2. Once spilled, the water of our love cannot return to the cup.
前後編のつもりが、思ったよりも長くなってしまいました。
お読み下さりありがとうございます。
スマホの目覚ましが鳴り、重い瞼を開くと、酷い倦怠感と軽い頭痛に襲われた。
体を起こすと部屋に転がる缶ビールの量に、原因は二日酔いかと思いあたる。何故こんな状態になったのか記憶を遡り、彼女のことを思い出して胸が苦しい。何が原因だったのか分からず、別れを告げた彼女にすがることも、伝えることも出来ない。そんなじぶんが情けなくて涙が止まらない。
呆然としたまま時間だけが過ぎていく。
何もやる気が起きない。大学にも行けず、蓮二や大和から着信が大量に来ているけれど電話に出る気が起きなかった。
***
俺の日常から色が消えた。
食欲も出ず、食べても吐き出してしまう。味がしないのだ。正確に言えば、何を食べても鉄のような金属みたいな変な味がして食べれたもんじゃなかった。
夜は眠れず、けれども日に日に倦怠感は増していき、気が付けばベッドから起き上がれなくなっていた。
あの日からどれくらい経っただろうか。
ぼんやりとした頭で考えるのは今でも変わらない。
彼女との日々は、過ごせる時間は短くとも確かに幸せで、かけがえのないものだった。例え画面越しでも、演技で違う相手を想っていても、彼女のプライベートの顔を知れるのは自分だけだという確信があったのだ。
けれど、きっとあの日々はもう戻らないのかもしれない。・・・かもしれないなんて、僅かにでも希望があるんじゃないかと思っている自分が浅ましい。連絡が取れなければ、彼女と俺は交差するなんて奇跡に近いほど生きる世界が違うのだ。
彼女とのメッセージのやり取りがあの日から途絶えているのを確認する度に、もう別れてしまったのだという現実をまざまざと突きつけられる。
視界が霞んでくる。朦朧とした意識の中、完全に意識が途絶える寸前に聞いたのは焦り俺を呼ぶ蓮二の声と、どこかに電話をかけている大和の声だった。
***
皐月が連絡を寄越さなくなってから二週間が経過しようとしていた。
ゼミのフィールドワークの為にしばらく大学に来ていなかった俺は、皐月を探しに講義室へ向かう。中を覗いてみたが、それらしい人は見当たらず、皐月と同じ学部の女の子達を発見し、皐月を見なかった訪ねた。
「志波くん?そう言えば最近見ないよね。」
「そうそう。どうしたのかなー。って皆んな言ってるよ。」
「隠れファンの子とかここ二週間顔見れなくてすごいガッカリしてるのよ。」
思っても見なかった状況に、動揺が隠せなかったが、何とか女の子達にお礼を言って講義室を後にする。
どういうことだ。風邪にしては長すぎる。
嫌な予感がして、講義中かもしれないと思いつつも大和に電話を掛ける。
「・・・はい。何だ蓮二。」
「大和か。お前、最近皐月と連絡取ったか?」
「いや、連絡はいれてるが、返事がない。」
「お前もか。・・・皐月、二週間も大学来てないらしい。風邪にしては長過ぎないか?」
「・・・二週間はいくら何でも何かあったとしか思えん。」
「・・・だよな。お前、今から空いてるか?」
「問題ない。皐月の家でいいか?」
「ああ。」
この親友は話が早くて助かる。
迅る気持ちを抑え、何もないことを祈りながら皐月の家へと向かった。
***
部屋の中にいる皐月を見て心臓が止まった。
医学の知識が無い俺でも衰弱してしまっているのがわかったのだ。
呼びかけることしか出来ない俺とは正反対に、大和は救急車を呼んでいるようだ。その声色はいつもの冷静沈着な様子からは考えられないほど焦っているようだった。もしかしたら医者の卵から見て、想像以上に危険な状態にあるのかもしれない。
「・・・何でこんなことになってる。」
ベッドに横たわる皐月は頰がこけて、心無しか胸も薄くなってしまっている気がする。
「わからない。けれど、こんな状態になるなんて百合ちゃんのことぐらいしか思いつかない。」
「うまく・・・いってるんじゃなかったか。俺はそう聞いていたように思うのだが。」
「俺も、そうだと思ってたよ。ちょうど二週間前くらいに、妙にそわそわしてる日があって、百合ちゃんと会うんだなぁってわかったから、あったとしたらその後だよ。」
医者の話では、あと少し発見が遅かったから命に関わっていたかもしれない程に衰弱してしまっているらしかった。
「天河とは連絡は取れないのか。」
「取れなくはないけど・・・理由がわからない以上、下手に百合ちゃんに連絡するのは得策とは言えなだろ。・・・先ずは、さり気無く百合ちゃんに最近皐月とはどうなのか聞いてみる。」
「そうだな。それがいいだろう。」
今後の大まかな動きを大和と決め、二人に何があったのかを知るにスマホに手を伸ばした。
***
「・・・百合、小百合?」
最近百合の様子がおかしい。
今もハッとしたあと慌てた様子で台本から顔を上げた。
デビュー当時から天方小百合のマネージャーについてもうすぐ4年が経つが、こんなに心ここに在らずといった様子が続くのは初めてのことだった。
本名は天河百合、儚げな印象とは裏腹に、仕事に対して本当にストイックで、どんなに端役でも真剣に役をつくり込もうとする姿勢はずっと変わらない。演技を本当に愛しているんだとわかる素晴らしい女優に成長しつつある。
人気も順調に伸びてきており、飛ぶ鳥を落とす勢いで事務所の期待も高まっているのだが。
もしかして、皐月くんと何かあった?
