閑話休題
「そうか、江戸にも吸血鬼がいたのか・・・。それも、御様御用だったとは」
耳長城に帰った二人は、ジョンに報告をしたところ、そんな言葉が返ってきた。
「我が藩の吸血鬼にも同様の役職を与えたほうがいいのだろうか?まあ、そのあたりはあとで考えるとして、とりあえず二人ともお疲れさま。今日はゆっくり休んでくれ」そう言って、ジョンは部屋を出て行った。
「ふぅ~、やっと終わったわね。それじゃ、あたしたちも寝るとしますか?」
エミリの言葉に、マリアはうなずいた。
「ええ、明日も忙しいですから」
翌日、朝早く目覚めたマリアは朝食をとるために居間へと向かった。
その後、身支度を整えてからジョンの部屋へと向かい、昨日の話の続きをすることになった。
「それにしても、調査の依頼元は南町奉行だったんだろ?なんで身内の御様御用の素性を知らないんだろうな」
寺社奉行といえば幕府の中でもかなりの上役で、しかも吸血鬼などの諸種族を管轄する奉行である。そんな役職についている人間が、阿佐ヶ谷家の素性を知らないわけがない。
「そうですね。普通なら知っているはずです」
「それじゃ、どうして知らなかったんだろう?」
「そう言えば、わたしが桂昌院様に仕えていたときも、幕府内に吸血鬼がいたなんて話は聞いたことがありませんね」
マリアは十年前の大奥について思い出しながら、そう語った。
「まあ、そりゃそうだろうな」
ジョンの言葉に、マリアは首を傾げた。
「どういうことですか?」マリアの言葉を聞いて、エミリは不思議そうな顔をした。
「いや、俺も気になって調べてみたんだよ。この二十年くらいの間に江戸城で処刑された罪人の数は二千人を超えている。その処刑に関わった人間は全部幕府の役人だから、身元を調べることは簡単なんだけどな」
「だけど、御様御用の素性だけはわからなかったんですね?」
エミリの言葉に、ジョンは大きくため息をついた。
「……まあ、そういうことだ。いくら調べても、御様御用の素性がわからなかった。というか、幕府にも把握していないんじゃないか?おそらく、御様御用は表舞台に出てこない、影の存在なんだよ」
ジョンの言葉を聞いたマリアは、顎に手を当てた。
「確かに……、幕府に仕えていても、私たちですら知らないような存在なのでしょうね……」
「でもさぁ、なんで幕府はその正体を隠してるんだろう?」
エミリの言葉に、マリアが答えた。
「様々な種族が住んでいる異世界と違って、江戸は人間の国ですからね……。最近は増えたとはいえ、吸血鬼なんて幕府が隠したがるのも無理はないかもしれません」
マリアの言葉に、ジョンは腕組みをして言った。
「まあ、そういうことだな。大っぴらに参勤交代して江戸に詰めている俺たちのような人畜無害なエルフと違って、吸血鬼はある程度制御ができるとはいえ、扱いが難しい。だから、あえて公にしてはいないんだろう」
エミリとマリアに対してジョンは説明をした。
「そして、南町奉行がわたしたちに依頼したのも解せませんね」
「ああ、そうだな。幕府の役人は腐るほどいる。だが、俺たち外様の耳長藩に依頼したということは何か裏があるんだろう。まあ、それは今考えていてもしかたないことだ」
そう言って、ジョンは頭を振った。
「そう言えば、隣の黒森領ですけど、正式に紀州徳川家の預かり地になったそうですね」
「へぇ、そうなのか?」ジョンは興味深げな表情を浮かべ、マリアの顔を見た。
「紀州藩には江戸城改築の木材の件で世話になったし、度挨拶にでも行くか」
「それが、城代は大河内エリナ殿だそうで……」
「大河内殿といえば紀州徳川家の御側衆筆頭だったよな」ジョンの言葉に、マリアはうなずいた。
「ええ、そうですね。そのとおりです」
「江戸の情勢も気になるところだけど、とりあえずはそのように理解しておこう」
「そう言えば、下総のル・フェイ家から、旧領の黒森を回復するための陳情を幕府に提出しているそうですよ」マリアの言葉に、ジョンは腕組みをしながら答えた。
「しばらくは無理だろうな。ま、あいつらもエルフだし、気長に待っていればそのうち戻ってくるだろ」
「それが、紀州徳川家は黒森の開発に力を入れているみたいで、本領の紀州からも移民を募る方針を固めたそうなんです」
「ほう、それはまたどうして?」
「詳しいことはわかりませんが、なんでも黒森はドラゴンの一件が片付いて、農耕できる領域が広がったとかで……」
「なるほどなぁ。まあ、確かにあそこは土地だけは無駄にあるからな」
「それに、紀州徳川家はもともと領地経営に長けている家柄ですしね」
「まあ、そうだな。本領のほうは年貢が重いそうだが、黒森の開墾と鉱山でだいぶマシになるだろう」
ジョンは顎に手を当てて言った。
「ふむ……、まあ、そうかもしれませんね」
ジョンの言葉に、マリアはうなずいた。
「紀州の奴ら黒森のダークエルフをよく説得できたなぁ。あいつら、百二十年前にはうちらの移民すら追い返そうとしたんだぜ?」ジョンの言葉に、マリアはうなずいた。
「そのようですね。ただ、大河内殿は、黒森のダークエルフとも面識があるそうなので、交渉は比較的簡単に進んだそうですよ」
「へぇ、そうなのか?それは初耳だな」
「なんでも彼女、黒森藩成立前の黒森領の貴族の血をひいているようでして……」
マリアの言葉に、ジョンは首を傾げた。
「へぇ、そうなのか?」
「ええ、まあ。詳しいことはよくわかりません」
マリアの実家は、水戸藩に仕えた重臣の家系だが、同じ御三家でも紀州徳川家の内情はわからないそうだ。ちなみに、マリアの兄は、水戸徳川家に仕えている。
「それで、紀州徳川家が黒森領の開拓に乗り出した理由が、もう一つあるんです」
マリアの言葉に、ジョンは不思議そうな表情を浮かべた。
「まだ何かあったのか?」
「ええ、実は黒森領では最近、魔物の目撃例が急激に減っているそうなんです」
「なんだって?」ジョンは眉をひそめた。
「詳しいことはまだわかっておりませんが……」
マリアの話を聞き終えたジョンは、少し考え込んだ後、マリアに尋ねた。
「その黒森の件、幕府は何か言っていたか?」
「いえ、特には何も」マリアは首を横に振った。
「そうか……」ジョンは腕組みをして、しばらく黙りこんだ。そして、しばらくしてから言った。
「なあ、マリア。俺と一緒に黒森領に行かないか?」
「えっ?どういう事ですか?」
マリアは驚いたように言った。
「お前も知っての通り、黒森はうちの領地とは近いし、うちの領内では最近魔物の被害が多いんだ」
ジョンの言葉に、マリアはうなずいた。
「なるほど、そういう事でしたら喜んでお供させていただきましょう」
マリアの言葉に、ジョンは微笑んだ。
「ああ、よろしく頼む」
二人はそう言って握手を交わした。
「それで、いつ出発するのですか?」
「明日の早朝にでも行こうと思うのだが」
「わかりました」
マリアはうなずいた。