♡04話 王宮の庭園で
「あ、あそこに座ろうか」
暫く庭園の小道を歩いていると、アホ面で頬に口紅を付けた小僧が、何やら薄暗い一角にあるベンチを指差しました。
小僧は繋いでいた手を離してベンチの前に先に行くと、少し悩んだ様子を見せた後、手を背後に回して燕尾服の片側の裾を持ちました。パタパタと裾でベンチの上をはたきます。
「さ、座ってよ」
どの紳士方も思いつかないような斬新な燕尾服の使い方をした小僧に、笑顔で座るように勧められました。
仕立てのよい燕尾服を犠牲にした思いやりに、応える事にして座りました。
「あの……マリサ……ちゃん、怒ってる?」
すぐに隣に座った小僧が体を倒して下から覗き込むように顔を見つめてきます。呼び捨てはやめたようです。
「フフ、怒ってるかって……どうしてそう思うの?」
「だって、きれいな花を見ても何も言わないし、僕を見る目が冷たい気がする」
「フフ、派手な赤い花が、チラチラ目についてね。そっちが気になって、庭園の花を堪能出来なかったの」
答えると、小僧が訝しげに眉を寄せます。
「派手な赤い花? 赤い花はあったけど、そんなにあちこちにはなかったよね。うーん、やっぱり怒ってるよね。今も僕を見る目が冷たい……」
「あら、この目のどこが冷たいと?」
カッと大きく目を見開いて、覗き込んでくる小僧の顔を見つめました。
『親切? サービス? 歌姫とどんな関係なの、このエロ小僧!』と罵る思いを込めます。
目に力を入れすぎて、目の下がピクピク震えました。
「わあっ、やっぱり怒ってる!」
叫んだ小僧が、覗き込んでいた体を起こして、こちらから体を離すようにのけ反ります。胸を押さえてハアハアと何度か息をした後、神妙な表情でこちらを見ました。
「ごめんね。分かったんだよね、僕が色々しちゃった事……」
再び、小僧の顔をカッと目を見開いて見ます。目を見開き過ぎて裂けそうです。『しちゃった? あの歌姫と何を!』と怒りを込めます。
「色々ってなにかしら? 怒らないから、お姉さまに言ってごらんなさい」
優しい声で尋ねたのに、小僧はまた、のけ反りました。
「わあ、口調と目つきが全然違うー! ご、ごめんなさい。でもあんな奴がきみの婚約者だなんて我慢できなかったんだ!」
小僧が何か訳の分からない事を言い始めました。
「あの歌姫は、あいつの好みだと思ったんだ。いい年して、婚約者もいなくて、まだ10歳にもならないきみに目をつけて、婚約を申し込むような奴だ。
影でこそこそ動いたのは悪かったけどさ。あの歌姫を唆してあいつとくっつくように仕向けたけど、やっぱりあいつはダメ男だって、分かっただろ?
婚約がなくなるように画策したけど、奴と縁が切れて僕は良かったと思う」
「あー、色々って、そう言う事! 歌姫といい仲になるように仕組んで、わたくしやお父様の耳に入るように噂を流したとか、そんな事かしら?」
パンと両手を叩いて、『納得した』と頷きました。
「そう。僕には最初に見た時から、変な奴だって分かったのに、おじ様もきみもあんな奴との婚約なんて何を考えてるんだとずっと不満だった。
このまま放っておいたら、本当に結婚しちゃいそうだったから……」
今度は、不満と不安の混じったような目で見つめてくる、少年に向かって頷きました。
「ええ、結婚してたでしょうね。あのハゲ、いえ、あの男の家は貿易業に力を入れていて、領地には港があって、婚約の申し込みが来た時は、コストの安い魔石船の開発に成功したところだったのよ。
お父様がうちの領地の産物を外国に輸出して、取引したがってたのを知ってたし、貴族の娘なんて家の利益のためには、多少変な男でも我慢しなきゃいけないって思ってたから」
「えっ?! 利益があれば、あんなのでもよかったの!」
驚いて叫ぶ少年に首を振ってみせました。
「よくなかったわ。貴族の娘なんだから、我慢しようと思ったけど、本当にうんざりしてたのよ。お父様もあっさり婚約破棄させてくれて、わたくしが思ってたよりこだわってないのが分かったし、嫌なら嫌と言ってよかったみたい。あなたには感謝しなきゃね。あんな男と結婚しないですむ、きっかけをくれて、ありがとう」
少年に向かって笑顔でお礼を言うと、少年が俯きました。
「……ごめん……マリサちゃんのためというより、僕のためにした事なんだ」
そう呟いた後、顔を上げて真剣な表情でこちらを見つめてきます。
「僕がマリサちゃんが、他の男と結婚するのが嫌だったんだ。僕は、僕は、マリサちゃんが好きなんだ」
「わたくしも、セオくんが大好きよ」
少年の言葉にすぐに答えると、少年は激しく首を振りました。
「違う、違うよ。そうじゃない。そんな軽い好きとは違う。僕はマリサちゃんが男として好きなんだ。きみが欲しいんだよ!」
「…………」
叫ぶように告白してきた、少年の顔を見つめます。少しの沈黙の後、ため息をつきました。
