ボクと魔法使い
ボクと魔法使い
観音 空
ボクはよくひとりでこの公園にやって来る。この公園には、少し山になっているところがあって、そのてっぺんには大きな桜の木があった。ボクはその木が気に入っていて、その木の木陰で大の字になって寝転がって空を眺めるのが日課だった。
『今日はいい天気でよかったなぁ・・・』
そんなどうでもいいような事を考えながら、雲が風に流されていくのを寝転んだまま眺めていた。木陰のおかげで、熱い空気も涼しく感じたし、今日の体育で走らされたのもあって、いつの間にかボクはうとうとし始めていた。
どのくらい時間が経ったんだろう。誰かがボクをのぞきこんでいる気配を感じて目を開けた。
「ねえ、君はここで何しているの?」
まだ2学期が始まって間もないまだ暑いこの時期に真っ黒の洋服(しかも長そで長ズボン!!)で、真っ黒のとんがり帽子に真っ黒のマントを付けた女の子がボクを上からながめ下ろしていた。ボクはその女の子の格好にぎょっとして、思わず飛び起きた。
「君こそ、な、何? その格好。何だか変じゃない?」
そうボクが言うと、女の子はボクをフンと鼻で笑って、
「君が想像している通り、あたしは魔法使いよ。ラッキーって言うの、よろしくね」
と言った。まるで絵本から飛び出たようなその格好は、魔法使い以外には想像できなかった。そんなことはあり得ないと思いながら、不思議なことにボクはその女の子を受け入れてしまった。
「・・・よろしく・・・」
この時のボクは、今日の暑かったことなんて、すっかりどこかに吹っ飛んでいた。
「ねえ、君ひとりでいったいここで何をしているの?」
ラッキーは、ボクの隣に勝手に座り込み、親しげにたずねた。でも、いきなり知らないヤツに聞かれても答えたくない質問だってある。ラッキーのなれなれしい態度に、ボクはちょっと気分が悪くなっていた。
「ボクは空。でも僕の事は放っておいてくれよ」
そう言っても、ラッキーはボクのそばから離れようとしなかった。仕方ないから、僕はそんなラッキーの事を無視することにした。
雲は相変わらず青い空をぽツンポツンと流れていった。夏から秋に変わり始めた空は、少しずつ高く、澄んで見えるようになってくる。毎日同じ場所から眺めていても決して同じ空は2度と見ない。それが楽しくて、ボクは毎日ここにやってくる。いつもは静かにひとりで寝転がっているけど、今はこうしてラッキーがボクのそばに何も言わずに、ボクと同じように寝転がっていた。
「君はどうしてここにいるの? ずっと黙っているボクのそばにいたって、楽しくないだろ?」
ボクは、そうラッキーに聞いてみた。ボクのそばにはいつも誰もいない。みんなボクといても楽しくないからだ。ボクはそう思っている。だから、いつの間にかボクも誰のそばにも近付かなくなった。なんだか久し振りにボクの隣に誰かがいることに、僕はちょっと居心地の悪いようなくすぐったいような感じがしていた。
「え? 空君のそばにいちゃダメなの? それにあたしには『ラッキー』っていう名前があるのよ。ちゃんと名前を呼んで、空君」
ラッキーはそう言って起き上がり、体育座りになって、寝ころんでいるボクの顔を見下ろしていた。
「ねえ、空君、あたしについてこない?」
そう言って、ラッキーはボクの左手をとって引っ張った。ボクは不意に手を握られたことで、抵抗する間もなくラッキーに連れられて行くことになってしまった。
「ねえ、どこに行くの? ラッキー」
ボクは気がつくとラッキーのほうきに乗っていた。
「これって、本物? 大丈夫なの?」
どう考えても絵本の中の話のおとぎ話のようで、ボクには信じることが出来なかった。まさか、ボクが魔法使いとほうきに乗って、雲がうずを巻いているようなトンネルの中を飛んでいるなんて! うずまき雲は白とねずみ色のマーブルアイスのような模様で、ボク達はその中を進んでいるのか、それともただ止まっているだけなのか、よく分からなかった。全く外の様子が見えないし、風もなく、暑くも寒くもなくって、ほうきから降りたらどうなるんだろう、なんてのんきな事を考えてしまった。
「ここはどこなの? ねえ、ラッキー」
ラッキーは、ボクがいろいろ質問することには全く無視して鼻歌を歌いながらほうきを飛ばしていた。その態度にボクはちょっと頭に来た。
「ここは、時間のうずの中。いま空君はあたしと一緒に『タイムトンネル』ってみんなが言うものの中にいると思ってくれればいいよ」
