ」
首にかかる力が増す。
クレアは身体強化をした手で伸ばされた大男の腕を掴むが、ビクともしない。
腕を殴ってもその握力は緩まず、やがて頸動脈を絞められたクレアは脱力し、意識を手放した。
「ぐ……!」
ミアは自身に起こったことを分析した。
彼女は歴戦の戦士だ。何者かが近づいてくるなら察知できたし、不意討ちでなければ回避か防御をするくらいは朝飯前だと自負している。
しかし、こうして彼女は地に伏している。
おそらくあの大男の持つ白い剣らしき物の腹で吹き飛ばされたのだろう。追加で壁に叩きつけられ、死にはしないながらも全身の数か所で骨が折れた。
【超速再生】の回復ですぐさま立ち上がり、クレアを担ぐ大男を見据えた。
「立てるか……骨を砕いた感触があったが……ん?」
ミアの背後に気配が出現した。
振り向かないままにそこから飛び、立っていた場所に何かが叩きつけられる。
「2人いたとはね……」
クレアを担ぐ者とまったく同じ背格好の大男。
どう潜伏していたのか、ミアに気付かれずに背後に回るのはどんな手品を使っているのか。
その答えはすぐに訪れる。
大男2人と少し距離を取ったミアの目の前、何もなかった場所に3人目の大男が現れた。
「なッ――!?」
「眠れ、旧友に似た者よ」
白い大剣を振りかぶり、叩きつけんとする腕。
幻覚の類ではない。本物だ。
「(クッ、仕方ない……!)」
大男の腕が宙を舞った。
持ち主から離れ、重い音を立てて大剣ごと地に落ちる。
不思議なことに、血は出ていない。
「……なに?」
3人の大男が同時に驚く。
その巨躯の腕を斬り飛ばしたのはミアだった。
「魔力剣……!?」
「あら、知っているのね…………な、っ……!?」
ミアの右手には、黒い靄で形作られたような剣が握られている。
魔力剣――魔法陣による魔法行使ではなく、魔力そのものを剣とする。魔族の中でミアのみが扱えたものだ。
知っている者は、ミアのそれを見たことのある者だけだ。
それに気づくのに、数秒かかった。
何故この大男は魔力剣を知っているのか。
何故なんの予兆も無しに大男が増えるのか。
何故聖剣氣を持つバーダリーやクレアを軽々と戦闘不能にできるのか。
そうだ、あの白い大剣は、龍の尾骨を加工して作られた、世界にふたつとない代物だ。
ミアが斬ったのは大男の腕だけではない。彼の顔を隠していたフードも、続けざまに斬っていた。
ハラリと布が落ち、素顔が明らかになる。
そこには、髑髏があった。
「いささか色が変わっているようだが、久しいな。騎士レーデン」
「騎士……ボーデット……!?」
大男の正体は、かつて志を同じくし肩を並べ共に戦った、『魔王の騎士』、スケルトンロード――ボーデットだった。