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「でも、良かったの?」
ひと騒動終えて、種屋に戻った私はグローブを取り、寝室の鏡台の前でベールを落とし髪を解きほぐした――本当は着替えて帰りたかったのに、ごたごたに乗じて攫われたようなものだ――ところでブラックに掴り抱き上げられる。
「何がですか?」
ふわりとそのままベッドの上に降ろされて、タイを解きながらブラックはキスをして問い直してくる。
「だって、名前……」
ごにょごにょと続けた私にブラックは、そんなこと、と笑う。
―― ……私、ルインシル=ミアは……
と、ブラックが前置いたとき、みんなが息を呑むのが分かったし緊張が走っていた。
確かに私も信用をしていて、信頼をおいている人しかあの場には居なかったから、問題はないのかもしれない。でも、私みたいに迂闊ものが、うっかり口にしたわけじゃない。
ブラックは、いろんな意味でのリスクを分かった上で名を告げたのだ。
この世界での名前のリスク。きっと私が想像するよりずっと高い。高々一般市民の私ですら、呪われちゃうくらいだ。世界の重職を担うものとしては、やはり気をつけなければならないことの一つであるはずだ。
下手をしなくても命に関わる。
ブラックは常に命がけで私と向き合ってくれる。その覚悟を持って、告げられる誓いに私は困惑しつつも、嬉しくもあった。
『マシロを愛し、妻とし、己の半身として種に還るそのときも、決して別つことなく共にあることを誓います ――』
私は見つめてくるブラックの瞳に映る自分を見ながら、同じように自然と口にしていた。
この人が、この先きっと私を殺してくれるのだろうという狂気染みた安堵。
普通では考えられない誓い。
でも、この世界は最初から私にとって有り得ないことばかりだった。
どくんっと心臓が強く脈打って私は全て囚われた。
「っちょ、ブラック、衣装が皺になっちゃう」
物思いに耽ってしまえば、そこから無理矢理引き上げるように口付けられ、身体を撫でられる。それだけでぞくぞくと戦慄が走り、肌は熱を増し晒されることを望んでいるようだ。
「気に入ったのなら、また作らせます。でも、婚礼衣装なんて、もう必要ないでしょう?」
くすりと笑いを含めてそう告げると、深く口付けられ思わず引っ込めかけた舌を絡めとられる。
「……んぅ……ぅ」
強く吸われ、上顎をなぞられるとそれだけでくらくらする。
「っあ、だ、め。……もぅ」
怒っても何の効果も成さないことくらい自覚ある。
ブラックは、窮屈そうにベッドと背中の間に腕を滑り込ませ、ドレスのファスナーを降ろす。さらりとしたシーツの感触が背中に触れると、くすぐったさと同時に、身体の奥がじりじりと焼けてくるような気がする。
口の端から熱い吐息が漏れるのを堪えて、なんとかブラックの胸を押した。
「マシロの隅々にまで誓いたいのに、どうして、駄目なんですか?」
やめる気なんて毛頭ないブラックは、肩甲骨下辺りからのビスチェのホックを器用に外しながら「女性は大変ですね」などと軽口まで叩く。コルセットほどの締め上げ感はないけれど、確かに普段よりは、かなり体型補正してもらっていると思わなくもない。
それにしても……もう、その誓いの口付けが長すぎて、ごたごたになったのを忘れてしまったのだろうか。私は次にみんなに会うのが申し訳なくて仕方ない。
「みんなに合わせる顔がないよ」
ぼやいた私にブラックは楽しそうに笑う。本当に、今日一番機嫌が良いのはブラックだ。
「なければ会わなくても良いじゃないですか。どうしても、というのなら私のせいにして構いません。離さなかったのは私ですから」
そんなこと出来るはずがない。
離さなかったのがブラックでも、拒まなかったのは私だ。もうどうしようもないバカップルだった。思い出しただけで頬の熱が増す。
私は、色んなことに頭を悩ませ、困惑中だというのに、覆い被さってきている猫は、にこにこ? というか、キラキラしている。この世の春だ。幸福感を体現している。恥ずかしいから隠して欲しいくらいに溢れている。
キラキラ、キラキラと……。
「―― ……ご機嫌だね……」
自分だけ剥がれるのは嫌なので、ブラックのシャツのボタンを外しながら零せば「ええ」と頷いて首筋に擦り寄ってくる。それに合わせて、私はシャツを剥ぎ取ってしまう。
私の質問に答えるためか、少しだけ上体を起こして、私の頬を優しく撫で瞳に私が映ってしまう距離で艶っぽく告げる。
「物凄く気分が良いです。酔うという感覚なのか、おかしいですね。飲めないのでそんな感覚ぴんと来ない筈なのに、ずっと気持ちがふわふわしていて心地良いです」
乙女だ。
ブラックが花嫁のようなことをいっている。どうしよう。本当に私より舞い上がってる人がここに居た。呆れそうなほど、馬鹿馬鹿しいけど、私の眼鏡にはもう
―― ……凄く、可愛い。
としか、映らない。可愛くて、愛しくて……そっと、腕を伸ばして髪の間に指を滑り込ませ頭を撫でる。本当に心地良さ気に耳を垂れ、尻尾がふわりと内腿に触れる。皇かな短毛が素肌に触れるとくすぐったくて、私の頬まで緩んでしまう。
