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「そういえば、マシロが気にしていたようなので……」
「んぅ……何?」
ブラックの腕の中で微睡していた私が気だるげに答えれば、ブラックは少しだけ迷って、やっぱり話を続けた。
「私は、マシロしか抱きたいと思ったことはありませんし、抱いたこともありませんよ?」
なんでもないことのように零された台詞を、私はふーんっと流しそうになったが我に返った。
「―― ……え」
「ですから、私もマシロしか知りません。知りたくないです、気持ち悪い」
「え、え、え……でも」
ブラックの鎖骨辺りに擦り付けていた額を離して見上げれば、ブラックと視線が絡んでにこりと微笑まれた。私は一気にぽぉっと頬が熱くなる。
「まあ、確かにそういうことも教えようとは、されますけどね……嫌悪の対象にしかならなくて追い出しました」
ぱくぱくと次の言葉が出ない私にブラックは楽しそうに笑う。
「歴代の種屋は色々とやってくれているので、情報には困らないんですよ?」
え、ええと、それはつまり。私の頭はあまり追いつかない。
「でも、それも情報としてはかなり偏っているので、どうすればマシロが壊れなくて済むのか、最初はとても加減が難しくて、触れるのが怖かったです。皆さん壊れれば取り替えれば良いと思っているでしょう? マシロも壊されても良いといいますけど、私は嫌です。マシロに替えはきかない……」
そうでしょう? と笑みを零して、きょどっている私の額に軽く口付ける。そして、相変わらず楽しそうに、ブラックは続けた。
「今はギリギリが分かるようになったのと、マシロが感じてくれるところが分かったので……っ」
私は両手を伸ばしてブラックの口を塞いだ。ちょっと遅すぎたくらいだ。
「そ、それ以上いうな。いわないで、恥ずかしい!」
ぎゅむっと押さえた手を、ブラックは片手で簡単に引き離して、茹蛸みたいですね。と、くすくすと笑う。良い茹で加減にしたのは誰だっ!
「可愛いですね。本当に、可愛いです。愛してます、大好きです。どんなに告げても足りないくらい好きです」
指を絡め取ってそう告げるとキスの雨を降らせる。
くすぐったいけど気持ち良い。
じゃれるようにこんな風にしてくるブラックのほうが余程可愛い。
可愛いブラックも、私だけ。
私だけしか知らなくて、私にしか触れない。勝手に居ない誰かに焦れていた自分が滑稽だ。そうだ、ブラックは変なところで潔癖だ。そのブラックが他人を傍においている図は想像出来ない。それまで何に対して快楽を求めていたか、考えると怖いような気がするので飲み込んだ。ブラックの趣味は種収集……え、園芸みたいなものだ。
そのことは、褒められたものではないと思うけれど、そう思うのも私の感覚からだ。この世界では、容認されてしまっていることだ。特に種屋を縛るものはない。
誰にも縛られることも、制限されることもないのに、他人を許したのは私だけ。私だけが触れることを許された……。
嬉しい。
私も、かなり壊れてる。でも、嬉しい…… ――。
「マシロ」
「ん?」
ふわふわと、常春気分になってしまっていた私を呼び戻したブラックの声に反射的に答える。
「もう、これ必要ないですよね」
問い掛けられているような雰囲気だけど、断定的だ。私が、きょとんとブラックを見上げると、こっちです。と、何かが頬を掠める。
「―― ……あ」
私の目の前で揺れるもの。見忘れるはずない。私がある種のお守りのように持ち歩いていたものだ。
反射的に何もぶら下がっていなくて当たり前の胸元に、手が伸びて拳を作った。
「こんな危険なもの持ち歩いてはいけませんよ」
「どうして? 私これ……」
ブラックが来る日にはサイドボードの中にしまっておいたし、ここ数日はばたばたしてたからしまいっぱなしになっていたのに……。
「一応、気にはしていたんですけどね……私は毒の臭いに敏感なんですよ? 無味無臭、無色なんて慣れれば幾らでも見分けることが出来るんです」
つい、さっきまで尻尾振っていたようなブラックの声に、急に影が落ちたような気がする。そして、当然かもしれないけれど、責められているような気になる。
「マシロがこんなもの何に使おうとしているかくらい、察しがつきます。だから余計に、覚悟が持てない私は何もいえなかった」
眉間に皺を寄せて、溢れそうな激情を押さえ込むように暫し双眸を伏せたブラックは、一つ深呼吸したあと、私を見つめたときにはいつもの彼に戻っていた。
「兎に角、もう私は迷いません。だから、マシロのこの覚悟は必要ないです。マシロの命も私のものなんですから……」
いって私の目の前から私の“覚悟”を消してしまった。そして気づかないうちに涙が溢れてしまっていた私の目元を拭って、ぎゅっと抱き締められる。
とくんとくんっと規則正しい穏やかな鼓動がお互いの肌から伝わる。
「私の弱さが、マシロにあんなものを精製らせてしまった。マシロの覚悟から逃げていて、本当にすみませんでした」
告げて回した腕に力を尚込める。
このところ、ブラックに圧死させられそうになること数え切れないな。でも、言葉だけでは伝えきれないものを、なんとか伝えてくれようとする気持ちが際限なく嬉しい。
それに、ブラックは私を甘やかせすぎだ……。
「ブラック…… ――」
「―― ……はい」
「私を殺してくれる?」
「……はい、必ず。貴方の全ては私のものです。もう二度と、髪の毛一本、爪一枚貴方の自由にはなりませんよ」
私は今、完全にある種の呪いを掛けられた。もう、とっくに掛かっていたけれど、そこに制限はなかった。私の自由があった。でも、もうその自由すら奪われた。
―― ……ああ、凄く幸せ……。
シル・メシアに落ちなければ、ブラックが迎えに来てくれなければ、私はこんなに満たされることはなかった。
「ブラック…… ――」
「―― ……はい」
「私を好きになってくれてありがとう……」
「……はい」
優しくそっと頷かれ、ふわりと唇が重ねられる。触れるだけの口付けは、じわりと互いの熱を分け合って、全身が暖かくなる。誓いも、呪いのように刻み込まれ私は捕らえる。
私はブラックのお陰で満たされたまま、いつか迎えるだろう最後のときさえも、幸せに感じることが出来るだろう。
少なくとも、彼が傷付き消える瞬間を、種屋が業を引き継ぐその瞬間を見ることはない……。
願わくば、次の種屋が美しいときの存在に気がついてくれますように…… ――
「―― ……ねえ、マシロ」
額から瞼・鼻・頬・唇とふわふわと降りてきた口付けは唇の上で名を紡ぐ。妖しい雰囲気を纏ったその声色に、私は警戒色を示す。
「もう一回」
―― ……無理っ! 無理ですからっ! 私の体力底なしじゃないですからっ!
「ぅ……うう」
心の猛烈な叫びを他所に、潤んだ瞳に見つめられ私は結局頷いていた。
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白い月 青い月 二つ月
地上に 降りた 二つ月
白い月の少女は世界を愛し慈しむ
青い月の少年は力しか持たない、羨むことしか出来なかった
何の見返りも求めずに、人々に美しいときを分け与える白い月の少女に
美しいときを欲していただけの青い月の少年は 自らを戒め見守り続けるそんな少女にいつしか恋をした
叶うことのない 届くことのない 恋物語
たった一つの世界を見守る二つ月
世界がひとりひとりの美しいときで満たされることを夢に見る
二つで 一つの 二つ月
地上に 根付く 二つ月…… ――