魔物図鑑
魔王が支配する魔界から最も離れた位置にある、このサイハテ村には魔物の目撃例はほとんどない。
また、人里からも遠く離れているために、外界の情報が入りにくい村でもある。
外界の情報を得る手段は3ヶ月に一度来る行商人から話を聞くことくらいだった。
前の行商人が来てから2ヶ月後、また違う行商人がサイハテ村に来た。
「いつもと違う方ですが、何かあったのですか?」
村人の一人が尋ねると、フードを被った若い行商人は、
「いつも来ている行商人の方は足を怪我したのでしばらく来れないのです。だからわたしが来ました」
と答えた。村人はそれで納得したようだった。
新しい行商人の売り物はちょっと変わったものだった。
それは、魔物図鑑。
古今東西の魔物について、魔物を研究する冒険家が書いたものだという。
値段がとても安く、サイハテ村の人々が外界の情報に飢えていることもあって、魔物図鑑は好調な売り行きを見せた。
その売れ行きは少なくとも一世帯につき一冊。小さな村ということを考えても、驚異的な売り上げだったと言えよう。
娯楽の少ないサイハテ村で、魔物図鑑はたちまち話題となった。
魔物図鑑には魔物の姿を描いた絵と、その生態、弱点などが細かに記されていた。
また、魔物は危険度ごとにランク分けされ、危険ランクが高い魔物の説明は読むだけで体が震えるようなものだった。
村人たちは日夜、魔物図鑑に目を通し、探求心を満たしたり、魔物の恐ろしさを想像して軽い恐怖に震えたりしていた。
そんなある日、事件は起こった。
村の中に、一匹の魔物が侵入してきたのである。
第一発見者の村人が叫ぶ。
「みんな、大変だ!魔物だ!」
次々に家から出てくる村人たち。
「え、本当に魔物!? 種族は? ゴブリンやオークなら皆で力を合わせれば何とか……」
「それが……」
第一発見者の奥に見える魔物。
それは、手に持てるボールくらいの大きさで、体の表面は水のような質感で、赤く光るつぶらな目を2つ持つ――
「スライムだーっ!」
村人の一人が叫ぶと、あたりはたちまちパニックとなった。
「スライム!?」
「スライムですって!」
「あの危険度ランクSの!」
「最悪のモンスター!」
パニックに陥っている村人をよそに、スライムはゆっくり、体をぷるぷるさせながら近づいてくる。
「ち、近づくな……」
『ぷるぷる』
「うわぁあぁあ怖いぃいーっ!」
村一番の大男が逃げ出してしまった。
『ぷるぷる』
「逃げろーっ! 酸を飛ばされたら終わりだぞーっ!」
どんどん人が逃げ出していく。
『ぷるぷる』
「嫌だーっ! 取り込まれて生きたまま消化されるのは嫌だーっ!」
阿鼻叫喚。
『ボク ワルイ スライムジャ ナイヨ』
「キェェアァァシャァベッタァァァァァ!!!!」
多くの村人が恐怖と絶望で、取るものも取り合えず村から逃げ出す事態となった。
「も、もう村は終わりじゃ……。命があれば再建は出来る。みなの者、命だけは守るのじゃ!」
村長の号令のもと、サイハテ村の住人はこれを機に村を離れることになった。
それから少し経ったあと。
閑散とした村に一人の人物が訪れた。
フードを被った若者。以前、魔物図鑑を売りに来た行商人だった。
若者はフードを外す。
その頭には、人間のものではない猫の耳が生えていた。
「にゃーはっはっは! こんなにあっさり上手くいくとは思わなかったにゃあ」
猫の亜人は大笑いする。
「こんな偽者の図鑑を本気にするなんて……ホント人間の想像力ってやつは傑作だにゃ」
猫亜人が手に持つ魔物図鑑。その魔物図鑑ではスライムは危険度Sの最も恐ろしい魔物とされている。
猫亜人は足元のスライムを見て、さらに笑った。
「こいつはただぷるぷるしてるだけの無害な最弱の魔物。そんなことも知らないなんて、この村の住人は本当に常識知らずだにゃ。にゃあ、お前もそう思うだろ、スライム?」
スライムはぷるぷるしている。
「これからこの村は我々猫亜人一族がもらったにゃ! にゃーはっはっは!」
猫亜人の笑い声はいつまでも続いていた。
◇◆◇
魔物図鑑 危険度ランクSの章(1匹で街ひとつを滅ぼす力を持つ怪物)
スライム 無限細胞分裂生物
一見かわいらしい姿をしているが、見た目に騙されてはいけない。
その体は複数の細胞が合体したものであり、あらゆる斬撃・打撃が無効である。
うかつに近づくと、ぷるぷると体を震わしたのち、あらゆるものを溶かす酸を飛ばしてくる。
好物は人間であり、捕食の際には体を人間の3倍以上の大きさに広げ、一気に飲み込み、体に同化させる。
中に捕らわれた人間は決して脱出することが出来ず、意識のあるまま、ゆっくりと消化・吸収されるという。
水に触れることで無限に増殖・巨大化し、最大のものでは街ひとつを取り込むまでに成長することもあるという。
スライムを倒す方法は、大魔術師が数十人集まって、一斉に炎の魔術を使うほか無い。
普通の人間ではたちまちスライムの養分になってしまうので、運悪くスライムに出会ってしまったときの対処方法はただひとつ。逃げることだけである。




