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おれは選択肢を誤ったかもしれない。
そう思わなかった日はない。
現在進行形で思っている。種屋は、白月の姫に骨抜きになっている。なっているのに、やっぱり、最強だから始末が悪い。
「いったぃ! 痛いっ! つか、重っ!」
「至らなさ過ぎです。全く、私は貴方の遊び相手をしにきているわけではないのですよ?」
ああ。面倒臭い。と、人の背中に足を乗っけたまま嘆息する。物凄く不愉快だ。なんで、こんな飄々としたヤツが闇猫なんて呼ばれるんだ。苦々しい思いに歯噛みする。
―― ……ごすっ
「ちょっと、ブラック。邪魔。扉が開かないでしょう? そんなところで何やってるの?」
「痛い! 痛いですマシロっ! 今、私の後頭部に扉がクリーンヒットしました」
どう考えたってワザとだろ? おれにだって階下からマシロが上がってくるのは分かった。
「ああ、そう? 扉ちょっと支えてて、私、荷物があって……」
ワザとらしく後頭部を押さえて闇猫は振り返ったのに、マシロはあっさり切り捨てる。それを微塵も気にすることなく、おれの上から脚を退けると、戻ってきたマシロを迎えた。
おれはマシロが室内に足を踏み入れる前に、猫の姿を取る。
入ってきたマシロが腕に抱えていた荷物を甲斐甲斐しく「持ちますよ」と闇猫は取り上げて、マシロは手が空くとおれを抱き上げた。
「ルカ。また喧嘩? ……なんかやつれてない? もしかして、ねずみでも追いかけてた?」
だから、おれは猫じゃないっ! なんでネズミなんて追うんだよ。こいつは馬鹿なのか、ことあるごとにおれをそこいらの猫と同じ扱いをする。
「にゃーとしかいえないうちはただの猫ですよ」
人の心を見透かしたようにそう告げた闇猫に、苦い思いが浮かんでくる。
なんでだ! いや、実際化けるという観点からして、喋るところまで発展させるのは間違っている。おれは間違ってない。
悔しいので、すりすりとマシロに擦り寄ってみた。
それにあわせて、ふわふわと頭を撫でられると気持ち良い。その上、闇猫が心底嫌そうな顔をするから良い気味だ。
「今夜はもしかして、パスタですか?」
「うん、そう。ベーコンとほうれん草ときのこのクリームパスタ」
「クリームパスタ? きのこの、ですか?」
あれ? 今なんか闇猫の片方の眉が引きつったような気がする。
パスタ料理は、マシロが唯一食べられる味に仕上げることが出来るということで、こいつが当番の時は頻繁に食卓に上がるメニューだ。
「うん、きのこもね、市場でオジさんに勧められちゃって。確かに綺麗だったから、買っちゃった」
「干したものではないんですね?」
「そうだよ。直ぐ、準備するから、ブラックはルカと遊んでて」
はいっ、と抱いていたおれを、闇猫に突き出してしまう。暴れたけれど、落としては大変っ! という考えからか、離してはもらえない。
爪を立てて逃げ出そうと考えたら、その瞬間後頭部に冷視線が刺さった。
ゆっくり振り仰げば、悟られてる。
睨まれてるっ!
がつっ! とおれの頭頂部を掴まえて、あっさりぽいっと捨てられた。
「ちょっと! ブラック、なんてことっ!」
「私はマシロに会いに来たんですよ。あんなのと遊びません。マシロと遊びたいです」
「子どもみたいなこといわないで、ほら、実は仲良しさんなの知ってるんだからね。ほらほら」
くるりと、闇猫を反転させてその背をこちらに向けて押す。
着地すると同時に人型に戻っていたおれと闇猫は同時に、かなり不本意だという顔をしたが、多分、そういうのに気がつかない設定にでもなっているんだろう。マシロにはスルーされる。
「夕食の準備手伝います」
「良いよ。だって、ブラックこの間もそういって、殆どやっちゃったじゃない。私の順番なんだから私が作る」
機嫌良くそういって台所へ消えていく。
「素直に食べられるものが食いたいっていえば良いじゃん」
「今夜は、別に食べるのに支障が出るようなものではないと思いますよ」
待て、その口調だと、食べるのに支障があるものが出たことがあるといってるっ!
