第六十三話:正しい家族計画
いい切ったブラックに観念して、私は反対の腕を額に押し当てた。その仕草にあわせるように、ブラックはベッドの脇に腰を降ろす。私は顔を半分隠したまま、ぽつりと零した。
「さっき、ちょっと聞いちゃったから」
「―― ……何をですか?」
「だから、その……子どもが出来ると困ると……」
じわじわじわーっと頬が熱持つのが分かる。
いやもう、自分でも恥ずかしいことを口にしているのも自覚しているから尚更だ。というか、これじゃ、私が今、物凄く子どもが欲しいといっているようだ。
そうじゃないんだけど、そうじゃない……うん、違うんだよ。
って、これじゃ益々ブラックの顔が見れないよっ!
恥ずかし過ぎて、ごろっとブラックに背を向けてしまう。それなのに
「ああ、あれも話途中でしたね?」
普通だ。というか私が聞いてたの分かってたっぽい。私が聞いているのを知っていて、話を進めていたにしては配慮が足りないと思う。思うけど……
「マシロは子どもが欲しいのですか?」
ブラックは時々こういう風にデリカシーに欠けることを、さらっと口にするタイプだった。
「い、いや、そーいう話じゃ……」
思わずどもる。というか、そういう話じゃないんだよっ。
では、作るところから頑張らないといけませんね。って、セクハラ発言しないでっ! ……って? あれ?
予想外のブラックの反応に、上半身を片腕で支えて起き上がり「困らないの?」と問い直した。ブラックは私が思った以上にきょとんとしている。
なんかいつものことだけど、微妙に話がかみ合わない感じがしてきた。
「困るといえば、んー、まぁ、困るんですけど……なんというか、もう、自分のときのことは記憶に薄いので思い出そうとも思わないのですが、ルカを見ているとふと思うのです」
何を? と、首を傾げれば、ブラックは、ふぅと息を吐いて私から視線を逸らす。窓から覗くまだ明るい空を見上げてぽつぽつと話してくれた。
「私はマシロが好きです。大切です。傷つけたくはないのです……」
「―― ……う、うん」
「ですから、少し怖いです……」
「怖い?」
「ええ、怖いです。とても」
私には、ブラックが何を怖がるのか分からない。そんな私の気持ちを察してか、そっとブラックの長い指が私の頬を撫でる。
「正直、ルカが私の後釜になることはないです。そう努めます。マシロと一緒に少しでも長く居たいので……」
「そ、それはもちろん! そうして貰わないと嫌だ。困るよっ」
馬鹿なことをいうなとばかりに眉を寄せれば、ブラックの表情はより柔らかくなる。それだけのことが、私にとって凄く嬉しい。
「そうなると……なんとなく嫌な予感がするんです。もし、私たちに子どもが出来たとすれば、その子が“種屋”の素養を持つのではないかと」
そういってブラックは改めて私の顔を見る。そして私の頬を片手で包むと瞳を細めて続ける。
「私は、もしそうなっても大して傷付かないと思います。最悪、何も感じないかもしれません。ですが……――」
マシロは違うでしょう? と問い掛けつつ、顔を近づけて、軽く唇に触れてから私の顔を覗き込む。
確証もない話だ。
でも、ブラックの嫌な予感も、的中率としてはかなり高いような気がする。その高いような確率の中で……。私の、私たちの子どもが種屋を継ぐようなことになれば……物心つくまでに蒼月財団に連れて行かれるかもしれない、それはブラックにお願いすれば、防げるかもしれないけど、でも……。
もしも、が、あれば、終わりを告げるのはその子になる。告げられるのはブラックで……その子にとって普通に生活出来る最後になる…… ――
「貴方はきっと傷付く」
私は、傷付くだろうか?
「血で血を洗うような真似きっと望まない」
うん……望まない。見たくない。そんなの、我慢出来ない。
僅かに熱を帯びてきていた身体が、また冷えていくような気がする。すぅっと冷たいものが身体の中を通り抜ける。
「でも、私たちはそう運命付けられればそれに従うしかないのです。世界は種屋を失くすことを許さない」
辛そうにそこまで告げるブラックの苦しみは、私のためだ。ブラックの言葉通り、それがまだ見ぬ子を思ってではないことは分かる。ブラックは私しか見ていない。私の痛みと苦しみにしか心を動かさない。
何もいえなくなってしまった私を、ブラックはやんわりと抱き締めた。自分が語ったことは、大した事ではなく、ただ……体調を崩してしまっている私を気遣うように、とても優しく。
でも、そんな風に偏ってしまっているものだったとしても、極自然に、当たり前というように、深く私に愛情を注いでくれるブラックに、私はなんとも応えてあげられなかった。私も同じだけの気持ちで応えていると思いたい。背中に回した腕にきゅっと力を込めて、言葉に変えられない思いが伝わればと思い抱き締める。
耳元に擦り寄せられた唇が、耳朶を甘噛みしたあと、ふぅと長く息を吐いて続ける。
「別に私は、自分の終わりがどうということについて何も感じません。時間は放っておいても勝手に流れていく。流れていけばそれは近づく。当然の事でしかない」
ブラックはどうして、どうしてこうも自分の事に無関心なんだろう。自分で自分を大切に出来ないブラックが切なくて、私はいつも苦しくなる。苦しくなって……だから、私がブラックを大切にしなくてはと心に誓う。何度も……何度も……。
「……ただ、マシロがいなくなるのは辛い。マシロと、心も身体も離れてしまったとき、マシロがもう一度、私を選ばなければ、私は本気で種に還るつもりでした」
