2.ミレーヌの息子ケンタくん視点
俺の名前はケンタ。
来年十二歳になる。
十二歳になったら警備隊の入隊試験を受験するべく、毎日自主練している。
俺は警備隊の本隊に入るのが夢だ。
悪いやつらを倒して、母ちゃんたちを守るんだ。
母ちゃんも警備隊のお仕事は街の人を守る大切な仕事なのだと言っていた。
俺の家は貧乏だ。
でも別に貧しいわけじゃない。
お金がないだけで、優しい母ちゃんと父ちゃんがいる。
母ちゃんはとっても美人で優しいし、父ちゃんは商人をしていてパッとしない外見だけど、いつも俺たち家族のことを大切にしてくれて、俺たち家族は仲良しだ。
ちょっと父ちゃんの稼ぎは悪いけど、母ちゃんも働いているし、俺はお金がないくらい平気だ。
そんなある日、父ちゃんが俺を普段は連れて行ってくれない街の飲食店まで連れて行ってくれた。
王都から砂糖? というのを仕入れているという”かっふぇ”というお菓子処だ。
目がチカチカするくらい白い”くりぃむ”というのを食べさせてもらって、初めて口にするそのあまりの甘さにクラクラしてしまった。
「ケンタ、大切な話だ」
その後、父ちゃんが俺に話したのは、俺にとって良くないことだった。
父ちゃんは、母ちゃんと俺のために身を引くと言った。
よく分からない。
俺たち家族は仲良しで、いつも一緒で。
なぜ離れなければいけないのだろうか。
「なに、俺はこれからもこの街にいるし、いつでも会える。お前たちの生活だって必要な限り支える。誰が悪いわけでも、お前たちを嫌いになったわけでもない。ケンタ。お前たちを愛しているからこそ、俺ではだめなんだよ」
そう言う父ちゃんはやけにスッキリとした顔をしていて、そういえば、小さい頃と比べて最近の父ちゃんは申し訳なさそうな顔ばかりしていた気がするな、と初めて気付いた。
父ちゃんのためでもあるのだろうか。なんて、ぼんやり感じた。
「ケンタ。お前はミレーヌを守ってあげるんだろ。負けるなよ」
父ちゃんは母ちゃんのことを”ミレーヌ”と名前で呼ぶ。
幼馴染だったときの名残らしい。
俺は負けちゃったけどな、と笑った父ちゃんの言葉の意味は分からなかった。
父ちゃんは母ちゃんの夫ではなくなって、元々住んでいた近所の家へ引っ越していった。
母ちゃんは俺の前ではいつも通りだったけど、ふとした時にあの頃の父ちゃんみたいな、申し訳なさそうな顔をする日が続いた。
父ちゃんはそれからもよく俺に会いに来てくれたし、会いたいときに会えた。
なんだか父ちゃんは前より無理をしているような様子がなくなって、明るい雰囲気の父ちゃんと俺はさらに仲良くなったように思う。
俺は以前とあまり変わらない毎日に慣れていった。
俺が母ちゃんを守ればいい。
前以上に強くそう心に決めた俺は、毎日の腕立てとスクワットを二十回ずつ増やした。
+ + +
『獅子隊長』は、俺たち家族が三人で暮らしていた頃から街で聞こえ始めてきた名前だ。
彼に関する話はどれも凄まじい。
歴代最年少で警備隊の本隊入隊を果たして、そこからたったの八年で警備隊隊長にまでなったのだそうだ。
凄まじい強さとその立身出世の様子、若くとも相対すると覇気漲り圧倒するその立ち姿から、王都ダンジョンの奥地に現れるという伝説的な獣”獅子”になぞらえて『若獅子』と言われ衆目を集めていた彼の人は、隊長となって間もなく『獅子隊長』と呼ばれ始めたそうだ。
武に長け、学を修める。
規律正しく、街の人を守り、偉くなっても驕ることなく、それどころか記章無し(役職なし)がするような仕事まで進んでしているらしい。
王都の騎士隊の指揮官として招集を受けたらしいとか、それを「街の人をそばで守れなければ意味がない」と断ったとか、彼の噂はどれも思わず尊敬の念を抱いてしまうものばかりだ。
誰も彼を悪く言う人間はいない。
もしいるとすればそいつは犯罪を起こす秘密結社の人間だとすら言われた。
彼を有名にした逸話がある。
今から四年ほど前、俺が七歳のとき、たった一人の記章なしの警備隊員が、影で暗躍していた危険な秘密結社を壊滅させた話は、今や絵本にまでなっている。
魔法の力を研究していた秘密結社のそいつらは、あろうことか、この街の聖樹から力を吸い取ろうと画策していたらしい。
国も、教会も、警備隊や騎士隊上層部も、誰もが気付かなかったその企みを、その明晰な頭脳で暴き、そいつらの根城を突き止めると、数十人はいたという悪い魔法士たち全てを倒したという。
