第六十話:どうしてこうなったっ?!(2)
「本当に大丈夫なんですか? 危険だと思います」
「私もそう思うんですけど、マシロはいい出したらきかないので……それに、エミルは、まだこの事実を知らないと思いますが、駄目だとはいわないと思いますよ」
ルカを見送ってしまっている間に、残った二人は真面目な顔をして話を進めていた。というかこの二人が普通に話しているのは、初めて見た。
「ルカが不在だということで、蒼月教団の戦力は大きく削がれています。誓約という形でのみ保たれている平和をより確かなものにしているんです。エミルは、穏健派であってもハスミはそうではないでしょう?」
実際、今日もハスミ様は蒼月教徒に仕掛けたほうが良いという話をしていたところだ。
「因みに、彼にも誓約があります。彼の付けていたチョーカーはちょっと特別製でしてね。私が作ったものですが……」
「力の制限でも掛けているんですか?」
「いいえ。それではいざというとき、私の代わりにはならないでしょう? マシロにだけは手を出せないようにしてあります」
にっこりと意味深な笑みを浮かべたブラックに、シゼは「貴方の代わり? マシロさんにだけ?」と気になった部分を繰り返し眉を寄せる。
それにブラックは、楽しそうに口元に人差し指を押し当てて内緒というように微笑んだ。
内緒も何も、あのチョーカーは外れない。
ブラックが外さない限り無理だ。
私も本人も試したけど全然駄目だった。いうなれば、西遊記の悟空がつけられている金鈷と同じようなものだろう。私がある言葉をルカに向けて発すれば反応するものだ。
それがなければただの可愛らしい首輪、あ、いっちゃった。そう可愛らしい赤い首輪だ。白猫――未熟さを示すようにまだ成猫ではなかった――になってもらったとき、相当嵌りそうだった。
ブラックにも首輪を……と考えてしまったほどだ。
私は二人が話をしている間に、ロスタからのお土産をカウンター裏から引っ張り出して、まだ全然納得出来ないという風なシゼに「はい」と手渡した。
「おいおい慣れるよ。ルカもきっとそんなに悪い子じゃないと思うよ?」
シゼは来た目的をすっかり忘れていたのか、なんですかこれ? と訝しげに受け取り中を見て、ああ、と納得する。中身は約束通り黒真珠だ。私も勿論貰った。
「乱獲したっぽいですね……」
「―― ……ロスタ豪快だからね」
「その辺りは昔から変わりません」
いったシゼは、ほんの少しだけ嬉しそうだ。その流れで冷静に戻ってくれるかと思ったら
「兎に角、あれが居る間はもうここにはきませんっ!」
帰ります。と、私が止めるのも聞かずに、かつんっと踵を鳴らして回れ右。さっさと扉に手を掛けてカランカランっと乱暴にウェルカムベルを鳴らして出て行ってしまった。
「シゼっ!」
「放っておいたらどうですか?」
呆れたように肩を竦めてそういったブラックに、私は、無理っ! といい放ってその姿を追いかけた。ブラックの溜息が聞こえたけど仕方ない。走り出したら止まらないのも私の癖だ。
「ちょっと待ってよシゼっ!」
大通りをカツカツと苛立たしげに歩いていたシゼを掴まえて、無理矢理振り返らせる。迷惑そうに眉を寄せたシゼは振り返りぶっきらぼうに「なんですか?」と口にした。
「ルカのこと許してあげて、きっと悪かったと思ってるから」
「どうして、僕が許す許さないという話になるんですか! 死に掛けたのは貴方でしょう? その記憶が薄れているとはとても思えません」
深く眉間に皺を寄せてそう口にしたシゼは、私なんかよりずっと辛そうに見えた。きっと、私がブラックの記憶とルカの記憶を混同してしまうくらい、深く心に刻んでいることを気にしてくれているのだと思う。
「貴方にとって、店は安心出来る場所ではないのですか? そこへ不安要素を入れ込んでどうするんです。それを貴方の我侭だから。と、許す店主殿も店主殿ですが、それに甘えるマシロさんもどうかと思います。そんな貴方だから、僕は嫌いなんですっ! 振り回されている周りのことを気にもしないで! 重ねますが、僕は彼を信用出来ません」
確信というか、いわれても当たり前なんだけど、面と向ってぽこぽこいわれると私でも傷付く。
