姉が異世界から帰ってきました
「え、お姉ちゃん? 」
「陽菜乃ただいまぁ!! 」
私はいま混乱している。
今日も普段と同じ日常だった。普通に朝起きて、学校いって、部活での帰りに夜ご飯を買って。本当に何も変わらない、はずだ。
しかし。
目の前の人物は明らかに私の日常とは違う。いや、二年前までは、日常だったけど。
二年前に駅のホームで突然消えた私の姉が、何故か今家の前にいたのだ。ずっと探しても、痕跡すら無かったのに。え、なぜ。
そして、その服は何。なんでメイド服。え、てか二年前と変わらなさすぎじゃないか。
「お姉ちゃん! この二年間どこにいたのさ。」
まぁ、生きていたならそれでいいのだけれど。言いたくないけど、もし死んでいたらと思うとゾッとする。
「え? なに言ってるの陽菜乃。まだ1年しかたってな……私が消えてから二年経ってるの? 」
頭おかしくなったのかな。
「うん。私も高校3年だよ。二年前のお姉ちゃんと同い年。てか、本当に大丈夫? 取り敢えず家入ろうよ」
いつまでも家の前で抱きつかれても困るからね。
リビングに行き、正面に向き合ってテーブルを挟み座る。この二年で上達したお茶をいれて、私はお姉ちゃんに詳しい事情を聞くことにした。
「信じられないかもしれないけど、私ね、ホームで落ちて死にかけた時、異世界トリップしたの」
ほーほー。
ここは驚いておくべきかな。
「まじか」
「うん」
いや「うん」て言われても。私にどうしろと。
この世界だと非現実的なんですけど。将来科学者志望の私にそれ言う? せめてもう少し説明しようよ。お姉ちゃんかなり直球過ぎない?
てかどうやって戻ってきたんだろう。私としてはそれがものすごく興味あるんですけど。
「でねアルがね」
「アルベール様の話は分かった」
話を聞いてみると、前半はともかく、後半はほとんどアルベール様の話ばかり。
私がせっかく出したお茶も、飲んだのは初めのちょっとばかし。異世界の話を始めた途端、幼くなったみたいに話し出して止まらない。とくにお姉ちゃんの愛しのアルベール様のことは。
そんなに好き……なんだね分かってるよ。その顔が何よりの証拠だもんね。デレデレだもん。でも、まさかあの恋愛無関心のお姉ちゃんが、ねぇ。人生って怖いわぁ。こんな顔したお姉ちゃん見たのいつぶりだろう。
もう1度言おうかな。人生って、怖い。
因みに姉がなぜ救世主名なのにメイド服なのかという謎は、なんとも予想外な答えだった。
「アルが似合うって言ったから、その服で帰りたかったの」
それだけ、らしい。
お姉ちゃんは初めはから救世主っていうわけにもいかず、初めの頃はメイドとして宮廷で世界のことを勉強したんだって。確かに宮廷のメイドなら、暗殺者の危険性も減るしね。だってまさか救世主様が働いてるなんて思わないもんね。他国にも情報を隠せるし、学べるってことか。
考えると、理にかなってるかもしれないな。
まぁ、それはさておき。
「ねぇ、お姉ちゃん」
そんなに楽しそうに話すことはいいのだけれど。
「ん? どうしたの」
「戻ってきたこと、後悔してる」
空元気に異世界のことを話されても、私は喜べないなぁ。
「そんなわけ、」
「否定は受け付けないよ。顔に出てる」
「……」
図星だね。
そうやって前髪をいじる癖は相変わらずだ。ふふっ、なんだか懐かしい。
私は自分で入れたお茶を一口飲む。緑茶の香りがふわりと口から広がった。自分で言うのもあれだけど、かなり美味しいと思う。
ちゃんと味わってから、改めて私は口を開いた。
「彼氏さん、おいてきたんでしょ? やっぱり会いたいんじゃないの」
だから、そんな悲しい顔してるんじゃない?