デビュー当時、彼氏がいることに私は反対した。アイドルではないから恋愛がご法度とまではいかないが、女優であるから、若いうちのスキャンダルはそれなりに人気に影響する。
それに、芸能人と一般人の恋愛は一般人側の理解を必要とされるからとても難しい。お互いが無理しては元も子もない。
私は彼女達を説得した。今は若いからお互いしか見えていないが、社会に出て世界が広がればいろんな人と出会い、いいなと思う人が現れるものだ。だからお互いの為にも、この関係は終わらせなさい、と。
けれど、百合も皐月くんも決して別れようとはしなかった。二人は良く似ていて表情があまり変わらず口数も少ななかったが、繋いだ手を離すどころか、お互いが離れないように、唯一無二であると主張するかの如く身を寄せ会う姿に諦めるしかなかったのだ。
何より大人としていろんなものを見て来た自分には二人の関係は酷く純粋で眩しく見えたのだ。
その後皐月くんと付き合っていく上での決まりごとなどを雑談を交えて話してわかったことは、皐月くんの好青年っぷりと、小百合を下手すると依存なのではと思うレベルで溺愛しているということだった。
あの皐月くんだもの。痴話喧嘩さえ起きそうにないけど・・・
「小百合、皐月くんと何かあった?」
明らかにビクッとと身体を震わせて俯いてしまった百合。思ってもみなかった反応にもしかして本当に何かあったのかと不安になる。
今まで天方小百合を精神的に支えてこれたのは皐月くんの
お陰なのだから。
「奈美さん・・・別れ・・ちゃっ・・・ふっ・・」
ポロポロ泣き出す百合と、今言われたことが衝撃過ぎてしばらく動けなかった。
が、これから撮影であることを思い出し、慌てて涙を抑えさせて私が精神的に参った時に飲むちょっとお高めのハーブティーを淹れて渡す。
「落ち着いた?」
「・・・はい。すみません。泣いてしまって・・・メイク落ちてないでしょうか。」
「軽く手直しは必要だけど大丈夫でしょ。それよりも、どうして別れてしまったの?その様子だと小百合はまだ彼のこと好きなんでしょう?」
「・・・はい。けれど、私はきっと皐月にばかり負担をさせてしまうから・・・」
何故急にそんな話になってしまったのか、聞く必要があるかしら。
「そう思ったキッカケがあるのでしょう?」
「・・・実は、二週間くらい前に、偶然皐月を見かけたことがあって。その時に、・・・知らない女の子と抱き合っているのを見てしまって・・・」
「え?!それ本当?・・・あの皐月くんがまさかそんなことって・・・」
「ショックで声も掛けられなくて、気がついたら家に着いていて。・・・皐月のことは責められません。私が会う時間を作れないから、きっと寂しい想いをさせてしまったのだから。・・・だけど・・・だけど、皐月の心に私以外の女の子が少しでもいるのかと思うと、悲しくて、辛くて。それでも変わらず優しい皐月にすがってしまう自分が嫌で仕方なくて。気づかない振りをすることもできたけど、皐月の前でどんな顔をしていたか分からなくなってしまって・・・それでも、皐月に苦しい思いをさせるくらいなら、って。」
「・・・そっか。」
ちょっと信じがたい話だけど、小百合が皐月くんを見間違えることなんてないから、本当のことなんだろうな。けれど、これは皐月くんがどう思っているのかも気になる。
「小百合、本当にこれで終わっていいの?何で皐月くんがそんなことをしてしまったか理由も聞かないまま、別れたちゃったらもう皐月くんとは会うことも無くなってしまうのよ?」
会うこともなくなる、というところで明らかに動揺している様子に、よく別れるなんて言えたな、なんて変に関心してしまった。
「奈美さん・・・わたし」
まだ顔色がいいとは言えないけれど、ちょっとはマシになったかな。
「ん。決まったみたいね。私もサポートはしてあげるから。とりあえず今は撮影をしっかりね。」
「はい、奈美さん、ありがとう」
滅多に見られない自然な笑顔に不覚にもドキドキしてしまった。