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Sub Rose  作者: 下弦
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Ⅱ 運命の歯車

 西暦51年。4度目の戦の火種は思わぬところからくすぶり始める。


 パルティア王、ヴォノネス2世 崩御。


 先王ゴダルゼスの病死、そしてその後を継承しメディア王からパルティア諸王の王となったばかりのヴォノネス2世は、その兄同様突然の病に倒れ即位後一年もたたずに還らぬ人となった。

 そこで生じた問題は父王の後を継ぎ、誰がパルティアの黄金の玉座に座るのかだ。すでに30歳を迎え猛々しく王の風格を得てはいるが妾の子のヴォロガセス。かたや誠実で柔和な雰囲気、正統なる血筋をもつ20歳そこそこの若きティリダテス。

 ヴォノネス2世の子らは、仲がよいとパルティア貴族の諸侯の間で知られていたが、実の親子であっても最高権力者の座をめぐり骨肉の争いを繰り広げる時代だ。後継者候補たる二人の腹違いの兄弟の様子を、パルティア7大氏族の族長たちは固唾を飲んで見守っていた。

 しかし周囲の喧騒をよそに、王位継承者問題はティリダテスの一言で争いを見ることなくあっさりと決着がついた。


 兄、ヴォロガセスに王位を譲る、と。


 ティリダテスの実母、アリヤザテも喜んでそれを受け入れる。

 ここにアルサケス朝パルティア王、ヴォロガセス1世が誕生することとなった。だが、事態はこれで終わったわけではない。

 義理堅いヴォロガセスは王に即位すると同時に、王位を譲ったティリダテスに相応しい身の置き場を模索していた。



 西暦52年。チグリス川の間近に築かれたパルティアの首都、クテシフォンは東西、漢からローマに続くシルクロードの交易の拠点であり重要な商業都市であった。

 そのクテシフォンの王宮の私室において、ヴォロガセス1世は愛用の豪奢なテーブルの上に羊皮紙の地図を広げていた。

 その傍らには柔らかなドレーブの入った長衣をまとう幼い妹の姿。

 兄王ヴォロガセスはこの愛らしい妹をそばに置くことが多かった。


 ファルナは両親とは縁薄く育った。

 実母は彼女を産んで間もなく産褥熱で他界し、父である先王がアトロパテネ王であった頃、ファルナは神殿暮らしであったため父は彼女にとって遠い存在だった。

 しかし、愛情自体を知らずに育った訳ではない。むしろその逆だった。母を早くに亡くした王女を見守ってくれた、義母であり先王の正妃アリヤザテ。ファルナの内に宿る特異な能力に一早く気づき、優れた幾人かの教師をつけることを先王にすすめたのもアリヤザテだった。

 ヴォロガセスや義母だけではなく、腹違いの兄たちも末の妹を可愛がり。

 女神アナヒタの加護を持つと予言された王女を、パルティアの民は愛していた。


「ファルナ。パコルス、ティリダテスに領地を与えたいと思う。アルサケスの正統なる血筋に相応しい国はどこだ」


 顎の下にたくわえた髭を撫でながら唇に笑みをたたえ、試すようにヴォロガセス1世は妹にたずねた。幼い王女は白く小さな手を伸ばすと、迷うことなく地図の一点を指差す。


「はい兄上。パコルス兄様にはアトロパテネ(旧メディア、現アゼルバイジャン)がよろしいかと思います」


「儂もそう思う。では、ティリダテスはどうだ?」


 パルティアの各従属国は厳しい序列づけがなされ、アルケサス氏の血族が王となっていた。しかしそれは時代・情勢を考慮に置き変化する。

 ファルナは言葉もないままに地図を見つめる。見つめる先にはアルメニアの文字が刻まれていた。兄王はひとつうなずくと、妹の視線の先にある国を指で指し示した。


「正妻の長子にふさわしい国はここしかあるまい…」


 ファルナは答えずにそこをしばらく見据えていたが、ふとヴォロガセスに顔を向け眉をひそめた。


「…でもローマが黙っていないわ」


「アルメニアの現王、ラダミストゥスは粗暴な男だ。人心を掴めているとは思えん。そもそもアルメニアはパルティアと同じ流れをくむ国、真の所有権はわが国にある」


 アルメニアとパルティアの接するユーフラテス川、その対岸はローマ領オリエント防衛線、シリア属州が位置している。それにアルメニア王ラダミストゥスは暴君であるためアルメニア貴族の反感をかってはいたが、即位の際、兄であるイベリア王の支払った多額の賄賂によりローマの後ろ楯を得ていた。

 アルメニアはこれまでもローマとの間で所有権を巡り、対立してきた不安定な国だ。しかし紀元前600年の昔から商業において繁栄して来た古代アルメニアは、広い領地を有し、集合国家パルティアの序列づけにおいても常に上位の国である。ヴォロガセスにはこれ以上、アルケサスの正統なる血筋の長子、ティリダテスに相応しい国はないように思えた。


「と言えど、手をつけるにはまだ時期尚早か」


 パルティアの新王は深くため息をつき、妹の波打つ髪を優しく撫で微笑んで見せた。



 その年、パルティアはアルメニアに軍を進めるもすぐに兵を撤退させる。それはローマの出方を見るための出兵だった。出方を見ながらヴォロガセスは機会をうかがっていた。


 好機はその二年後に訪れる。


 ローマ皇帝クラウディウス死去。代わりに即位したのは異例の若さ、16歳の皇帝ネロ。ヴォロガセスはネロの若さに、指揮系統の甘さを予想した。


 そして、再度の侵攻。

 ついにアルメニアはパルティアの手に落ちた。

 アルメニアを手にしたヴォロガセスは、弟ティリダテスをアルメニア国王として即位させ、早急にパルティア軍をアルメニアから撤退させる。

 他民族の侵入、そしてたびたび起こる内乱。アルメニアに長く全軍を留めることは危険であったし、パルティア王にはそれ以上を越えてローマとの境界を脅かす意思など毛頭なかったのだ。

 だが、パルティア王の思惑をよそにアルメニア侵攻の波紋は大きく広がってゆく。

 ローマにとってもアルメニアは重要な意味を持つ国。交易の中継地として、また、これまでも戦を繰り返して来た仮想敵国、パルティアとの緩衝地帯、また包囲網として、手元から放すことのできない地だ。パルティアのとった行動は、ローマに対する宣戦布告以外の何物でもなく、当然見過ごすことなどできない。当然、ローマ中央政府はアルメニア奪還に動くこととなる。

 数々の過去の戦を振り返るとパルティアとの戦に望むには、優秀な司令官と相当数の強力な兵力を必要不可欠とした。結果的に皇帝ネロの補佐官セネカが下した決断は、低地ゲルマニアで勇名を馳せた司令官を、カッパドキア・ガラティアの総督として派遣することだった。

 しかしセネカは後者をおざなりにしてしまう。その失策がこの先、十年近くまで及ぶ戦役を長引かせる一因となる。











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