店
森の中はかなり明るかったのだが、それでもいくらか日が遮られていたらしく、眩しさを感じて目を細め、立ち止まった。辺りを見回してみる。ここは周囲を森で囲まれた草地になっているらしい。私の右手側では背丈の高い、すすきのような葉をした植物が風に揺れていて、それがほぼ円形をしているらしいこの広場の、ほとんどを埋め尽くしている。やはり見覚えがあるような気がした。一方、左手側は森で、私が歩いてきた小道は広場の端っこを通っているようだった。そして、私の立っている場所から五、六十メートル先に店はあった。
近寄って見ると、どことなくアンティークのような雰囲気のする店だ。森の木々に埋もれるようにしてあり、木々の鮮やかな緑と、黒っぽい店の外観が対照的だ。ドアに「OPEN」と書かれた札がかかっている他は、店名すらなく、何の店なのかは分らなかった。とにかく入ってみようと思い、ドアを開けて中に入ると、上部に取り付けられてあったカウベルが音を立てた。黒っぽくて古そうな外観に反し、中は明るい。それなりに奥行きがあり、誰もいないカウンターが見えた。どこかでこんな風景を見たような気がするが、いつものデジャ・ヴュだ、たぶん。
……今店の人を呼ぶ必要はないだろう。用ができてからにすればいい。そう思い店内を見渡す。棚が壁際に並んでいて、商品がきれいに陳列されている。それにもデジャ・ヴュを感じる。商品から察するに、ここはたぶん雑貨屋だろう。店自体が大きくないせいか、品数自体はそんなに多くないし、流行りのデザインやブランドの物もないが―――――あったところで、この店には合わないだろう―――――その分、趣味が良い。派手すぎず、かといって地味すぎず、一眼見て、衝動的に買いたくなるようなものではないが、どことなく目を惹かれて、“いいな”と思ってしまうようなものばかりだ。いくつか気になったものは、手に取ってみたりしながら見ていると、気になる商品を見つけた。手に取って見て、一度は戻したものの、一通り店内を見終わってから、どうしても気を惹かれて、その商品が置かれている棚の前に戻った。もう一度手に取り、じっくりと眺める。
「奇麗……」
思わず口に出た。それは円筒形をしたアロマライト。電球の熱でアロマオイルを温めて、香りを楽しむ道具だ。高さは二十センチくらい。ステンドグラスのように色ガラスがはめられ、下から青、紫、赤とグラデーションしていて、そこに色鮮やかな蝶が数匹遊んでいる様子が描かれている。電球を灯したなら、どんなに奇麗だろう。見てみたい。最近アロマを始めたし、ちょうど良くもある。しかし……高そうだ。小さな蝶の羽の模様まで、丁寧に描かれている。材質も、この重さからして、プラスチックなどではなく、ガラスと―――――種類は分らないが―――――金属。これで安物だというほうがおかしいだろう。私は一介の高校生だ。自由になるお金など微々たるもの。これを買ってしまえば今月はかなり苦しくなるだろう。そもそも、今持っているお金で足りるのかどうかが、まず分らない。だが―――――。
いつの間にか、この中に明かりが灯っている様子を見てみたい、から、明確に欲しい、に変わっていることに、自分でも気付かなかった。アロマライトを手にして、様々な角度から眺めながら、葛藤する。どれだけそうしていたのか。長い時間だったようにも思うが、意外と短い時間だったのかもしれない。とにかく。
「いらっしゃいませ」
とカウンターから声を掛けられたことに驚き、私の意識は現実に引き戻された。
驚いて振り向くと、そこには中学生くらいの少女。大きなやや吊り上がり気味の瞳。鼻筋が通っていて、ちょうどいい厚さの形の良い唇が、笑みを象っている。目鼻立ちがはっきりしていて、将来美人になることを約束されているような顔だ。今は美人というよりも可愛い、というほうが正しいが。振り向いたままの恰好で、ついまじまじと顔を見つめてしまったのは、同性としては悔しいくらいに整ったその顔立ちと、もう一つ。声をかけてきたのは、もっと年上の女性だと思ったからだ。理由はわからない。無意識に、この店の雰囲気からそう判断したのだろうか。
どれくらいの間そうしていたのか、もしかしたらほんのわずかな時間だったのかもしれないが、その子の顔を見つめたまま、動かない私を疑問に思ったらしい、首を傾げて「どうしましたか?」と尋ねてきた。肩よりもやや長めの艶やかな黒髪が、さらりと流れる。慌てて「ちょっとびっくりしただけ。」と無難な答えを返す。急に声を掛けられて驚いたのも事実だ。少女もそう思ったのか、ちょっとだけ笑みを深めて「ごめんなさい」と答えた。
「……気に入ったんですか?」
一瞬何のことだか分らなかったが、少女の視線が、私の手元に向かっているのを見て、納得した。商品のことを言っているらしい。
「うん。奇麗だなって」
相手が年下ということもあって、正直に答える。すると少女は嬉しそうに笑った。
「でしょ? 電球を点けるともっと奇麗ですよ」
先ほど自分も思ったことだ。だろうね、と頷く。
「あと、それ使った後に寝ると、見たい夢が見れるみたいですよ」
「見たい夢?」
普通であれば、そんなことなどあり得ないと言うところだ。見たい夢を自由に見るなんて、夢を見る仕組みさえ完全に分かっていないのに、できるはずがない。まして、これはただのアロマライト。そんな効果などあるわけがない。しかし。私はこの店に辿り着くまでのことを思い出す。ここの商品であるならば、何でもありな気がする。……おもしろそうだ、と思ってしまうのはむしろ当然のことだろう。が。
「……ますます高そう。」
思ったことが口に出た。一番の問題はそこだ。見た目からして安物には見えないというのに、そういった曰つきの物なら、なおさら高そうだ。アロマライトを目線の高さまで持ち上げて、眺めながら溜息をつく。諦めるべきなのかも知れない。
「そんなことないですよ」
声は微かなものだったのに、どうやら聞こえたらしい。少女が笑顔のまま教えてくれた値段は、さすがに安いと言い切るには抵抗があるものの、何とか、今の私の手持ちで買える程度の値段だった。そうなると現金なもので、私は即決で購入を決めた。今月は金欠になるだろうが、まあどうにかなるだろう。
少女にアロマライトが割れないよう、包んでもらいながら、少しだけ話をしたところ、思った通り少女は中学生で、今日は店の手伝いをしてるのだと言った。どうやら母親が店長らしい。なんとなく、もっとミステリアスな背景を想像、いや、空想していた―――――例えばこの少女がこう見えてとっくに成人だとか―――――ために、あまりにも普通でかえって驚いてしまった。
「ありがとうございました」という少女の声を聞きながら、内開きのドアを開けて外に出ると、来た時よりも風が強くなっているらしく、ざわざわと音を立てて草が揺れていた。森の中にある広場だというのに、周りを木々に囲われていることによる圧迫間、閉塞感は不思議なほどない。感じるのは解放感と―――――既視感。何故だろう。この空間も、この店も、以前に来たことがあるような気がしてならない。
ざあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。
店のドアの前で立ち尽くし、似合わないことに物思いに耽っていると、突然、体を持っていかれそうなほどの強風が吹いた。思わず目をつぶり、体をすくめる。体に吹き付ける風と、葉擦れの音が不意になくなったのを感じて、ゆっくりと目を開くと、私は今日の出発点だった、駅の駐車場に立っていた。