え? 『タイムトンネル』だって? また頭がおかしくなったのかと思った。ボクは今きっと夢を見ていて、本当はあの木の木陰で昼寝をしているに違いない、そう思えて仕方がなかった。こんなこと、現実にあるはずがない、夢の世界か、物語の世界だけしか考えられない、そう思った。
「夢じゃないよ、空君。あたしと空君は、『ある時間』に跳んでいるんだよ。
何をどう信じて、どう夢だと思ったらいいのか分からなくなってきたので、ボクはもう考え込まないことに決めた。なるようにしかならないし、とにかく元の場所に戻るには、ラッキーに連れて行ってもらわなくちゃいけないんだから。
「そうそう。やっとあきらめてくれた?」
そう言えば、よく考えてみると、ラッキーはボクの頭の中をのぞいているみたいだった。きっと今、考えていることもラッキーには分かっているに違いない。『そうだよ』と言いたそうに、ラッキーはボクの方をちらっと見た。
そんなことを考えているうちに、ぐるぐるうず巻き雲の中に、少し明るいところが見えてきた。ラッキーはほうきの柄を明るいほうに向けて飛び始めた。
「もう着くよ、空君」
ラッキーが指さしたところは、『公園』だった。ボクがいつも座っている木も、そこにそのまま立っていた。
「なんだよ、さっきの場所じゃないの?」
ラッキーはボクが不思議そうな顔で公園を見ていると、ニッと笑って言った。
「よく見てよ、空君。さっきと違うところ、ない?」
そうラッキーに言われて、じーっといつもの座っているあの小山の桜の木を見てみた。ボクとラッキーの姿は他の子供には見えていないらしくて、周りはボク達のことなんて気が付いていないみたいだった。そう言えば、よく見てみると、公園にいる子供たちは「長そで」で遊んでいる。桜の木の周りには、ピンクのじゅうたんがびっしりと敷きつめられていた。『ここ』は寒かったんだ!
「『今』は去年の4月だよ。今からちょうど、1年半くらい前、かな」
たくさんの子供たちが遊んでいた。その中をよく見ると『ボク』もいた。ボクは、笑いながら、友達と遊んでいた。・・・一体いつから、ボクは友達と遊ぶのをやめたんだろう? いつから、ボクは笑っていなかったんだろう? 桜の花びらを舞上げながら、遊んでいる子供たちの中に、子犬も一匹混じっていた。
「そう言えば、あの犬、車にはねられて死んじゃったんだよな」
そうつぶやきながら、ボクはそのころの事を少しずつ思い出し始めていた。
ラッキーは、突然ボクのシャツを引っ張って、ほうきに乗せた。
「これ以上ここにいると、あの子たちに気付かれちゃうといけないから。子供って、『カン』がいいんだよね」
ラッキーは、またぐるぐるうず巻き雲の中を今度は一気に飛ばしていた。うずの先は明るく見えていて、それがきっと『今』への出口だろう。ボク達は、本当の『今』に戻ってきたんだ。そうだ、あの子犬が死んでしまってから、みんな少しずつバラバラになってしまったんだ。
「誰かが、あの犬の事、『ラッキー』って・・・そう言えば」
気がつくと、ラッキーはもうボクの隣にはいなかった。まるでずっと昼寝をしていたみたいに、ボクはひとりだった。ちょっとだけ涼しくなった風がビュウって吹いて、まばたきをしたら、ボクの周りには、友達が立っていた。
「久しぶり、何だか声掛けづらくなって・・・元気だった?」
毎日同じ小学校に行っているのに、何だか変なあいさつだった。でも、ボクも同じことを思っていた。
「久しぶり。さっき、あの犬の事を考えていたんだ」
さっき吹いた冷たい風と違って、今度はあたたかい風がボク達の周りをぐるっとまわって行った。まるで、さっき一緒にいた、『ラッキー』のようなにおいの風だった。
みんな、『ラッキー』と呼んだあの野良犬の子犬の事を忘れていたわけじゃなかった。あのとき、ボク達が公園で遊んだ後、家に帰る時についてこようとしたラッキーが車にはねられた。それを思い出すのがつらくて、何となく一緒に公園に来て遊ばなくなってしまったんだ。でも、どうしたらいいのか分からなかったけど、気になっていたのはみんな一緒だったんだ。ボクは、それから、また友達と遊ぶようになっていった。
「今度、みんなでラッキーを埋めた『お墓』に前みたいにパンと牛乳を持っていこう」
もうすっかり涼しくなって、桜の木も葉っぱが無くなったころ、ボクは友達にそう言った。みんな、『うん』とうなずいていた。
ラッキーは、ボク達が心配だったんだろうか。ずっと気になっていて、公園をうろうろしていたのかも知れない。それとも、みんなとまた一緒に遊びたかったのかも知れない。
『ありがとう、ラッキー』
ボクは、高い空の上の犬みたいな雲に向って、心の中でつぶやいていた。