「―― ……」
「そしてまた、あのとき、マシロと共に終わりを告げられるなら、本気で引き金を引いても良いと思いました。貴方と一緒に居られないくらいなら、ルール上最大の禁忌でも私には関係ない」
そう口にしたブラックは、少しだけ震えているような気がした。それを悟られたくなかったのか、ぎゅっとブラックの腕に力が入る。
「愛しています。貴方だけを……」
「私だって大好きだよ。大切に想ってる。ブラックが居なくちゃ、私にとってこの世界は意味がない」
―― ……意味がない。
口の中で繰り返せば、正にその通りだと納得しブラックの背に回した腕に改めて力を込める。
「私は貴方の特別でさえあれば良い。こうして望めば触れ合える距離に置いてもらえるなら、私は何も望みません。だから、マシロは自由であって構いません」
言葉の意味が分からなくて、私は無理矢理顔を上げブラックの瞳を覗き込む。
「私とマシロの大きな違いだと思います。私はマシロのことしか思いやれません」
うん……知ってる。
「ですが、マシロは多くを思いやる。他人の痛みを自分のことのように受け入れてしまう」
そんなこと、ないよ。私だって、ブラックのことしか考えてない。ただ、ブラックが私に余裕をくれるから。だから、みんなへも目を向けることが出来るだけで……私はブラックが思うほど優しい子じゃない ――
「だから、貴方はこの世界での特別に愛される。素養が強ければ強いほどその役目に縛り付けられ周りなど見えない」
ちゅっと額に口付けが降る。
「こうして触れ合っているとき、貴方を思うとき、貴方が私を一番に思い、胸を痛め悲しんでくれるとき……今みたいに、私のために泣きそうな顔をしてくれているとき、私はとても満たされます」
降りてきた口付けに応えながら「泣かれると嬉しいの?」と曖昧な笑いを零しつつ問い直す。それに釣られるようにブラックも微かに笑みを浮かべて、そうです。と答えた。
「私のために、マシロが泣いたり悲しんだりしているのだと思うと、嬉しくてぞくぞくします」
そういったブラックは本当に幸せそうだった。
ブラックの感覚はちょっと独特だと思う。
「他の方のためにだとしたら、元凶を絶ちたいと思いますけど」
極端だしね。
でも、やっぱり私は私のことしか頭にない、そんなブラックが好きだ。とかいったら私も十分に毒されてるよね? だけどもう、そういう重いところがとても好き、私を絶対に裏切らない、裏切れないから好き、もう初恋の痛手を繰り返すことはないと分かるから好き 大好き ……――
「だからって、絶っちゃ駄目だよ」
「善処しています」
思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
傷つけたくないのに傷付いているのを見ると、愛されてると実感してほっとする……気持ち的に矛盾しているのは分かってる。
きっと、ブラックの中でどうしようもない部分なのだろう。そんなところも愛しいと思うのだから私だって本当にどっぷりと浸かってる。
もう一度視線が絡めば自然と距離が縮まり、唇が触れ合う。角度を変え啄ばむように口付けて薄く開いた口内への侵入を許そうとしたら
「まだ明るいんですけどー、何してるんですかー」
声が掛かった。
もんの凄くバツが悪い。
がっくりと私の肩にブラックの額がのっかる。耳が頬を掠めて少しくすぐったかった。
「―― ……これだから子どもは嫌いです」
やっぱり消したほうが良くないですか? と、にこりと微笑んだブラックに、駄目だよと注意する。でも、これが重なるとブラックは、にべもなく消しそうでちょっと怖い。今度ちゃんと注意しておこう。あ、でもなんて? ま、良いや。それで……
「どうしたの?」
「薬の置き場所が分からない。どっかのじーさんが来てるけど、なんか……」
珍しい――自分でいうと物凄い哀しい――お客さんが来ていたのか。私は、もぞりとベッドから抜け出して対応しようとしたらブラックに押しとどめられた。
「マシロは寝ていてください。私が見ます」
「え、でも」
大抵お年寄りの方は種屋と顔を会わせたことがある。ブラックはここで会いたがらないはずだ。無理を推させるような気がして、引きとめようとした私に、ブラックは大丈夫ですよと重ねて、ふっと猫の姿を取る。
その瞬間ルカの尻尾がぴんっと立った。あ、あれ?
「いっておきますが、私は貴方と違ってこの姿でもある程度力は使えますよ。瞬殺されたくなければ黙ってついてきなさい」
びしりと口にしたブラックに、ルカは「べ、別にそんなこと考えてない」といいつつも頭頂部の耳は左右に垂れ、尻尾は見る見るうちに下にさがってゆらゆらと揺れる。
うわー……この二人滅茶苦茶可愛い。
いったら全否定されるだろうからいわないけど。
「マシロはちゃんと寝てくださいね」
私の含み笑いに気がついたのか、そう念を押してからブラックはすたすたと部屋を後にし、それに続いたルカは扉を閉める瞬間ちらとだけ私を見て、でも何もいわずに扉を閉めた。
本当に、可愛いやつだ。
私はきっと、こちらにきて個性強すぎな人に囲まれすぎて、物凄く器が広くなったのだろう。そんなことをしみじみと実感する。そして、二人の気遣いに感謝しつつベッドの中に、ぱふっと戻って上掛けを引き上げて瞼を落とした。
まだ、見ることのない、出会うことのない子どものことは分からないけれど、深く愛されているという確信がある今、私はとても幸せで満たされていた。