父の教え
「おーい、蔵人ー! お前も昇って来いよー」
頭上から自分を呼ぶ声に、クラウド少年が外に出てみると、父親の三雲入道が、雑貨店兼自宅の屋根の上で月見をしながら、1人で宴会をしている。
クラウドはハシゴをよじ登って、父親の脇に座る。
空には、真円を描く満月が、夜空と屋根の2人を照らしていた。
「今日は綺麗な月だなあ」
「ほんとだね」
入道は缶ビールを飲みながら、月を眺める。
幼稚園児のクラウド少年は、オレンジジュースで乾杯しながら。
「ぼく、お月さんを見るの大好き!」
「へえ、なんでだ?」
「だって、お母さんがお空で見ててくれてるみたいだもん」
「そうかあ……」
父親1人、子1人の生活。
クラウドも、普段はそんな素振りを見せないが、やはり母がいない寂しさは感じているのだろう。
入道は、傍らの息子の頭を撫でる。
「ねえ、お父さん。お母さんってどんな人だったの?」
「あー、そうだな。お母さん……霞さんは、長い黒髪が良く似合う美人で、可愛くて、優しくて、おっぱいが大きくて、あと……ちょっとだけ、面倒くさい人だったな」
「ふーん、そうなんだね」
「でも、若い頃に苦労をさせすぎちまったからなあ……」
と、入道はしみじみと語りながら、ちびちびとビールを飲む。
しんみりとした雰囲気を紛らわせるかのように。
「そういや、お前、幼稚園とかに好きな女の子っていないのか?」
「んー? よく分からない」
「分からないかー、そんならいいけど……。女の子には優しくしろよ?」
「よく分からないけど、分かった!」
「ほんとか?」
「お父さんは、お母さんに優しくしてたの?」
「もちろんだ。男ってのはな、女の人を守るために存在してるんだよ」
入道は息子に対し、渋く決めたつもりだったが。
「ふーん?」
「ふーんて、お前なあ……」
なんとなく会話が無くなる、男2人。
「三雲家、3つの家訓の内の1ぉーつ!!」
「うわ、びっくりした!」
夜の屋外、屋根の上なのに、いきなり大声を出して立ち上がる父に、クラウドはびくっとする。
「『困ってる女性は助けるべし』!」
「?」
「女の子が困ってたら、必ず力になってやれ。もちろん、おばあちゃんとかにもだぞ」
クラウドはあまりピンと来なかったが、たぶん良い事を言ってるんだろうというのは分かる。
「わかったー。じゃあ、3つのなんとかの2つ目は?」
「えーっと、出された料理は全部食え。じゃなくて……」
「ないの?」
「あるよ、失礼な。あー、あれだ、『女性を泣かすような事は絶対にするべからず』だな。女の子をからかったり、いじめたりしたら、ダメだぞ」
「ぼく、そんなことしないよ。女の子を泣かす奴はやっつけてやるし、泣いてる子がいたら、ぜったいに助けてあげる」
「そうそう。その意気、その意気。女の子に優しくしてたら、そのうち良いことがあるぞ」
「うん! じゃあ、最後の3つ目は?」
「3つ目は、そうだなあ……」
クラウドの問いに、入道はしばらく考える。
普段はお調子者で、バカで、スケベで、いいかげんで、変な発明ばっかりしている彼だが、この時は息子に男らしい笑顔を見せて、こう言った。
『惚れた女は、命を賭けて守れ』
*
「おーっす! 蔵人、元気ですかー!」
「元気な訳ないよ! 見たら分かんないの!」
父親の入道が、元気よく病室の扉を開けると、ミイラのように全身を包帯に巻かれた、クラウド少年がベッドに寝ている。
「おーおー、十分元気じゃねーか」
北町におつかいに来ていたクラウドは、そこで事件に巻き込まれ、犬に全身を咬まれるという重傷を負い、地元でも有名な『谷若病院』に入院していた。
クラウドは、左腕と右足にギプスをつけられて、まったく身動きが取れないでいる。
「なんで、お前は北町で入院するかなあ。東町から見舞いに来るのもめんどくせーぞ」
「おつかいを頼んだのは、父ちゃんだろ!」
「まあまあ、これでも飲んでおちつけ、おちつけ」
「誰が怒らせたと思ってんの」
入道はジュースのペットボトルを渡すが、クラウドは片手がギプスなので、フタが開けられない。
「父ちゃん、ギプスなんとかしてよ。トイレも1人じゃできないし、めんどくさくてしょうがないよ」
「医者に言えよ、オレに言われてもなあ。いいじゃねーか、看護婦さんにしびんしてもらえるんだろ? うらやましい」
「恥ずかしいから、いやだ!」
入道は、ペットボトルをプシュッと開けて、ふくれっ面のシャイボーイに渡す。
「そういや、雨森ブラザーズとケンカしたんだって? せっかく、見舞いに来てくれたのに」
「だってあいつら、ぼくが寝てるスキに、ギプスに恥ずかしい落書きするんだもん」
クラウドが、腕のギプスを見せると、そこには女性の裸の絵がカラーで描いてあった。
「へー、巨乳のお姉さんだ。あいつら上手いもんだなあ。あー、そうか、あいつらん家は銭湯だから、女の裸見たい放題だもんな。いいなあ」
「感心してる場合じゃないよ、看護婦さんにいつも笑われるし、恥ずかしくてしょうがないよ」
「いいじゃねーか。米軍の戦闘機のペイントみたいでカッコいいぞ」
「どこが!」
今回の事件をきっかけに、女性が苦手になりつつあるクラウドは、半ばやけくそ気味に。
「もう、うんざりだよ! 女の子に優しくしたって、良いことなんて1つもなかったし!」
すっかりおかんむりの息子に、入道は困ったような笑顔を見せて。
「あー、助けた女の子は可愛くなかったか?」
「……分からないよ。気がついたら病院だったから。結局、誰からもありがとうって言われなかったし」
「まあ、しょうがねえ。お前は女の子を助けてケガしたんだろ? 男の勲章じゃねーか、もっと胸を張っていいんだぞ。誰もほめてくんねーなら、オレが誉めてやる。お前はオレの誇りだ、よくやったぞ」
少し逞しくなった、息子の横顔をながめ、入道は満足げに諭す。
クラウドは、父ちゃんに言われてもなーと呟きながら、少しだけ溜飲が下がる。
「でも、こんなめんどくさいのはこりごりだよ。もう、ぜったいめんどうな事には関わらないからね。危ない目にあいそうなら逃げるし」
「はっはっは。そりゃ無理だろ」
「なんで?」
「お前は、父ちゃんの子供だから」
「なにそれ。意味がわかんない」
それを聞いて、入道はまた、はっはっはと高らかに笑う。
「だけど、しょっちゅう、こんな大ケガされたら困るなあ。よし、退院したらオレが鍛えてやるよ。なーに、心配するな。父ちゃんも昔は格闘技をかじってたからな。元格闘家にして、天才発明家のこのオレが、お前を『神回避の鬼』にしてやるぞ」
「えー。なにそれ、かっこわるいー」
「かっこわるくない! 帰ったら、たーっぷり鍛えてやるからな、楽しみにしてろよ」
「やだっ!」
「やだじゃない!」
「あー、もう! めんどくさいな!!」
 