「ハア……セオくんは勘違いしてるんだと思うの」
「勘違い?! 勘違いってなにさ?!」
口にした言葉に激しい反応が返ってきます。
「セオくんは小さい頃、わたくしに助けられて、変な錯覚をしているんだと思うのよ」
「変な錯覚?! 錯覚ってなに?!」
近づいてきた少年に両肩を掴まれます。目が合うように少年の顔を見つめました。
「キレイで可愛いセオくん。わたくしが見つけた宝物の男の子……でもね、あなたをあの時助けたのがわたくしじゃなかったら、あなたはわたくしを好きになったかしら? ただ、偶然出会ったとしたら、あなたはわたくしを好きになったかしら?」
「何を……何を言っているの?」
尋ねると、逆に怪訝そうに質問されました。
「あの時、あなたは命の危険に晒されていた……助けたわたくしが、あなたにどんな存在に見えたか分かるのよ」
「ハサミを持って近づいてくる恐ろしい女の子で、おでこを叩いて黙らせて、大事なところをチョッキンするぞと脅してくる、メチャクチャ怖くて狂暴な女の子にってこと?」
「えっ?! そこは救いの女神でしょ? 天の御使いのように見えたんじゃないの?わたくしの事がとてもきれいな女の子に見えたんでしょう?」
「えっ?!」
黙ってしばらく二人で見つめ合いました。
「ま、まあ、ともかくね。危ないところを助けられて、何か錯覚してるんだと思うの。本でそういう症状があるって読んだ事があるし……」
いつまでも黙っているわけにもいかず、自分から話し始めました。
「どんな本を読んだか知らないけど、僕の気持ちは錯覚なんかじゃないよ」
すぐに少年から否定の言葉が出ました。
「でもね、わたくしはあなたより年上だし、容姿もあなたの側に立ったら、見劣りすると思うのよ。あなたにふさわしい人が他にいるはずよ。」
「年上って、たった1歳と少しだけね。小さい頃の1歳差は確かに大きく感じるけど、ある程度年がいったらもう関係ないよね。
容姿もどんな人間が僕と釣り合う程、美しいっていうのさ。心あたりがあるの? 絵とか、石像じゃないよ。想像の生きものじゃなく、きみの回りの人間でね。あっ、目潰れ男がいたっけ。男性は除いて、女性限定でお願いね」
早口の反論に、言葉に詰まります。容姿の優れた者の傲慢発言だと思いますが、確かに少年に釣り合う程の容姿の人間は、思い当たりません。
「うっ……ま、まだ、出会ってないだけで、これから出会うかも知れないでしょ。幸せになれる釣り合う容姿の人がいるはずよ」
「そりゃ、世界は広いし見かけだけなら、いるだろうね。それこそ、僕よりもっときれいな人間なんて、いくらでも……はないか……そこそこいるだろうさ。
でもね、きみの思う僕に釣り合う容姿の女性が、僕の好みだとなぜ思うの?
釣り合う容姿の人なら、僕が幸せになれるとなぜ思うの? 僕は外見だけで人を好きにならなきゃいけないの?」
いつもの甘えるように話す少年は、どこかに消えました。矢継ぎ早に捲し立てられて、頭が混乱します。
「で、でもセオくんには、幸せになってほしいの。わたくしではダメなの。セオくんは……宝物のような女の子と幸せになってほしいの」
「ああああー! もう、何それ! よく分かんない!」
突然、大きく叫んだと思ったら、肩を掴んでいた手が背中に回りました。ギュッと力を込めて抱きしめられます。
「きみは僕に『キレイで可愛い』って、よく言うけど、『宝物』って、よく言うけど、僕にとって『キレイで可愛い』のはきみ。『宝物』なのもきみなんだよ」
耳元に囁かれる声に、胸がドキリと跳ね上がります。
この少年の声はこんな声だったでしょうか。いつもより低くて、大人っぽくて、切なさを秘めたこの声の持ち主は、幼なじみのあの少年?
「きみが僕の宝物のような女の子だよ。幸せになってほしいなら、きみがして。ああ、違う、してほしいんじゃない。きみと幸せになりたいんだ!」
次の瞬間、グラリと体のバランスが変わります。背中に感じる衝撃の後、のしかかるように少年にベンチの上に押し倒されていました。
背中に回っていた手が、顔を挟むように両側に置かれます。腕を立てて、少し体を離した少年に顔を見つめられました。
光を散りばめた、赤みがかった金色の目の美しさに引き込まれます。眉を少し寄せ、痛みを堪えるような表情になった少年が、形のいい唇を開きました。
「…………好きだよ」
甘く掠れた声は、切ない響きを持って耳の奥を震わせます。ドキドキと脈打つ心臓の音、顔が熱くなり何も考えられなくなります。
少年の顔がゆっくり顔に近づいてきました。赤い物が目に映ります。無意識に両手を少年の顎もとに向かって突き出していました。
「ガアッ」
上手い角度で突き上げる事が出来たのでしょう。体を反らせた少年が、ベンチから落ちます。
地面に落ちた少年が呻き声をあげるわずかな時間に、体勢を整えると、その場から逃げ出しました。