私が正面に座るお姉ちゃんを真っ直ぐに見て、答えを導くように首を傾げると、お姉ちゃんの目はもう雫がこぼれそうになっていた。
お姉ちゃんは優しいから、きっと戻るか戻らないかすっごく苦しんで悩んだんだろうな。たくさんの人に愛してもらった世界を手放すことは容易ではないもの。
けど、この人はその覚悟をちゃんと持っているから。だからあっちの世界でも救世主になれたのだと思う。
「彼氏、ていうか。もちろんアルもそうなんだけど」
私の言葉に、否定はしないものの言葉を詰まらせた。
「? 他になにかあったの? 」
はて。一体なんだろうか。お姉ちゃんが心残りにしているものはてっきりアルベール様のことくらいかと思ってた。
いや、多分ほかにも細かいことは沢山あるのだろうけど、この地球に戻ってもあちらの世界にまた行きたい、とまで思うようなことなんて。
わたしには思いつかなかった。
「私ね、約束破っちゃったの」
約、束?
「大切な友達との約束。ていっても、アルの元婚約者よ? でも、なんだかんだで1番仲が良かったの。」
大切な友達、ねぇ。
お姉ちゃんは私の微妙な表情の変化に気づかずに、何処か遠くを見つめるかのようにまたポツリと話し出しす。
「私、その子にアルを幸せにするって言ったんだけどね。守れなかったなぁ。」
そっか。お姉ちゃんの中で、その約束は守れなかったんだ。
でもね、守ろうとしてたこと、しってるよ。
こぼれそうになったその言葉を喉で抑えた。
お姉ちゃんは、戻ってきてもあちらの世界を気にしている。やっぱり、残るべきだったんだ。こんなに公開するくらいなら。泣き出しそうになるお姉ちゃんに、持っていた桜色のハンカチを渡すと、「ありがとう」と言って素直に受け取ってくれた。
「戻る? あの世界に」
涙を流し思い出に浸るお姉ちゃんを見ていたら、私の口からは自然と思いがでた。ううん、違う。これは、私の意思だ。
「っでも。世界の行き来は3度が限界なの。あっちへ行ったら、もうこの日本には戻れない」
「何を迷ってるのか私には理解できないんだけどさ」
「え? 」
「そんな顔するくらいなら、戻ってこなくてよかった。私は、お姉ちゃんの幸せを望ん出るんだよ? いま、お姉ちゃんは悲しんでる」
帰ってきてすぐのお姉ちゃんに辛いことを言っているのは自覚している。私だって、お姉ちゃんが生きていたことは嬉しいことなのだ。
だけど、望むことは昔から幸せになることだった。誰かの悲しむ顔は、本当は見たくないんだ。お姉ちゃんの、みんなの笑顔を私は守りたかった。もう1度、見たかった。
皆、お姉ちゃんが消えて悲しんだ。皆、悲しんで。けど、誰も初めのように無理やり連れてこようとはしなかった。お姉ちゃんの幸せを願っていたのだ。毎日、いろんな世界と繋がると言われる空を見上げながら。
「ひな、の」
「皆、きっとお姉ちゃんを待ってるよ」
私が、お姉ちゃんの帰りを待っていたように。
「そうかな。私、恋人に黙って消えちゃうような人だよ? 失望してるかもよ」
「ないよ」
「?」
「失望なんて。むしろ祈り続けてるはずだよ。お姉ちゃんの幸せを。」
だから、と私はお姉ちゃんの腕を取り、家の階段を上がっていく。戸惑った感じではあるけど、お姉ちゃんもちゃんとついてきてくれていた。
そして、一番奥にある私の部屋の扉の前までゆっくりと歩いた。その間、変な静寂が私達を包んだのは気のせいでは決してない。
「開けてみ」
「急になぁに? 」
「いいから。――――開けてみ」
渋々、と言った感じでドアノブに触れたお姉ちゃんがゆっくりと扉をあける。そんなに怖いものなんてないんだけどな。
私は一歩下がり、姉がそれに気づき反応をしめすを静かに眺めていた。
「魔法、陣、よね。どうして……」
「ここから、戻れるの。お姉ちゃんのトリップした場所に、1度だけ」