浮かんできそうな涙を飲み込むために、私はきゅっと唇を噛み締める。口を開けば同時に泣きそうだ。いい大人がそれじゃ駄目だ。
しっかりしないと……そう思っても、正直シゼがいってることの方が正論だからどうしようもない。
暫らく睨み合ったあと、先に目を逸らしたのは私だ。ぶつけられた正論に私は何一つ返す言葉はない。シゼが心配してくれているのも痛いほど分かるから、尚更だ。
そんな私と向き合ったまま、やや黙したあと、シゼは、かつっと踵を鳴らした。踏み出した足で帰るのだと思ったら私の目の前が暗くなった。
―― ……ふわり
「僕が苛めているように見えるので泣かないでください。年上なのだからしっかりしてください」
シゼからは微かに薬草の香りがした。この臭いはなんだっただろう? とか今考えちゃいけないことが脳裏に過ぎる。
職業病の一種だと思う。
でも……シゼがこんな風に私に触れてくれたのは初めてだ。
私はシゼを怒らせた。許しを請う術もない。
それでもシゼは私に背を向けなかった。
口にはしないけれど、私のことを案じてくれているという気持ちが強く伝わる。でも、慣れないことをするから、力の入りきらない腕の中がなんだかくすぐったい。
少しだけ、驚いて、少しだけ嬉しくなった私に気がつくこともなくシゼは「それから」と続ける。
「貴方も薬師なのですから、いうかどうするか迷いましたが、マシロさんは倒れるまで、自分のことには気が付かない人だというのを忘れていました。貧血気味なのではないですか。疲れも蓄積されているはずです。薬をちゃんと飲んで、暫らく療養したほうが良い」
色々あったんですから……としんみりと付け加え締め括った。
「……ありがと」
憎まれ口を叩いても、ちゃんと私のことも診てくれているシゼが私は好きだ。どんなに嫌われても好きだと思う。とはいっても結構長いこと、抱き締めてくれてるけど
「私は、良いんだけど、その……」
もごもごと口にすれば通りすがりのおじさんが「若いってのは良いねー」と通り過ぎた。
うん。ここは大通りだし、シゼは目立つんだよ?
私のいいたいことを代弁してくれたおじさんに心の中だけで頷いた。慌てて私から距離を取り真っ赤になって私の顔を見ようともしないシゼはやっぱり、可愛い。
「と、兎に角、僕は納得できませんっ! 彼が居続けるなら、店には行きませんからねっ!」
真っ赤な顔を隠すことも出来ずに、そう吐き捨てたシゼは私が笑いを堪えていることに、益々赤くなる。凄いな。人間あんなに真っ赤になれるんだ。なんてしんみり考える余裕すら出来てしまった。
「~~~っ! 絶対行きませんからっ! 健康管理くらい自分でやってくださいっ!」
最終的に面白すぎてそれ以上シゼを掴まえておくことが出来なかった。
ぷりぷりまっかっかのシゼの背中を見送ったあと、私が店の扉をくぐると足元に白猫が擦り寄ってきた。
もちろんルカだ。
用事のないときは猫の姿で居ることもブラックが提示した条件の一つだ。腕輪などは全て外してもらい、力の制限は受けない代わり、でもある。
ルカはルカで「おいで」「良いよ」で、素直についてきたわけでもない。ルカが唯一惹かれたのは「自由」という単語だけだった。私は何かのきっかけになれば良いと、そう思ったのだ。
「和解出来ましたか?」
ルカを抱き上げて中に入れば、ブラックはカウンターに腰を預けて私が作って置いておいた金平糖を食べていた。
私はブラックの傍に寄って首を振ると、平皿に持った金平糖を一つ掴んだ。それを口に入れようとしたら、その手を掴まえられ「どうぞ」と口付けられる。
「―― ……んぅ」
―― ……甘い。
口移しで口内に転がり込んできたのはもちろん金平糖だ。真っ赤になってブラックを見上げれば、にこにこと「上手に出来てますよ」と褒められる。
私は抗議する気が逸れて、手に持ったままのものを、とっとカウンターに載ったルカの口に放り込んだ。猫の姿では受け止めにくいらしい。ころりと落として追いかけていく。
可愛い。いっそ猫形を本体にすれば良いのに。
「みんなが私に甘いから自分みたいなのも必要なんだって。全く。弟のクセに生意気だよね」
「―― ……シゼも報われませんね」
私にとっては好都合ですが。と笑いを零したブラックに首を傾げる。