たった一人でだ。
当時その話を聞いた俺は、大興奮した。
俺が警備隊入隊を志したのも彼の活躍に憧れたからだ。
ヒーロー。救世主。
男子はみんな彼に憧れ、剣に見立てた棒切れを振るっていた。
その警備隊員こそがかの獅子隊長だ。
俺の憧れの人。
+ + +
父ちゃんが出ていって半年、あと一月で十二歳になる。
いよいよ入隊試験が迫ったある日、母ちゃんに外出に誘われた。
母ちゃんは最近はあの申し訳なさそうな顔をしなくなっていた。
俺は微笑んでいる母ちゃんが好きだ。
とても良い傾向だと思う。
俺に、入隊試験の日に着る予定だった一張羅の運動着を着せた母ちゃんは、「警備隊へ見学に行きたいんだけどぉ」と言った。
「本当に!? いいの!?」
俺は大声を上げて喜んだ。
警備隊は街の人達にも一部の訓練の様子を公開している。
訓練所の中に立ち見の席があり、そこは街から出入りができるようになっているのだ。
俺も友達と連れ立ってよく見学に行っていたが、母ちゃんと父ちゃんは決して一緒には行ってくれなかった。
俺が警備隊へ入りたいと思っているのはもちろん知っているし、応援もしてくれているから、それが不思議だった。
特に父ちゃんは警備隊へは行けないといい、辛そうな顔をしたことがあったから、それから俺が二人を誘うことはずっと無かった。
「ええ、一緒に行きましょう。それで、ちょっとぉ、ケンちゃんに相談に乗って欲しいというかぁ……」
母ちゃんは少し言いにくそうに言い淀んだが、心なしかソワソワと、楽しみなようにも見えた。
「分かったから早く行こう!」
俺は警備隊に行けるならなんでもいいよと、母ちゃんを急かして家を出たのだった。
とにかく早く警備隊へ行って、訓練を見たり、俺の知っていることを母ちゃんに教えてやったりしたかった。
+ + +
警備隊の訓練所へ着いた俺は、悲鳴のような声を上げて喜んだ。
いつもよりずっと人の多い見学スペース、それが見えたとき、俺はまさかと思った。
人混みの中に友達の姿を見つけ、「おい!」と声をかけると、興奮したように柵にかじりついて訓練の様子を見ていたそいつは俺に気付いた。
「獅子隊長が来てる!」
叫ぶように言われた言葉に、歓喜の声を上げた。
「マジかよ! うわっ! うわっ! 本物だ」
既に見ていた人達も、子どもには場所を譲ってくれる。
有り難く友達の隣、最前列を確保して訓練所を見やると、本当にその人はいた。
獅子隊長。
着崩すことなくビシッと着られた訓練服、その胸には隊長を示す三つの記章が整然と並んでいる。
精悍な顔立ちの彼の人は、周りの隊員と変わらない年だ。
若い。
だがその身が放つプレッシャーが段違いだ。
ただの訓練中であっても、彼の人が放つオーラは刺さるような鋭さを感じさせた。
「格好いい〜!」
我ながらまるで舞台役者に夢中な女子のようだと思う。
それほど憧れ、尊敬しているのだ。
今日この時間にこの場に来れたのはラッキーだった。
獅子隊長が直々に公開訓練所で指導することはほとんどない。
ふとそこまで思って、ここへ一緒に来た者の存在を思い出した。
「母ちゃん! 獅子隊長がいる!」
俺のヒーローを見てほしくて、大きな声を上げた。
母ちゃんは「あらあら」といつものように微笑んで、人混みの端の隙間から訓練所を覗くように見た。
「ケンちゃんは、獅子隊長のこと好き?」
知っているだろうにそんなことを聞いてくる。
俺が毎日のように彼の武勇伝を語っているのだから、それを聞いている母ちゃんが知らないはずがないだろうに。
「当たり前だろ!」
笑顔で答えた俺に、「そうよねぇ」と頬に手を当てた母ちゃんも微笑んでいた。
訓練も終わり、友達と今日見た素晴らしいシーンの数々を語ってから見送った俺は、母ちゃんの元へ戻ってきた。
「獅子隊長格好よかったなあ! 母ちゃんももっと前で見ればよかったのに!」
俺の興奮は未だ冷めやらない。
見学スペースにはもう人もほとんど残っていなかった。
「私はいいのよぅ」と頬に手を当て困り眉の母ちゃんは、なにか言いたいことがあるようだった。
俺は母ちゃんの言葉を待った。
「あのね、ケンちゃんに新しいお父さんのことを相談したいんだけど……」
+ + +
父ちゃんと母ちゃんは変なところが似ていると思う。
言い辛いことがある時、先にご褒美をくれるのだ。
知らぬ間に前払いされてしまった俺は、聞くしかない。