あいつ、何作ったんだよ。
おれが苦々しく、台所のほうを睨んでいる間に、闇猫は「マシロが相手にしてくれないと詰まらない」などと溢しながら、書斎へと消えていった。
おれに着いて来ても来なくても良い、という意味で少しだけ扉が開いている。こういうおれが居るということを、許容しているところが気に入らない。
余裕があるのが気に入らない。
そっと扉に寄り、書斎を覗けばカウチソファに腰掛けて、本を読んでいる。
おれは、よしっと気配を完全に消して、闇猫までの短い距離を詰めるために、その場からふっと姿を消し、闇猫の背後に足を降ろし……
―― ……ガッ!
「いってぇっ!」
すっと闇猫が立ち上がると同時に、横っ面を殴られた。その反動で、カウチソファの肘掛け部分に額をぶつけた。痛い。
「っまだ何もしてないだろっ!」
「するつもりだったのでしょう? それに、もっと分からないようにやりなさい」
「分からないようにやっただろっ!」
怒鳴ったおれに闇猫はやれやれと肩を竦める。
「ええ、完璧に気配を消してましたよね? 上手ですよ、偉い偉い」
完全に馬鹿にされている。
「完璧すぎるんですよ。完璧すぎるんです。気配というのはあって当たり前のものです。そういうのは、起点には残しておいたほうが良い。そこに居ると思わせるためにもね。それまで消してしまっては、より深く探られますよ。どこに出てくるのかと……」
ぱすっと持っていた本を閉じて、闇猫はそういうとおれに本を押し付けて「お勉強はお仕舞い」と、微笑んだ。
「馬鹿にすんなよ」
「していませんよ。それに、それが嫌なら、もっと経験を積みなさい……カナイやアルファに遊んでもらえば良いでしょう。個々の能力・経験ともに貴方より上です」
不思議な香りがしてきたので、やはり様子を見てきます……と、踵を返した闇猫を見送る。
おれは手の中に残された本の表紙に目を落とす。
……最近、マシロが珍しく買って帰った恋愛小説だ……マシロは感動したとその内容を切々とおれに語っていたような気がする。興味なくてあまり聞いてない。寒い内容なのは確かだ。闇猫、なんでこんなもの読んでるんだ……。
あいつの思考ってやっぱりよく分からない。
***
「―― ……なんか、ルカ。更にぼろくなってない?」
「うるせーよ。このちんく、うぉっ!」
着いた食卓で、マシロに抗議しようとしたら、手の甲にフォークが刺さりかけた。テーブルが犠牲になっている。
「なにすんだよ! 闇猫っ!」
「ルカっ!」
今度はマシロにぴしゃりと名前を呼ばれ、恐る恐る見れば睨まれている。
「私は別に構いませんよ?」
「私は構うの! ルカいい直して」
「べ、別に呼び方なんていいだろ。……別に、さ……」
景気良くテーブルに突き刺さったフォークを引っこ抜いたおれは、ちらりとマシロを見る。闇猫は、何事もなかったように食事を続けているが、マシロの手は止まっている。おれがいい直さないと再開しないだろう。仕方がないから、大仰に嘆息して、苦々しく口を開く。
「―― ……ブラック、さん」
「なんですか?」
「察しろっ! 用事なんてあるわけないだろっ!」
「用もないのに呼ばないでくださいよ」
苛々する。
おれはやっぱり闇猫が大嫌いだ。
勢いでかしゃんっと食器を鳴らしてしまったおれに「行儀が悪いですよ? ルカ」と微笑む。ほんっとーに、おれの神経を逆なでするために存在しているようなヤツだ。
マシロはいつもそんなおれたちを見て、くすくすと楽しそうに笑う。
「やっぱり仲良いよね。良いなぁ、男の子同士は」
「お前の目は節穴かよっ! 仲良くないし、ブラックさんについては“子”でもないだろっ!」
「貴方は“子”ですよね」
「―― ……~~~~っ」
ああいえば、こういう……おれは続く言葉を失くして、苛立たしげに目の前の(多分)パスタを頬張った。
絶対おれは選択を間違えたと、そう、強く思う…… ――
※ お久しぶりです。
ご愛読ありがとうございました。
マシロちゃん愉快事件……もとい、誘拐事件はマシロちゃん視点からもお楽しみください^^