第六話:実は一番マイペース(1)
「いったい! 痛いってばっ!! や、やめ」
「止めません。少し静かにしていてください。放置していたら咀嚼に問題が出ますよ? 少しずれてます」
前言撤回っ! 全然優しくなかった。
王宮に辿り着けば下準備は整っていたのか、直ぐにシゼの仕事部屋へ通された。書斎というよりは、図書館で見慣れた研究室だ。
「痛みも痣も……手は尽くしますが、暫らく取れないと思います。あとでカナイさんにも診てもらえば今よりマシになると思いますけど……」
一番は店主殿に診て頂いたほうが良いですよ……と気遣わしげに続けられる。
私はそれに首を振った。
ブラックには伝えない。そう決めた。
だって、こんなこと伝えようものなら何が起こるかわからない。私は生きてるけど。無事だけど。あの白猫は殺されかねない。いや、ブラックなら確実に消す。そんな自信があった。
どういう理由で暴挙に出たのかは分からない。分からないけれど、ブラックに彼を殺させたくはない。正直訳も分からず襲われたことを思えば、店の損害を思えば少しくらい痛い目を見ても良いのではないかと思うが、ブラックには加減がないので……諦めるしかない。
―― ……カチャ。
「シゼ、王宮入りご苦労さん。こっちに来るようにいわれたんだ、けど……て、マシロ?」
まさか私が居るとは思っていなかったのだろう。用事とやらを済ませてから訪問してきたのはカナイだ。私の姿を見つけて素直に驚いている。や、と片手を上げると首を傾げつつ、おう。と返してくれた。
「ふーん……。大体分かった。ったく……蒼月教徒の連中は何をやってるんだ。自分ところのガキくらい躾けとけよな……」
怪我の様子を見てもらっている間に、事情を掻い摘んで説明した。
「ブラックに伝える伝えないは、お前に任せるけど、バレるだろ? フツーに……店の内装くらいはこれから見てきてやるけど、薬の在庫まで復元は出来ないし、俺がそこで魔術を使ったらその痕跡が残る。それに気が付かないブラックじゃないと思うけど?」
「……大丈夫、だよ。ブラックは私がいわなかったらいいたくないことだと判断してくれるから、言及しない。問質されなければ、一応、蒼月教徒とぶつかることは避けられると思うし」
カナイは不器用なので、治癒速度を上げるための処理を施し終わるとシゼと入れ替わった。シゼは丁寧に塗り薬をつけ油紙を張り、白い布を当てたあと、包帯を巻きつけてゆく。
「痣にならないと良いですね……」
その流れるように手馴れた動きが終わり、そっと包帯の上から撫でたあと重ねたその言葉は意外だった。
「ほら、次はお前」
余った包帯や薬を片付け始めたシゼの腕を掴まえたカナイは、反射的に大丈夫だと口にしたシゼを無視して、ぐいっと袖を上げた。肘から手首に掛けて赤くなってしまっていた。
「っ」
「大丈夫じゃない。軽い熱傷だけど、痛むだろ? このくらいなら俺が治せるから」
―― ……気が、付かなかった……。
私だって薬師なのに、シゼの痛みに全く気がつけなくて、自分のことばかりで……情けない。
「気付かせないようにしたんだから気付かなくて当然です」
「カナイは気付いたのに」
「は? 俺? 当たり前だろ。今の話しからしてシゼが無傷とは思えないし、それにこいつが目に付くところに怪我を残すとは思えない」
「大体カナイさん大げさです」
「大げさでも良いの。ほら、よ」
カナイがするすると手のひらをシゼの腕に滑らせると、簡単にシゼの赤みは取れてしまっていた。
「軽くても放置しとくと皮膚が変色するぞ? って、いわれなくても分かるよな」
魔力による治癒術は万能ではないけれど、薬よりは即効性がある。
苦笑しつつ立ち上がったカナイとほぼ同時に部屋の扉が叩かれた。部屋の主の了承を得て開かれた扉の先にはメイドさん。恭しく腰を折ってから伝えてくれた。
「エミル様がお呼びです」
私たちは顔を見合わせたあと、カナイはメイドさんに「全員か?」と問い掛ける。
「え、いえ、シルゼハイト様がご到着されていれば……というお話でしたので……あとは白月の姫がお見えでしたらと……」
おどおどと続けたメイドさんにカナイは頷いて少ししか開いていなかった扉を開き「俺は店を見てきてやる」と部屋を出た。その後姿を見送ってから、伝達してくれたメイドさんにお礼をいって私たちもエミルの私室へと向った。
「何かあったのかな?」
「そうですね……僕に、ということだけなら、ご自身で来られるでしょうし……」
道すがらそんなことを呟きあい私は眉を寄せた。
―― ……コンコン
他の部屋より少しノックの音が重たい気がするのは、この扉が普通ではないからだと前にカナイが教えてくれた。上位王位継承順位保持者は手厚く護られるようになっているらしいが、逆にいえば囲われているに過ぎないとカナイが苦々しく零していたのはまだ最近のことだ。
普段から使用人を寄せないエミルは、手ずから扉を開けて私たちを迎えてくれた。ぴったりと扉が閉まったところでエミルは直ぐに私の首に触れる。
「どうしたの、これ、大丈夫?」
「……う、うん……」
なんと説明して良いか分からなくて、私は頷いただけだ。
「シゼもご苦労様。予定より早かったね。薬の方は大丈夫だった?」
にこりとシゼにも微笑んだエミルにシゼは「あ」と声を漏らしそのあとは黙した。エミルに嘘は吐きたくないし、深い説明も自分がして良いかどうか分からなかったからだと思う。
「あ、あの……薬は」
いいかけた私の口に、エミルはそっと手を当てて「あとで良いよ」と微笑んだ。
―― ……エミルはもう既に何かを知っているのだろうか?
そして、もう痛まないのかとか、後遺症として何か残らないのかとか聞きながら、暖炉の前にあるソファへ促してくれる。
シゼはお茶を淹れますね。と、傍にあったティーセットが載ったワゴンの傍へと寄った。
「さて、マシロが来てたのなら、もしかして関係があるのかな?」
私の隣に腰掛けてそういったエミルに私は首を傾げる。あ、横の動きはちょっと痛い。
「蒼月教団のレムミラスから手紙が来てね。僕に早急な面会をといってるんだ」
その言葉に私は肩を強張らせ、シゼはティーセットをカチャンと鳴らした。ああ、あるの? と毒なく微笑んだエミルに、私とシゼは顔を見合わせたあとゆっくりと頷いた。否定するのも隠すということも無駄だろう。