大人はたまにそういうずるいことをする生き物だと知っていた。
俺にとって父親は父ちゃんだけだ。
母ちゃんが新しい夫が欲しいのなら、母ちゃんが必要だと思った時に紹介してくれればそれでいい、とぼんやり考えたことがあった。
母ちゃんは相談と言った。
母ちゃんが俺の気持ちを汲んでくれると言うのなら、聞こう。
母ちゃんを守るというのは、母ちゃんの心も守られていなければいけないのだ。
「突然、ごめんねぇ」
「いいよ、どんな人? 俺の知ってる人?」
きっと具体的な人がいるのだろうと、聞いてみる。
「うん、知ってるわねぇ。いえ、でも話したことはないだろうから……」
知っているが会話したことはない。
その不思議な説明に俺には一人も思い浮かばなかった。
「その人がぁ、これから会いたいって言ってるんだけど、どうかしら」
母ちゃんは不安そうにして、「嫌ならもちろん断れるわぁ」と続けた。
「……会ってみる」
会えるというのなら会ってみればいいと思った。
いい人なら母ちゃんの夫を任せればいいし、ダメな人なら俺が母ちゃんを守ればいい。
そうして決意した俺は、待ち合わせに行った食堂であんなことになるなんて、想像もしていなかった。
+ + +
「えっ……なん………なに………?」
もはや俺は言葉を紡ぐことも難しい状態だった。
打った尻が痛い。
待ち合わせ場所だと連れて行かれたのは訓練所の中の食堂だった。
入隊前に訓練所に入れるなんてと感激して、今の自分の状況も忘れて周囲をキョロキョロと見回してしまった。
昼休憩には時間が外れているため、食堂に人は少なかったが、管理のための人員以外にも隊員服を着た警備隊員さんが何人か食事をしていて、内心で大喜びした。
しかしすぐにハッとして、この中に”新しい父ちゃん”がいるのかもしれないとしげしげ見てしまう。
「ウフフ、違うわよぉ。ここで待つよう言われているだけ。そのうち来ると思うわぁ」
そう言われて人間観察をやめた俺は、母ちゃんを奥の席に座らせ、出入り口が見えるよう向きを変えた椅子に座って、その人が来るのを待ち構えた。
獅子隊長が現れたのはそれからすぐのことだった。
ここが訓練所の中の食堂で、先程まで獅子隊長が訓練指導をしていたのだから、もしかしたら通りがかったりくらいはするのではないか。
それくらいの期待は正直あった。
しかしいざその人が食堂へ入ってくると、同じ空間にいると思うだけで緊張して、息の吸い方さえ怪しくなる。
獅子隊長は誰かを探すようにサッと室内に視線を滑らせると、なんと、まっすぐこちらへ向かってくるではないか。
俺は動揺のあまり椅子から転げ落ちた。
俺にはやや高い座面だったこともあるし、先ほど俺が向きを変えた椅子は、やや不安定になっていた。
椅子が倒れて、俺の体は投げ出されたまま落ちる。
慌てた俺は、うまく受け身も取れずに尻を床に打ちつけた。
尻が痛い。
地面に影が差した。
俺が俯けていた顔を上げると、目の前には揃えられた両足があった。
俺を見下ろす獅子隊長の足だ。
+ + +
「ケンタ、悪いがミレーヌは俺が守る」
俺は状況が全く理解できなかった。
床に落ちた俺を軽々と持ち上げ、スクッと立ち上がらせた獅子隊長が、俺に放った第一声だ。
混乱し、呆然としたままただ彼を見つめるしかできない。
俺の名前を呼ばれたこと。
母ちゃんの名前を呼ばれたこと。
悪いと言われたこと。
言葉の全てが断片的にしか理解できない。
「ケンちゃん、新しいお父さんその人じゃだめかなぁ」
母ちゃんの言葉に、食堂の中の空気が大きく揺れたことだけが分かった。
父ちゃん「ケンタ。お前はミレーヌを守ってあげるんだろ。負けるなよ」
ケンタ「無茶ぶりでは?」
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この作品は連載作品(神のペットの世話係 〜モルモットにもヤンチャショタにもお腹いっぱい食べさせたい!〜)の閑話を短編用に再編・加筆したものです。
本編では10話〜16話あたりまで、転生主人公がミレーヌサイドで彼らの恋愛模様を見ていたりします。ソウキがいい感じに省略したミレーヌとの久々の再開時なども転生主人公視点で見ていただくとまた別の面白さがあるかもしれません。(主に16話)
ご興味のある方はよろしければ下記リンクからぜひ。
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