引き寄せて頬を撫でれば、幸せそうに瞳を細める姿にぞくぞくする。私、かなりの愛猫家になれる。……あ、あれ? まぁ、間違いでもない。本人は最近否定気味だけど……。
距離が詰まれば、ぎゅっと抱き留められ耳元でそっと囁く。
「もうマシロの全てが私のものです。貴方の覚悟を受け入れると、迷いを断ち切って手に入れたら、マシロが堪らなく愛しい」
耳朶を甘く食んだあと、つぅと首筋から顎へ舌を這わせて上がってくると、唇を辿って誘い込まれるように口腔へと滑り込んでくる。
深く味わうように口内を犯されると目の奥が熱く、じわりと涙が浮かんでくる。その行為にも応えたくて必死なのに、私はいつまでもブラックに追いつけない。
それがなんだか、私の気持ちも追いついていないようで悔しい。
私だって、好きなのに、どこまで上があって、どこまで好きになれば良いのか分からないくらい、好きなのに……息だけが上がり、目の前が白く霞む。
哀しくもないのに、つぅっと目尻に涙が伝った。
ようやく唇を解放されると、名残のように引いた糸に羞恥心が擽られる。
ぽやんっとしてしまった私の目尻を拭い、きつく、きつく抱き締められる。身体が壊れてしまうのではないかというほど、強く抱きしめられ苦しげな息が口の端から漏れる。
「……き、です。好き……愛しています」
掠れた声で紡がれると、とても切羽詰って聞こえる。
追い詰めているつもりは全くない、それなのに、苦しげに聞こえる。
私もといいたいのに、抱かれる腕の力が強すぎて声が出ない。
いつもなら、離れろと身動ぎするのだけど、今夜はそんな気にはなれない。このままブラックの腕の中なら息が切れても良いとさえ思う。
私の命さえも彼の手の中だ。
それをとても幸せに感じる。
ぎゅうぎゅうと抱きついて擦り寄ってくる猫を、拒絶することなくされるままになっていると、ようやく気がついたのか慌てたように腕が解かれた。焦ったように私の頬を撫で、安否を確かめる。
ええ、死にそうでした。
でも、解放されるとほんの少し寂しくて肌寒い。
薄っすらと瞼を持ち上げると、目の前にあった綺麗な造形の顔。瞳に涙のベールが掛かっている気がする。泣いていたのか生理的なものなのか……多分、目元が微かに赤らんでいるから、生理的なものだと思う。でも、私はブラックしか知らないからそれが本当なのかは分からない。
過去にまで物申すことは出来ない。
でも、私以外の誰かが、この腕の中に居たことがあるのではないかと考えるだけで、胸が焼ける。今、居もしない誰かに嫉妬するなんて馬鹿馬鹿しい。分かっている。けど、この世界でブラックに触れられるだけの人物なのだから、相当の麗人だろう。普通の私にいわせればブラックの容姿は劣等感を十分に煽る存在だ。傍に居て平気なのは、ブラックが壊れているからだ。
ブラックは壊れている。
それは私のせい。私がブラックを壊している。完全無敵な人に弱点を与えている。何も持たない……この世界ではどんな命だって持っているはずの『種』すら持たない私に。
それだけが、私に優越感を与えて、何の確証もないことへの嫉妬心を鎮めてくれる。
「マシロ? すみません、平気ですか? どこか痛めましたか?」
ブラックを見つめたまま、ぼんやりとしてしまった私に不安そうな声が降ってくる。私に何かあることが不安なんだ。私が何を考えて何を思っているのか、とても気にしてくれている。同じだけとても不安に感じてくれている。
私のために表情を曇らせる……凄く嬉しい……。
「ううん、平気。そんな簡単に壊れないよ。それに壊されても良いよ」
気にしないで、と腕を伸ばし髪の間に指を忍び込ませ、引き寄せると目元に口付けた。睫毛を食むとふるりと震え、唇から漏れるブラックの吐息も熱い。
「可愛い……」
ブラックはそういわれるのは、面白くはないのだろうけど、世界の脅威でもある彼をそんな風にいうのはこの世界で私だけだろうと思うと、私はそれを面映く感じるとともに愁眉を開く。
今、ブラックに触れられるのは私だけ。
私だけが彼に愛を囁き、口付けて、心も身体も奪う。
そこに愉悦を感じないわけがない。
指の間をすり抜けていく細くさらさらの髪がくすぐったくて気持ち良い。
ああ、幸せ……ああ、もっと、欲しい。
「ブラック、欲しいよ……」
いって引き寄せて口付ける。
僅かにしか触れない素肌がもどかしくて背を微かに反らすと、ぐいっと抱き寄せられる。どくんどくんっと上がった心音が触れた部分から伝わりそうだ。
「可愛いのは……マシロですよ……本当に、素直で、可愛い……」
重なる唇の端から漏れる台詞に、益々鼓動が早くなる。
このままどうしようもなく熱く早くなって息が止まってしまうんじゃないかと錯覚する。綺麗な指先が私の身体の上を滑る。確実にわざと焦らしているようなブラックの指先に身体の芯が、きゅうきゅうと締め付けられて、私は直ぐに音を上げる。
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