第二話 ダークエルフのお家騒動
黒森城では、次期藩主の座を狙って、二人の男が争っている真っ最中だった。
エルフの寿命は長いとはいえ、藩主のモーガンは老齢になり、幕藩体制始まって初めての代替わりということで、後に黒森騒動と言われるほどの内輪もめをしたようだ。
「それで内輪もめして減封ですか」
ジョンは呆れたように言った。
黒森藩はお取り潰しこそ免れたものの、ル・フェイ家は家臣を引き連れて下総国佐倉に転封となり、旧黒森藩領は紀州徳川家の一時預かり地となっていた。
「まったく嘆かわしい限りですわね……。同じ国の大名だというのに、何とも醜い争いをするものですこと……」
マリアは軽蔑するような目つきをしながら言った。
「まったくだな……」
ジョンもまた同意するように呟いた。
「まぁ、黒森藩のことはどうでもよろしいとして、今は紀州徳川家について話をしなければなりませんわね……」
マリアは話題を変えるようにして言った。
「ああ、そうだな……。とにかく、今回の一件で紀州徳川家は異世界に所領を得たことになるわけだからな……」
「ええ、そうですわね……」
マリアはコクリと首を前に倒した。
旧黒森藩領を預かる紀州徳川家は、大河内エリナを城代として置くことになった。
「異世界に所領を持つということは、それだけで大きな意味を持ちますからね……」
マリアは真剣そうな表情を浮かべながら呟いた。
「ああ、そうだな」
ジョンも同じ考えに至ったようで、大きく首を前に倒してみせた。
「異世界で一番の大藩はうちだが、それに対する対抗馬となる可能性はあるな」
ジョンは顎に手を当てて考えるような仕草を見せつつ、ゆっくりと口を開いた。
「えぇ、そうでしょうね……。それに、我が国にはまだまだ未開の地が多いもの」
マリアはジョンの言葉に大きく首を前に倒し、うむ、と肯定するかのような動作を見せた。
異世界には、耳長藩、旧黒森領以外にも、ドワーフが治める土地や獣人が暮らす大陸などが存在し、それらはまだ開拓途上にあると言っていい状況だった。
「そういう意味でも、黒森領が紀州徳川家の手に渡るのは非常に都合が悪いことになりますわね……」
マリアは神妙な面持ちで言うと、こくりと首を縦に振った。
「なるほどな……」
ジョンは腕を組み、深く考え込む様子を見せると、
「もしかしたら、紀州徳川家からの木材提供から、異世界への野心が芽生えてしまった可能性もなくはないと思うのだが、その辺はどう思う?」
と、マリアに対して質問を投げかけた。
「それは十分にあり得る話だと思いますわ」
マリアは即答した。
「ただ、それが意図的かどうかは分かりかねるのですが……」
「確かに、そうだな……だが、警戒しておくことに越したことはあるまい」
ジョンは少し考えた後、再び口を開いて言った。
「ところで、紀州徳川家は今後どのように動くつもりなのか、分かるか?」
「はい。今現在、彼らは与えられた土地の開墾を行っているようですわ」
「ふむ……。では今後は、領内の開発を進めていくことになるのか……」
「おそらくそうなりますね……」
「わかった。ありがとう」
ジョンはマリアに対しお礼を言うと席を立った。
マリアもそれに倣って椅子から立ち上がり頭を下げた。
黒森領内はもともと肥沃な地が多く、石高も高い。領内の奥地にはドラゴンや魔物がいるため、ル・フェイ家が治めていたときには鉱山開発はあまり進んでいないようだった。そのため黒森領は鉱物資源が少ない。
黒森の中には良質な鉄を産出してくれる鉱床があるらしく、将来的にはかなり有望な土地らし
ただ問題は人材の確保で苦労しているということだったが。
そこでジョンは自分の考えをまとめるようにして言葉を紡いだ。
「とりあえず、しばらくはこちらも内政に注力してもらう必要があるだろうな……」
徳川御三家筆頭である紀州徳川家の居城・和歌山城では、藩主の徳川吉宗が政務を執り行っていた。
吉宗は後に将軍職に就くことになる人物であり、史実においては享保の改革と呼ばれる政策を打ち出し、幕政改革に成功した人物として知られている。