だから。
「きゃっ……」
どさっ、と大きな音が響く。
私の部屋に、お姉ちゃんは倒れ込むように座った。
「痛いよ陽菜乃! もう、なんで押すかな」
私が押した事が嫌だったのか、姉は座ったまま上目遣いで私を睨んだ。うるうるの泣いていた目で美人なお姉ちゃんに睨まれても、私にとっては怖くないのだけど。それを本人は自覚していないんだろうな。そういうところが、お姉ちゃんなんだけどさ。
「いいからいいから……で? どうするの?戻るか戻らないか」
「……」
おやおや。迷ってるってことかな。てことは、戻ってきた決心が揺らいじゃってるねぇ。
「陽菜乃は、大丈夫なの? 」
黙って見つめていると、聞こえたのは細くて小さな声。俯いているその表情はわからないけど、お姉ちゃんは私に罪悪感でも持ってしまっているのかもしれない。
それも無理はないと思う。私とお姉ちゃんの両親は、3年前に他界しているから。私が中学三年生で、お姉ちゃんが高校二年生の時。今は近所に住む私たちの祖父母のお陰で暮らせているけど、お姉ちゃんは大学には進学せずに就職して、私の科学者の夢を応援してくれた。
お姉ちゃんがこの世界に未練があるなら、自意識過剰とかでもなんでもなく、純粋に私のことが大きいんだろう。
「大丈夫」
にたり。
表情を作るのが苦手な私にしては頑張って頬をあげて笑った。少しでも不安をなくすために。お姉ちゃんは昔から、人の気持ちに敏感過ぎるから。
「うそ」
「ほんと。お姉ちゃん、私を甘く見すぎなんだよ」
「だって」
あぁ、もうやめてよ。
私には絶対お姉ちゃんを帰さないといけない理由があるんだから。ここにいられたら、ダメなんだよ。そうだよ。だから早く頷いてよ。
これ以上駄々こねられると、辛くなるじゃん。
「あれっ? でもなんで陽菜乃がトリップの場所知って……」
今更気づいても、もう遅いもん。
私が押して倒れたお姉ちゃんが座る場所は、あの魔法陣の上。つまり、いつでもお姉ちゃんがトリップ可能な状態なんだ。
さてと。私がお姉ちゃんに情を持っちゃう前にやりますかな。
右手をお姉ちゃんの方に伸ばして、集中するために目を瞑った。
「陽菜乃なにして、」
「汝、真なるアルステラの救世主よ。再び世界を導き生けることを誓い、その地へ召還せよ! 」
唱え終わると同時に目を開けると、お姉ちゃんの目がこれでもかというくらいに開いていた。体が震えているように見えるから、きっと私を止めに動こうとしていたのかもしれないけど。残念。一度詠唱を始めたら、対象者は制限に縛られる。この異世界転換の魔法は危険が伴うから、対象者は動けなくなるのだ。
「陽菜乃なんでっ! アルステラを知ってるの!? 」
動けないお姉ちゃんは、必死に私には向かって叫ぶ。
それを私は上から見るだけで、決して返答はしない。やがて輝き震えだした魔法陣を見て、無言で自分の部屋からまた一歩離れた。
最後の、本当に最後のお別れだね。
「さよなら。お姉ちゃん。いや、
――――麻友様」
わたし、わらえてるかな。
あの頃みたいに、ちゃんとわらえてる?
「まさかっ、陽菜……!! 」
姉は何かを言いかけていたが、光に包まれてその言葉は最後まで聞き取れなかった。残ったのは、もう効果のない絵になった魔法陣と、トリップの勢いで荒れてしまった私の部屋。そして、姉――麻友様の持っていた、ハンカチ。
また、異世界へ行ってしまった。さっきのように戻ってくることはトリップの法則に基づいてありえない。もう二度と、私はあの大好きな人に会うことは出来ないのだ。
それでも。
それでも私は、麻友様をあいつの元へ戻してやらなければいけない理由がある。
これで、きっと笑ってくれるから。
「さよなら」
さよなら。私の大切な親友。
すべては元婚約者のあいつが、運命から救われるために。