迷い道
休日。私は駅前にいた。
駅前といっても、私の町は田舎で、利用者は地元の人間くらいのもの。現に今は休日の昼間だというのに、人はほんの数人しか見かけない。この駅は線路とほぼ平行に走る県道から、少し奥まったところにある。その県道に出ればさすがにある程度の交通量はあるし、人も店も少しはある。しかし少し奥に入ればすぐに民家で、さらに奥に入れば田んぼと畑ばかり。こんなところだから当然過疎地だ。人口が少なくて、お年寄りの割合が高い。エンは長閑だし、平和で良い、などと言っているが、私は何の刺激もない、退屈なこの町の暮らしに飽き飽きしていて。だからちょっとした退屈しのぎのつもりだった。
「えっと、まず……県道に出て……」
エンにもらったメモは図がなく、すべて文字で書かれていた。それでも分かりやすく書かれていて、道に迷うことはなさそうだった。だが。
十数分後。私は道に迷っていた。
いや、道に迷うというのは正確ではない。今私が歩いている場所は、メモに書かれている場所で間違いない。しかし明らかにおかしい。……ここを通るのは何度目だろう。
県道から少し奥にはいって、今は民家と民家の間の、細い路地にいる。最低でも三回は通ったはずだ。複数回通った場所はここだけではなく、そういった場所にさしかかる度に、私はメモを確認したのだが、そういった場所に限ってメモはやたら精確で、特徴まで微に入り細に入り書かれているのだ。例えばここ。“左右ともに生垣。生垣は手入れが悪くて枝が伸びてる。そのせいで薄暗くて視界が悪い。伸びた枝をかき分けなければならない部分がある。”周りを見渡して確認するまでもない。右も左も生垣だ。そして私は、その伸びた枝をかき分けている。薄暗い、というか暗い。視界は全然利かなくて、まっすぐな一本道なのに出口が見えない。というか路地の両端はわずかな隙間を残して、ほぼ完全に枝で埋もれている。道幅自体、人が一人通るのがやっとで、このあたりの住人もこれが道だと知らないのではないだろうか。……いや、これはそもそも本当に道なのだろうか。ただの隙間、と言ったほうが正しい気がする。……そういえば、私、よくここが道だって分かったな……。しかも何か前にも通ったことがあるようなデジャ・ヴュがするし……。
多少の苛立ちとともに取り留めのないことを考えながら進む。なんで私は、こんなどう考えてもおかしいメモに従って、こんな道といえるかどうかも怪しい道を、二度も三度も歩いているんだろう。
メモはもう終わる。ここを抜けたら直進だ。しかし、何度も通った私は知っている。……この路地を抜けた先にあるのは、民家の塀だ。直進できる道はない。なのに私はここを抜ければ、エンの言っていた“変わった店”に辿り着けるという、妙な確信を持っていた。あとほんの少し。一度立ち止まり、メモをしまった。目の前には両側の生垣から張り出して絡み合い、視界をふさいでいる枝。不思議なのは、何度か通って、その時にかき分けてあるにもかかわらず、最初に通ったときと同じように枝が絡んでいることだ。だがそんなことはとにかく、これをかき分ければ、この路地を抜ける。ふ、と息をつき、目の前の枝に手を添え、思いっきりかき分けて前に一歩踏み出した。薄暗い所から、急に明るい所へ出た眩しさに目をつぶる。もう一度目を開くと、そこは森の中の小道だった。
森、とはいっても鬱葱とした薄暗いものではなく、広葉樹の柔らかな葉の間から木漏れ日のさす、明るい場所だ。生えている木と木の間の間隔も少し広い。とはいっても、木の高さがまちまちで、私の顔の高さくらいで葉を茂らせている木も多く、遠くは見渡せない。それでも閉塞感はなく、心がやけに落ち着く、そんな場所だ。
路地を抜けても、目の前にあるのは民家の塀のはずなのに、どう考えてもたどり着くことなどあり得ない、こんな場所に来たにもかかわらず、私は冷静だった。いや冷静、というのは正確ではない。私は私自身に起きた不思議な現象に、軽い興奮を得ていた。後ろを振り向いてみれば、私が通り抜けてきたはずの路地はなく、同じように森が広がるだけだ。退屈しのぎとしては大当たり、期待以上だ。エンはメモを“店”までの道順だと言っていた。この小道の先にあるのだろう。……こんなところにあるのはどんな“店”なのだろうか。
多分な期待と共に私は足を踏み出した。意気揚々と歩き始めたが、すぐに奇妙な感覚に首を捻った。……前にもここを通ったような気がする。小道は舗装こそされていないものの、凹凸もなく、雑草も生えていなくてきれいだ。道幅自体もこういった道にしては割と広い。二、三人なら、十分横に並んで歩けそうだ。緩いカーブを描いていて、この先がどうなっているのかは分らなかった。もちろん私は、以前にこんな所に来た記憶はない。私の町は田舎で、山も近いが、その山に生えているのはほとんどが杉のはずだ。こんな広葉樹ばかりの場所などない。そもそも、山に入ったこと自体がほとんどないのだ。知っているはずがない。なのに。今こうして目にする木の一本一本、踏みしめる小道の土の感触一つ一つ、すべてに覚えがあるような気がする。
ただ、この奇妙さは、私に不安感を抱かせるどころか、退屈しきっていた精神に心地よい興奮をもたらした。いつになく気分が浮き立っている。踊り出したいような衝動に耐えきれず、走り出した。視界の中、木立が後ろに流れていく。するとすぐに森の切れ間らしき所が見えた。意味もなく加速してみる。まるで子供に戻ったみたいだ。楽しくて仕方ない。あと一歩で森を抜ける。迷うことなく飛び出していった。