「殿……御報告申し上げます」
そこへ、家臣の一人が現れ、吉宗に対して深々と頭を下げた。
「何事だ?」
「はい……実は先日、黒森領の代官より、領内の開発状況についての報告がありました」
「ほう……それで?」
「それによると、今年中に開墾を終えることが出来る見込みとのことでございます」
「なに……それは真か?」
「はい」
「ふむ……」
吉宗は目を細めて考え込んだ。
「黒森領といえば、確か、ダークエルフどもが治めていた領地であったな……」
「左様でござります。今は我が藩が預かり地としております」
「ダークエルフ共は従順なのか?」
「はい。特に反抗的な態度をとるようなことはありませぬ」
「そうか……。ならば、良い機会かもしれんな……」
「と仰いますと?」
「ダークエルフ共に我が藩の農業技術を伝えてやれ」
「よろしいのですか?ダークエルフどもにそのようなことをしても」
「構わん。どの道、奴らはいずれは我らの配下に下ることになるのだ……。それであれば、早めに教え込んでおいた方が、こちらとしても都合が良い」
「分かり申した。早速、取り掛かりましょう」
「任せるぞ……。あとはじっくり銀山を見つけるだけじゃな……」
こうして、紀州徳川家では、農業改革のため、ダークエルフたちへの指導が始まるのであった。
一方、下総に転封となっていたル・フェイ家では、黒森騒動後に家督を継いだモーガンのひ孫ヨークが実権を握っていた。
「くそっ!なんで、俺様がこんなことをしなければならないんだ!」
ヨークは執務室で一人、苛立っていた。
ル・フェイ家はダークエルフ。下総の民とは全く違う。彼らは元々山奥で暮らす狩猟民族だった。徳川の世になってから百二十年間で農業を生業にするようになったが、家臣たちの中には未だに農業を軽視する者も多い。
そもそも、ヨーク自身、農業の知識が全くない。ただ漠然と『農民は畑仕事を行う』という程度の認識しかない。彼は机の上に広げられた資料を見ながら溜息をつく。そこには、下総国佐倉藩のこれまでの領内での様々な出来事や問題点などが書かれていた。
「まったく……これでは、統治以前の問題だな……」
ル・フェイ家の財政は破綻寸前であった。それは、豊かな黒森領から貧しい下総に移封となったことが主な原因である。
例えば、黒森領にあった鉱山が採掘できなくなってしまったことも痛い。
そのため、税収だけで運営しなければならなくなり、当然、年貢を上げる必要があった。
しかし、見ず知らずの土地で年貢を上げることは一揆の可能性を大きくし、領内からは不満の声が上がることとなるため、抜本的に年貢を上げることは躊躇われた。
「なんとかしなくてはな……」
ヨークは頭を悩ませた。
その時、「失礼します」と、扉の向こう側から声が聞こえてきた。
「入れ……」
「はい……」
そう返事をしながら入ってきたのは、若い町娘風の女であった。
彼女は、ル・フェイ家が抱える隠密の一人である。
名前は元々無かったのだが、セツナとヨークがつけた。
下総の状況を知るにはル・フェイ家の家臣たちダークエルフでは目立つため、こうして、町中に紛れ込ませて情報収集を行わせている。
「それで、どうなっている?」
「はい……やはり、不満を持っている者たちが多いようです……」
「そうか……まあ、無理もないことではあるがな……」
「如何いたしましょう?」
「そうだな……とりあえず、奴らの言い分を聞いてみることにしよう……」
「分かりました」
「それと、もうすぐ、この城に幕府から代官が来ることになっているはずだ。彼らをもてなす準備をしておいてくれ」
「かしこまりました」
「頼んだぞ……」
「はい……」
そう言うと、女性は音もなく部屋を出て行った。
「さあて……問題はどうやって納得させるかなのだがな……」
ヨークは腕を組んで考え込んだ。
ダークエルフの里である黒森領を召し上げられても、かれらはこの下総の地で生きていかねばならないのだから。